第九話 本音
四人のエルフの後について小一時間も歩いた頃だろうか。不意に、何とも小気味悪い感覚が俺の身体全体を包んだ。例えるなら、全身をヌメッとした膜で覆われるような感じとでも言うのだろうか。何となく、この先に足を出すのに抵抗を受けるような感じだ。
後から聞いた話だが、それがどうもエルフの『結界魔術』の効果だったらしい。行動を阻害するとはまさにその通りだな。
しかし四人はそんなものは意に介さず森を進んでいく。単なる慣れなのか、それともエルフにしかわからない中和方法でもあったのだろうか。どちらにせよ、俺はこの不快感に抗いながら必死に足を出し続けることしか出来なかった。
もっとも、そう長く不快感を感じていたわけでもなく、十数歩も歩けばプツリと全身を包んでいた膜が剥がれていった感じがして助かったが。
そうして『結界魔術』を超えて幾ばくもしないうちに、いかにもエルフが好みそうなツリーハウスが目に映ってきた。
「これは凄いな…」
思わず感嘆の言葉を口にしたが、正直に言ってこんなツリーハウスは見たことがない。特筆すべきはそのデカさだ。元となる木の幹の太さは、さっきのオークの腰回りの倍以上はある。俺の身体で言えば十人が束になっても足りないくらいだろう。どれだけの年月を重ねればこんなに成長するのだろうか……。
「大したものだろう?」
呆気にとられている俺にレオンが話しかけてくる。これがエルフの住処だ、と自慢しているように胸を張っているが、実際、凄いものだ。
「あぁ。こんなツリーハウスは初めて見た。エルフは皆こういった場所に済んでいるのか?」
だから素直に感想を述べたが、何故かレオンはバツが悪そうに口ごもってしまう。
何か変な事を聞いたのだろうか?
そう考えていると、エリノアが代わりに答えてくれた。
「皆がこんな家に住んでる訳じゃないですよ。というか、こんな家に済んでいるのは一人だけです。他の皆は普通に家を建てて生活していますよ」
「そうなのか。いや、それでもこの景色は壮観だな……」
「そうだろう、そうだろう!」
別にエルフを乏しめたい訳でもないし、とりあえずヨイショしておいたが、レオンはすぐに気を良くして鼻歌交じりに進んでいく。それを見て他の三人は肩をすくめて苦笑していた。
「まあ、わかりやすい奴だよな」
「少し、正直すぎると、思います」
「でも素直でなんか憎めないんだけどね」
「私から言わせれば貴方達も充分素直ですよ」
エリノアの言う通り、フィーネもガウスもひねくれてはいなさそうだ。フィーネは話し方を見るに少し引っ込み思案な所がありそうだが……。オーク討伐の時の気概を見れば、やる時はやるエルフなんだろう。
「どうした、置いていくぞっ!」
中々付いてこない俺達に痺れを切らしたのか、レオンが前から叫んでくる。悪い、悪い、とだけ返して道を進む事にした。家が一つ見えたのだし、もうすぐ集落にも辿り着くだろう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
俺の予想通り、ツリーハウスを過ぎてからはすぐに集落が見えてきた。特別変わった作りもしていない普通の木造建築だ。エルフといっても、どうやら俺達とそんなに変わった生活様式はしていないようだ。
「レオンさまっ!」
家の外に出ていたエルフの一人が俺達に気付いて駆け寄ってきた。案の定、レオンは様呼びされているし、この集落では高い地位にいるようだ。
「おお、サルートか。今戻ったぞ」
「おかえりなさいませ。……それで、その男が……?」
サルートと呼ばれたエルフは訝しげに俺を見てくる。別にどう見られても構わないんだが、流石に初対面でそういう視線はどうかと思う。
「うむ。オーク討伐はこのジール殿の策により成功した。もうこの集落が脅かされる事もあるまい」
「えっ!?」
「驚くのも無理ないですよね……。でも彼の言った事は本当です。オーク達はしっかり討伐して、今はこの鞄の中に入っています」
そう言ってエリノアは自らの鞄をポンと叩く。もちろん三匹分のオーク全てが鞄に入っている訳もなく、毛皮や肉類といった素材だけを集めた物だ。
ちなみに、使い切れない分はガウスの土魔術で埋めてきた。エルフの考えでは、そうしておく事でやがて土に還り森に恵みを与えるんだと。
「エリノア様もそう仰るのであれば、間違いのない事なのでしょうね……。しかしこの短時間で殲滅とは……」
サルートはまだ信じられないといった表情で俺を見てくる。騎士団の連中ならオークの三匹ぐらい半日で討伐出来るだろうが、エルフはそうもいかないようだ。レオンと一緒に姫さんを訪ねてきたシェルドさんの言った通り、白兵戦には向いていないらしい。レオンの体捌きが特別だって事か。
「正確には殲滅出来ているかは明日再確認が必要だ。たまたま巣に居なかったオークがいるかもしれないからな」
「そ、そうなの!?」
俺の言葉にガウスが声をあげる。
あれ、言ってなかったか。ああ、言ってなかったな。
「そうだ。とはいえ、フィーネの風魔術で判明した洞窟の広さなら、オーク三匹程度が巣にする大きさだと思うがな」
「じゃあ、また、戦ったり、とか……」
「ないだろう。お前の魔術が正確なら、だけどな」
「だ、大丈夫! です。……たぶん」
少し不安を覚える返答だが、魔術の事なら確実に俺より詳しい彼女が大丈夫と言い切ったんだ。信じておくとしよう。
「ならばジール殿は明日も洞窟に向かうのか?」
「そのつもりだが……。何か問題があるのか?」
「いや、特にはないが……。シャルウィル殿に魔術を教えるという話もあるし、全員で付いていくべきか迷ってしまってな……」
あぁ、そういうことか。
おそらくオークはもういないと思うから、俺一人でも構わないんだが……。不測の事態に備えておく事は必要だな。誰かに同行を頼もうか。
「それなら明日は僕が洞窟についていくよ。中に入るなら僕がいないと不味いだろうしね」
そう言ったのはガウスだ。付いてきてくれるのはありがたいが、最後のはどういう意味だろうか?
