枝話「藤野颯と推し部3」
思いがけず、朝から高松に失恋したけど、辛かったのはその時だけ。
何も知らない高松が、俺と楽しそうに笑って横にいてくれて、今もみんなが来るまで二人きりだから、嬉しくて楽しい。
告白して振られたわけではなく、再会して気持ちを自覚してスタートラインに立っただけなので、俺のこの恋はこれからだ。
自分としては肩透かしで終わったけど、謝罪もできたので、高松と距離を縮めることに罪悪感はない。
二人でスカイタワー入り口近くの壁際に立っていたら、高松は不意に不機嫌そうになった。
今の話題は、俺も高松も小学校の時から読んでいる、そろそろ完結しそうな漫画のことで、最終章は熱いと盛り上がっていたのに。
高松はふと、遠くを見て、急に険しい顔になったので、話題が悪かったわけではないはず。
そこへ佐島さんが現れて、「朝から不機嫌〜」と軽口を叩きながら、高松のおでこを指でつついた。
「不機嫌じゃないよ」
「別にってつけなかったから、本当の不機嫌では無いね」と佐島さんが愉快そうに肩を揺らす。
高松が「別に」とつけたら、本当に不機嫌と心に刻んでおく。
佐島さんは色白で、背が高くなく、わりと甘い顔立ちなのだが、私服はその見た目からすると意外だった。
黒いキャップ、カラフルな絵のだぼだぼパーカー、膝上のショートパンツ、そして短めの虹色の靴下に、ごつめの黒いスニーカー。
親しいはずの高松も、彼女を見て、驚いた顔をしている。
ここへ、「うわぁ、真由ちゃん似合う〜。ゆるふわ系の可愛い子がこういう格好ってエモい」と、東さんが登場した。
「ちっ、ちっ、ちっ。さとゆー、さとまゆ、まゆと呼んでくれたまえ」
佐島さんが人差し指と中指を揃えて、左右に揺らす。
「あはは、スモーキンの真似?」
「東さんも炎爆を読むの?」
「うん、読むし好きだよ。制服じゃないと言葉遣いが楽だね」
彼女の服は淡いベージュの膝上パーカーワンピースに、丈が長めの白いスニーカー。
靴紐はわざわざ変えてあり、そこがさらにお洒落に見える。
東さんも佐東さんのようにほんわか女子っぽい見た目だし、聖廉の制服の印象が強かったので、ボーイッシュ寄りなこの服装は予想外。
「……モデルさんかと思ったら小百ちゃん! うわぁ、去年見た服と全然違う」
「この間もやぼったかったから、私もびっくりしてるの」
佐島さんと東さんが、高松の周りをぐるぐる回り始めて、「かわいい、綺麗、細い」と彼女を褒めまくる。
「先生に高松さん、あなたはもう少しお洒落を覚えましょうって、ファッション雑誌を押し付けられたもんね。頑張った」
「先生大正解! これだと高松さんとか二年部長じゃなくて、小百ちゃんだもん」
「まぁ……。真由ちゃんに、合同遠足前にちゃんと服を買うように言われたのもあり……」
友人たちに褒められて、照れ笑いしてうつむく高松は死ぬほど可愛い。
髪を手で掴む仕草が、昔と同じだったので、さらに目が離せない。
「あっ、美由ちゃんも来た」
橋本さんは襟のない、白っぽい色の足首まであるワンピースに黒い靴を合わせていた。
ワンピースの上には、高松と似たような雰囲気の黄色いカーディガン。
彼女が一番、聖廉生らしい『お嬢様』を感じさせる服装だ。
「みなさん、おはようございます」
彼女は動きもなんだか優雅。
「美由ちゃんは今日も可愛いねぇ」と東さんが、彼女の腕に抱きついた。
「可愛いのは麗華ちゃん。うわぁ、小百ちゃん、モデルさんみたい。足が細くて長い。ウェストも細い。羨ましい〜」
橋本さんも高松の周りをぐるーっと回った。
東さんと橋本さんが、「どうやったらこのスタイルになれるの?」と高松に質問。
俺からすると二人とも痩せているからダイエットなんてする必要はないし、高松なんてもっと太ったら良いと言いたい。
しかし、女子に太れは禁句なのは姉という存在から学んでいるので、余計なことは言わずに黙って様子をうかがう。
「……。昔、ぽっちゃりめで、男子に相撲取りって言われて、それ以来、体重を気にしてて……」
高松はぽつり、と小さな声を出した。それって、清田のことだとイライラする。
