第二十一話 消失
翌朝、俺はシャルウィルと二人で『調教魔術』を使うオウロを訪ねていた。リオも誘ったが、エリノアと『香水魔法』を研究するとの事だった。
こんな時に、とも思うが、新聞社の記者であるリオがこの里に居られる時間にも限りがあるし、エリノアから何か深い話を聞けるかもしれないというのもあって、そっちを優先してもらう事にした。
レオンも俺達に同行しようかと提案してきたが、それはやんわりと断っておいた。何せシャルウィルの使う『解析魔術』はまだエルフの連中には明かしていない。レオンの家で昨日の結果を話していると、意図せずしてレオンに『解析魔術』の事を知られてしまう可能性があった。そのため、こうして二人で話せるように森を進んでいる訳だが……。
「その結果は間違いないものなんだよな?」
「ええ。あたしの『解析魔術』では、あの死体発見現場で使われた魔法や魔術の痕跡は八種類でした」
思ったよりも多くの魔法が使われている事に、頭が混乱してくる。
「何の魔法が使われていたんだ?」
「火、水、風、土魔法がそれぞれあの土の杭に。それと部屋には『消臭魔法』と『清潔魔法』。それに魔術の痕跡が二つ残されていました」
「『清潔魔法』って……。あの古城の時に色々あったアレだよな?」
「そうです。それが部屋の一角に使用されたようでした。『消臭魔法』は死体に、魔術は二つとも部屋の至る所に痕跡がありましたね」
そうなると……。洞窟で推理したように、ライヴィは部屋の一角でナイフかなんかで殺された可能性があるか。その血痕を消すために『清潔魔法』を使ったと。
そうなると死体を焼くのに『火魔法』が使えた理由も納得がいく。人間に向かって魔法は使えないが、死体になら使える筈だ。火葬なんかをする時は、『火魔法』で火を放っていたと記憶している。
だが、死体に目立つ傷なんかなかったと思うが……。そこはもう一度調べるしかないか。気は進まないが……。
それから、残っていた魔術の痕跡はガウスの『土魔術』とフィーネの『風魔術』だろう。あの洞窟は地盤が緩くて魔術で補強していると言っていたし、フィーネには索敵の為に『風魔術』を使ってもらった。
その事をシャルウィルに伝えると、彼女も納得したように大きく頷く。
「『消臭魔法』は死体を焼いた臭いを消すためでしょう。ですが……」
そこまで言ってシャルウィルは先を言い淀む。彼女の言いたい事はわかる。土の杭に何故四種の魔法が使われていたのかがわからないのだ。
「土の杭を出すだけなら、『土魔法』だけじゃ駄目だったのか?」
「……わかりません。何か意図がある様に思いますが……」
二人で頭を抱えてみたが、正味これと言った答えはでてこない。『土魔法』の特徴は耐久性の低さだったと思うが、それが何か関係しているのだろうか。
「……ところで、さっきから何をしているのですか?」
理由がわからないまま森を進んでいると、シャルウィルから疑問をぶつけられた。
何をしている、と言うのは俺が歩きながら草を摘んでいる事を指しているんだろう。別にエルフの里でしか見ない様な特別な草でもなく、ハーブ園なんかではよく見る月桂樹や迷迭香、立麝香草といった一般的なハーブだ。
「ちょっと理由があってな……。まあ、すぐわかる。それより、もう到着したぞ」
そう言って視線をあげさせると、オウロが住むツリーハウスが見えている。シャルウィルの解析した結果には、まだ考えなきゃいけない事が残されているが、ひとまずはオウロの話を聞くとしよう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ツリーハウスの入口に立ち、扉を軽くノックする。昨日はオウロに随分乱暴にノックされたが、これが正しい力加減だとわからせるように、優しく叩いてやった。ややもすると、扉がゆっくりと開かれ、中からオウロが顔を出してきた。
「お前達か。……レオンから話は聞いている。入るといい」
「すまないな。邪魔するぞ」
淡々と告げるオウロに、こちらも簡単に言葉を返し、ツリーハウスの中へと入っていった。
