枝話「藤野颯は謝りたい3」
振り返ったら高松小百合が腰に手を当てて仁王立ちしていた。背は高くなく、華奢なのに圧がすごい。
「ちょっとよろしいですか? そちらの海鳴生さんたちは、朝の様子ですと、あちらの田中一朗さんのご友人ですよね?」
高松小百合の、先輩が後輩にする「来い」みたいな迫力のある表情や動きで、俺たちは駅の階段下、端へ移動。
「私は高松小百合、隣はサトウマユカです。田中一朗さんの彼女になったコトネさんと同じ部活の友人です」
怒られるのかと思ったら自己紹介で、高松小百合は今朝はご挨拶が出来ませんでしたのでと軽く会釈をした。
聖廉の可愛い制服に、伸びた髪やお嬢様校の生徒に相応しい上品な仕草。
やはり小学生の頃とは別人みたいだけど、容姿や声は変化がないので妙な感覚。
人見知りしないで喋れる和哉が剣道部二年一同、田中一朗以外ですと喋り、そのまま全員を紹介した。
「……藤野颯? もしかして藤野君? 小学校一年から三年まで同じクラスだった」
もしかしてって、俺が海鳴生になったことも朝は必ず同じ電車ということも知らないのかよ。
俺は謝らなければ……とずっと罪悪感を抱いていて、そこからなんか恋心まで発生している疑惑があるのに。
「……あー、もしかして委員長?」
すっとぼける俺は情けなすぎる。
「こちらの海鳴生さん、サユちゃんの知り合いなの?」
猫顔の高松小百合と似た雰囲気の、彼女よりは目が丸くて黒目がちな女子が首を傾げた。
「そうみたい。海鳴なのは知っていたけど、こんなに大きくなったから気がつかなかった。藤野君さ、朝、たまに同じ電車だよね」
「多分。同じ駅からの聖廉生は他にいなそうだから、委員長がいるなぁって思っていた」
「海鳴生は何人かいるよね。知り合いで良かったぁ。ねぇねぇ、藤野君。田中一朗さんってどんな人?」
罪悪感もあるが、彼女が普通に大人に近い女子になっているから俺は緊張するけど、向こうは『小学生の藤野君』というような接し方だ。
「俺たちもアイザワコトネさんに興味津々なんですけど、ここにいると二人にそのうちバレるので移動しませんか? 駅の反対側のサルゼとか」
「そうしましょう」
和哉の提案で、俺たち四人と女子二人で線路向こうにあるファミレスへ行くことになった。
他にも海鳴生や聖廉生がいて、両校合同のテーブルもある。
「ちょっとすみません、サユちゃん、撮るよー」
「はいはーい」
「はい、ちゅ」
サトウマユカはウィンクをして投げキッス、高松小百合は普通ににこにこピースをしながら自撮りを開始。
真面目で元気で明るい委員長が、なんだかだいぶ変化している。
『圧倒的陽キャだな、この二人』とぼんやり。
「すみません、親が心配するので連絡です」と高松小百合は照れくさそうな、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
先程の陽キャのような姿との落差が、なぜか俺の胸をぎゅうっとさせた。
「あはは、サユちゃんの顔がてんとう虫」
「マユちゃんが変なやつを選ぶから。あはは」
笑顔で写真を見せられて、確かに二人の可愛顔がてんとう虫のように加工されているのでつられて笑っていたら、「先輩たちが真面目で怖いって言われるから練習というか、頑張っているんですけど、やり過ぎですか?」と二人は恥ずかしそうに苦笑い。
「……その、この間見た他校生の真似なんですけど」と高松小百合は眉尻をさらに下げた。
「こういうのって、ちょっと面白いですね」とサトウマユカが無邪気な笑顔になる。
「お待たせしました。親に今の写真を送って送迎を遅らせてもらったので、注文をしましょう」
「お待たせしてすみません」
二人はすっかり『聖廉生』という雰囲気に戻って、高松小百合が俺の知っている高松小百合のようになった。
タブレットで注文だったので、端に座った涼から順番に回し、「夕飯前にデザートはあり?」「太るかな?」と笑い合う女子二人を眺める。
男子校に入り、壁の向こう側になった女子という存在がすぐ目の前にいるから、なんか違和感。
注文が終わると和哉の仕切りで、もう一度簡単な自己紹介。
二人とも箏曲部の二年生で、一朗の彼女になったコトネとは中等部からずっと同じ部活。
同じ大会組という単語が出て、涼が「大会じゃない組ってなんですか?」と問いかけて、演奏会組という分類があると判明。
「レギュラーかどうかってことですね」
「うーん、少し違います。レギュラーになりたくてもオーディション落ちもいるし、上手くても大会なんて嫌って子もいるので」
「そうそう。私は楽しく演奏したいから演奏会組が良いんですけど、天才コトちゃんと鬼のサユちゃんだけだと暴走して、空気が最悪になるから仕方なく」
