勉強会とやきもち
明日、私たち箏曲部はショッピングモールで演奏会を行うことになっている。
私たちが先頭で、舞踊部が続き、最後は吹奏楽部が締める形だ。
合同リハーサルも無事に終わり、準備も終わっていてあとは本番を待つだけ。
私たち大会組は全員での演奏以外は、裏方仕事や定期演奏会のチラシ配りを担当する。
三年生たちは受験勉強が優先で、秋に行われる定期演奏会がメイン行事なので、他の行事の中心は基本的に二年生。
だから今回の演奏会で、二年生の演奏会組——麗華や美由たちは初めて主役になる。
明日は本番だけど、今日は土曜なので午前中は勉強をしないとならない。
麗華と美由は、今日はさっさと課題を終わらせて、普段よりも早く練習をする、明日の本番に備えると意気込んでいる。
小百合も責任感が強いから、二年部長としてしかと役目を果たしたいというようにピリピリして見える。
先週に引き続き、受験室を使って剣箏部で勉強会だけど、自分たちの休憩時間は1コマ毎に3分にする、その分早く部活に行くという小百合たちの様子に男子たちが戸惑い気味。
私の隣に座る一朗君も、勉強中に『女子たちに何かありました?』というメモを見せてきた。
『明日は演奏会だから緊張しています』
『相澤さんは普通ですね。裏方だから?』
『準備は万端だと自信があるからです』
そんなやりとりをしていると、小百合が「そこ、不真面目ですよ」と睨んできた。
「別にいいじゃん。琴音さんは好成績なんですから。真面目でも成績が良くない小百ちゃんこそ、他人を気にしないで集中しなさい」
真由香が怠そうな声を出した。彼女と席が離れている小百合が目を見開いて固まる。
「適度なサボりも大切ですよ。そういうわけで、一ノ瀬部長〜。私たちの課題を助けて下さい。今日は勉強よりも練習や準備の最終確認をしたいんです」
真由香が「お願いします」と手を合わせて、かわいいおねだり仕草をした。
「最終確認?」と一ノ瀬君が首を捻ると、一朗君が「色々あって忘れていたけど、彼女たちは明日、ショッピングモールで演奏をするんだ」と教えた。
「高松、そんなこと聞いてない」と藤野君が不満そうな声を出す。
「藤野君たちは明日、普通に部活でしょう? 教えたって意味がないと思って」
付き合いの長い私は、小百合の言葉に悪気や棘がないことを感じ取れたが、最近、久しぶりに彼女と再会した藤野君は誤解したようで、眉間にしわを寄せた。
「なんだそれ」
まずい、間に入ろうと思った時には、小百合の斜め向かいに座る藤野君と小百合の雰囲気が一気に悪化。
「明日は演奏会だから課題を早く終わらせたいんですね。それなら手分けして、女子たちの課題を終わらせましょう」
小百合と藤野君が作った張り詰めた空気を切り裂くように、一朗君が手を叩き、みんなが彼に注目した。
「課題がないのは相澤さんだけですよね? 相澤さん以外は全員、まず俺に課題を渡して下さい」
「回収、回収」と軽やかに言いながら、一朗君は女子たちのところを周り、何か言いたげな小百合からは有無を言わさずというように課題のプリントを奪った。
一朗君は回収した課題を全部、一ノ瀬君に渡して、「よろしく」とにこやかに笑った。
無言で課題のプリントの束を受け取った一ノ瀬君が、何かを深く考えるように静かにプリントを眺める。
「数学のプリントは二種類だから、こっちは俺が解く。和哉はこっちで復習しろ。多分、三割くらい間違えるから俺が修正する」
数学の課題プリントを渡された早坂君が、「はい、涼先生」と歯を見せて笑った。
「一朗は英語。コピーしてこい。答えと一緒にそこに解説も書き込め」
「任せろ、涼先生」と肩を揺らした一朗君は、英語の課題プリントを受け取るとコピーに行くと去った。
「颯は政と理科を全部。颯、遅そうな政を補助しろ」
藤野君は一ノ瀬君から受け取ったプリントを見て、「苦手な物理をやれ。その間に他を俺が終わらせるから」と佐藤君に渡した。
残りは国語と社会で、それは課題がない私だと割り振られ、終わった人が手伝いに入ることになった。
一ノ瀬君がさらに続ける。
10時半には終わらせる。自分たちが課題を進める代わりに、私以外の女子たちには苦手科目を勉強してもらう。
小百合と美由は数学、麗華は英語、真由香は理科に集中。
数学は一ノ瀬君、英語は一朗君、理科は藤野君が得意だから、隣の席に座って指示を受けるように。
そうして、勉強会は男子たちが聖廉の課題を進める会になった。
聖廉もわりと進学校だけど、さすが都内でも有数の進学校である海鳴生。
課題はあっという間に進み、真由香と麗華が先週もこうしてもらえば良かった、こっちの方が勉強になると言い出した。
素晴らしい勉強会だけど、一朗君の隣という場所から引き離されたし、彼が麗香につきっきりで教えているからつまらない。
