枝話「藤野颯と恋嵐注意報3」
なんだか嫌な予感がするので、清田と駅で揉めた翌日から、朝も帰りも高松を家まで送迎することにした。
登校時間も電車一本分早めて、帰りは箏曲部の二年生全員と俺たち剣道部二年で下校に変更。
数日間、特に何事もなく過ごして、5月の連休に突入した。
4連休中、俺たち剣道部は合宿だから朝から晩まで学校で過ごした。
勉強と練習の繰り返しで疲れたけど、夜のバカ話は面白い。
去年の合宿は体力おばけの一朗以外は屍状態だったけど、今年は全員、寝る前に喋る元気くらいはあった。
連休が明けて、高松をマンション前まで迎えに行き、二人で駅まで向かうと、改札のすぐ近くに清田を発見した。
あいつはこちらが通学時間を変更したことに気づいて、早く駅に来たようだ。
「なんなのもう。近寄らないでって言ったのに」
高松は大きなため息を吐くと、別々に改札を通ろうと提案した。
まず俺が、清田がいる場所から一番遠い改札を使用するように言われた。
しかし、俺はそれを断り、高松が隠れて待ち、俺という存在で清田の意識が逸れている間に改札を通り、先に学校へ行くように伝えた。
「ちょっと話してくる。喧嘩はしないから安心して」
「聞く耳というか、理解する頭があると思えないけど……」
不安そうな眼差しを向けられたので、「大丈夫」と伝えて歩き出した。
俺と高松の親は小学校の役員関係などで面識があったので、俺は自分の父親にも彼女の父親にも、「まずは任せてみるけど、しっかり報告・連絡・相談をするように」と言われている。
なので、俺、高松の親、俺の親の5人が属するグループトークに「また待ち伏せされました」と送ってから清田に近づいた。
スマホの録音機能を使用開始してから、スマホをブレザーの胸ポケットに入れる。
「清田、電車に乗らないでここで何をしているんだ?」
俺が話しかけると、清田は無表情から険しい顔になり、敵意を感じさせた。
「この横取り野郎。よくも俺の前に顔を見せられたな」
「横取りって、高松はお前と付き合っていないし、付き合っていたこともないだろう」
「俺たちは付き合う運命だって言っただろう」
睨みつけられたことに対する恐怖はないが、この訳の分からない思考回路にはゾッとした。
「誰に聞いたか知らないけど、マネとの仲を疑ってあんな風に怒るなんて可愛いよな。あっ、学校まで俺に会いに来たってことか」
高松は、お前の近況や生活に興味が無いし、わざわざ会いに行くことは無いと言おうとしたけど、怒りを制御できる自信がなくて唇に力を入れた。
「わざと、お前なんかと一緒にいるところを見せてやきもちを妬かせようっていうのも可愛いよな」
「……」
この間は一人でいる俺に清田が話しかけてきて、そこに高松が来ただけだから、彼女は俺と一緒にいるところを清田に見せつけてなんていない。
こいつの認知はどうなっている。
それに、二度も「可愛いよな」って、俺に賛同を求める理由はなんだ。
「いいか、ちびの。ちょっと背が高くなって、お坊ちゃん校に通っているからって調子に乗るなよ。小百合はお前を釣り道具に選んだだけだ」
体格差はそれほどないし、背は俺の方が高いから睨まれても怖くはないが、俺からすると清田の思考はイカれているので、頭が痛くなってきた。
「高松に話してもらえない、連絡先も知らない自惚れ野郎。お前と高松は運命じゃないし、絶対に無理だから諦めろ。昔、あれだけいじめた女子がいじめっ子に惚れるか」
黙って聞いていられなくて、喧嘩を売ってしまった。
『野郎』なんて言葉遣いはほとんどしないが、腹が立ちすぎてスッと出てきた。
昨年、一朗が捕まえた痴漢相手に、突っかかった気持ちが今、理解できる。
あの痴漢は証拠の動画もあるのに、言いがかりだ、痴漢冤罪だと騒いで一朗にも天宮さんにも暴言を吐いて憎らしかった。
清田は犯罪はしていないが、俺としては同じくらいイライラする。