ツリーハウスには初めて足を踏み入れたが、思ったより小綺麗な内装をしていた。案外、虫なんかは入ってこないんだな、というのが率直な感想だ。芳しい木の香りが充満していてカビ臭さなんかもないし、用意された家具なんかも綺麗に配置されている。粗野な男かと思ったが、実は几帳面なのかもしれない。
「案外綺麗にしているんだな。木の香りも心地良さを覚えるもんだ」
「本来、エルフってのはそういうもんだ。『消臭魔法』なんてものも出来ているが、自然の香りを楽しまないでエルフと言えるか?」
先程の『解析魔術』にも出てきた『消臭魔法』の言葉にピクリと反応してしまう。この言い分だと、オウロは『消臭魔法』を使えないのだろうか。
「貴方は『消臭魔法』を使えないのですか?」
「使えん。覚える気もない」
生じた疑問をシャルウィルが尋ねてくれた。やはりそうなのか。勿論、コイツが本当の事を言っているかは吟味しなければならないが。
「そんな事より、聞きたいことはオレの『調教魔術』のことだろう?」
そう言いながらオウロはテーブルにカップを並べていく。きちんと椅子も添えられていて、話し合う準備をしていたようだ。
「あ、ああ。俺は里の人間じゃないからな。アンタの使う『調教魔術』がどのくらい精度が高いものか知りたい」
そう言い切る頃には、既にカップに紅茶が注がれている。自身のカップを手にして、対面に座ったオウロは、椅子へと反対の手の平を向けた。
「族長からもお前達の捜査に協力しろ、と言われているからな。粗茶ですまないが、飲みながら聞いてくれ」
そう促され、シャルウィルと二人で椅子に座る。出された紅茶から立ち昇る甘い香りが、鼻腔をくすぐった。
「……いただきます」
そう言ってシャルウィルは紅茶に手をつけた。まあ、残して帰るのも行儀が悪いか。
そう思ってカップに手を伸ばしたとき、窓からバサッと音を立てて何かが飛び込んできた。
「な、何だ!?」
慌てて立ち上がり、半身になって警戒すると、窓から飛び込んできたモノはオウロの肩に泊まって優雅に佇んでいる。
「驚かせたか? コイツはスウォーク。オレが初めて心通わせた鷹だ」
そう紹介されると、スウォークと呼ばれた鷹は翼を広げてピィっと鳴いた。
「……どうやら、本当にアンタの言葉を理解しているみたいだな」
「まあな。他の『調教魔術』を使っている動物も、当然だがオレの言葉を理解している」
成程。これだけ見事な自己紹介をされれば、意志の疎通が図れているのは信じられる。
「それと、レオンからの言伝通り、里を出てからここまでのお前達の動きを見させてもらった」
え、とシャルウィルは驚いた顔をしている。そりゃ突然かもしれないが、『調教魔術』がどんな物かわからないんだから、自分で体験した方が早いだろう。
「スウォークは危険な行動は無かったと言っているが……。こうすると!」
そう言って鷹と視線を合わせると、オウロの纏う空気が変わった。周囲には魔力が霧散しているし、『調教魔術』を使ったのだろう。
「ジールはここまでに三つのハーブを摘んだようだな。種類は月桂樹、迷迭香、立麝香草の三種類だ。……あっているか?」
「み、見てもいないのにどうして……」
シャルウィルが驚きの声をあげる。オウロの言ったそれは、間違いなく俺が森で摘んだハーブと一致していた。
「……正解だ。『調教魔術』の精度も間違いないようだな」
「スウォークが何を見てきたのか。オレと視覚を共有させれば、その把握は造作も無いことだ」
「た、鷹が見た物をもう一度見直したと言う事ですか!?」
「そうだ。過去に見たものだけでなく、今スウォークが見ているものを同時に見ることも出来るが……。それにはオレの目を閉じておく必要がある」
そう言ってオウロは目を瞑る。彼の目には今、鷹が見ている自身の姿が映し出されているのだろう。
「それで洞窟に誰も入っていないことがわかったのか」
「そうだ。スウォークに洞窟の前で見張ってもらい、オレは一緒に洞窟を見ていた」
成程、レオン達が太鼓判を押す訳だ。使役する動物が増えれば、それだけ様々な場所へ目を向ける事が出来る。こと見張りや探索といった案件において、これ以上の適任はいないだろう。
「『調教魔術』について、わかってもらえたか?」
「ああ。その能力について、しっかりと納得がいった」
「……なら、オレが昨夜言った意味もわかってもらえるか?」
昨夜?
