第二話 騎士達
「世界に遍し火水風土の精霊よ! 僕の魔力に応えろ! 『身体強化』!!」
クインは剣を抜き払うと、一つ呪文を唱えて斬りかかってきた。
唱えたのは、人間に向かって使う事のできる数少ない魔法の一つ。『身体強化魔法』だ。
効果は至って単純で、自分の膂力や敏捷性、巧緻性などを向上させる。そのシンプルさから、戦闘時には騎士達がこぞって使用する魔法でもある。
強化される割合は魔法の練度にもよるが……こりゃ大したことないな。コイツ、親の七光りばかりで、自分で苦心して強くなるなんて事してこなかったんだろう。
本来身体強化に成功した場合には、その対象が魔力によって淡く光輝く。それがコイツの身体はどうだ。殆ど光を放っていない。それだけ、身体強化の練度は低いって事だ。
醜悪と言えるほど肥えた身体の動きは鈍く、そのほぼ見かけ通りの出力の突進を見てから、受けるかいなすか、そう考えるだけの時間があった。
「ハハッ! 速すぎて追い付けないかいっ!?」
どう捉えればそう考えられるんだろうか。
とりあえず、このボロボロの装備で、コイツの手入れされた武具を受けるのは悪手だろう。
フェイントも何もなく、両手で左から右に大きく横薙ぎにされた一閃を、小さく後方にステップして捌く。
「避けたっ!?」
余程心外だったのか、クインは大声を出して驚いている。剣を振り切ってそのままだから、側腹部はがら空きだ。石突きを使って鎧に一撃叩き込む。
ガィン、と派手な音がしたが、あまり痛みは感じていないようだ。その証拠に、すぐに後方に距離をとって剣を握り直しやがった。
「ジィールゥーーー!!!!」
やはりコイツは親の権力を自分の実力と勘違いしているようだ。その程度の身体強化で、その程度の剣の技量で、騎士を、あまつさえ『班長筆頭補佐』を名乗ろうと言うのだろうか。よっぽど第三騎士団の雑用の方が鋭い太刀筋をしている。
クインは一吠えすると、馬鹿の一つ覚えのように再び突進してきた。そして、愚直に左から右に横薙ぎ。
「他に技を知らないのか?」
先程と同様に小さく後ろに捌き、こちらから返す技は少し変化を付けてやった。
当然ながら、武具の差は歴然としてある。金に飽かせて、優秀な鍛冶職人に打たせたのであろう鎧には、俺のボロ槍の一撃では傷一つ付いていなかった。
だが、連撃ならどうだ。
繰り返し、側腹部を石突きで打つ。打つ。打つ。
またしても激しい金属音が鳴り響いた。流石にあれだけ打ち込まれれば、鎧の中にも振動があったのだろう。今度はたたらを踏んで、後ろに下がっていった。
一方で俺の槍はと言うと、柄の辺りにヒビが入ってきている。技量にはかなり差があるが、装備を含めると無傷とはいかないかもしれないな。
「ジィ~ル……。お前、許さないぞ……。殺す、殺してやるぅ!!」
先程までの余裕は何処に行ったのか。クインの目は真っ赤に血走り、歯を剥き出しにして敵意を向けてきた。
武器がまともなら、それこそ相手にもならないんだが……少し面倒だな。
「そこまでだっ!!」
不意に、部屋の入り口から凛とした声が響き渡った。驚いて声の方へ視線を向けると、そこには俺の理想とする騎士像があった。
口調からは男女どちらともとれたが、その声色はやや高かった。おそらくは女性だろうと思ったが、その想像通り、騎士にしてはやや華奢に見える身体を、白銀に輝く鎧が覆っている。
腰からは両手で扱うような大剣が下がっているのが見えた。鞘には華美に過ぎない程度に――小さな宝石だろうか――意匠があしらわれている。
両の肩から伸びるマントは、何処にでもあるような普遍的な白い物だが、その分、貴族が着る為の衣装性や派手さを重視したものではなく、防寒性や耐久性に富んだ実用的な物に見える。
そう。いつか絵本で読んだ、お伽噺の騎士の出で立ちそのものに見えたのだ。
加えて、彼女の容姿は非常に整っていた。白を基調とした神々しささえ感じるその姿に、一瞬。ほんの一瞬だが、天使かと目を奪われた。
不覚にも、意識を取り戻す切っ掛けになったのはクインだった。ガラン、と音が鳴ったので、奴の方へと再度注意を向ける事が出来た。