「はぁ? 俺がいじめた? 俺がいつそんなことをした。言いがかりはやめろ」
こいつは、好きな子をいじめていた自覚すらないのかと呆れる。
まさか……と思ったら、そのまさか「結構沢山、楽しく遊んでいただろう」と言われて唖然とした。
あれのどこが『遊んだ』で、何が『楽しく』なのか、頭痛に続いて吐き気がしてきた。
俺はこんなことを、高松に聞かせたくない。
「お前がそう思っていても高松はそう思ってない。彼女は過去の行いと、最近の待ち伏せでお前を嫌っている」
「はいはい。泥棒にそんな嘘を言われても」
盛大なため息と舌打ちをされた。
「俺のことは何を言っても構わないけど、高松は怖がっているから彼女に近寄るな。朝練に遅刻するからじゃあ」
早歩きで改札を通り、階段を降りてから立ち止まってスマホを確認して録音を終了。
きちんと声を拾えているか後で確認して、録音できていたら親たちに送信しよう。
高松からLetlがきていたので確認したら、「各駅の隣駅で待ってる」だった。
先に行ってと伝えたけど、待ってくれたようだ。
ちょうど各駅電車がきそうだったので、慌てて階段を昇って別のホームへ移動。
電車に乗って隣駅で高松と合流して、ホームに二人で並んで立った。
「あれだけ強く言ったのに、また待ち伏せなんて怖くて、つい逃げちゃった。ごめんね……」
高松の猫目に涙がにじみ、声も少し震えている。
「逃げてごめんって、俺が先に行けって言ったんだ。謝る必要なんてない」
「……うん、ありがとう」
この間はティッシュを出そうとして慌てて失敗したので、あれからポケットにハンカチを入れるようにしている。
だから今日はスッとハンカチを差し出すことができた。
でもその前に、高松は自分のスカートのポケットからハンカチを出したので、俺の行動は無意味になった。
「遅くてごめん」
「なんで謝るの? 気遣ってくれてありがとう」と高松に笑いかけられて、可愛いし嬉しくてニヤケそうになった。
本当に、俺は今、役得というポジションにいると思う。
電車が来たら別々の車両に乗り、そのまま別々に登校だから、ずっとこの時間が続けば良いのに。
「あっ、あのね。Letlしたように、みんなで夢の国に行ったんだよ」
高松は気を利かせたというように、笑顔を浮かべて明るくなりそうな話題を出してくれた。
しかし、顔色はあまり良くなくて、笑顔もぎこちない。
「楽しかった? 聞くまでもないか」
「うん。あのね、琴ちゃんが代表して剣道部へのお土産を田中君に渡すから、みんなで食べて……あっ、敬語。動転して忘れていました」
「制服の時は言葉遣い、だっけ?」
「そんな言い方はしていません」
自分としては似ている喋り方をしたと思ったけど。
おどけ気味に言った意味はあったようで、高松の顔のこわばりが和らいでホッとした。
「あはは。食べてってことは、お土産は食べ物なんだ」
「さて、なんでしょう〜」
「定番のチョコクランチとか?」
「一ノ瀬君がチョコはあんまりって聞いたからチョコではありませーん」
「おお、ちゃんとリサーチしたんだ」
俺が最後に夢の国に行ったのは、小学校5年生の時に家族と一緒に行ったのが最後だ。
楽しかったけど、姉たちに振り回されて疲れて、恐竜展や科学館の方が好きだと父に言った記憶がある。
以降、姉たちはそれぞれ友人と行っていて、たまに母親も友だちと行く。
関連作品も世界観も、とくに好きでも嫌いでもない。
しかし、「行きたい!」という気持ちを抱くこともなく過ごしてきた。
高松たちに、いや、高松が「みんなで行こう」と誘ってくれたら、「行く」と即答する。
初めて同期全員で出掛けたと嬉しそうに話す高松は、写真も見せてくれた。
「田中君はこういうところは好きですか? 琴音さんがデートしたそうな顔をしていました」
