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一瞬の幸せ

作者: 宗あると

 放課後。誰もいない教室で、高森は学級日誌を書いていた。

 グラウンドからは、運動部の掛け声とホイッスルの音が響いている。充実した青春の空気。帰宅部の高森とは無縁の世界。

 高森は一瞬、学級日誌から顔をあげて、グラウンド側の窓を見た。冬の夕方の空は冷たそうで、灰色の雲がかかっていた。

 雨降りそうだな、と高森は心で呟き、運動部の連中よくやるよなぁ、と少し心で嘲笑って、また学級日誌に視線を戻した。

 今日1日のクラスの様子を簡潔に書き、自分が日直としての義務を粛々とこなしたことを綴った日誌を高森は読み返し、不備がないことを確認してから、日誌を閉じた。

 後は教室の鍵を閉めて、日誌と鍵を職員室に持っていくだけだった。

 ただ、それにはーーー。

 高森は机から立ち上がって、黒板の前まで歩くと、黒板の右下に並んだ今日の日直2名の名前を見た。

 自分の名前、高森の横には戸崎の名が並んでいる。職員室には、日直2人で日誌と鍵を持っていかなければならない決まりがある。

 だが、高森の今日の相方の戸崎夏織は、授業が終わると日誌を高森に押しつけて、友達とどこかへ行ってしまった。

 弱気な高森は注意もできず、言われるがままに、1人で日誌を書き、戸崎夏織が教室に戻ってくるのを待っていた。

 戸崎夏織は明るく、高森が思うにおそらく学年の中では1番綺麗で、高森は戸崎夏織に対して無意識に引け目を感じていた。

 地味で暗く帰宅部の自分とは真逆の世界を生きる女子。多分成績も優秀で、自分とは住む世界が違う人間。

 高森は少し卑屈な気持ちになりながら、黒板の自分の名前を消し、そして戸崎の名前も消そうとした。

 が、その時。教室のドアが勢いよく開き、頬を赤くした戸崎夏織が息を切らせて、教室に入ってきた。

 荒い呼吸をした戸崎夏織は両手を膝について腰を屈め、黒板の前に立つ高森を見ると、

 「それ、私がやるから」

 と言って、上体を起こし、高森の方へ歩み寄った。

 「ええ?いいよ、俺がやるから」

 無愛想に高森は言ったが、戸崎夏織は聞きもせず、黒板消しを高森から奪うと、サッサッと自分の名前を消した。

 「これしないと、私今日何にも日直してないことになるじゃん」

 「いや、これしたからって、そんなに変わらないけど。あとは明日の日直の名前書くだけだし」

 冷静に高森が言うと、戸崎夏織はムッとした表情になった。

 「わかってる、そんなこと。いちいち言わないでよ」

 理不尽に怒られて、高森がしゅんとなっているのも構わず、戸崎夏織は翌日の日直の名前を黒板に書くと、あー今日も終わったぁー、と言って大きくため息を吐き、フラフラと歩いて、黒板近くの机に無造作に座った。

