3話 できる限りの治療を
治療を始めると決まってからはサクラの動きは早かった。
ユニを横にして背中に液体を塗り、細長い針を差し込んだ。
今からする処置の痛みを取るためというが、この時点でだいぶ痛そうだ。
針を差し込んだ後、なにか液体を入れる。
また仰向けにして、腹を露にする。周りに乾いたタオルを敷いて腹部だけが出るようにする。
腹に何か茶色い液体を塗り始める。
ショ―ドクします、と言っているがトーヤにはそれが何かもよくわかっていない。
「血を見てご気分が悪くならない人だけ、この部屋に残ってくれ。」
そういいながらサクラは刃物を構えた。
腹を切る、というのは言葉通り刃物を人に差し込むことらしい。
「トーヤ、お前は大丈夫なのか?」
サクラがトーヤの方をちらりを見て聞いた。
トーヤは血を見て気分が悪くなる、というのがどういうものかはあまりわからなかったが、興味の方が勝っていたので残る。
他の全員部屋から出る様子はなかった。
聞かれてから身内である店主と本人は別として、自分以外の二人は普段も治療に携わる職腫の人間である。今の発言の意図としてほとんどトーヤに向けられたものだったのだろう。
「気分が悪くなったら、倒れる前には出て行くからご心配なく」
敢えてユニのほうを見て答える。
ユニは私はいてもらって構わないわ、何かあった時に手伝ってもらえるなら心強いわ、と額に脂汗を浮かべながら言ったのを聞いて、サクラは頷いた。
すぐに湯とタオルの準備を、あとご主人はその椅子の背もたれにもたれておいてくださいと指示をする。
そこからの手は早かった。
腹をメスで切り裂き、何度か手が動いたかと思うとすぐに赤ん坊が出る。両手に収まる程度の大きさで、いくら赤ん坊が小さいとは言ってもこの赤ん坊が並の子よりもはるかに小さいことは周囲にたずねなくてもわかった。
赤ん坊をメアリともう一人の付き添いーふたりとも治療補助師らしい―が赤子を受け取り湯に入れて温めだす。大量の赤い液体がタオルにしみこむ。トーヤは言われるがまま清潔なタオルを運び、使ったタオルを選択場に運び出す。
「胎盤が出せたので治療魔法を使いますね。」
部屋全体が青白い光で明るくなる。
ユニの目が見開いた後、ずっと力の入っていた手足から力が抜けた。体に負担が大きかったのか、どうやら気を失ったようだった。
サクラは白く薄い布のようなものを手に取って透明な液体をかけ、腹の傷の間に挟む。
「メアリと、名前を聞き忘れたもう一人ーすまない!こちらは腹の傷は開いたままだが、子宮からの出血は思ったほど多くなく、子宮の方は治した。一人はそっちの赤子を温めながら寝台においてくれ。もう一人は妊婦を起こして様子の確認を。本人の具合次第で傷口を閉じるのに治療魔法を使うのか糸で縫い合わせるかを後で決める。
ーそれと余裕があればトーヤ、ご主人の気分も確認を。」
店主は羊水の混じった出血に対してか、目の前で妻の腹が切られたことに対してか、子が思ったり小さかったことか、息をしていないことか、申請時の青黒い様が想像と違ったのかー
口を半開きにして、完全に腰を抜かしていた。
背もたれのある椅子に寄り掛かるようにというのはこの状況を見越していたのだろう。
ここで頭でも打たれてけが人が増えては困るということだ。
本来であれば聞こえていてほしい、赤子の声は聞こえない。
トーヤは店主の方に駆け寄って「大丈夫ですか」と月並みだが気づかいの言葉をかける。
返事はなく、顔からは血の気が引いている。
少ないタオルでは吸いきれなかったのだろう、ユニの寝台からは赤い液体が床に滴っている。ただ血そのものよりも粘度はともかく色は薄く見える。血だけではなく、他の液体も混ざっているのだろう。
メアリのはユニの肩を叩き、声をかけている。
すぐに気が付いたらしく、何か二人で話している。
「ユニ…!」
妻が目をあけて話しているのを見てようやく店主も我に返ったらしい、立ち上がろうとしてー床に膝をつく。トーヤも支えたが、成人男性がこけるのを完全に止めるにはまだ力が足りないようで、一緒に膝をついた。
腰が抜けながらも妻の寝台に手をかけて顔を覗き込もうとする。
「…なんてひどいかおしてんだい。」
汗で前髪を額に張り付けながら、ユニは自分の亭主の頭をなでる。
「痛くないのか?」
「痛くないさ。」
「嘘だ、腹を切ったんだ、今も腹の傷が開いたままなのに痛くないはずないだろう!」
「嘘だっていうならなんで聞いたんだい。最初の腰の注射が痛み止めだってあんたも聞いてただろう。」
「奥さん起きたり動いたりしないでくださいね、傷はまだ閉じてませんから!きちんと傷を閉じないまま力をかけられると、いらぬ出血が増えます!」
顔もこちらに向けないまま、鋭い声でサクラが言った。
「トーヤ、そこの刃物を取ってくれ。はじめに腹を切ったやつだ。」
「何をするんですか?」
「…魔力が足りない。俺の魔力を使う。それでも足りるかはわからないが、使わなければ間違いなく足りない。」
魔力が足りないのにサクラの魔力を使うとはどういうことだろうか。言われるがままユニの腹を切った小さな刃物を運ぶ。
食事用のナイフよりもさらに小さく鋭いその刃物を受け取ったサクラはそのまま腕にその刃物をつきたてようとしてー
「なにしてるんですか!」
トーヤが止めた。皮一枚は切れただろうが、血がにじむほどではない。
トーヤはサクラの腕をつかみ、その手から小さな刃物を取り上げる。
「何って…俺の魔力を使うっていったろ。赤ん坊の生命力だけじゃ足りなさそうだ。」
たしか彼は、昨日大きな魔法を使ったから自分の魔力は枯渇しているといっていた。
つまりー
「血液を魔力として使うってことですか!?」
「足りるかはわからないが、できる範囲でな。後正確には血液を魔力として使うんじゃなく、血液に含まれている分の魔力抽出して使うんだ。血液がなくなるわけじゃないからな。」
「でも血は流れるでしょう?そこまでしてー」
トーヤは続きを言うのをやめた。
そこまでして助けなければいけないか、などという問いが愚問であることは口に出さなくてもわかる。
彼は治療師だ。
どんな背景があってどんな経緯でなったかは知らないが、治療するために治療師になったはずだ。
自分の血を流しても、それで助かる可能性があるのなら。
「…どれくらい血を流すんですか。」
「魔力を抽出できて集中できる、ぎりぎりの範囲までだよ。俺が死んだら奥方の腹を閉じれないだろ。」
「わかりました。」
サクラはほら早く返せ、と取り上げられた刃物を返すようジェスチャーで要求する。トーヤはサクラから取り上げた小さな刃物を机に置いた。
「おい、急いでるんだよ、はやくー」
「オレを使ってください。でもそのあと、治療師として弟子にしてくださいね。」
トーヤは腰の護身用の刀を取り出しだ。