これまで勉強が得意であることに感謝してきたけど、今は逆にそれが悲しくて寂しい。
勉強ができる事で損をするなんて初めてだ。
「真由香さん、麗華さん。これは剣道部のみなさんの犠牲の上に成り立ってできたことです。そのように言うものではありません」
「いや、別に。こっちも復習や記憶の強化ができるから得です」
小百合の注意を、すまし顔の一ノ瀬君が即座に否定した。小百合が戸惑ったような表情を浮かべている。
「先週から今後の勉強会の内容をどうしようかと考えていたので、新しい方法を試せて、しかも良さそうで良かったです。聖廉の授業は、ちょうどいい遅れ具合です」
一ノ瀬君は、両校の理事も校長も先生たちも繋がって、色々想定していそうだという考察を披露。
「涼、いい事を言ってくれた高松さんを立ててから言え。そうやって正論でぶった斬るな」と一朗君が小百合を庇ってくれた。
「あー、高松さん、すみません。俺、こういうところがあって」
小百合は、一朗君のフォローと一ノ瀬君の謝罪に対してすぐに口元に笑みを浮かべて、「いえ、私は要領が悪いからそういうことを考えられなくて。ありがとうございます」と静かに呟いた。
「俺は好きですよ。そういう真面目ちゃん。涼は俺たちに頼られて要領が良くなっただけなので。つまり訓練の成果です」
『好きですよ』という一朗君の台詞で、心臓にグサグサグサッと何かがいくつも突き刺さり、とんでもなく嫌な気分になった。
今の発言は恋愛的な意味では無いけど、私は言われたことがなのに、なんで小百合が先に……とモヤモヤしてならない。
「高松さんは今日、涼から新しい勉強法を学んだから、きっと成績が伸びますよ」
そう、優しげに笑う一朗君は、スカイタワーデートの時に私の隣にいた彼と同じで、別の女子相手にも見せる姿なんだと感じて、自分が特別ではないという悲しみが押し寄せてきた。
その上、先日シラセさんと楽しそうに話していたことが急に思い出され、さらに胸が痛んだ。
「お前は英語以外は壊滅的だろう。全部やらせるからコピーしてこい」
「……涼君? なんで俺は成績が悪いって相澤さんにバラすんだ?」
「君づけで媚を売るな。気持ち悪い。さっさとコピーしてこい」
「せっかく、東さんへの指導や英語の課題の代行で、相澤さんに勉強できる男子って思われたのに!」
一ノ瀬君に「行け」と顎で示された一朗君が、プリントの束を持っていなくなった。
私は『一朗君は勉強できる』と感激しないで、ただ麗華に嫉妬していただけだけど、それは秘密にしておこう。
「みなさんのおかげで早く課題が終わったので、さっさと早弁にして、練習するといいと思います」
落ち着け自分と言い聞かせながら、友人たちに笑いかけたら、麗華に「琴音さん、どうしました?」と問われた。
「どうしたって何がですか?」
「なんだか、悲しそうなので」
「いえ、特に」
勝手にやきもちを妬いて、友達を心配させるなんて。「疲れただけです」と笑ってみせた。
「そりゃあ、相澤さんからしたら面白くないんじゃないですか? 一朗が東さんにつきっきりだったんで」
突然、早坂君に的確な指摘をされてギクッとした。
「涼先生が悪い。政もそれなりに英語が得意なのに」
「おい和哉、気がついた時点で言えよ」と一ノ瀬君がムッとした表情になり、麗華が私に謝ってきた。
「お前は悪いけどグッジョブだ涼。東さんも平気ですよ。一朗のやつ、相澤さんにチラチラ気にされて嬉しそうだったから」
私は一朗君のそんな様子を目撃していないけど、真由香も早坂君と同じ感想を抱いていたようで、「早坂君、それは私も思いました〜」と私に向かって笑いかけた。
「相澤さん。コピーに行った一朗君のところへ行って、琴音にも英語を教えて欲しい〜っておねだりしてきて下さい。面白いから」
このからかいの言葉に、真由香が「行ってきて下さい」と乗っかる。
「……そんなことを言われたら行けません」
「あはは。真っ赤で可愛い。で、颯はまーだ幼馴染ちゃんに部活の予定を教えてもらえなかったことで、すねているのか」
助かったけど、からかいは恥ずかしいので、話題が私から逸れてホッと胸を撫で下ろした。
早坂君のおかげで私の嫉妬心は和らぎ、気まずそうだった麗華の表情も明るくなっている。
「はぁ? すねてない。ウザ絡みするな」と藤野君が機嫌の悪そうな声を出した。
「そう? 俺はすねたぞ。せっかく親しくなりはじめているのに、誰も演奏会のことを教えてくれなかったって」
真由香が言った気がしていた、麗華が練習に夢中で忘れていたと謝ったけど、早坂君の明るい言動で悪い空気には全くならず。
早坂君はここでお喋りすると迷惑だから、外でちょっと雑談して解散しようと促して、全員が賛同して荷物をまとめ始めた。
