第三話 来訪
モリーさんに押し出されるようにして館へと戻された俺だったが、既に館は目と鼻の先だった。こうして応接間の扉の前に立つのに、五分とかからなかっただろう。
さっさと扉を開けないのは、姫さんの来客とやらに検討がつかないからだ。誰が来ているのかしっかりとモリーさんに確認しておくべきだった……。
普段は穏やかなモリーさんがあれだけ慌てていた事を考えると、来客者は相当に位の高い人物と想像できる。しかも姫さんは伯爵とはいえ辺境伯だ。それよりも位の高い人間なんて……。
考えただけで身震いする。モリーさんから言葉使いなんかを教わってはいるが、無礼だと捉えられたりしないだろうか……。
別に俺だけの問題なら気にもとめないが、レイアード辺境伯の教育問題なんてことにされたら、姫さんにあわせる顔がなくなってしまう。
いや、大丈夫だ。普段の練習通りやれば、問題ないはずだ。俺は王様とも話したことだってある。あの時だって別に何ともなかったしな。
コンコン、と小気味良い音をたてるように扉をノックする。いきなり扉を開けては失礼だと言っていたはずだ。それと、入る前に声をかけるんだったよな。
「失礼する」
そう言って扉を開いた俺の目に、まず飛び込んできたのは主たる姫さんの姿だ。今日も変わらず天使のように神々しい。
隣には『解析魔術』を使いこなすシャルウィルの姿があった。彼女はここ最近は姫さんの給仕や魔術の研究をしている。どうにも魔術の研究には煮詰まってしまっているらしく、顔を合わせば悪態をつかれる事が増えていた。勿論、流石に今日は黙って一瞥されただけだが。
いや、視線に何かトゲを感じるな……。
何か仕出かしたか?
別に部屋の入り方に問題はなかったはずだが……。
あ、黙って入ってきたから何事かと睨まれているのか。
「……レイアード騎士団の騎士ジール、命に従い馳せ参じました」
恭しく片膝をついて頭を下げる。
このあと頭を上げて良いと言われるまではこのままだったよな。
「来賓の方はそういうのは気にしないそうだ。面をあげたまえ」
姫さんからすぐにそう言われ、素直に顔を上げると今度は来客の面々が目に入ってくる。
この時、飛びかからなかった俺は騎士失格なのだろうか。
すっと目に入ってきた老人。
この人は別にいい。
姫さんの来客にしては、小綺麗な割に妙に装飾品の少ない格好である事と、耳が長い事を除けば、いたって普通の老人だ。
問題はもう一人。
痩せた身体ながら、袖から覗く腕は筋骨隆々としている。切れ長の目から放たれる威圧感は、まさに野生動物が与えるそれを彷彿とさせた。
この野生を、俺は知っている。
同じ服装に、あの特徴的な耳を間違える筈もない。
「どうかされましたかな?」
まさか取り逃した男が姫さんの来客だったとは思わず、呆然としてしまっていた俺に老人が声をかけてきた。
しかし、何と答えたものか……。
「そうか、ジールはエルフと会うのは初めてか?」
「ええと、はい。こうしてゆっくりと話すのは初めてです」
困っていた俺に姫さんからの助け舟が入った。
その舟も行き先が少し違うのだが、とりあえず話題を繋げる事には成功する。
「儂等はあまり人前に姿を出しませんからなぁ……。まあ、一つよろしくどうぞですじゃ。儂はシェルド、そっちの若いのがレオンですじゃ」
シェルドと名乗った老人は、後ろに控えた男を指差し柔和な笑みを見せる。紹介されたレオンとやらはさっきの態度は何処にいったのか、何食わぬ顔でペコリと頭を下げてきた。
「あ、ああ……。ジールです。こちらこそよろしく」
思わずそう言葉を返してしまい、先程の事を追求する機会を失ってしまった。二の句も告げずに黙ってしまう。
「そうあまり緊張などなされなくとも結構ですぞ? 何せ儂等はジール殿にお会いしに来たのですからな」
俺の沈黙を緊張からと捉えたのか、シェルドは顎の下まで伸びた髭をさすりながらそんな事を言う。しかし俺に何の用があるというのだろう?
