枝話「藤野颯は謝りたい4」
目覚ましが鳴り響き続けて、「うるさい!」と姉に蹴られて起きて、あくび混じりで身支度をしていく。
今日は推し部の部活日で、みんなでスカイタワーへ行き、一朗と相澤さんが困った時にすぐ駆けつけられるように待機しつつ、合同遠足に向けた練習や打ち合わせを行う予定だ。
女子、しかも高松がいるとなると、普段は気にならない服装も気にしなってしまう。
しかし、もう時間がないし、持っているものしか着ることができないので、そのまま出かけることにした。
推し対象が困った時に駆けつけられるように。
それは涼の提案で、和哉がそれに便乗して、もうすぐ合同遠足なので、ダサいと思われない服装を確認したいと言い出した。
海鳴と聖廉はあるあるとは聞いていたけど、こんな形でグループデートというか、男女混合で出掛けることになるとは。
過去のことを精算したいし、推し部の部則的に本気なら良いようなので、気がついてしまった初恋に突っ走るためにも、俺は今日こそ高松に謝りたい。
集合前、推し部の集合場所に向かう前に、高松と地元駅から二人で電車に乗ることが大チャンスだと思っていた。
ところが、約束した改札前で、「藤野君」と俺の名前を呼びながら目の前に立った高松の私服姿に思考が完全に停止。
薄い色のジーンズに白い無地のTシャツ、腰丈のふわふわしたダボついたグレーのカーディガン。靴は淡いピンクのパンプスで、カバンは街中でよく見かけるファッション性の高いリュック。
いつもは低い位置で二つ結びにしている髪を今日は下ろして、ゆるく巻いている。
顔立ちは変わらないが、目元はキラキラで輝き、リップは明らかに口紅を塗ったもので、視線が釘付けになった。
『キラキラ』って、俺は小学生か。
色のないラメ入りのアイシャドウだろうとか、口紅というかこれはグロス……と姉たちの会話から得た化粧品の知識が脳内をぐるぐる回る。
「……私服、そんな感じなんだ」
俺の声は少し掠れていた。
「そんな感じってどんな?」
「女子だけどカジュアルというか……この感じ」
自分の語彙力の乏しさが情けない。
「それは褒めているの? 事実の羅列?」
「事実の羅列……」
「スカートはなんとなく照れて。男子がいるから張り切っています! 的な。そんなの恥ずかしいから、こうなった」
「張り切っていますって可愛いのに、女子的には恥ずかしいんだ」
「分からない。そんな話をしたことがないから、私だけかも」
「早いから、ちょっとそこの店に寄ろう」と言う予定だったのに、「じゃあ電車に乗ろうか」って、俺の意気地無しさが露呈した。
髪型も唇も可愛い、足が長い、腰の位置が高い、スタイルが良いじゃない!
電車に乗ったら、座れるほどの空き具合ではなく、吊り革の近くに並んで立つことになった。俺よりも背が高かった高松が、今では俺よりも背が低くなり、吊り革が少し高く感じる様子。高松が棒のあるところに立てるようにすれば良かったと後悔。
「藤野君の私服はそんな感じなんだね」
「では、俺も問いかけよう。そんな感じとは?」
「あっ、春野さん。名前を間違えられていたね。そんな、春ですねっていう爽やかな感じ」
褒められたようでめちゃくちゃ嬉しくて、心臓がバクバクしてきた。
これは本格的に好きってやつ……。
「姉貴の一人が美容師で、髪型だけでなく服にも厳しいんだ。海鳴がダサいなんて許せないからって、ララモに連れて行かれて、考えろ、悩めって連れ回された」
「選んでくれなかったってこと?」
「俺が選んで、こうは? って聞くと、“いいね”とか、“嫌いだけどアリ”とか、ダサッて言われる」
「お姉さんチョイスではないんだ」
「うん。俺チョイス、監修うるさい姉」
「髪もお姉さん?」
「そう。癖っ毛だから、適度な短さが自分的に合っていて助かってる」
「昔とかなり違うよね」
「確かに、小学校の時は坊主に近かったような」
「ううん、キューピーだったよ」
「それ本当⁈ あーっ! ちびのキューピーだ! そうだ。お弁当の中には入ってないのか? ちびのキューピー!」
「うん。そんな風に言われていたこともあったね。キューピーマヨネーズは美味しいのに何を言ってるんだ? って真顔で返してて、あれはなんか逆に格好良かった」
「あれはって、他はキモいとか?」
「えっ? なんで? 藤野君はいつも優しかったじゃない。キモいはいじわる清田君みたいな人のことを言うんだよ」
ふわっと笑いかけられて、あの頃の俺が好きだったと言われたような錯覚に陥り、慌てて車両内の広告に視線を移した。
脳が、そうだったら良いなという願望で俺を惑わせてくる。
高松の言葉を都合よく解釈するなと自分を諫める。
「ああ、清田。懐かしい。名前を忘れていた」
あいつと心の中で呼ぶことがあるけど、名前を口にすることはなかったから、高松が言うまで忘れていた。
「私も忘れていたんだけど、先週、駅でその清田君に会って話しかけられた」
「へぇ。なんて話しかけられたんだ?」
「小百合って馴れ馴れしく名前を呼んでさ、連絡先を知りたいって。最悪。友だちには絶対に教えないでって言ってある」
「……そうなのか」
「私をいじめたことを覚えていないみたい。私は怪我をさせられたことを、一度だって忘れてない」
