1話 助ける対価は寿命です
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大きな商団がこの国にやってくるらしいー
うわさが流れてから到着まではすぐだった。
不可侵の条約はむすんでいるものの、そこまで交流が盛んではない他国とは、関税の関係もあってあまり異国のものが入ってくることはない。
このコントラバス王国の港町のひとつであるオセロに異国の集団がやってくるのは、15年ぶりだという。
今年12歳になるトーヤが見るのは初めてだった。
「すっげえな…」
この国で遠くまでの移動は馬車を使うことが多いので、馬なら見たことがあるし、一度だけ乗ったことがある。
だが、異国から来た商人が乗っている、もしくは積み荷などを引かせている動物は見たことがない動物だった。馬との共通点は4本足であることくらいか。もしかすると動物ごと商品なのかもしれない。
港には人がごった返しており、まだ12歳のトーヤは背伸びをしたところで積み荷の上しか見えなかった。
とはいっても今は仕事中だ。
魚が傷む前に、直接レストランなどに卸す分をもっていかなくてはならない。
コントラバス王国では10歳までに必要な義務教育を終えて、そののちは就く仕事によって高等教育を受けるかどうか選択できる。トーヤは家庭事情というよりは、母の実家の家業である漁師になるのに高等教育で微分積分を習うよりも実地の業務の方が有意義であると考えて辞退した。
「トーヤ、おまえの荷物の方が今日は重そうだな、変わろうか?」
後ろから声をかけてきたのは従弟であり兄貴分のシャアモだ。
将来的には彼が家業を継ぐので、トーヤは彼の部下ということになる。
「大丈夫だよ、これくらい。」
「あんまり背が伸び切らないうちに無理すると、本当に伸びなくなっちまうっていうからな。」
「それくらいのハンデがあった方が、シャアモ兄貴を見下ろさずに済むからな。未来の部下に思いっきり見降ろされたくないだろ?」
「言うじゃねえか。俺はまだ伸びるぞ。」
シャアモがトーヤの頭に軽く握った拳を当てる。
今年16になるシャアモの背は同年代と比べ、目をみはるほど低くはないが決して高くはない。
ただ腕回りを含め、仕事のおかげで鍛え上げられた筋肉は同年代の少年と比べてはるかに立派なもので、身長のことは自虐的に口にするほどは決して気になっていないだろうなとトーヤは思う。
刈り上げた短髪に、汗が落ちないように巻かれたバンダナが似合う。
働き始めてまだ期間が浅いトーヤのバンダナとは違い、なじんでいるなと感じる。
シャアモと角で別れ、魚を卸すレストランの裏口に入るため路地に入る。
この街の治安は決して悪くない。まだ少年であるトーヤが積み荷をもって路地に入れる程度には。
だが、明らかに不審な人物がいる場合は別だ。
汚れた街頭にくるまった人影が路地の片隅にうずくまっている。裾から足が見えていなければ、粗大ゴミか何かと間違えたかもしれない。
他の町がどうかは知らないが、少なくともこの街に浮浪者がいるのはみたことがない。
商談に紛れてきた人間、だろうか?