「一朗の彼女さんは天才なんですか」と和哉が爽やかな笑顔で質問。
たまに涼が質問をするけど、基本的に和哉が話してくれている。
彼には年が離れた兄がいて、早めに結婚して、おまけに珍しく両親——そして弟と同居しているそうだ。
お嫁さんが三姉妹で仲が良くて、よく家に遊びに来てわいわい喋るので、女子に慣れているみたいなことを前に言っていた。
多分、和哉はそういう事は関係なく気さくで人見知りしない性格だ。
それでいて、周りにも話しを振ったりする気遣い屋。
「マユちゃん、天才って言葉、私は嫌いって言っているでしょう?」
「えー。だって、あんな空気を出して何も聴こえなくなるくらい練習出来るのは才能だよ。凄いよ、あれは。サユちゃんに真似できる?」
「……できない」
「努力が出来ること、それが伸びるかどうかってさ、それはやっぱり才能だよ」
「だけどさ。天才って言うと努力していない人みたいでしょう? だから私はその言葉は嫌い」
「コンクールとかさ、平気? コトちゃんと前後になったら……怖っ。私は無理。さゆちゃんの鬼メンタルでもキツそう」
「……そうだけどさ、私は良い成績を納めたいんじゃなくて、コトちゃんと同じ舞台にあがりたいだけだから……」
「天才って単語は嫌いって言いつつさ、サユちゃんこそコトちゃんの信者者でしょう。いちいち説明は面倒だし、他に単語がないんだもん」
何か言いかけた高松小百合を無視して、サトウマユカが強い口調で言葉を続ける。
「あれを見てさ、努力をしていないなんて言う人はバカだよね。っいうかさ、なんでアカツさんはコトちゃんを敵視してるのかな。下手なくせに」
かつてクラスの中心にいた高松小百合を食う存在感を持つ女子に、俺は初めて出会った。
敵意のある目で悪口を言う女子は知っているけど、何の悪意も敵意もない目をして、ニコニコしながら悪口をいう女子は初めてだ。
「ちょっとマユちゃん。すみません、話しが逸れました」
『やめなよ』というように、ギロッとマユカを睨んだ高松小百合の迫力にはかつての面影があるけど、俺の背が伸びたからか、あの頃よりもそうでもない。
隣に座る政が、「なんでお前の幼馴染はいきなり友達を睨んだんだ? ちょっと怖いな」と囁いてきた。
「なんでって、アカツさんって人は下手なくせにって悪口を言ったから止めただけだろう」
「下手なくせにって言ったのか。周りが騒がしいし、声が小さくて聞こえなかった。颯はやっぱり耳が良いよな」
『そうか?』と心の中で疑問を抱いていたら、和哉が「いるいる、下手なくせに自尊心は一丁前で悪口を言うやつ」とマユカの話題に乗っかった。
「そーなの! そういうのをさ、陰でコソコソ言って、関係無いことであざけり笑ったりして、感じ悪いですよね!」
マユカと和哉が意気投合して、その話題がしばらく続いたら涼が一言、
「で、一朗話は? しないんですか?」
と二人の会話をぶった斬った。
可愛い聖廉生の彼女が欲しい和哉の邪魔をするなと突っ込みそうになり、その台詞を口にしたら、和哉が照れて怒りそうなのでやめた。
「そうでした。サユちゃん、藤野君に聞いて」
「なんで、今さっきまでそちらの早坂君と楽しそうに話していたのに、私に振るの?」
「この話題では意気投合してないから喋りづらい」
「マユちゃんって本当、たまに変な人見知りをするよね」
「うん」
これまでの会話を総合すると、自由人で少し妹っぽいサトウマユカと、お姉さん的ポジションの高松小百合という友人関係な気する。
「えーっと、藤野君。友人に対して失礼だけど、田中一朗君はパッと見通り真面目君? 大丈夫な人?」
この場の全員が俺に注目している。
「真面目か不真面目かの二択なら、超ど真面目」
「あはは、三択になってる。サユちゃん、真面目以上の超ド真面目って、真面目そうな人に言われるくらいだから、究極の真面目君だよ。堅苦し過ぎて、コトちゃんと合わないかも〜。そうしたら次だね〜」
サトウマユカという女子は、本当にキャラが濃い……。
「いやそこまでじゃ。見た感じとか雰囲気は、陽の者だし」
「ようのもの? 未成年なのに酔っ払いみたいなんですか?」
サトウマユカは高松小百合にお願いしておいて、自分で俺に質問を始めた。
「いや、陽キャってことです」
「太陽君!」
陽キャはそういう意味ではない。
「ぽかぽか系なら、コトちゃんみたいで気が合って、そのままゴールイン? コトちゃんは白無垢が可愛いなぁ〜。私、式で演奏する!」
俺は君を不思議系と命名したい。
「それよりも本題。彼の誕生日はいつですか?」
「今月の3日です」
「……」
