第五話 誓言
「そこまでだっ!」
鈴の音を思わせる澄んだ声が広間に響いた。
その声に、暗く淀んでいた視界が開けていくのを感じる。
どうも味方のいないこの状況に諦めきってしまっていたようだ。
落ち着いて考えれば、神殿騎士として事件の警備をしていた伯爵様本人が、犯人を指摘しようとしているこの場に現れない筈がない。現にこうしてこの場に来ている。
彼女の口から『異端審問官』の事を俺に教えた、と言って貰えば犯人しか知り得ない秘密の吐露には当たらないだろう。
少し冷静になった頭で彼女の姿を再度確認する。
白銀に輝く鎧、華美に過ぎぬ大剣、実用性に富んだマント。伯爵様の姿は、どれも先程見た御伽話の騎士の格好そのままだ。
違うのはその周りに初老の男性と年端もいかない少女が連れ立っている点か。
従者、侍従……当てはまる言葉が幾つか浮かんだが、それにしては男性の方は少し身なりが良すぎる気がする。
「……レイアード卿か。今は大事な所なのだがな」
「話の腰を折ってしまったかな? だとすれば、素直に謝罪しよう。だが、今が大事な所と言うなら私の言いたい事もわかるだろう?」
「……大方、この男の言う伯爵とやらが貴公と言いたいんだろう」
「いかにも! 私が彼に話したのだ!」
大袈裟に腕を振り、胸を張って伯爵様は答えた。それに対してフィンレーは、先程までと変わらない――むしろより冷ややかな視線で応える。
「……一応、尋ねておくが、何故機密を漏らした?」
「……既に知っていると思ってな。まさか警護にあたる騎士達にまで箝口令が敷かれているとは思わなかったのだよ」
ばつが悪そうに腕を組んで伯爵様は眉をしかめた。
何というか、この人は仕草が芝居がかって見えるな。それも話術の技法の内なんだろうが。
「だが、これで彼が『異端審問官』の名を知っているからといって、犯人であるという証拠にはなるまい」
組んでいた腕はそのままに、再び胸を張って伯爵様は宣言する。
フィンレーは小さく、そうかもな……と呟いたが、すぐに反論を出してきた。
「だが鍵の件はどう説明する? こいつ以外に出来る筈もなかろう」
そう。
確かにそうなのだ。俺以外に鍵をかける事が出来た事が証明されないと、いつまでも俺に嫌疑はかかる。だというのに、伯爵様は耳を疑う言葉を残した。
「それはまだわからないな。そも、それはそんなに大事な事か?」
おそらく、俺以外の全員も目を丸くしただろう。これまでの話が全く無意味だと、言外にそう伝えているようなものだ。
「ふ、ふざけるな! そいつ以外に誰が殺したって言うんだ!!」
激昂したクインが伯爵様へ食いかかる。伯爵様はそれを事も無げに一瞥すると、小さく目を瞑ってフィンレーに話を戻した。
「……あの金色は貴公の模倣だろう? 躾がなってないのではないか?」
「抜かせ。稚児が大人に憧れるのは当然の事よ。それをいちいち躾ていては仕事にならん」
「ふむ。それもそうか」
「ボクを無視するなっ! 質問に答えろ!!」
自分の憤りを無視して話を進めていく二人に、クインは更に加熱して詰め寄る。
が、伯爵様が一睨みすると気後れしたのか一歩後ずさった。
「随分と威勢がいいな。先程は私の姿を見ただけで頭を垂れていたと言うのに……後ろに竜が居ると思うと気持ちも大きくなるのか?」
「な、何を……」
「そもそも、貴公は私を知らないと言ったな。会ったばかりだと言うのに、何を隠す必要があったのか。何か後ろめたい事でもあったかな?」
「そんな事は……」
「だいたい、彼が鍵を持っているから犯人と決めつけるのは早計に過ぎるのだ。死体がある事に気付かずに施錠した可能性もあるだろう? 鍵が本物かどうか確かめたのか? そも、鍵束に件の部屋の鍵は含まれているのか?」
「そ、それは……」
一気呵成に責め立てている伯爵様の言葉を聞いていると、自分が疑われていた事も不思議に思えてきた。
そう言われれば、ただ鍵束を持っていただけで犯人扱いされるのも強引だよな。
「……詭弁だな。それらは調べればすぐわかる事だろう」
「そうだろうな。私はその捜査をこそ望んでいる」
詭弁、と一蹴されてまだ容疑者から外されないのかと思ったが、伯爵様は狼狽える事なく頷いて答えた。
だが、このまま鍵の捜査を行うだけだと、鍵が本物だった場合やはり俺が犯人だと疑われるのでは……?
