第十四話 代償
「シャルウィル……」
俺の再三にわたる声掛けにも、彼女はうわごとの様にこわい、こわい、と呟き続けている。既に精神の限界を超え、自分の意識を放り投げてしまっているように見える。
「いったいどうするというのだ?」
近づいたまま何もしない俺に、レオンが声かけてきた。彼も疑心暗鬼に陥っていたようだが、偽りのない純粋な助けようという気持ちには疑いを持たないようだ。
「ンガカナ族が患ったという黒炭病。エルフのお前達や俺が知らない病気だったということは、ンガカナ族だけに特徴的に発症したものだと考えられるだろう?」
その問いかけにレオンが頷いたのを見て、ゆっくりと言葉を続ける。
「そうすると考えられるのは遺伝性。だが、それならとっくにンガカナ族は滅んでいるはずだ。なら、ンガカナ族だけに特徴的な生活習慣みたいなものが影響している可能性があるだろう」
「せ、生活習慣?」
フィーネが不思議そうな顔を浮かべる。特に変わりない生活習慣だと思っていたのかもしれないが、民族や文化が違えば決定的に異なる生活習慣だって生まれる。そう、彼等だけに特徴的な習慣があった。
「ああ。ンガカナ族は『醸造魔法』を使ってエールやチーズを作っていたんだったよな?」
「え、ええ。わたし達は麦や牛乳を醸造させて食料を作ることが多かったですが……。まさか!?」
俺はヌムの答えを引き継ぐ形で強く頷いた。
「ああ。毒は毒でも、食中毒だったんだ。麦には変な病原菌がついて、量によっては酷い幻覚を見たりすることがあるって聞いたことがあるし、チーズだってカビが混じれば毒性を持つこともあるだろう」
「そ、それは……。しかし、そんな強い幻覚を見たことなど」
「詳細な毒性まではわからないが、可能性としては最も強いってことだ。特にこの状況で精神的にやられているのに個人差が出ているってのは、ダンジョン内の極限状態だけが原因じゃ説明がつかない。なにがしかの外的要因を考えるべきだ」
「あ! レ、レオンはエールをたくさん……」
フィーネも気づいたようだ。俺たちはダンジョンに入る前に、儀式として乾杯を交わしていた。酒を断った俺やフィーネはいざ知らず、一番疑心暗鬼を呈していたレオンはたくさん酒を煽っていたからな。それだけ精神的な効果が出やすかったと言えるだろう。
「つまり、あの酒宴自体が俺たちを狙う儀式だった、と見るのが妥当だろうな」
「そ、そんなことが……。だ、だが、それでシャルウィルをどう戻すというのだ? シャルウィルは酒を飲んでいなかったし、精神的に不安定なのはダンジョン内の殺人というものだろう?」
「そうだな。それは、俺のこの冷静さが鍵を握っている」
そう言って左手に持った盾を握りなおす。まさか、こんな形で役立っていたとは思わなかったが……。
「俺の盾には『静穏魔法』がかけられている。動じず冷静に対処できるようにするための魔法だな」
「あっ……!」
エルフの里で作られた鎧と盾だ。おそらくレオンも作る過程を見ていたのだろう。俺の言葉に、驚いたようにレオンは反応した。つまり、自分でも少しおかしいと思っていた冷徹さは『静穏魔法』によってもたらされた冷静さだったってことだ。つまり……。
「シャルウィルにこの盾を持たせれば、恐怖心は落ち着くはずだ」
「そ、それは、そうかも、だけど……」
フィーネは言葉を詰まらせる。そう。さっき言ったように、俺はきっと使い物にならなくなる。この話をしても、レオンもフィーネも『静穏魔法』を使おうとしないあたり、この二人には使えない魔法なんだろう。
「……ひとまず、シャルウィルを元に戻す。そして、菌を消すための魔法を使ってもらう」
「菌を消すための魔法? そンなものが?」
「ああ。それはシャルウィルに伝えればわかる。俺達全員に使ってもらうことと、あのアッターの死体があった部屋にもかけるように伝えてくれ。それで、たぶん謎は解けるはずだ」
そこまで伝えて、俺は蹲ったシャルウィルに合わせて屈みこんだ。
可哀想に……。ここまで怯えた表情のこいつは初めて見る。もう早く治してやらないとな。
「ま、待て、ジール! 謎とは……」
レオンが何か声かけてきていたが、俺は既にシャルウィルに盾を渡していた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ああ……。なんだ、この感じ。
世界がドロッと緑と紫であふれてる。輝いて、身体がぐにゃりと溶け込んでいく。
何も考えられない。いい。すごく、いい。気持ちよくて、幸せだ……。
「……る! ……っ!!」
なんだかうるさいな。ザーザーと、変な音が聞こえる。
こんなすべてが一つになって、幸せなのに。
邪魔されるのは、嫌だ。
何も雑音のない所に、すべてが混じりあって渦を描けるところに……。
「ーーるっ! じーるっ!!」
まだ雑音が聞こえる。じーるってなんだよ。どうでもいいや。
緑と紫に赤と黄色も混じってきた。ああ、俺の色は白で、きれいだ。
とても、きれいだぁ……。
「………………魔法』っ!」
不意に、柔らかい光が目の前を包み込んだ。少しずつ、原色豊かなその色が消えていく。
柔らかい筈なのに、何故かその光の眩さに目がくらんで、俺は目を閉じる。
このまま、少しだけ……。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「シャルウィル!!」
あたしが気が付いた時、目に映ったのはエルフの風魔術の使い手、フィーネだった。
彼女はあたしを抱きしめて、泣きじゃくっている。……こんなに仲が良くなった記憶はないんだけど、何故だろう。
「気が付いたか!」
声の方を見れば、同じくエルフのレオンがそこにはいた。エルフの里で泊めてくれていたのはレオンだし、どちらかといえばフィーネよりはレオンの方が親近感がある感じがする。
というか、そんなに抱きしめられるようなことがあたしの身に起きていたのだろうか。
「シャルウィル、わ、わかる?」
不安そうにフィーネがそう声かけてくる。ええ、と短く答えながら、右手にずっしりと重みを感じることに気が付いた。これは、ジールの盾?
