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第十二話 疑心

 ヌムを背に広間へと戻る。

 遠目に見えるレオンとフィーネの壮健そうな姿に、強張っていた肩から力が抜けたのが分かった。


 よかった。まだ何も起きてはいなかったようだ。


 俺の懸念が杞憂だったことに安堵しつつ、二人の様子を窺うと、レオンは殺されたリンシャの死体に自身のマントをかぶせてやるところだったようだ。


 その姿に、過去に姫さんから言われた言葉を思い出す。

 あれは、いつだったか……。

 そう、古城での事件で、俺は今のレオンと同じように死体に布をかけてやって……。


『……優しい事だ。君を私の騎士にしようとして、正解だったと思うよ』


 姫さんの言葉が鮮明に脳裏を駆け巡った。

 優しい。そんな風に言われたのは初めてだったから、よく覚えている。


 レオンは今、死体を弔おうとしている。かつての俺と同じように。

 そういう考えに至らなかった俺は、レオンの言うように薄情になったのだろうか……?

 あの日の俺なら、きっとレオンと同じような行動をとっていたはずなのに、今の俺は……。

 事件をいくつか解決して、そんなに冷徹になってしまったのだろうか。


「……もう作業は終わったのか?」


 ぶっきらぼうな声に、レオンは俺の存在に気が付いていたことを悟った。その視線はリンシャの死体から動かない。激昂している様子ではないが、まだ普通に話し合える雰囲気には見えなかった。


「……ああ。瓶の水が溢れることはないと思う」


「……そうか」


 それだけ返すと、レオンは俺に目を合わさずフィーネとシャルウィルの近くへと寄っていった。

 フィーネはシャルウィルの手を心配そうに握っている。まだシャルウィルは目を覚ましていないようだ。


「……悪いが、今はまだ顔を突き合せたくない。お前は姿を消した連中を探すんだろう? 行ってくれ。気絶した二人は見ておく」


 レオンはまだ俺の顔を見ずに淡々と、だが突き放すようにそう言い放った。彼の言う通り、少し距離を空けた方がいいのかもしれない。だが、先ほどの懸念が頭をよぎる。本当に彼らを残していっていいのか? 俺も一緒に行動していた方が良いのではないだろうか?


「ジ、ジール……」


 悩む俺にフィーネが声をかけてきた。顔を向けると、彼女はゆっくりと、だが力強く頷き返してきた。彼女の瞳には怯えと、俺への確固たる信頼が宿っている。


 ……ここは二人を信頼するしかないだろう。フィーネの瞳の力強さが、俺の逡巡を取り払ってくれた。


「わかった。部屋の一つ一つをもう一度見てこよう。どこに隠れていても、他の部屋に行くにはこの広間を通るしかないからな。俺が探している間に犯人が移動してきて、鉢合わせることになるかもしれない。十分に警戒しておいてくれ」


「……ああ。お前もな」


 レオンの言葉に、わずかながら、俺への仲間意識が戻ってきたように感じる。彼らを背に、俺はヌムをそっと背から降ろすと、一人小部屋へ向かう道を進み始めた。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 一つ一つ小部屋を探索していく。先ほどまでヌムが倒れていた部屋はもういいだろう。瓶を水平にした時にも何も変化はなかったし、誰かが隠れている様子もなかったしな。

 まず最初に俺とシャルウィルが担当していた部屋だ。最初にしっかりと瓶を水平にしただけあって、瓶の中の水はかなり溜まってきている。もうあと幾分もすれば瓶を水で満たすことができるだろう。

 続いて部屋の様子を確認する。といっても、取り立てて他には何もない部屋だ。誰かが隠れるような遮蔽物もないし、流石に見落とすことはないだろう。


 一度広間へと戻り、続いて先ほどまでレオン達が居た部屋を目指す。広間ではレオンとフィーネがシャルウィルとヌムの様子を見守っていた。一瞬、レオンは俺の姿を捉えたが特に言葉を交わすことなく視線を逸らした。敵意、あるいは疑念を隠すことをしないその姿に、俺は動揺よりも懸念を浮かべる。


 エルフの里では深い信頼関係を築けたと思っていたが、それは俺の思い違いだったのだろうか。先ほども少し考えたが、レオンは何故、あんなに俺を疑っているのか?


