第十三話 補完
森を進むガウスの足取りは軽やかだ。脅威であったオークはもう居ない、と断定出来た事もあるだろうが、フィーネがこの場にいない事も影響しているんだろう。
オーク討伐の時は別として、普段の彼女は自分からガンガン前に出ていくと言うよりも、どちらかと言えば後について行く、悪く言えば消極的な性格に見えた。その性格通り、洞窟に向かうまでも一番後ろを歩いていたのは彼女だった。そうでなくとも男女の差もあるし、行きの道はいくらか速度を調整していたんだろう。勿論、残してきたフィーネを心配して急いでいるのもそうなんだと思うが。
「ジール!」
そんな事を考えていたら、急にガウスが振り返って叫び声をあげる。ちゃんと近くにいるから、そんなに大きな声を出さないで欲しい。
「あ、あぁ……。良かった。置いてきちゃったかと思ったよ。ジールはやっぱり森に慣れてるんだね」
ガウスは俺の顔を見て安堵の表情を浮かべている。普通の街道なんかと比べれば、確かに森は歩きにくいが……。慣れだろうなぁ。
「……まさか試そうと思って置いていこうとした訳でもないだろう?」
「今更そんな事しないよ!」
からかう様に返すと、ガウスはむくれてそっぽを向いてしまった。エルフの寿命はわからないが、ガウスはエルフの中では、案外まだ子供なのかもしれない。
「冗談は置いといて、ジールは里に戻るでしょ? ここで一旦別れないと」
「うん? どういう事だ?」
ガウスは里に戻らないのだろうか。
「僕も里には戻るけど、先にオウロにお願いしてこないといけないからね。里にはここを降りてった方が早いんだ。ちょっと険しい道だけど、ジールなら大丈夫でしょ」
簡単に言ってくれるが、ガウスの指した方向は道無き道と言った感じだ。木々が入り組んでいて、普段なら通りたいと思えないが……。
「早く戻らないと、碑文の謎を解く時間がなくなっちゃうよ。……僕も一緒に行ってあげたいけど、フィーネ一人待たせるのもね」
そうなのだ。族長に提示された時間は今日いっぱい。あまり時間を無駄にする訳にもいかない。
「……ここから、そのオウロとやらの居場所までは遠いのか? 俺も行って、二人で里に戻っても良いと思うが」
「うーん……。遠くはないけど、里までは遠回りかな。ほら、ジールも見たでしょ。あのツリーハウス。あそこにオウロは住んでるんだよ」
ああ、里の外れにあったあれか。あそこからなら里まではそんなに遠くないが……。
「ここからツリーハウスまで一時間。オウロにお願いして、里に戻るのも込みなら二時間はかかるかな。だけどここを真っ直ぐ進めば三十分で里に出られるよ」
俺の渋い表情を読んだのだろう。ガウスは淡々と時間配分を告げてくる。確かに状況を説明してお願いとやらを聞いてもらうのには時間がかかるだろうし、ここで別れた方が効率的ではある。
ただ、それは俺が迷わずに里に辿り着ければ、の話だ。
「……本当に真っ直ぐ進めば良いんだな?」
「勿論。多少なら方向から外れても里が見えてくるはずだよ」
「……わかった。その一時間半は確かに大きいからな。オークもいないし、この森はお前達の庭みたいなもんだろう。素直に助言を受け入れるよ」
「うん。じゃあ僕は僕で急ぐから、また後でね」
そう言い残すと、ガウスはさっさとツリーハウスへと向かって行ってしまった。残されたのは、この険しい道を前に立っている俺だけだ。
まったく。これで遠回りだったら恨むからな。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あ、ジール。おかえり。……ってなんか汚れてない? 実はまだオークが居たの?」
ガウスの言う通り、三十分くらいで里に戻ってくる事が出来た。正確には、まだ里の中央には至っていないが、集落が見える程度には近付けている。そんな俺を迎えたのは、何やら不穏な言葉を残したリオだ。
「いや、オークはやはり討伐出来ていた。この汚れは予想以上に道が険しかっただけだ」
そう。ガウスが指した道はえらく入り組んでいた。歩き慣れているとはいえ、入り組んだ木々に鎧が擦れた事もあって、俺の白く輝く鎧には薄っすらと汚れの跡が付いていた。まあ、傷だらけになったわけでもないし、少し拭けば落ちる程度だろうが。
「ふぅん……。世界に遍し火水土風の精霊よ、アタシに力を貸して。『清潔魔法』」
リオがそう呟くと、俺の身体をブクブクと泡が包んでいく。泡が消える頃には汚れはすっかり消え去っていた。
「あ、ありがとう」
何も言わずにこういう事をする奴だと思っていなかったから、思わず声が上ずってしまう。な、何か要求されるのだろうか。
「いいのよ、別に。汚れた鎧で動き回って欲しくなかっただけだから」
なんか妙に優しいな。……魔術の話が上手くいっていないのだろうか?