クインは既に剣を手から落とし、青白い顔をして目を泳がせている。俺には彼女の詳細はわからないが、やつはどうやら彼女の事を知っているようだ。
「貴公らはこの非常時に何をしている? 他の者は警備を厳重にしてこの城を見回っているのがわからないのか?」
そう言って、彼女は部屋の入り口からこちらに近付いてきた。
神々しさを感じる相手だが、今の俺はこの宝物庫の番兵だ。騎士団に幻滅しているからと言って、今の仕事を全うしない理由にはならない。目の前の、誰だか知らない相手を通す訳にも行かないよな。
そう思い、ヒビの入った槍を構え直す。
「ば、バカ、やめろ!」
不思議なことに、声をあげたのはクインだった。コイツはもう、完全に戦意を喪失しているようだ。膝を付いて頭を下げている。
「……君は、私が誰だか知らないのか?」
「知らないな。アンタが誰であろうと、今の俺の仕事はここの番だ。不審な人間を通す訳にはいかない」
「ほう! 君は番兵だったか!」
俺の言葉に、彼女は何故か険しい顔を解いて笑顔を見せた。何なんだ、一体。
戸惑っていると、彼女は膝を付いて震えているクインを指差した。
「すると、こうか? 君はそこの金色が宝物庫に入ろうとしてきたので、武力を持って反撃していた、と」
全く淀みのないその言い方に、俺は静かに頷く。彼女はフム、と思案すると、今度はクインに向かって話し始めた。
「では、金色。貴公は私を知っているようだ。嘘がためにならない事もわかるだろう? 何をしていた?」
「い、いや……それは…………」
「大方、この宝物庫の中身でも暴こうと考えたのだろう? 違うか、クイン卿」
「ど、どうして僕の名を……!?」
「騎士団にはおよそ似つかわしくないその金色の鎧。君のお父上であるハランマド子爵が嘆いていたよ。息子はどうにも形ばかり気にして良くない、とね。それでも我が子は可愛いとも言っていたが……」
「と、父様が!?」
どうもこのやり取りを見る限り、この女性も御貴族様のようだ。それも、クインの父である子爵と同じか、あるいはそれよりも上の身分のようだが……。
「素直に過ちを認めるならこの場は見過ごそう……。勿論、彼への謝罪も含めて、だが」
クインは、ギリと歯軋りをして俯いている。まあ、十中八九、俺に謝罪するのが気に食わないのだろう。奴の言うところの、庶民だからな。俺は。
「…………すまなかった」
「お、おう?」
余計な事を考えていたら、急に謝罪の言葉が出てきたので思わず返事してしまった。
まあ、これで手打ちでもいいか。どうせこの仕事が終わったら、もう騎士団に拘る必要もないんだ。アテはないが、御貴族様に関わらない様な仕事を探すとしよう。
「フム。まあ、良いだろう。君も、もういいな?」
「あ、ああ……」
「ならクイン卿、貴公はもう行け。先程も言ったように、今は非常時だ。一人でも警備の手が多い方が良い」
「は、はい!」
そう言うとクインはさっさと部屋から出ていった。去り際、こちらをギラリと睨んでいたが、まあ知ったこっちゃない。アイツ程度なら、また絡まれてもあしらえるだろう。
しかし凄いな。普段はあんなに傲慢な奴が、素直に謝罪していくとは。
「…………君、名前は?」
「え、あ、ジールだ。ジール。姓はない」
そうだった。まだ彼女はこの場に居た。ちょっと変な返事になってしまったが、彼女は特に気にする様子もなくこう続けた。
「そうか。ジール、君は命に従いよくやってくれた。かなり激しく打ち付けたようだが、槍は大丈夫か?」
「槍は、大丈夫? です。はい。あ、あー……。何て言うか、その……」
「フフっ、構わないよ。元は私も平民の出だ。話しやすい言葉を使うと良い」
彼女は俺の喋りにくそうな感じを見抜いたようだ。
しかし有難い。正直、俺は敬語とかそういうのが苦手だ。よくわからないと言っても良い。庶民だからな。
「あー、じゃあ御言葉に甘えて……。この槍はもう駄目だと思う。けど、元々がグズグズの中古品だったから別に気にしてない。近距離用の短剣も準備してあるし、今日一日くらいは何とかなると思う」