「フン……望みはそれだけではないだろう。何を企んでいる」
「流石はフィンレー卿。思慮深いな」
「世辞はいい。何を目論んでいるのか答えろ」
どうも伯爵様には他にも考えがあるようだ。
固唾を飲んで見守っていると、やがて聞こえてきた言葉は又も耳を疑うものだった。
「捜査はそこのジールに行わせてほしい。ああ、勿論一人ではないぞ? 私と従者のシャルウィルも共に行おう。仮に彼が犯人だった場合、証拠を隠滅されても困るからな」
は?
いやいやいや…………え?
何で俺が?
「何を考えているかと思えば……その男を捜査に出すメリットが何処にある」
「自らの汚名を灌ぐのだ。誰よりも必死になるだろう」
「それはそこの男が犯人でないとした時だ。現状で一番怪しい人間に捜査を行わせれば、証拠を隠す事に必死になるのではないか?」
「……とある理由で、私は彼が犯人ではないとほぼ確信している」
「理由? どんな?」
「それはまだ言えない。全てが明らかになったときに、皆へ伝えよう」
「話にならんな」
そう言うとフィンレーは顔の前で小さく手を振った。
当事者の俺でもそう思う。
どうして伯爵様は俺が犯人でないとそこまで確信できるのか。それを明らかにしない以上、きっと俺への容疑は晴れないままだろう。
「そうは言うがな、フィンレー卿。貴公の推理も、あながち公平とは言い切れないぞ?」
伯爵様のその言葉に、フィンレーは眉間に皺を寄せた。
「何が言いたい?」
「『異端審問官』の名前が書かれた脅迫状だよ。いや、犯行声明と言ってもいいのかもしれないな。何せ死体に併せてもう一枚ずつ準備されていたのだから」
「それがなんだと言うのだ? 別にそこの男が準備できない訳ではあるまい」
「貴公も内容を読んでいる筈だろう。あの書き方は明らかに二人をターゲットにしたものだ。たまたま凶器を隠している所を見かけた人間が殺された事件ではありえない」
……それは、結構重要な情報なんじゃないか?
フィンレーの推理だと、俺がダンカン班長を殺した凶器を処分している所をケイト副班長に見られて、口封じに殺した、って筋書きだった筈だ。
もし伯爵様の言う通りなら、ケイト副班長は巻き込まれたのではなく、明確な殺意の上で殺された事になる。だけど――
「……俺にはケイト副班長を殺す動機がない」
「その通りだ!」
思わずぽつりと呟いた言葉に、不敵な笑みを浮かべて伯爵様が返してくる。この論理なら俺の容疑も晴らせるかもしれない。
「フン……ただ捜査の撹乱のために準備した可能性だってあるだろう。『異端審問官』などと名乗れば外部犯を考えてもおかしくはないからな」
「そのわりには、わざわざ密室を作り鍵をそのまま持ち歩いている、などと随分お粗末だと思うが?」
伯爵様の返答に、フィンレーは大きく舌打ちをした。
内心、自分でも論理が破綻してきている事を認めてきているのだろうか。
「……知らんようだから教えてやる。こと有事の際に限ってだが、我ら第一部隊の言葉は王の言葉と同義だ。いかに次期レイアード辺境伯と内定していたとしても、貴公は未だ叙勲もされていない平民に過ぎん。それが、俺の言葉に逆らうとでも言うのか?」
こ、こいつ……。
この状況で論理を権力でぶち壊しにきやがった。
伯爵様が辺境伯だったって事も驚きだが、それより王の威光を笠に着て無理矢理に話を終わらせようとする事の方が腹正しい。
結局、『目標』の騎士も貴族になったってことか。
「……生憎だが、私は次期辺境伯としてこの場に居るのではない。神殿騎士のアレクシアとしてこの場に居るのだ」
「フン。ならば尚更、俺に意見する立場にあるまい」