「あの辺は地盤が少し緩いんだ。中に入って地崩れでも起こしたら大変だからね。僕の土魔術で補強しながら入った方が安全だよ」
「それは助かるな。じゃあ明日は頼めるか?」
「勿論だよ」
そう言ってガウスは笑った。
しかし、オークを討伐して消耗していた事を考えると、今日無理に洞窟に入らなくて正解だったかもしれないな。無理に進んでいたら、ガウスの魔力が尽きた時に岩盤が落ちてきて支えられなかった、なんて事もあったかもしれない。
「話はまとまったみたいですし、私は家に戻ります。本当、疲れました……」
そう言うとエリノアは集落を更に奥に進んでいく。誰も後を追わないあたり、一緒に暮らしているエルフはいないようだ。
俺もシャルウィル達の方へ案内してくれ、と声を掛けようとした時に、レオンから声があがった。
「エリノアー! 今夜は集まりがあるからな! 疲れていても参加するのだぞ!!」
「わかってますー! ちょっと仮眠したら行きますー!」
そう残すとエリノアは後ろを振り返らずに去っていった。あの様子を見るに、本当に疲れていたのだろう。
「では私達も行くとしようか。ガウスとフィーネも一度戻るのだろう?」
「そう、だね。少し、休んだら、集会所に行くよ」
「僕もそうしようかな。皆にオーク討伐の事を知らせてあげたいし」
「ではまた夜にな。サルートも、またな」
「はい! 討伐、お疲れ様でございました!」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
四人のエルフと別れ、レオンに付いていくと間もなく彼の住む屋敷へと到着した。シェルドさんから若、と呼ばれていたから、それなりの屋敷かと思っていたが、そこまで大きな家と言う程でもない。人が三、四人住むには充分な広さだろう。そんな失礼な事を考えていると、レオンは扉の前に立ち止まり、何やら思い詰めた顔をしている。
入らないのか尋ねようとした時、不意に驚かされる言葉が聞こえてきた。
「その、すまなかったな……」
「……何の話だ?」
「いや、初対面では色々と失礼な振る舞いだっただろ? 自覚はしているのだ。ただ里を守る為と思うとどうしてもな……」
あぁ、急に襲いかかってきたんだったな。まあコイツの言う通り、俺が里を守れる戦力か見極めたいって思いもあったんだろうし、あまり根に持っても仕方ない。
気にするな、と手を振って屋敷に入るのを促すが、レオンはまだ立ち止まったままだ。まだ何かあるのだろうか?
「色々と世話になったな。今度はこちらが力を貸す番だ」
「……今度はどうした?」
いや、本当に。
お前はそんなキャラじゃなかっただろう。もっと、こう、不遜な感じで話していただろうに。そんな事を言われてもびっくりするわけで。
「い、いや、俺はただ礼をしておこうと……」
「だから、気にしなくていいさ。そもそも、今回俺はほとんど何もしていない」
「そんな事は無いだろうっ! お前の知恵がなければ、今頃はまだ森をあてもなく彷徨っていた筈だ」
「あー……。だけどその程度の事だからな。オーク討伐に手を出してはいないし。お前達の力でオークを倒したんだ。……それでいいじゃないか」
「……いや、協力には本当に感謝している。伯爵との約束は別にしても、ジールは信頼に値する人間だ」
この言葉には正直驚いた。
初対面が初対面だっただけに、粗野な印象の方が強かったのだが、意外とレオンは丁寧に感謝を述べてきた。
長い耳を真っ赤にして話しているあたり、普段はこんな話をする奴じゃなさそうだが……。案外、ただ照れ屋なだけなのかもしれないな。
ともあれ、レオンの信頼を勝ち取るには至った訳だ。この流れならエルフの思惑とやらも聞けそうだが……。
いや、それはあまりにも無粋だな。やめておこう。
「なあ、さっき言っていた集まりってなんだ?」
思惑を聞く代わりに、ちょっと気になっていた、後で集まると言う話について聞いてみる。
「ああ。実は俺はこの集落の中では火の一家でな。エリノアは水、ガウスは土、フィーネは風、といった具合に得意な魔術が違うのだ。……今日はそれぞれの家族から代表を出しての集会があるのだよ」
へぇ……。代表同士の話し合いか。それに付いていったら、エルフの集落の思惑もわかるかもしれないな。
「実はジールにも付いてきて貰いたいと思っているのだが、構わないか?」
こりゃ渡りに舟だな。勿論、と俺は二つ返事で引き受けたのだった。