何か特別な事を言っていただろうか?
誰もあの洞窟に入った奴はいない。それ以上の意味がある言葉では無かったと思うが。
訝しむ俺に、オウロは目を瞑ったまま口を開く。
「……もう一度言うぞ。昨日の昼間お前達が洞窟を出てから、もう一度お前達が足を踏み入れるまで、あの洞窟に入った奴はいない。人も、エルフも、オークも、だ」
やはり変わりない言葉だ。誰も洞窟に入っていないと言う事以外に意味はなさそうだが……。
いや、待て。
誰も入っていないのか?
「それはライヴィも含めて、という事か?」
そう尋ねると、オウロはゆっくり頷いて答えた。
「そうだ。オレはライヴィが洞窟に入る所も見ていない」
オウロのその言葉の意味をもう一度考え直す。
昼間洞窟を見た時にも、フィーネの『風魔術』では確かに大きな生物反応はないと言っていた。つまりあの時ライヴィは洞窟にいなかった筈だし、もし既に死んで洞窟にいたとすれば、あの巨大な土の杭を見逃した事になる。それも俺だけでなくガウス、フィーネの三人が、だ。
さすがにそんな訳はないだろうし、そうするとライヴィと犯人はオウロの目を潜って洞窟に入るか、あるいは死体が忽然と姿を現した事になる。
何処か別の場所で殺して、洞窟に死体を転移させたのか?
いや、洞窟には『転移魔法』に必要とされる魔法陣の痕跡はなかった。何より、シャルウィルの『解析魔術』では『転移魔法』が使われた痕跡が無かったじゃないか。
「……ライヴィが姿を消すような、例えば『透明化魔法』みたいなものを使えた訳じゃないんだよな?」
ライヴィによる大仰な自殺。姿を消した状態で洞窟に入り、部屋の中で自殺をして、その身にかけた魔法が解けた。そんな馬鹿げた発想は、当然のように否定される。
「ライヴィが『透明化魔法』を使えると言った話は聞いたことがないな。……そもそも、そんな魔法や魔術はまだ発見されていない」
言いながら自分でもわかっていた。魔法や魔術の痕跡も残っていなかったのだ。だが、一つ気になる事があるな。人が姿を消す魔法や魔術は発見されていないのか?
「そうすると、レプラコーンはどうやって姿を消していたのでしょうか?」
俺の抱いた疑念をシャルウィルが口にする。
そう。姿無き妖精はどうやって姿を消していたのか。魔法や魔術以外に、例えば不思議な道具でもあるのだろうか。
その問いに、オウロはあからさまにハアっと溜息をつくと、首を横に振って答える。
「お前達もそんな事を言うのか。……アレは教訓を伝えるための作り話だろう」
作り話。実在しない存在か。
だが、エルフの秘宝に繋がる碑文に描かれた存在だ。教訓話として気をつけましょうね、で済むものでもない筈だ。
「頼む。教えてくれ。レプラコーンは姿を消すのにどんな方法をとるんだ?」
俺達の真剣な眼差しが通じたのか、オウロは顔をクシャッと歪ませると、ボサボサに伸びた髪を掻きむしった。
「うーむ……。まあ、秘匿にされている訳でもないがな。実際、よくわからんのだ。おそらくは魔法や魔術の類だろうと伝え聞いているが……。誰も実物を見ていない以上、噂の域を出ない情報だぞ」
そう言ってオウロは紅茶を啜る。
仮に、噂通り何らかの魔術で姿を消したとして、それがシャルウィルにも感知出来ない魔術だった可能性は……。
そう思い浮かべてしまった考えを、頭を強く振って掻き消す。
それはシャルウィルを信じていない事になる。この捜査は彼女の『解析魔術』頼りだ。彼女は使用された魔力の残滓を完全に見つける事が出来る。この前提を覆してはいけない。
エルフ達が教訓に用いているレプラコーンという存在が、何かしらの魔術や魔法で姿を消していたとして、今回の事件とは全く無関係だ。巧妙に仕組まれた奸計が、姿無き妖精を思い描かせているだけにすぎない。魔法や魔術を使わなくとも、あの洞窟に入る方法が何かしらある筈だ。