そういえば、ジールは何処に行ったんだろう。エルフの彼等がいて、ジールがいないなんてことはないし。きょろきょろとあたりを見渡して、何か恍惚とした表情を浮かべたジールを見つけた。
……あの駄犬、何故こんなところで発情してるのかしら。この記憶の欠落といい、もしかして、あたしの身体に何かしようとして……。
ゾッとする想像に身震いする。これはしっかりと躾け直さないといけない。そう思い、立ち上がろうとして、自身の状況を思い出す。
そうだ、ここはンガカナ族の領地にあるダンジョンで、殺人事件が起きて……。
「ジール!」
状況を思い出したあたしはジールを強く呼びかける。彼はその恍惚とした表情を変えようともせず、不気味に虚空を捉えているだけだ。
「ジール! ジールっ!!」
何度声かけてもやはり表情は変わらない。焦るあたしを諭すように、レオンの手が肩に置かれた。
「落ち着け、シャルウィル。ジールはこの症状はエールやチーズの食中毒だと言っていた。菌を殺す魔法を使えばいい、とも」
「そ、そう。で、でも菌を殺すって……」
そう言われて頭に思い浮かんだ魔法が一つ。あの古城の事件で決定的な証拠になった魔法。目に見えない細菌やウイルスを、汚れと一緒に消し飛ばすあの魔法を使えと、ジールはそう言ったんだ。意を決してジールへと手をかざす。
「世界に遍し火水風土の精霊よ! あたしの魔力に応えてっ! 『清潔魔法』っ!」
ブクブクとジールを光が包み込んでいくと、やがて光が消えた頃には彼の表情は穏やかなものに変わっていた。そのまま目を開かないことに心配したけど、レオンが近づいて息を確認して、寝ているようだ、と言ってくれた。
ふぅ……。どうやら命の心配はないみたいで一安心。ようやく一息つけたことで、もう一度自分の状況を思い出すことに専念できそう。
たしか、殺人事件が起きて、でもこの階層から脱出することを優先して各部屋の瓶を満たそうとしていたのよね。それで、ボトウェがあたし達の部屋に入ってきて、アッターの死体があった部屋に行ったら新しい脅迫状があった……。そこまでは覚えている。それで、どうしてこう皆が集まっているのかはわからないけど。
「シャ、シャルウィル……」
「はい。何でしょうか?」
「ボ、ボクたちにも『清潔魔法』を使ってもらって、いいかな?」
ああ、そうか。ジールだけじゃなくて、皆も菌に汚染されてるかもしれない。しっかりと『清潔魔法』を使っておかないと。
あたしはレオン、フィーネ、ヌムに順番に『清潔魔法』を使うと、自分にも『清潔魔法』をかけておいた。たぶん、ジールが盾を持たせてくれたから、今あたしは普通に動けてるんだと思うし、ちゃんと処置しておいた方がいい。
「シャルウィル」
「はい?」
処置を終えたあたしに、今度はレオンが話しかけてきた。少し神妙な顔をしているが、どうしたのだろうか。
「酷使するようで申し訳ないが、今度はあの死体のあった部屋に『清潔魔法』を使ってくれないか?」
「あの部屋に? 何故ですか?」
「ジールが残した言葉なのだ。あの部屋に『清潔魔法』をかければ謎が解けると」
「ジールが……?」
彼が言うのならたぶん事実なんだと思う。そして、それはあたしにあの部屋で『解析魔術』を使ってこいというメッセージだろう。
「わかりました。では……」
「あ、ま、待って……」
足を運ぼうとしたあたしをフィーネが止める。彼女は目をつぶると、どうやら『風魔術』を発動させたようだった。
「う、うん。今動き回ってる人はいないみたい。さっきジールも部屋に行って、だ、誰もいないのは見てきたみたいだけど、一応用心で」
「ジールぐらいは背負えるが……」
そう言ってレオンはヌムをちらりと見る。あたしの『解析魔術』を見せるわけにもいかないし、彼女も連れてあの部屋に行くのはよくないだろう。
「ジールが見てきたのなら、たぶん大丈夫でしょう。何かあれば声を上げますから、その時はお願いします」
「すまない……」
そう言って謝るレオンを宥めて、あたしはアッターの死体があった部屋へと向かった。