 だいたい、フィーネよりレオンの方が疑い深い様子を見せているのもおかしい。性格的に、少し引っ込み思案気味だったのはフィーネの方だ。芯の強さを感じる彼女だが、普段の態度はどちらかといえば内向的な方だったはず。こういう状況で、疑心暗鬼に陥るのであればフィーネの方が先だと思うのだが……。


 そんなことを考えていると、すぐにレオン達が居た小部屋へと辿り着いた。先ほどの小部屋同様、誰かが隠れている様子はない。瓶の水は最初の部屋より少し少ない程度だろうか。すべての部屋の瓶を水で満たすには、まだもう少し時間がかかりそうだ。


 小部屋二つの探索を終え、最後にアッターの死体が残された部屋へと向かう。今までの部屋では誰も見つけられなかったことを考えれば、消去法的に残されたこの部屋に隠れているのだろう。

 それに、毒が蔓延しているということで、通路から覗くことしかできていない部屋でもある。もしかしたら、通路からの死角に隠れている可能性もあるだろう。ここまでの通路で何も発見できなかったが、俺は警戒を怠ることなく、部屋の入口から中を覗き込んだ。


「……何もないな」


 意気込んで部屋を覗き込んだが、特に何の変化もない。中央にアッターと思われる死体が残されていて、アッターが用意したのであろうチーズが散乱しているだけだ。


 いや、待てよ?

 アッターは本当に死んでいるのか?


 アッターが死体だと間近で確認したのは、今は姿のないベルコだけだ。

 もしあれが死体でなかったとするならば、アッターの死体に成りすまして自由に動くことができるわけだ。無論、それならばアッターは何処に行ったのか、という謎は残りはするが……。


「…………とりあえず、確認すべきだろうな」


 ベルコの言葉が真実ならば、この部屋は毒に汚染されていて入る者の身体を蝕むという。

 だが、それを恐れていては何も気が付くことはできまい。ベルコが真実を言っている保証もなし、ここは意を決して足を踏み入れるしかあるまい。


 念のため、口と鼻に手を当てて部屋へと足を踏み入れていく。もし本当に毒が蔓延しているのならば、迂闊に部屋の中を触れることも避けるべきだろう。半信半疑ながら、慎重に部屋の中央の死体へと足を進めていく。


 ……ベルコは何故アッターだと断言したのだったか。あの場に集まらなかった人物というだけじゃなく、何か身体的な特徴をあげていたように思える。ああ、手に怪我があると言っていたか。どちらの手かわからんが、まずは手を確認するとしよう。


 すっと目に入るあたりでは、死体は血に塗れてよくわからない。そっと右手の血を拭うと、驚くほどに固くなっていた。まるであのエルフの里の事件で見た、炭化した死体のように乾燥している。わかりにくいが、右手をよく観察すると、小指の付け根あたりに何らかでえぐり取ったような痕跡が見えた。


「……どういうことだ?」


 傷跡があるのは理解できる。だが、この奇妙な符合はなんだ?

 一、二、三……。確かにこの死体には指が五本ある。


 そうすると、この死体は生前に指が六本あったのか?

 アッターは指が六本あったと、そういうことか?


「ベルコは指が六本あることが頭目の血筋の証と言っていたが……」


 アッターも頭目の血を引いていたのだろうか。だが、それなら他の連中の態度がよくわからない。頭目の血筋を引いているのなら、パドゥもボトウェはもっと……。そう、ベルコに接するように恭しく振舞いそうなもんだが……。


「……少なくとも、他にわかることはなさそうだ」


 顔の血も拭ってみたが、既に炭化--という表現が正しいのかどうかわからないが--するほど乾燥してしまっており、人相は判別できそうになかった。


 少なくとも右手に怪我の痕がある死体であり、死体発見直後に集合できなかった人物がアッターだけだったことも考えると、まず間違いなくアッターがここで死んだのだろう。

 発見できた手の怪我が生前の物と同様なのかとか、アッターは指が六本あったのかとか、そのあたりはヌムが目を覚ましてから聞くしかあるまい。


「あとは、瓶か……」


 アッターが手掛けたであろう仕掛けはしっかりと瓶を水平に保っていた。中を見れば、もう間もなくあふれんばかりに満たされてきている。一番最初にこの仕掛けを作ったのだろうから、当然と言えば当然か。

 次に瓶を水平にしたのは俺の居た部屋だったから、少しずつ瓶は水で満たされるだろう。もう少しで、この閉じ込められた状況からおさらばできることになりそうだ。

 まだダンジョンが深く続いていなければ、だが……。


「少なくとも、行くも戻るもできない状況からは脱せそうだな」


 そう言葉にしても、当然返事はない。

 レオンはそろそろ話をしてくれる気になっただろうか。最後の態度を見るに、まだ難しいかもしれないが……。シャルウィルとヌムが目を覚ましているかもしれない。調べられることは調べたし、一度広間に戻るとしよう。


 犯人、あるいはベルコやパドゥ、ボトウェといった、姿を消した面々を見つけられなかったことに不安を覚えながら、レオン達のいる広間へと足を進めていった。

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