国によっては人を奴隷と言って家畜のような扱いをすることがあるそうだ。
表から回ったほうが良いか、だが開店前だ、まだ表は開いていない。
大きな声を出すか、いやなにもされていないのにやりすぎだろう。
店主の自宅に行って、一度細君に荷を置かせてもらおう。それからここに来ようかー
回れ右しようかと思ったところで、人影が外套のフードを脱いだ。
「お前、ここに魚を卸しに来たやつか?」
少年ーシャアモと同じくらいの年だろうか、彼の口から出てきたのは何とも流暢な自国語だった。
ただし、髪の色はー青色。
この街の人間は、その殆どが黒髪黒目である。
ここの領主の一族や要職についている人間とその家族、たまに外からやってくる貴族に色素が薄めの髪を持つ者がいるそうだが、基本的には黒に近い色を持つ。
屋敷の窓枠にはめ込まれているような、ステンドグラスに施されたような青は見たことがなかった。
「えっと…はい。」
そして外套こそ砂の色がついて汚らしいが、その中に来ている服は決して安物ではないことが明らかな刺繍が施されている。
見とれて一瞬返事が遅れたが、返事をしたことに少年はにこりと笑った。
顔立ちは明らかな異国の顔立ちと言ったものではない。少し吊り上がった目が人懐こく細められる。通った鼻筋と中性的な顔立ちだが、それ以上に気になるところがあった。
貴族に代表される、魔力がある人の髪には色が付く―
それは学校で建国の成り立ちを聞かされるときに教わることだ。
彼は魔力を持っていて、何らかの理由でここまで来たのだろうということは容易に察しが付いた。
「店主から言伝だよ、はい。」
立ち上がって少年はトーヤの方までやってきた。
荷物を置いて逃げることも一瞬考えたが、商品を卸しに来たことをわかっているのだから話を聞いてからでもいいだろう、そう思っておとなしく差し出されたものを受け取る。
封蠟で閉じられた紙だ。間違いなく卸し先のレストランの印章で閉じられていることを確認し、開封する。
包みの中には鍵が入っており、包みの髪の内側にはこう書かれていた。
『予定より早いが妻が産気づいているので、今日の昼時は店を閉める。そこの旅人が空腹だそうなので、本日卸した分の魚は彼に差し上げてもらいたい。キッチンは店のものを使ってくれ。食材や調味料も自由に使ってくれて構わない。本日の卸しに来たスタッフが調理が苦手なら、さばいた刺身で構わないとのことだ。給金は後日支払する。』
読み上げてから目の前の少年を見る。
筆跡鑑定ができるわけではないが、字の癖の強さからここのレストランの店主本人のものである可能性が高いだろう。末尾にはサインもされてあった。
奥様のお腹が大きくなっていることも、すこし前から気づいていた。少しふくよかな方なので、最初はたださらにふくよかになったのかと勝手に思っていたが、どうやらそれは失礼にあたる考えだったらしい。
「俺に魚食べさせていいよって書いてなかった?」
「書いてます。たぶん店の鍵も入ってますね。」
「じゃ、そういうことでよろしく。ちなみに料理できるの?」
「一通り、簡単なものなら。」
漁師が生業だが、卸し先や販売時に魚を捌けない客や調理が不得手な客は処理済み、調理済みのものの購入を希望されるし、どくがあるものは自分たちでよけてから販売している。
トーヤも当然、一通りの処理と調理は仕込まれている。
何ならここのレストランの人出が足りないときに、調理場の助っ人として駆り出されたこともあるくらいなので、ほどほどのことはできる。もっとも下処理がメインの話で、盛り付けや細かな調理法などはこの店の下働きにも及ぶべくもないが。、
「でも…結構量がありますよ?このうちどれくらい召し上がられますか?」
鍵はレストランのものだろうと思い差し込む。問題なく開く。
保冷ケースに入れている魚をそのまま店の中に運び込む。
一日分のレストランで消費する量だ。魚料理だけを取り扱っている店ではないが、それでも一人で消費できる量ではないだろう。もっとも、とりあえず閉めるのはランチと書いてあるのでディナーの分は必要になるのだろうが。
「大丈夫、俺結構腹減ってるから。」
少年は店の中に先に入り、テーブルに着いた。
「お前料理うまいんだな!」