「そうか。準備がいいな」
後は挨拶の言葉を交わして、彼女は去っていく……と思いきや、何故だか腕を組んで俺をジロジロと見ている。なんだか見定められている様で居心地が悪い。
御貴族様に口調の事で因縁をつけられるかもしれないのに、つい、耐えきれなくなって口を開いてしまった。
「なぁ、何を見てるんだ?」
「何と言うほどでもないが……。君の装備は随分傷んでいると思ってな。よくあの金色に勝てたものだ」
「騎士団で使い古しの物だからな。それに、アイツの腕じゃどれだけ良い装備をしても宝の持ち腐れだ」
そう告げると、彼女は下に俯いて肩を震わせていた。
同じ貴族の事を馬鹿にされて怒ったのかと思ったが、暫くすると、ククッと声を出して笑いながら顔をあげた。
「君は面白いな。そんな不遜な物言いをして、貴族の報復が怖くないのか?」
「俺に身寄りはないし、直接俺を狙って来るのならなんて事はない。まして、相手がアイツならな」
「フフっ……成程、彼が相手ならどうにでもなる、とね。実際、今の君の姿を見ればそうなんだろう」
そう言うと彼女は納得したように頷いている。ただ首を上下に動かしているだけなのに、妙に洗練された動作に見えるのは何故だろうか。
平民出身だと言っていたが、御貴族様の位があがると皆こうなのか?
彼女はまだ部屋から出る素振りを見せていないし、機嫌も良いようなので気になっていた事を尋ねてみた。
「ところで……。アンタ、何者だ? クインがあんだけ素直になるのは、かなり上の身分の人間なんじゃないか?」
その質問に、彼女はキョトンと目を瞬かせたが、そうか、まだ名乗っていなかったか、と小声で呟き俺に向き直った。
「私は、一応伯爵を名乗る事を許されている。あの金色の父親である、ハランマド子爵より一つ上の身分だな」
伯爵様か。しかし、そんな身分の高い人間が騎士団に居るものなのか?
疑問に思いその事を尋ねてみると
「まあ、私は王立騎士団の人間ではないからな。この紋章に見覚えはあるか?」
とマントの襟元を指差した。よく見れば、十字に一本横線が増えた紋章が印されている。
「十字は……たしか教会だったよな。けどそれに一本増えた物は聞いた事がないが……」
「まあ、あまり目にする機会は無いだろうからな。これはダブルクロス。教会の中でも、教義を説くのではなく、戦いに身を置く者に渡される印だ」
「戦い……ってことは」
「うむ。『神殿騎士』という奴だな」
神殿騎士。たしか教会が持つ武装組織の一員だったか。背信者とかに裁きを与えるために作られたのだとか。
「今回の事件……ああ、君と金色の話じゃないぞ? 脅迫状の方だ。その犯人が『異端審問官』などと名乗っていてな。勝手にそう言う事をされると困るんだと」
「それは……教会の上の人間がってことか?」
「そうだ。私も正式な叙爵はまだだからな。今のうちに使える者は使っておこうと言うことだろう」
なんか、教会も大変なんだな。上の人間に使い走りをさせられるあたりに、同情を禁じ得ない。
「そんな顔をするな。叙爵すれば領地の運営があるからな。これが最後だと思ってのんびりやるさ」
どうも顔に出ていたらしい。しかしどう言葉をかければ良いのかも、よくわからなかった。
彼女との間に微妙な沈黙が流れ、居たたまれなくなった俺は、すまない、と一言告げて部屋の出口を指し示す。
「そうだな。のんびりしすぎるのもよくない。此処等で区切りをつけよう」
そう言って彼女は歩いていく。最後に、俺に背を向けたままだったが、彼女の言葉が聞こえてきた。
「君の命を守る姿勢はとても好ましく思ったよ。王立騎士団にも君のような人間が多いと良いのだかな……。まあ、この調子で頑張ってくれたまえ」
そして、彼女は部屋から去っていった。
好ましいと女性に言われたのは初めてだ。まして、天使を思わせるような美人から寄せられたものなのだ。舞い上がる気持ちの一つもある。
部屋に一人残り、揚々と槍の具合を確かめているとはた、と気付いた事があった。
俺、伯爵様の名前聞いてないじゃん。