「話題が出たことがないから分からないけど、相澤さんに誘われたら行きそう」
「それなら勇気を出してーって背中を押します」
そこから話題は二人のことになり、順調そうとか、次は試験前に鎌倉デートらしいという話が出た。
これで俺は、相澤さんは普段通りの生活をしているという情報を入手。
一方、一朗は「勉強する、教えろ、俺にデートをさせろ」とうるさいから、それを高松に暴露して、相澤さんに教えて良いと伝えた。
電車が来たので快速が止まる駅までは一緒に乗り、快速に乗り換えたらは女性専用車両があるので別々に。
錦町駅で電車を降りたら、高松が駆け寄ってきてくれた。
なんで今日はと考えて、清田の待ち伏せが怖かったのだろうと結論づける。
二人で改札を抜けて、高松が佐島さんと相澤さんと待ち合わせをする場所へ行くと、離れ難いからそのまま横に陣取った。
一朗と相澤さんは、月曜の朝に二人で登校するけど、今週は月曜が祝日だったので、今日に振り替えになっている。
そんな話を聞いていると、その話題の人物、一朗が現れて俺たちに気がついて近寄ってきた。
今朝は盛大に寝坊したから、今日は電車通学になり、早く着いたらしい。
ちょっと邪魔だと思っていたら、さらに一朗がいることで男子が増えて、「噂の彼女?」と誤解され、高松が他の男子たちと会話をしていく。
いつの間にか俺は輪の外にいて、面白くない。
ぼんやり周りを眺めていたら、女子とパチッと目が合い、それがよりにもよって天宮さんだったので、変な汗をかいた。
お礼の紙袋に入っていた手紙には、「話してみたいです」という言葉と連絡先が書いてあったけど、俺は彼女と会話したくないから無視している。
今も思わず、見なかったふりをして目を逸らしてしまった。
この時間に天宮さんを見た記憶はないけど……と考えていたら、彼女に話しかけられた。
彼女は友人二人と一緒で、その友人たちにも「おはようございます」と話しかけられたので、さすがにこれは無視できないと思って挨拶を返す。
天宮さんが何か言いたげだったので、思わず「一朗」と口にしてしまった。
「ん? なんだ?」
「お礼。お前にもお礼を言いたいって」
「お礼?」
人の輪の中から出てきた一朗が俺の隣まで来ると、首を傾げながら天宮さんたちを眺め、何かを思い出したかのように目を見開いた。
「ああ。あの時の。俺は当たり前のことをしただけなので」
「……いえ。改めて、ありがとうございました」と天宮さんはうつむいて、小さな声を出した。
俺にだけお礼の品を渡したこと、一朗と涼を探してお礼を言う気がなかったという事実があるので、気持ちがこもっていなそうだと邪推してしまう。
一番の立役者にこの態度はあまり印象が良くない。
よく人助けをしてそのことを忘れる一朗は、このお礼にも天宮さんにも特に興味が無さそうだ。
「あっ、じゃあ俺は」と一朗が駆け出す。
もしかしてと思ったら、一朗が向かう先には相澤さんの姿があった。
ほぼ同時に、高松の「失礼します」という声がして、一朗たちのところへ向かって歩き出した。
俺だけここに置き去り……ではなく、俺もあそこに行くかと足を動かしたまさにその時のこと。
「学校まで一緒に行きませんか?」と天宮さんに誘われた。
彼女の友人たちがいて、一朗が自然と集めた男子たちもいるため、どう断れば天宮さんへのダメージが少ないのか悩む。
不安と期待が入り混じった彼女の視線になぜか清田の存在が脳裏によぎり、思わず「すみません」と口にしてしまった。
完全に拒絶しても、あのような人間が存在するのだから、曖昧にしたら誤解されるだろう。
「誤解されたくないので、本当にすみません」
一朗たちと合流し、相澤さんと挨拶を交わした後、佐島さんが来るまで待とう、みんなで学校に行こうということになった。
言い出したのは相澤さんで、彼女はそう提案しながら、「剣道部の皆さんへ」と夢の国のお土産が入った無地の紙袋を一朗に差し出した。