「おほめにあずかり、どうもありがとうございます。」
どうやら本当に空腹だったようだ。
調理もできると言ったが、調理するまで待てなかったらしい。
捌いた魚は切り身にした横から勝手に調味料をかけて少年は口の中に運んで行った。
生で食べたい、と言われたので生で寄生虫の心配のない魚から捌いて言ったので何も言わなかったが、魚の味の感想をとなりで聞く限り魚の種類に明るいとは思えなかったので、何と命知らずなのだろうと思った。
一人で消費できる量でないと思われた魚は順に姿を消していった。
これだけ食べてディナーに使う分がなくなっても大丈夫かと一瞬考えはしたが、店主からは食べさせてやって暮れの一言歯科言伝はない。働き盛りの男たち御用達の店なので肉もあるだろうし、そもそもそれは自分の心配することではないか、とトーヤは考えるのをやめた。
「久々にうまい料理を食べたよ、よかった。」
満足げにお腹をさすりながら少年は床に転がった。
行儀が悪いと思うが、咎めるものも他の客も今はいない。
「普段は何を食べてるんだ、いや、食べてるんですか?」
仕事中に敬語が崩れることはあまりないのだが、相手はもっと大人であることが多い。
つい、気が緩んでしまった。
「旅の途中でね、その辺のもの捕まえたり、携帯食だったり。」
青い髪の少年は気にすることなく返事をする。
「旅?」
「ああ。旅をしてるんだ。」
「何の旅を?」
あまり身一つで旅をする話は聞いたことがない。
そんなことをしなくても仕事に困ることはないし、トーヤが知らないだけと言えばそうなのだろうが、旅をすることで成り立つ職というのも思い当たる節はない。
上等な服を中に来ているということは、貴族の道楽息子だろうか。
「お前今、俺のこと金持ちの道楽息子だと思っただろ。」
「…事実だろ?」
にやりと笑って聞かれたので、ぶっきらぼうに答える。調理までは一応客の範囲だが、もう客として扱う必要はないだろう。
「もと、だけどな。」
「もと?」
「今は目的があって旅をしてるよ。」
訊ねろと言わんばかりのもったいぶった話し方に、少し苛ついてきた。
「何の目的だよ。」
少しぶっきらぼうに聞いた。
しかし少年は急にぶっきらぼうに敬語を使うのをやめたトーヤに対して、むしろうれしそうに笑いかける。
「興味を持ってもらえるとは有り難いなあ。目的はいくつかあるんだがな、ひとつはお前みたいな好奇心旺盛な奴を探してるんだよ。治療師に興味はないか?」
「ないよ。」
「…即答かあ。」
「別に好奇心旺盛でもないし。」
「嘘だな。お前の俺を見る目は、明らかに観察してる人間のそれだ。育ちのせいか、周りの視線には敏感でね。敵意もがいいも興味もないのに俺の持ち物や身なりに目をやっては考える。好奇心旺盛出ないやつはしないことだよ。」
それは否定できない。
「なるほどな。でも治療師には興味ないな。」
「興味ないは噓だな。瞬きの数が多くなった。人は嘘をつくとき、瞬きの回数が増えやすい。」
面倒な奴だな、とトーヤは思った。
両親のいない自分を、血のつながりはあるといっても本当の息子のように、弟のように扱ってくれる親方と兄貴分のシャアモを思い出した。どんなに少なくとも、育ててもらった恩の分は彼らには何らかの形で報いていきたいと思い彼らのもとで下積みをしているところなのだ。
「そもそも、治療師って魔法使うよな?」
治療魔法を使える稀な人間が、治療師になるーこの世界では、常識だ。
それとも単に、治療を補助する人間が欲しいということだろうか。
ある想定を懸念して、トーヤは気づかれないよう身構えた。
「んー、原則はそうなんだけど、今俺が流布したい方法があって、それだとほんの少しの魔力があればできるんだよ。」
「俺が流布したい…?」
自分よりも年上であることは間違いないが、今まで見たどの治療師よりも若い。
もっとも中央都市で育成される治療師が辺境の地で治療を行うのは数日に一度当番の治療師がやってくるときのみであり、自分が世話になったことは今のところないのだが。
「方法を考えたのは俺の父親なんだけどな。中央都市以外は治療魔法師が足りてないこの国で、治療をしようと思うと、治療師の魔力を使うんじゃ全然足りないし、効率が悪い。治療魔法じたいも、ひつようなところに集約して使うことで魔力が節約できて、たくさんの人が治せるようになるんじゃないかって。」
