初恋がはじまりました
恋とは、もっと劇的に始まるものだと思っていた。
私が知っている創作物の中で、そのように恋が始まることは少ないというのに。
冬の始まり、ふと目に留まった隣校の男子たちの中に彼がいた。
発見というより、彼が存在することをようやく意識したと言った方が正しいかもしれない。
薄暗い中、街灯の光が彼らの姿がひときわ浮かび上がっていた。
彼らが持っていたものから、海鳴高校の剣道部だと分かったその時、仕事帰りのサラリーマンが自転車を倒してしまい、次々と自転車が将棋倒しに。
私立海鳴高校は進学校であり、文武両道を掲げる名門男子校。
我が校と同じく『規則』や『礼儀』を重んじる姿勢が、彼らの行動に表れていた。
サラリーマンを助けるその姿に、さすが海鳴の生徒だと自然と胸が温かくなる。
私たちはなんとなく、阿吽の呼吸という感じで彼らの近くを通り過ぎることに。
彼らを避けたければロータリーの反対側を歩いて交番前を通り過ぎるのだが、変な人物がいなくて、おまけに海鳴男子がいるとなれば、自然と近い距離を選択する。
サラリーマンが去った後、突然男子の一人が「うわぁ」と大声をあげた。
その声に驚いて、彼らの横を通り過ぎるというところだった私は思わず足を止めた。
友人たちも、「何?」というように足を止めて振り返る。
「それは俺の必勝お守りだ!」
「紐が切れたって気がついて良かったな」
「ありがとう! よし、リョウ。何か奢ってやる。ただし百円以内だ」
「安いお守りだな。せっかく彼女が作ってくれたのに」
「彼女? まさか。これは妹が作ったものだ」
「冗談だ。イチローに彼女がいないなんて知ってる」
「へぇ、イチロー。お前、妹がいるのか?」
「言ってなかったっけ?」
彼らの会話が気になったけど、友人に「行きましょう」と言われたので、駅の階段へ向かう。
街灯に照らされた手作りのお守りは、フェルト製で必勝という文字が縫ってあり、そこに竹刀のデザインまで添えてあった。
あのような丁寧なお守りを作ってくれる妹がいて、大切につけているとは微笑ましい。
私に妹はいないけど、弟はいて、弟に応援されるとやる気が出るのでそれと同じだろう。
翌週の部活帰りに、その剣道部たちと駅近くでまた遭遇。
スクールバスから降りたら、電柱に向かってぶつぶつ言う老人がいて、少し怖いなと思っていたら、彼らの一人が話しかけた。
「まだ凍死する季節じゃないけど、危ないから交番に行って……不在だから無視されているのか。俺、お巡りさんが戻ってくるまでここにいる」
自転車を端に置いた男子の肩に担がれたカバンで、手作りの必勝お守りが揺れていた。
それで「あっ、この間の人だ」と気がついた。
私はいつも海鳴生を一人一人認識していなくて、海鳴生というくくりで見ていたけど「先週のあのお守りの人」だと思い出す。
手作りお守り君と、彼よりも頭一つ分大きな男子が、老人のために二人残るようだ。
「海鳴生は頼りになりますね」
麗華がそう告げたので私はゆっくりと首を縦に振り、私たちは三人で駅へ向かった。
私は心の中で、彼の親切さが、ただの偶然ではないことを確信し始めていた。
三日後の朝、朝はスクールバスに乗らないで徒歩通学の私たちの横を、自転車がすいーっと通り過ぎていった。
あの手作りの必勝お守りを揺らして。
ヘルメットを被って乗っていて、スポーツ用自転車で左側通行をしているその姿は、隣の高校の他の自転車通学者とほとんど同じ姿。
なのになぜか目について「あの人だ」と心の中で呟いていた。
自転車路をきちんと走っていた彼は不意に止まった。
それで道に落ちていた空のペットボトルを拾い、カバンに押し込んで再出発。
それから、私はなんとなく彼を探すように。
学ランの襟につけられた校章の色で分かるのだが、彼は同じ一年生。
登校は一人で、下校は同じ部活の友人たちと共に駅まで歩き、そこから一人で自転車に乗って帰っている。
彼の友人たちが口にした名前は「イチロー」だ。
両校のテスト期間は被っているようで、部活が無い日が同じで、明るいお日様の下で見たこともある。
ドラッグストアで少し買いたいものがあると嘘をついて彼を観察する時間を作った結果、イチロー君は友人達と駅で別れた後に、なぜか小学生の帰宅を手伝うボランティアの代わりにしばらく黄色い旗を持った。
「点滅したら渡ろうとするな! 轢かれて死ぬぞ!」
最初に立っていた老人は近くの生垣の座れるところに腰を下ろしている。
顔色が悪く見えたので多分、それを察して変わったのだろう。
自転車のドミノ倒しを直し、迷子の老人に寄り添い、さりげなくゴミを拾う——そんな彼だからこそ、自然とあの老人のために動いたのだろう。
翌週、テスト返却期間中に駅前でお腹を痛がる中年女性がいて、彼は真っ先に駆け寄っていった。
彼の優しさはとても自然なもので、私は心の中で「こんなに当たり前のように優しくできる人がいるんだ」と何度も驚かされ、その想いは次第に強くなっていった。
私は自他共に認める性根の悪くない人間ではあるけれど、それだけだと彼の隣には相応しくない気がする。
だから私も目についたゴミを拾うし、困っていそうな人がいれば勇気を出して話しかけることにした。
隣に相応しい、相応しくないなんて考えたということはそういうこと。
こうして私は初恋を自覚。
私立聖廉高校は海鳴の隣にあり、高校二年生、三年生の時に合同行事が行われる。
他にも両校は特殊な交流があるので、どうにかこうにか剣道部のイチロー君とお近づきになりたい。
のんびりしていると両校の交流で他の女子に負けてしまう。
だから二年生になる前、せめて初の合同行事が行われる前に行動しないと。
それなのに、今日も今日とて私はイチロー君を見つけては、勇気を出せずに眺めているだけだ。