無言になったサトウマユカが高松小百合を見つめた。
「サユちゃん、終わってた」
「終わってたね」
「二年副部長がさ、彼氏の誕生日だから休みたいなんて言えないし、コトちゃんはもっと言わないじゃない? だから私たちでこっそり作戦だったのに、終わってたよ」
「終わってたね」
「……藤野君! コトちゃんの誕生日は12月3日です。その日は私のお腹が痛くなって、サユちゃんは家の用事で、コトちゃんの親友二人もそんな感じにそうなるから部活は中止。二年生は自主練になります」
サトウマユカは急に涙目になり、普通はそんなことはしないけど、コトちゃんは特別だからと口にした。
突然の涙に驚いていたら、サトウマユカは自分の性格は悪いし、サユちゃんは鬼でキツいから、コトちゃんはずっと板挟みの苦労人だと語り出した。
それなのに嫌な顔一つしないどころか、そもそも嫌だと思っていなそうで、あれは優しさの塊だと。
中等部一年の時に、三年生がごちゃごちゃして、二年になったら合同練習がある舞踊部が同級生をいじめてゴタゴタして、同学年の部員が減ってしまった。
高校生になったらなったで、外部生の新しい仲間と自分たち二人の折り合いが悪い。
怖い先輩とのクッション役も、いじめをどうにかしようと先頭に立って頑張ったのも、辞めた子たちが違う部活で楽しめるようになったのも、去年の後半からは自分達の代の空気が良くなってきたのも、全部コトちゃんのおかげだと、サトウマユカは本格的に泣き出した。
「マユちゃんも頑張ったし、ハシモトさんやアズマさんも良い子だからでしょう?」
「せっかく平和になってきたのに、なんなのよ、あの後輩は。アカツさん嫌いー……」
「本心は変えなくて良いけど、先輩が嫌いって態度を出すと可哀想だよ」
高松小百合は俺たちの委員長の頃と中身は変わっていないと確信した。
「すみません、初対面でこんな話。私、ただコトちゃんは良い子って言いたかったんです。だから田中一朗君がどんな人なのか心配で」
「……一朗は俺の推しです」
なんか、涼が突然変な単語をぶっ込んできた。女子二人がきょとんとしている。
「サトウさんの推しはコトちゃんなんですね」
「……推し活の推しですか?」
「そうです」
「……そうです! 推したいー! 私はサユちゃんもコトちゃんも推したいです! むしろもう推しています!」
「俺も全推しですが、一朗はこの中でも一番おすすめです」
「なんでですか?」
「一朗はいつもヒーローだからです」
「ヒーローなんですか?」
そうなの? そんな話、初めて聞いたが。
「そうです」
「そうなるとヒーローとヒーローが彼氏彼女ですね」
「それなら、まとめ推しします」
「私もまとめ推しします!」
今度はサトウマユカと涼が盛り上がり始めた。お互いの友人の褒め合戦。
「お似合い」や「尊い」と言い出して、おまけに連絡先を交換ようと意気投合。
小三から習い事先が同じで、それで小学校は違う剣道幼馴染とは聞いていたけど、涼がいじめで不登校気味になったとか、一朗が支えになってくれたとか、他校に乗り込んで助けてくれたなんて知らなかった。
「涼と一朗ってあっさりした仲だと思っていたけどガチ友人だったんだな」と和哉が感心半分、放心半分という複雑な表情で、珍しく小さな声を出した。
「俺は。向こうは普通。颯。俺とサトウさんが連絡先交換だと説明したくないから、お前と高松さんで」
「えっ? 何? どういうこと?」
「俺は気持ち悪い。女子が好きだ」
「おい、誰か涼の今の台詞を翻訳しろ」
「一朗がいねぇ」
「涼、お前は単語が抜けすぎだから、もう少し詳しく説明しろ。今のは分からん」
「……俺はこの一朗推し心を熱い友情だと思うけど、色々な人間がいるから気持ち悪いみたいに言う奴もいる。俺は女子が好きだから男が好き、一朗好きなんて言われたくない」
「省略しすぎだ!」
「えー。普通に分かったよね? サユちゃん」
「私はよく分からなかった」
サトウマユカも単語飛び、説明雑人間かもしれない。
「幼馴染のサユちゃんと藤野君が連絡し合って、良かったらって、それぞれに写真を送るのは自然でしょう。久々の再会そうだから二人が連絡先を交換して」
「そうです。俺、好きな子がいるから女子の連絡先はグループトーク以外は困ります」
「ああ、そういうこと」
涼とサトウマユカに促されて、俺は高松小百合と連絡先を交換することになり、和哉は涼に向かって「好きな子って誰だ!」と叫んだ。
高松小百合はそれを無視して俺に友人追加用のQRコードを提示。
涼は「他校生」「言いたくない」「言わない」と貝のように唇を結んだ。ああなったらこいつは喋らない。
こうして、俺は高松小百合の連絡先を入手した。