 高森は何故か遠慮がちになって、戸崎夏織を見ることが出来ず、視線を外して宙を見つめた。顔を見ていると嫌がれそうな気がして。

 戸崎夏織はそんな高森を特に気にする様子もなく、スマホを取り出して、両手で手早く画面をいじってから、高森に話しかけた。

 「日誌書いてくれたー?」

 「え?ああ、うん」

 高森が教壇の上に置いた日誌に視線をやりながら答えると、戸崎夏織は、見せて、と右手を高森に差し出した。

 高森は黙って日誌を手に取ると差し出して、戸崎夏織に渡した。

 戸崎夏織はパラパラとページをめくり、高森が書いた日誌に目をやると、しばらくしてから眉を寄せた。

 「なにこれ。私が何もしてないの丸わかりじゃん」

 「だって実際何もしてない、、、」

 「ちょっとは気使ってよ。こんなんじゃ、先生につっこまれて、明日また私やり直しになるじゃん!」

 「知らないし、そんなの。なんで俺がそんなこと気にしなきゃいけないんだよ」

 「女子にはさぁ、それくらい優しくしなよ。モテたくないの?高森は」

 優しくしたところで俺なんか、と高森は思ったが口には出さず、心がもやっとしたので、少し強気な態度を取った。

 「そんなのは優しいとは言わない。何もしなかった戸崎が悪いんだよ」

 高森の言葉に、戸崎夏織は目を丸くして意外そうな顔をした。

 「へー、そんな強気になれるんだ高森って」

 「別に普通だろ。戸崎がわがままなだけだ」

 「わがままって。日直さぼるくらいかわいいもんじゃん。女子のわがままくらい許せる器の大きい男になりなよ」

 「なんで俺が戸崎のわがままを許さなきゃいけないんだよ」

 「私が高森のこと好きだったら?」

 「はあ?」

 高森は単純に顔を赤くした。そんなことはあるわけないと、わかっている。

 当然、それは戸崎夏織の冗談で、戸崎夏織はケタケタと顔を赤くした高森を笑った。

 「冗談だって。あるわけないじゃん。何赤くなってるの?」

 笑って言いながら戸崎夏織は日誌を高森に返した。

 「バカみたいに赤くなってないでさ、ここの最後のところに一言、戸崎さんも積極的に日直の仕事をしてくれました、って書いてよ」

 「嘘は嫌だ」

 バカにされた高森は意地になって拒否したが、機嫌を損ねた戸崎夏織が日誌を投げつけて、いいから書け、と凄んだ声で言ったので、高森は萎縮して、はい、と答えて、日誌を開き、言われた通りに書き足した。