先程までの苛立った様子は鳴りを潜め、泰然とした顔付きでフィンレーは胸を張る。
正直言って、くっそ腹立たしい。
もう少しで容疑が晴れるところだったのに。
何故こんな風に権力で容疑を認めなければならないのか。
これが、憧れた騎士の姿なのか。
まあ、もう騎士とかどうでもいいか。
相手が王だと言うならば、いかに伯爵様が力を持つ事になっていても、そう簡単に逆らう事はできないだろう。
最後に一つ、思い切り抵抗して腕試ししてみるのもいいかもしれない。
何せ、相手は王国が誇る王立騎士団第一部隊の人間だ。自分の力を試すのにこれ以上は居ないだろう。
そう思い、腰にある短剣に手を伸ばした。
愚かなことに、フィンレーは伯爵様との問答に夢中で俺への注意は全くしていない。
このまま、刺せる……!
決意と共に短剣を握り締めた俺の耳に、再三に渡って信じられない言葉が飛び込んできた。
「なら、私も一つ教えてやろう。こと有事の際に限って、神殿騎士の言葉は神の言葉と同義だ。王と神、どちらが偉いのかな?」
か、み?
かみさまだって?
「……俺に信心はない。居るかもわからん存在を王と比べる事など出来んな」
「そうか。だが、このラムザルシュタット王国の国王は、我ら教会の敬虔な信徒の一人だったと記憶しているが。……貴公は主の信じるものも信じられないのかな?」
その言葉にフィンレーは押し黙る。
王と神。どちらが偉いのか、なんて子供の絵空事の様な命題だが、今回に限っては神の方が力を持っていた様だ。
忌々しげに伯爵様を睨むフィンレーの瞳がそれを証明している。
「…………解せんな。どうしてそこまでしてその男を庇う?」
「別に彼だから庇っているわけではないよ。私は、『冤罪』と言うものが嫌いなだけさ。ただし――」
諦めたかの様に息を一つ吐き出し質問したフィンレーの言葉に、伯爵様はゆっくりと答えた。
しかし、語尾に続く言葉は中々出てこない。
ただし、何だと言うのだろう?
「……ただし彼を好ましいと思っている事は否定できない」
伯爵様は何でもないと言うように普段と変わらない凛とした口調で言った。
しかし俺の方はその言葉に、胸が早鐘を打つのを感じる。
さっきのは御世辞じゃなかったのか!
場所が場所なら彼女の足下に跪いて手を伸ばしたいくらいだが、今はそうもしてられまい。
「ハッ! 『紅荒鬼』と名高い女傑がそんな趣味を持っていたとはな」
「誤解を招いているようだが、私は彼の容姿が好ましいと言っている訳ではないぞ?」
フィンレーの嘲笑に伯爵様は心底面倒臭そうに答えた。
しかし、そうか違ったのか。やっぱり世辞か。
「私が好ましいと言っているのは、騎士としての姿勢だよ。貴公は臨機応変に対応すべきだと叱責したが……私は愚直に命を守る事こそ、騎士には好ましいと考えている」
ああ、そう言えばクインとやり合った時も宝物庫の番兵だと言ったら、やたらと機嫌が良さそうだったな。そういう理由があったのか。
「考え方の相違だな。我等は不測の事態に迅速に対応せねばならん。ただ与えられた仕事をすれば良いものではない」
「では彼は王立騎士団には適さないと?」
「そうだな。仮に無実が証明されたとして、自分の考えで動けないこの男は、騎士団に不要だ」
はは。自分から辞めようと思ってたのにクビ宣告されるとか。未練もないし構わないけど。
「そうか……。なら、私が貰っても構わないだろう?」
伯爵様の言葉に周囲がどよめく。
かくいう俺も、胸のざわつきを抑えられない。
いったい、この人は何を言い出すのか。