「ふうん。治療魔法って、そんな効率がどうとか言ってできるようなものなのか?」
「興味出た?」
まだ名前すら名乗らない少年はトーヤを見てにやりと笑う。
「そのやり取りすんならもう聞かねえよ。」
「悪い悪い。ーそうだよ、それをできるものにするんだよ。漫然と「治療」っつって魔力を放り投げるのは、ただの無駄遣いだ。きちんと使えばもっとたくさんの人間が助けられるなら、そのほうがいいに決まってる。」
少年は火のついていない暖炉の傍の座椅子に腰かけ、足を組んだ。
「だから、髪色が普通の黒とちょっと違うやつは魔法使いとして何か他に職があるわけじゃないだろうが、俺の考える治療魔法を使う適性はあると踏んでいる。もう治療魔法を使えるやつに言っても、あいつらはあいつらで日々の仕事に追われてて俺の話に耳を貸す余裕はないらしい。」
彼の父親の考えた方法がどれだけすごいのかはわからないが、ずいぶんと上からな言い方である。
仕事を持っている人間であろうが忙しくなかろうが、この態度の人間にあえて怪しい教えを請いたいとは思わない。
そして、トーヤは少し引っかかったことがあった。
「オレの髪、変な色か?」
「いや?すこーし、他の黒い毛と色味が違うような気がするくらいだよ。俺がそういうやつを探してるから気になった程度さ。」
少年の提案を断っているからかそこまでトーヤに興味はないのだろう。空になった食器を下げて、開けていた鞄を閉めた。トーヤが片付け始めると、少年も手伝い始めた。
「ところでここのご主人はどうしたんだ?」
仮にも飲食店の主人である。しかもとっても情に厚い。店から一度金銭を盗もうとした下働きがいたそうだが、その彼は今度、支店の店長を任されることになっている。
そんな店主が、店に入れることをためらわない相手を放置するようなことはないと思うのだがなにも音沙汰はない。
「知り合ったのもついさっきだよ。俺がこの街についたのもついさっき。奥さんがお腹痛いって道の端で座り込んでたから声をかけて、その縁で今ここで飯にありつかせてもらった。ここ来る途中で置き引きに会って一文無しだったからありがたかった。」
なるほど、食事がどうのと気遣うどころではなかったのか。トーヤは納得した。
個々の店主は確かに知らない人間でも家の中に入れて食事をふるまうような豪胆さと不用心さがある。ーもっとも、彼の腕っぷしを知っている人間は彼に悪さを働くことを勧めない。自分も自分の兄貴分も含め、ここらの少し腕が立つ子供はみんな彼に教えを受けているのだ。
不意に玄関の扉が叩かれた。とはいっても表の玄関扉は閉めたままなので開くはずもない。
「いるだろう?あけてくれ!」
店主の声だ。
鍵を渡したのはもちろん、店内の電気がついているので中に人がいるのがわかるのは当然である。トーヤが玄関に向かうが、そこまで待ちきれなかったようで、店の裏口から店主が入ってきた。
「あんた治療師って言ってただろ?金は出せるだけは出すから、今すぐ来てくれ!」
青い髪の少年に用事があったようだ。
この国では、病気になったら治療師という魔法使いに直してもらう。
もちろん簡単な風邪や腹痛では寝て様子を見ることになるが、それで対処できないとなったら治療師頼みだ。
治療師に診てもらうときの費用は基本的には税金から出ているそうだが、緊急で診てもらうとき、動けなくて呼び出すときにはそれに応じて金銭がかかる。
それに、治療師は呼んでもすぐに来てくれないし、何でも治せるわけではない。
治療師がいても、治療師の魔力がその日の分がなくなっていれば治療してもらえない。
中央都市と違って、この街には、常駐の治療師はない。
治療師が必要な状態になったとして、よほどの運がよくなければかかることはできないーが、この少年がその治療師ということか。
「ああ。ただ、さっきも言ったように、今すぐ治療も問題ない。金も、通常治療院にかかるときに使う費用分で結構。だけど、場合によってはー
治療の対価として、寿命が必要になる。」
青い髪の少年は、淡々と言った。
お付き合いいただきありがとうございました。
5月の連休をめどに一区切りつくところまで進めたいと思っています。