 「弱いくせに拒否んなよ」

 ガラリと態度が変わった戸崎夏織にビクつきながら、高森は書き足した部分を見せた。

 「これで、いいですか?」

 戸崎夏織は日誌に目をやって、あーいいよ、と無愛想に答えると、

 「さっさっと職員室行こう」

 と、自分の机の上の鞄を取りに行った。

 高森も自分の鞄を取りに行き、2人は教室を出て、職員室に向かった。



 職員室で担任に日誌と教室の鍵を渡した後、2人は特に会話もせず、ぎくしゃくした距離感のまま、廊下を歩き、階段を降りて正門まで来た。

 正門を出て、2人とも駅方向の左に歩き始めたので、そこで戸崎夏織が口を開いた。

 「高森もこっちなの?」

 「それは、ここの生徒はだいたい地下鉄使うから、そうだろ」

 「自転車と思ってた。地味だから」

 「どんな偏見だよ」

 「だって、朝みかけたことないし駅とかで。帰りも」

 「戸崎より早く登下校してるだけのことだよ」

 「友達いないの?放課後とかだいたいダラダラ過ごすじゃん」

 「、、、いるけど」

 高森は嘘で答えた。本当はクラスに友達などいない。それは戸崎夏織も知ってることだと、高森は思っていた。

 「この学校にはいないよね?高森が他の男子と喋ってるの見たことないし」

 わかってて聞いたのかよムカつくな、と高森は心で悪態を吐きながら、そうだよ、と小声で答えた。

 「高森って、なんかいつも不幸そうだよね。生きてて楽しい?」

 なんでそんな平気な顔で辛辣なこと言えるんだよ、と高森は思いながら、別に、と素っ気なく返した。

 「最近いつ幸せ感じた?」

 「幸せ、、、?」

 面倒に思いながら、高森は記憶を辿ったが、幸せを感じた記憶は見当たらなかった。

 「ないかな。そんなに感じるもの?幸せって」

 「私は感じるよ。朝学校に来る時に、晴れた空見上げた時とか、友達とどうでもいい話してる時とか。いいなぁ、て思う。平和で」

 「、、、平和」

 「そう、平和。だって、この世界のどこかで今も戦争って起こってるじゃん?だから、何でもない日常が私には凄い幸せに思えるんだよね」

 「そんなの日本だっていつどうなるか」

 「そんなこと考えないで、今の幸せを噛み締めて生きればいいのよ」

 戸崎夏織は真面目な顔になって言った。

 「俺は、幸せなんて感じられない。根暗で地味だし、学校には友達もいないし。楽しいことも、戸崎と違ってほとんどない。世界で戦争が起こってたって、どうでもいい」

 「まぁそうだよね。それが普通なんだろうなぁ」

 「いや普通かは、わからないけど」

 「私も中学の頃はさ、いじめにあったり、彼氏に酷いこと言われたりして、毎日楽しくなかったから、その時はこんな世界なくなっちゃえって思ってた」

 「いじめ?戸崎が?」

 「まぁ悪い意味でも目立っちゃうのよね、この美貌だと」

 「ああ」

 「ああ、じゃなくて笑うところ」

 微笑して、戸崎夏織は言った。

 「いや、綺麗な人も大変って聞くから」

 「やめてよ。なんか恥ずかしい。まぁ、ひがみとか嫉妬とかはね。仕方ないよ、子供のうちは」

 「俺らまだ子供だろ」

 「もう大人じゃん17だよ?」

 「子供だって、全然」

 「いや、もう大人。物事の分別もつくしさ」

 「だったら日誌くらいちゃんと書けよ」

 ぼそりと、高森は本音を口にした。

 「それはさぁ、得手不得手があるじゃん」

 「日誌にはないよ。1日のこと書くだけだろ」

 「私、周りを見るのが苦手だから。授業中どうだったとか、みんながどうだったとか、書けないの」

 「それなら正直にそう言えよ」

 「なんかさぁ、察してくれそうだったから、高森は。人のこと観察してそうじゃん?」

 「してないよ」

 「そう?じゃあ高森には私ってどう見えてる?」

 「どうって。き、綺麗で。明るくて、成績優秀?」

 高森の答えに、戸崎夏織はハハッと声を出して笑った。

 「全然違ーう。私成績なんて下手したら中の下だよ。下から数えた方が早いかも」

 「マジ?頭良さそうに見えるけど」

 「まぁそれがねー。いじめの原因だったかなぁって思う。頭良さそうなのは見かけだけでイケメンの彼氏もいたし、私の中学は勉強熱心な真面目な学校だったから」

 「ああ、それは浮いちゃうだろうね」

 「別に彼氏がいるからって幸せってわけでもなかったんだけどね」

 「うわー、凄い嫌味だな」

 「本当のことだって。初めてキスした時なんかさー、もっとキス上手いと思ってたとか言われて超傷ついたし」

 「ああ、まぁ期待はするかもなぁ」

 「なにそれ?顔が綺麗だから?っていうか、思ってても言う?初キス後の女の子に」

 「それは、俺にはわからない。どんなキスかもしらないし」

 高森の言葉に、戸崎夏織はフッと悪戯な笑みを浮かべた。

 「何?遠回しに、私とキスしたいって言ってるの?」

 「いやいや、言ってない。思ってもない!」

 本気で高森は否定した。そして何となく、このあと戸崎夏織が言いそうなことがわかった。

 「正直になりなよー。なんなら、してあげてもいいよ?」

 ほらきた。またバカにしてきた、と高森は思った。

 「また冗談だろ。二度も同じ手くうかよ」

 「えー、つまんない。狼狽えてよ」

 言って、戸崎夏織はケタケタ笑った。

 「別に戸崎とキスしたいとも思わないし。そういう人をバカにするところだったんじゃないの?いじめにあったのは」

 「あーそうかもね。よく男子からかってたわ、確かに」

 楽しそうに戸崎夏織は笑った。

 その笑顔を見て、高森は一瞬、何故だか戸崎夏織を守りたいと思った。何故だかは、わからない。本能的に思って、でもすぐに気のせいだと、心の中で打ち消した。

 ただ、戸崎夏織と話していると、段々と気持ちが軽くなっていくのを高森は感じた。

 いつまでも話していたい、そんな気持ちになってくる。

 幸せ、、、を感じているのだろうか。戸崎夏織がさっき言ったような。

 「過去のことなんか全部笑い話だしさ、高森もきっと、今の自分を笑い飛ばせる日がくるよ」

 朗らかに戸崎夏織は言うと、急に立ち止まった。

 「じゃあ、今日はここでバイバイね。私はこれから彼ピとスタバです」

 「え?ああ、そうなんだ。じゃあ、ここで。さよなら」

 少し気落ちしながら、高森は言った。そうだよな、いるよな。彼氏。

 「うん。まぁちょっと楽しかったよ。多分、二度と高森とこうやって喋ることはないと思うけど」

 「ああ、まぁそうだろうな」

 高森は言い、じゃあ、と手をあげて、その場を去った。

 幸せの時間は、一瞬で終わってしまった。それでも自分に欠けていた何が埋まった気がして、高森は少し嬉しくもあった。


 こんな時間がまた来るといいな、そう思いながら、高森はふと戸崎夏織の方を肩越しに振り返った。

 「振り返んな、バーカ!!」

 可笑しそうに戸崎夏織が声をあげて、高森は、うるせー、と小声で返して、足早に駅へ向かった。一瞬の幸せ。この幸せが明日からの自分を変えてくれると、思いながら。

 

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