「どうした? 私の騎士にしても構わないだろう、と言ったのだ。次期辺境伯ともあれば、自前の騎士の一人や二人は揃えていてもおかしくあるまい。まして、王立騎士団に所属していたとあれば、箔も付いている」
ああ、そういう意味か。
いや、でもこれは騎士を続けるって事だし……
「フン。別に構わんがな。箔を求めるにはその男では役不足だと思うぞ? 何せしがない一兵卒だ」
「だが彼以外は貴公の言うところの臨機応変な騎士達なのだろう? 私は、命を愚直に守る者を欲している」
「…………フン。好きにしろ」
「よし! ならば後は本人次第だな!」
そう言うと伯爵様は美しく宝飾がなされた大剣を抜き放ち、床に垂直に立てた。
「では問おう! ジール、君は私を剣の主と認め仕える事を誓えるか?」
何処までも大仰な仕草で、けれど澄んだ声が脳へと響き渡る。
これは俺の人生の分岐点になるだろう。
正直、もう騎士と言うものには愛想が尽きていた。結局、貴族の権力争いの延長だった。持たざる者が闘える土俵じゃ無かったって事だ。
ここで伯爵様の誓いに応えれば、俺は再びそういった畑違いの闘いに身を投じなければならなくなるだろう。
けれど……この伯爵様ならもしかして……
立てられた剣先から顔を上げていくと、ふと伯爵様の瞳が眼に入った。
どこまでも強く、恐れのない蒼い瞳が真っ直ぐと俺を捉えている。
そうだ。そうだよな。
きっと、この人なら正しく使ってくれる。
なら、俺がすべき事はただ一つ。
俺の『理想』を体現した主君に、片膝を付いて恭しく応えるだけだ。
「我が剣は貴女と共に。我が身体は御身に振りかかる災禍の盾となりましょう」
俺の言葉を受けて、伯爵様はゆっくりと剣を肩に添えた。これで主従の誓いは成された筈だ。
しかし……いつかこんな事があるかも、と夢見て練習しておいて良かった。でなきゃあんな台詞はすぐに出てこない。
「…………茶番だな」
「おや、貴公も王を前にして誓いを立てたろう?」
「フン……。だが、その男が容疑者の一人である事に変わりはない。加えて、明日は王が壇上にあがる催事があるのだ。我等は迅速に事態を収束せねばならない」
「その意見には同意するよ、フィンレー卿」
「ならば俺からの条件を出させてもらおう」
条件?
俺が伯爵様の騎士になるのに条件が必要なんだろうか。
「催事は明日の十時には始まる。準備の時間を含めて……そうだな、八時だ。八時までに事件を解決しろ。出来なければ貴様を第一容疑者として拘束する」
「はぁ!? 俺への容疑は……」
「黙れ。本来であれば、こうして捜査などせずとも貴様を犯人にしていたのだ。レイアード卿の騎士を名乗ろうと言うのであれば、それこそ死ぬ気で汚名を灌いでみせろ」
マジかよ。八時までってあと半日もないじゃないか。
「それと、レイアード卿。もしこの男が冤罪を証明できなかったら……。貴公の授爵も考え直される可能性があるとわかっているな?」
「犯罪者を庇う者は爵位に相応しくない……。当然の帰結だな。勿論、わかっているとも」
おい。それって大問題なんだが。最早俺一人の話じゃ無くなってるじゃないか。
「だが、フフっ……。私の騎士になろうと言う人間にはこの程度の事はこなして貰わなくてはな」
困惑している俺へ伯爵様が笑いかけた。その瞳は先程と変わらず強い意思を宿している。
「ジール、命令だ。この事件の謎を解き、犯人を断定しろ。出来なきゃ私の騎士になると言う話は無しだ」
そうか。伯爵様は命を守る者こそ必要と言っていたな。
なら、応えねばなるまい。それが従者の務めだろう。
「承知した! 不肖の騎士なれど、このジール身命を賭して事件の解決にあたろう!」
こうして、俺の短く濃密な半日が始まった。