あの頃の高松は、全くぽっちゃりではなかった。
「うわぁ、なにそれ酷い!」
「食べるの、怖くなってない? 大丈夫?」
東さんと橋本さんの、心の底からというような心配の言葉で、高松は急に涙目になった。
清田のやつは、高松にこんなトラウマまで植えつけていたとは。
「……うん。大丈夫。あの、私、ごめんね。ちゃんとしないとって思うとキツくなるし、空気も壊しがちで……」
どんどん声を小さくした高松は、猫のような目から涙をこぼした。
「うわぁ! 小百ちゃんが泣いた! ダメだよ小百ちゃんに優しくしたら。小百ちゃんは真面目過ぎる、背伸び優等生だから、ガラスハートなの!」
佐島さんのこの台詞に、橋本さんが「それは知ってるよ。だから麗華ちゃんが重荷を減らそうとして、でも気が強い同士で言い合いになるから!」とわりと大きな声を出した。
「真由ちゃんが猫被りして、言いなり人形みたいにしていたからでしょう! さっきみたいに、和ませてくれていたら違っていたのに!」
なんか、女子たちの喧嘩が始まった……。
「それは悪魔先輩が空気を読めない、でしゃばりドブスって言うから! 先に中学を卒業して、チア部になってせいせいした」
「真由ちゃん、ハマダ先輩。悪魔はやめよう?」
「小百ちゃんはそうやってさ、すーぐ良い子ぶる。ぶってないか。本心だもんね。でもうるさいなぁ。ハマダ先輩は悪魔でキツかった。練習しないから下手なのに、経験者をいびってさぁ」
「小百ちゃんが格好良かったよね。何を言われてもはい、すみません。私が注意しておきますのでって」
「そうそう、頑張って続けて、高松部長で楽しくやろうって決意するよね、あれは」
「琴ちゃん、またあれやってくれないかなぁ。テロが起こってビルが爆発するシーンの曲を思いつきました! って」
「あのハマダ劇場破壊は面白かったよね」
「気がついている時もあるけど、琴ちゃんのあれは天然だからね。空気を読めないんだけど、なんかこう、上手いことハマるよね。癒し系〜」
「和み系〜」
「名前で呼び合いませんか?」
「そんな。でも、琴音嬉しい〜。えいっ!」
東さんと橋本さんが、こういう会話をして手を繋いだので、これはおそらく一朗と相澤さんの小芝居だろう。
ここに和哉がいたら、癒し系の和み系は彼女たちだ、部内恋愛禁止はやめないか? と俺にヒソヒソ言いそう。
最初は喧嘩……と慌てたけど、和気あいあいとした雰囲気になり、高松の涙もすっかり引っ込んで笑っている。
高松は良い友人たちと同じ部活で頑張っているんだなと、胸が温かくなった。
誤解されてしまうようなところもあるけど、正義感があって優しくて、頑張り屋だった高松委員長は、あの頃と変わらなそうだ。
俺は存在を忘れられているようだし、こちらに向かってくる政の姿が見えたので、彼女たちに「あのー」と話しかけた。
「ごめん、藤野君。女子だけで来た気がしてた」と高松が苦笑いを俺に向けた。
「電車で二人で来たのに? 酷いなぁ。あはは」
途端に高松は、とても申し訳なさそうな顔になった。
「高松、間に受けるな。本当、真面目だよな。今の酷いは冗談だから」
「分かってるよ」と言った高松は、冗談を間に受けた自分が恥ずかしい、それは俺のせいだというように、機嫌の悪くした顔で俺を軽く睨んだ。
ちょっ、その顔はダメージを受けるからやめて欲しい。
「うわぁ、拗ねるな。恨むな。あれだ。メロンパン、メロンパンを見つけて買うから。好きだったよな?」
「それ、いつの話? 6年くらい前だよ。藤野君、私はもう高校生です」
吹き出すように笑ってくれたので嬉しい。
「ならもう、メロンパンは嫌い?」
「ううん。好き。大好き」
満面の笑顔でその台詞の直撃を受けた俺は死亡。その後の記憶は曖昧。
ハッと気がついたら、涼と佐島さんが俺の前で一朗と相澤さんの盗撮計画を立てていて、俺の隣を橋本さんが歩き、盗撮計画話に参加している。
俺の後ろを歩いているのは、高松と和哉で、どういうわけか、「デストローイ!」と漫画ネタで盛り上がっている。
ちょっ、和哉のやつ、高松と距離が近くないか?