そのやり取りの際、俺の視界に天宮さんの姿が入り、俺ではなく高松を睨んで背中を向けたので、ますます彼女が苦手になった。
高松は天宮さんに励まされたことがあると語ったし、彼女を『良い人』と称したけれど、俺はまだそういうところを知らない。
それから四日後、知らない男子が教室を訪ねてきて、合同遠足で同じ班だった女子から俺への「お礼の品」を持ってきた。
彼に橋渡しを頼んだのは聖廉吹奏楽部の女子で名前は天宮。
彼女は前に俺に助けられたことがあるらしく、これはそのお礼だと説明された。
手紙に書いてあった連絡先は使用していないし、一緒に登校したくないと断ったのに、二回目のお礼の品が来たので、背筋がひんやりとした。
男の俺がこの程度で少し怖いのだから、高松はかなり怖いだろうとますます心配になる。
「板挟みにして悪いけど、受け取りたくないから返して下さい」
「えっ、でも」と困惑されたけど、無視して背中を向け、一朗たちのところへ戻った。
気が強くなさそうな彼は、俺にもう一回何かを言う勇気はないようだけど、責任感が強いのか困ったような表情でその場を動かない。
「ああ、もうっ!」と心の中で叫んで、腹を立てながら彼のところへ戻り、お礼の品を受け取って、「困らせてすみません」と謝った。
会釈をした彼が去ると、ごく自然に片手で髪をぐしゃぐしゃと撫でていた。
男だらけの世界で生きてきて、ましてやモテたことなんてない。
モテたら嬉しいだろうと思ったこともあるけど、天宮さんは俺の人生初の地雷女子で全く嬉しくない。
彼女は俺の癪に触ることを、次々としてくる。
モヤモヤして教室の出入り口付近に立ち続けていたら、一朗と涼がきて心配してくれた。
どうしたと問われたので事情を説明し、このお礼の品は本人に返すと伝える。
「女子に泣かれるとたまに面倒なことになる。だから代わりに返してやるよ」
「代わってもらうなんて卑怯者だから自分で返す」
「話してくれないなんて酷いとか、お礼の気持ちを無視しないでよりも、卑怯者の方が気楽じゃないか?」
一朗は「好かれたくない相手には悪印象の方がいい」と続け、「何をしても悪く言われる可能性があるんだから、それなら二人で言われよう」と笑って俺の背中を軽く叩いた。
「自分で……いや、ごめん。頼む」
断ろうとしたけど、他人に嫌なことを肩代わりしてもらう気持ちを味わいたくて、高松がどんな思いでいるか知りたくて、一朗を頼ることにした。
「ありがとうって言え。あとピザまんを一個頼む」
「じゃあ俺も付き合うから、肉まんを一個で」と涼が便乗してきた。
一朗は、天宮さんと接触するにあたり、相澤さんに隠し事をなるべくしたくないということで、彼が彼女に事情を説明することになった。
詳細は不明だが、結果として相澤さんが天宮さんのクラスに行って彼女にお礼の品を返してくれることになった。
相澤さんは、待ち伏せは噂になりやすいし女子同士の方が良いという理由で、俺がきちんと断りのメモを添えるという条件で引き受けてくれた。
こうして、俺は天宮さんを再び拒否したのだが、また別の人間経由で今度は手紙だけがきて辟易。
二回目のお礼の品が入っていた紙袋の中にあった手紙と同じく、今回の手紙も読む気になれず、品物じゃないから返すのもどうかと思い、ゴミ箱へ直行させてしまった。
罪悪感で胸が痛むし、「どうしてまた……」と心が疲れてしまうので、もうやめてほしい。
ただ、高松の清田への気持ちを、ほんの少しでも理解できたのでそれは良かった。
天宮さんのおかげなのか、彼女のせいなのか、俺はますます清田が嫌いになった。
両親に聞いたけど、高松の親はあいつの親に言うか言わないか悩み始めたそうだ。
昔、高松を怪我させた時に逆ギレした親らしいので難しいところ。
清田も天宮さんも、そろそろ諦めますように。