「シャルウィルはどうだ?」
「まあ、いきなり魔法に出来るならここまで来るほど悩んでないわよね」
そう言いながらリオは首を横に振る。やはり難渋しているようだ。まあそうだよな、と思い頷き返すと、リオは唇を噛みながら目を吊り上げている。
そ、そんなに上手くいっていないのだろうか?
「それに、あのムカつくエルフ。……何がこれが碑文の全てだ、よ! 全然足りてなかったわ!」
と思ったらライヴィの方だった。どうも残されていた文字は、ライヴィの語ったそれだけじゃなかったらしい。
「シャルちゃんが魔術の講義を受けてる里の中央に例の碑文があったの。ついでに周りを見てみたら、コレよ」
そう言ってリオは一枚の紙を差し出してきた。メモのようだな。どれどれ……。
「『四匹の獣は、それぞれ使命を果たすべく顕現す。黒き獣はその勇ましき心と力強い姿で、護るべき存在を背負った。蒼き獣は友を助ける嘶きを上げ、朱き獣はその嘶きを糧に我等へと癒しの炎を灯す。しかし、白き獣の雄叫びは何にも届かない』……なんだこれ?」
「里の広場に四つの石像があってね。その台座にあからさまにこんな風に掘られてたのよ。絶対、この前の碑文と関係してると思わない?」
まあ、こんな意味深な文章があったら関連があるように思えるな。
「それで、こっちは?」
俺が指したのはリオの言う文章の更に先。朱雀、玄武、白虎、蒼龍と文字が羅列してある部分だ。
「『朱雀、玄武、白虎、蒼龍』でしょ」
いや、読めばそうなんだが……。どういう意味なんだ。続きの言葉を期待していると、リオは両手を上げて正確な言葉を返さなかった。
「たぶん石像の名前だと思うわ。でもそんな言葉、聞いた事ある?」
「いや、ないな。……これも関係あるのか?」
「さあ……。ただこの文字の下にも色々彫られてたわ。長ったらしくてそこまでメモしなかったけど」
いや、そこが大事なんだろう……。
リオの話だけだとよくわからないが、どうにも関係がありそうだし、実物をしっかり確認したいな。
「なら里の中央に行きましょう。ちゃんと確認した方がいいもの」
「そうだな。……ところで、一つ聞きたいんだが」
「あら、なあに?」
さっさと駆け出しそうなリオを止めて、大事な事を聞いておく。
「なんでお前、シャルウィルと一緒じゃなく一人でこんな所にいるんだ?」
そう尋ねると、あからさまにリオの肩がビクッと震えた。ということは、だ。
「お前、魔術の話を聞くのをサボって里の散策してただろ」
「ち、違うのよ! こ、これは、その、えっーと、ほら! 情報収集よ、情報収集!」
どう見ても動揺しているし、サボっていたのは間違いないだろうが……。情報はたしかに得ているし、あんまり詰めても仕方ないか。
慌てるリオを引っ張って、里の中央へと向かう事にしよう。