「……オレの『調教魔術』を使った動物達にも探らせたが、あの洞窟には見張っていた場所の他に、抜け穴のような隠された入口はなかった。フィーネの『風魔術』でもそうだったのだろう?」
「ああ。フィーネの魔術では洞窟の中にある部屋は三つ。実際に中に入ってもその通りだった。見た限り、人が通り抜けられそうな横穴なんかもなかったな」
「言うなれば、あの洞窟は巨大な密室になっていたわけだな……。だが、どうやって犯人とライヴィがあの洞窟に足を踏み入れたのか、オレにはわからん」
オウロの言い分はわかる。入口を見張った上で、他に誰も入る場所がなかったのなら、それはある種密室と言っていいだろう。だが、それはオウロの話が真実だとしたらの話だ。コイツが犯人で、洞窟に入った人間がいないというのが嘘ならば、何も不思議な事はない。普通に洞窟に入って部屋に細工をすればいいだけだからな。とりあえず、聞いてみるか。
「どうやって入ったかは別として、オウロは犯人に心当たりはあるか?」
「森を探している間、里の他のエルフを見ることもなかった。……可能性を言えば、オレ達次期族長候補が怪しいだろうな」
自分が容疑者になると言うのに、オウロはさらりとそう言った。聞かれることを予想していたのだろうか?
「どうせ聞くのだろうから言っておくが、オレにアリバイと呼べるようなものはない。ずっと洞窟を見張ってあたのだからな。お前達がスウォークと話せれば証明できたのだが……」
それは無理だな。鷹と会話できるような特殊なスキルは持っていない。だが、嘘をつくのであればもう少し自分に有利になるようにするようにも思える。洞窟の見張りの件もそうだが、誰も入っていないではなく、例えば何か別の魔物が出たとか、そう言った方が、自分は疑われなさそうに思える。
とりあえずは、彼の言い分を信じておくしかないか……。
「……色々と聞かせてもらえて参考になった。協力に感謝する。……っと、いくつか頼み事をしてもいいか?」
「頼み事? 何だ?」
話を切りあげようとした時に、ふとオウロに頼むには絶好の用件がある事に気がつく。
「そのスウォークでアレクシア様への伝書を届けられないか?」
「ああ、そのくらいなら何の問題もないな。『紅の姫君』とまで噂される女傑だ。こちらとしても、是非その御姿を拝見させて貰いたいものだ」
ああ、そういう言い方をすると、ほら。シャルウィルの目付きが悪くなるからやめてくれ。
少しげんなりしながら、姫さんへとしたためた手紙をオウロに渡す。彼はその手紙を受け取ると、スウォークに巻かれた首輪へとしっかり括り付けた。
「任せておけ。視覚を共有して、必ず届くようにしておく。ああ、もし返書があるならスウォークに持たせるようにも書いておこう」
「助かる。それともう一つ……。ライヴィの死体に、何か不自然な傷が無いか見てもらいたいんだ」
「傷? どういう事だ?」
「いや、見た感じ何も外傷はなかったんだがな。見落しがあったかもしれないし、俺一人で断定できる程、検死に自信があるわけでもない。オウロならこの場から傷の確認が出来るんじゃないかと思ったんだ」
「スウォークと別の動物を使えば出来なくはないが……。俺も検死などした事はないぞ?」
「ただ不自然な傷があるかだけでいいんだ。何も死因を探ってくれと言うわけじゃない」
「まあ、それくらいなら構わんが……」
よし。これでいい。オウロが犯人なら、自分が犯人だと断定出来るような外傷は見つけてこない筈だ。
まあ、裏をかいてなんて事もあるが、そうすると全員が怪しく見えてしまう。俺も後で死体の再確認はする予定だし、それから答え合わせをすればいい。
姫さんへの連絡手段も出来たし、このまま事件の捜査を続けるとしよう。次は、里に住む小人のゾーリンに会ってみるとするか。