「ウザいのは今のお前だ。めちゃくちゃ顔に出てんだよ、颯、言いたいことは言っとけ」
「……。あのさ、高松。俺はやっぱりすねた。小学校の時みたいに、また親しくなれたらって思っているのに、他人みたいに線引きされた気がして」
「……あの、ごめん。私はそんなつもりで言ったわけじゃなくて……」
早坂君と藤野君と小百合のやり取りが聞こえてきて、早坂君の気配り上手さにさらに感心。
麗華が私に近寄ってきて、気が回らなくてごめんとまた謝られたけど、「いえ、得をしました」と心からの言葉を言えて、素直に笑顔を返せた。
「早坂君って気遣い屋で格好良いですね。彼女が欲しいって言ったら、張り切って紹介したくなります」
美由が近寄ってきて、麗華のこの発言を聞いて、一ノ瀬部長に探りを入れようと提案。
するとその一ノ瀬君が私たちに近寄ってきて、一朗君の荷物は、彼女だからという理由で私が片付けるように言われた。
「勝手に触るのはよくないです」
「平気、平気。喜ばれますよ」
私は荷物番だと置いていかれ、ドキドキしながら一朗君の荷物をまとめて、カバンの中にしまうのはやり過ぎかな……と悩んでいたら、彼が戻ってきた。
「和哉に聞きました。散らかしていたのに片付けてくれて、ありがとうございます」
「いえ」
「でも俺は居残り勉強です。いい顔をしたけど、自分の課題を終わらせないと部活に参加させてもらえなくて」
「実は剣道部二年で一番成績が悪いんです。英語以外」と一朗君は苦笑いを浮かべてうつむいた。
「颯が高松さんから聞いて、相澤さんは優等生だって。格好悪いから隠して、せめて中間テストでマシになってから平均並ですって言おうかと……」
バツが悪そうだけど、どこか吹っ切れたような印象も受ける。
「人には得意不得意があるので、励んでいるなら格好悪くなんてないです」
嘘偽りのない心からの言葉で、一朗君もそう受け取ってくれたのか、嬉しそうに笑ってこちらを見てくれた。
「英語だけは涼並みなので、いつでも頼ってください。こうなったら、他の科目では相澤さんを頼ります」
「教えると成績が伸びるから、お互いそうしましょう」
一朗君は私を見送りたいから一回、外に出てみんなのところへ行くと言ってくれた。
みんなは受験室の前にいて、和やかな様子だ。
「俺は居残り勉強なんで、みなさんまた明後日の合同遠足で。演奏会、頑張って下さい」
一朗君が頑張れというように腕を動かすと、早坂君が右腕を挙げて「ファイト〜」と続いた。
「部活をさせてもらうために勉強しないと。また後で」
一朗君が私に「じゃあ、また後で」と言い残して受験室へ戻っていく。
「あのバカ。海鳴生一人では使えないってことを忘れてるな」
「私たちの部のために手伝ってくれたので、代わりに部を代表して琴音さんが付き合ってあげるといいと思います」
行ってらっしゃいと麗香に背中を押されて、小百合にも「裏方準備はもうないから、彼にお礼をお願いします」と手を振られた。
「田中君に琴音さんの写真は任せてって伝えて下さい」と真由香が一ノ瀬君たちにいたずらっぽく笑いかけて、美由が「それなら私も」と便乗。
自分にも一朗君にも素敵な友人たちがいるなと、唇を綻ばせながら、私は受験室へ戻った。
一時間程二人で勉強をして、校門前でお別れする時に、気合いが入るから個人戦の日に、「頑張れ」というLetlが欲しいと頼まれた。
彼は来月の11日にある大会の個人戦に出場するそうだ。
「それでその……。自分で言うのもあれだけど、そこそこ強いから優勝を狙ってるんで……」
一朗君はうつむいて、前髪をいじりながらこう続けた。
「優勝したら……下の名前で呼んでもいいですか?」
なぜ一朗君が頑張ったら私の名前を呼ぶのか理解できず、どういうこと? と考え込んで、彼が私を下の名前で呼びたいという意図に気がつくのが遅れてしまった。
そのせいで一朗君は、私は拒否したと判断したようで、慌てた様子で苦笑を浮かべた。
「やっぱりなし。今のはなし。お試しというか、とりあえずの仲だから……馴れ馴れしいですね」
私たちって『お試しの付き合い』なの? と衝撃を受けていたら、一朗君が走り出したので思わず叫んでいた。
「一朗君! 優勝しなくても名前で呼んで下さい! 優勝祝いは別のものにしましょう!」
勢い良く振り返った一朗君は、大きく口を開けて静止し、その後すぐに首を縦に振り、口元を抑えて去っていった。
一朗君はどうやら『お試し』だと思っているらしく、さらにそうでなくなるといいと考えてくれている。
その確信とあまりの嬉しさで足に力が入らなくなり、へなへなとしゃがんでしばらくそのまま。
その姿を見た知らない生徒に、具合が悪いと誤解されてしまった。