つやつやぷるぷるした唇を尖らせると、高松は不機嫌そうにうつむいた。
「背が高かったからさ、巨人女〜は分かるけど、ウザ松、高飛車、どすこいの山〜は意味不明。相撲取りなんて腹が立つから痩せたけどさ、また違う悪口を言って、本当、最低」
はぁ、と高松は深いため息を吐いた。その顔には強い嫌悪が滲んである。
この表情を自分に向けられたら、心が粉々になって立ち直れない自信がある。
「好きな子を構いたいってやつだったんだと思うけど、卒業してしばらく経ってから迫ってきたんだな……」
「あの人、怪我をしているのに、さらに雨に濡れて可哀想だなんて思わなければ良かった」
「どういうことだ?」
春休みの終わり頃、部活帰りに公園で足を怪我している男子がずぶ濡れなのを見て、普通の傘と折りたたみ傘を持っていたので、片方をあげたそうだ。
それが清田で、今月の朝、駅で傘の返却とお礼だと話しかけられ、お互いに相手が誰なのか認識。
高松は清田が嫌いだから、傘もお礼も要らない、さようならと告げて会話を拒否して電車に乗った。
翌日も待ち伏せされ、清田が連絡先を教えて欲しいと言ってきた。
教えたくないと返事をしたら、落ち込んだ顔をしていたが、数日後にまた待ち伏せされたそうだ。
「今日さ。男子が四人もいるから、どうやったら上手く逃げられるか相談しようかなって」
「……あれ。確か電車の時間は変わってないよな? 俺、わりと高松を見かける。でも清田は見てない」
わりとというか、毎日、高松を見ている。
「私と藤野君って使う階段が違うんじゃないかな。あとは、駅に着く時間がズレているとか。私も藤野君をたまにホームで見かけるけど、改札では見たことがないよ」
「それならさ、時間を合わせないか? 清田のことは、俺がなんとかするよ」
すると、高松は眉間にしわを作り、静かにゆっくりと首を横に振った。
「藤野君は何もしなくていいよ。また助けてもらわなくても大丈夫」
「また? またって何? 俺、高松を助けられなかったことはあるけど……」
緊張で喉が乾燥し、言葉が詰まりながらもついに謝る時が来た。
ついに、高松に謝ることができると自分を鼓舞する。
「ほら、あの怪我。清田が椅子を引いてさ。手を怪我して、発表会に出られなかった……。高松、本当にごめん……」
言えた。俺は今、確かに謝った。ついに、ついに俺は高松に謝れた!
「助けられなかった? 先生を呼びに行って、清田君に謝れって言ってくれたよね?」
不思議そうな高松の顔を眺めながら、「……ん?」と首を傾げる。
そんなこと俺は……したな。清田に向かって大声を出したら、怒ったあいつに殴られた。
で、痛みで泣いて、保健室に行く前の高松に庇われた!!!
情けなすぎて、忘れていた!!!
「私は藤野君にずっとお礼をしたかったんだ。たくさん助けてもらったから」
『ずっと』って、小学校卒業後も俺のことを気にかけてくれていたんだと胸が熱くなる。
しかし、助けた記憶がないので、複雑な気持ちでもあった。
「たくさん? その情けない、助けきれなかったことだけだろう?」
「まさか。藤野君って、ずっと変わらず藤野君なんだね。そういうわけで、今日は私からお礼の品があります」
高松から見た俺が気になりつつも、どんなお礼を貰えるのか興味津々で、「何?」と即座に尋ねた。
「藤野君って彼女はいる?」
突然の質問に言葉が詰まる。
「いないけど」
「欲しい?」
「えっ?」
高松のガラスのように透き通った瞳に見つめられ、言葉を失った。
「……」
「あっ、耳が赤くなった。欲しいんだ。それならお礼はやっぱりこれ。去年のクラスメートがね、藤野君と話してみたいんだって。可愛くて優しい子だよ」
瞬間、頭を殴られたような衝撃を受けた。
今のは好きな人——高松に、女子を紹介されるってことだろう。
「……いやぁ」
俺の中で肥大化していた『高松に謝罪したい』という気持ちは、彼女からしたら頓珍漢なもので、おまけに失恋だ。
「喜ぶかと思ったけど……。でも彼女は欲しいだから……。ああ、好きな子がいるんだ。そうでしょう?」
その「好きな子」に軽く顔を覗き込まれたことで、照れて顔を背けてしまう。自分がアウト・オブ・眼中だと再確認させられて落ち込む。
「どんな子? 私、応援するよ!」
目の前にいる、俺を全く気にかけていない女子だと、言えるわけがない。
「……しなくていい。無理な人だから。優しくても、可愛くても、誰も紹介されたくない」
つい、ぶっきらぼうな強めの口調になってしまい、高松は笑顔を曇らせた。
せっかく謝れたのに、俺の長年のゆううつさは杞憂だったのに、好きな子にこんな顔をさせるなんて、俺のバカヤロウ……。
カタタン、コトトン、カタタンと電車に揺られながら、俺は曖昧に笑い、滲みそうな涙を必死に耐えた。
それでひたすら、高松が楽しいと思ってくれそうな話題を探し続けた。
そうしているうちに、高松が遠慮をしても、俺を好きではなくても、好きな子が困っているのだから、助けたいと考えるように。
月曜からは駅のホームではなくて、改札で高松を探し、清田が現れたら様子を見て、必要がありそうなら助けると決意した。
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