無邪気に笑う高松に、和哉がノックダウンされませんように……と様子をうかがったら、いつもの和哉だ。
なんかそれはそれでムカついた。
とりあえず少しずつ歩く速度を落として、なるべく自然に見えるように和哉に話しかけて、会話に混ざることに。
この日一日、俺は楽しかったけど、高松が俺の友人の誰かと楽しそうに喋るたびに、やきもちでイライラするし、胸もジクジク痛んでどっと疲れた。
応援している一朗のことを忘れるくらいに。
帰りの電車の中で、つい「疲れた」と呟いたら、高松と二人きりになった時に、彼女は屈託のない笑顔で、「可愛い女子に囲まれて緊張疲れ?」と俺の顔を覗き込んだ。
この脈無しさに、ますます凹む。
「そう。特に高松に緊張疲れ」
落ち込んでいたって、高松は俺に惚れないので、まずは軽いジャブ。
「私? あっ。朝はごめん。泣いたりして。なんだかつい……」
結構、直球のつもりだったけど、なんか空振りした。
「それは全く気にしてない。小学校の時と同じく、いい友達がいるんだなって。そうじゃなくて……。まぁ、女子が久々だったから」
「普通に見えたけど、気を遣っていたんだね」
「高松は?」
「私も緊張して疲れたよ〜」
次はみんなで勉強会をするから、焦らず、慌てず、少しずつ。
頑張って匂わせていけば、俺の好きな人が自分だと気づく日がくるはずで、そうしたら、俺に前向きな気持ちがあれば良い言動をしてくれるし、嫌だったら避けられるようになるだろう。
この気持ちはきっとかなり前からあったものだから、続く限りは諦めず、でも彼女に嫌な思いをさせないように気をつけながら頑張りたい。
高松は俺に気がないようなので、何もしないと何も始まらないから、勇気を出して明日、一緒に登校しようと誘った。
一朗のために、相澤さんの話を知りたいとか、お互いの部活の予定を教え合おうみたいな理由をつけて。
理由が理由だから、一緒に登校してくれるという返事がきてホッとしたし、心底嬉しい。
頑張れ、俺。
これは数年前のお話。
☆
高松小百合という字面はなんか強そうで嫌。
去年、小学校二年生になってから、にょきにょき伸びた背や、少し低い声も嫌。
「巨人女〜」は分かるけど、「ウザ松、高飛車、どすこいの山〜」は意味不明でムカつく。
相撲取りなんて腹が立つから痩せたけど、まだまだ足りない。
大切な発表会に参加できなくした清田を、永遠に許さない。
「清田は将来、孤独死しろ」と呪おうと考えて、図書室で呪いの本を探していたら、清田に「ちびの」といじられてもニコニコしている、周りの男子を上手く逃している、計算男子なのか天然男子なのか不明の、藤野颯と会った。
「探しものの本が見つからない? 手伝う?」と優しく微笑まれて胸がドキドキし始める。
「……ううん。あったから大丈夫」
呪いの本を探していたなんて言えないので、目に入った『あらあらの料理本』を手に取った。
料理なんて好きじゃないけど、藤田君に清田を呪う怖い女子と思われたくない。
「あっ、これ。姉ちゃんが好きなやつだ」
「そうなんだ」
「これで作ったプリンが美味しくて。こっちこっち」
藤野君は柔らかな笑顔で、私を手招きして歩き出した。
「これで作ると高松もきっとおいしいプリンが食べられるぜ。最近、姉ちゃんが何も作らないから俺が作ろう」
このスープが美味しそうだと藤野君が『あらあらの魔法のスープ』という本を手に取った。
「藤野君が作るの?」
「うん、そうだけど」
「男子なのに?」
「なんで? 料理人は力仕事だから男ばっかりだろう?」
「あっ、そうだね」
「女子がエプロンをして料理の方がかわいいけどさ、仕事だと体力が必要そう。大量に作るから」
指摘されてみれば料理は女子という視点はおかしい。
「家だと量が少ないから女子なのかな。でもさ、お父さんは作るのが好きだから、夫婦で台所に並んだり、お母さんにたまにゴージャスメニューを作るんだ」
困ってないならいいやと、藤野君は本を借りて去っていった。
ヒーローごっこが好きで背が小さい藤野君は、クラスの女子に人気は無いけど、私はやっぱり好きだな。
喋るたびに、今のように目からうろこがポロポロ落ちるし、誰にでも優しくて、ニコニコ笑ってお日様みたいだから。
困っている人がいると、当たり前のように声をかけて助けてくれる。
小さくても、色白でも、黒くて真っ直ぐな髪の毛でなくても、他の男子と違って、うんと格好良いと思う。
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