「シェルドさん方は、私の領地となった森に昔から暮らしていたそうだ」
「先住民って事ですか。……まさか領地を明け渡せとでも?」
「まさか! そんな話をしにきたのではないのですじゃ」
先住民と聞いて、領地を奪いに来たのかとも思ったがどうもそうでもないらしい。シェルドはかぶりを振って話を続けた。
「儂等は人間族の領土争いには興味がありませんからな……。誰がこの地を治めようと、自然を大切にしてくださればそれで良いのですじゃ」
エルフは自然を愛し、自然のままに暮らす事を良しとしているとかって噂があったな。どうもこの言い分だと、噂はその通りのようだ。
「……御老公、さっさと本題に入られては?」
「む、若はせっかちでいかんのう……。儂等の在りようと言うものを、もっとつぶさに伝えてもいいじゃろうに……」
「……御老公」
何やらもっと話したそうなシェルドを、レオンが窘めている。静かな圧に、シェルドは渋々と話し始めた。
「……どうやら儂等の集落の近くにオークの群れが棲み着いたようなのですじゃ。幸いまだ被害は何も出ておらず、早目に退治した方が良いと思うのですがなぁ……。何と言うか、儂等とて決して無力ではないのですが……。相性が悪すぎましてなぁ……」
シェルドはバツが悪そうに頭をかいた。
ああ、成程。エルフは本当に噂通りなのか。
たしかにオークは容易くない魔物だが、エルフの魔法を使えばそこまで苦戦はしないだろう。それはあの若とか呼ばれたレオンの『身体強化魔法』の練度が証明している。
火、水、風、土。
あれだけの『身体強化魔法』の練度なら、どんな魔法だろうとオークを殺すだけの威力は発揮できる筈だ。それを渋るという事は、つまり……。
「……森に影響を及ぼすのが嫌、と」
「その通りですじゃ……」
考えを指摘すると、シェルドは肩を落として答えた。やはりエルフの魔法は強力な分、自然への負担がデカいようだ。
「……ならば『身体強化魔法』を使って白兵戦を仕掛けては?」
「お恥ずかしい話、エルフは魔に長けても武芸には秀でてはおりませんですじゃ。近接での戦いともなれば、まともに相対するのも難しいので……」
シェルドはうなだれたままそう零す。最後の方は掠れて何と言っているのか聞き取れなかったあたり、彼等の事態は深刻そうだ。
何とも言えず静まり返ってしまった応接間に、じゃが! とシェルドは手を打って明朗とした声をあげた。
「儂等もどうにかしたいと思い王立騎士団に嘆願しに行ったのですじゃ」
「王立騎士団って……。王都まで行ったのか? あ、いや行ったのですか?」
驚いて素が出てしまったが、シェルドは手を振り、無理に苦手な言葉を使わなくとも良いですじゃ、と言ってくれた。
有難い事だが……。気を引き締めねばなるまい。今の俺は姫さんの騎士なのだ。
「さて、王都まではエルフの隠れ里を結ぶ『転移魔法』を使いましたからな。然程、苦にはならなかったのですじゃ。そうして王立騎士団で嘆願してみれば、確かに魔法も使わずにオーク討伐を成した騎士が居たと言うのじゃが……。既にこのレイアード卿のお抱え騎士になっておるという話でしたのでな。王都からの帰り道そのままで失礼ながら、こうしてレイアード卿の御屋敷に御邪魔させていただいたのですじゃ」
「そのまま来たからと言って、何も気にする事はない。オークの被害に遭ってからでは遅いからな」
姫さんの言葉に目をやると、彼女はコクリと首を縦に振った。
姫さんの思惑は、つまりそういう事なのだろう。
俺としてもオークを討伐するのは吝かでないが……。
これだけは確認しておかなきゃならないな。
「レオン殿の体捌きならオークの討伐は行えるでしょう? 何故俺を?」
その言葉にシェルドは暫し呆然としていたが、何かに気付いたようで目をカッと開くと、今度は顔を蒼白くして震えはじめた。
「お、おい……」
「わ……若ぁ〜!? 貴方という人は、また無茶をやりましたなっ!?」
あまりに態度が変わるもんだから心配して声をかけようとしたが、どうやらシェルドはレオンのやった事がわかったようだ。額に青筋を立ててレオンを怒鳴っている。
「今回の件は儂に一任すると言っていたでしょうっ!! 何故いつもそうやって勝手に飛び出されていかれるのか!」
「……魔法も使わずにオークを相手取るなんて人間がいると聞いたら、どんな者かよく見てみたくなるのも仕方あるまい?」
「この話合いに来る前に散々聞いてきたでしょうに!!」
「だが大抵は尾ひれ腹ひれが付いてくるのが噂話だ。私は自分のこの目で確かめたかった」
「だとしても順序が……」
「……ちょっと待ちたまえ。ようやく話が見えてきた」
エルフ二人は声を大にして言い合っていた。段々とその距離は近くなり、あわや顔がくっつくのではないか、というところで姫さんが待ったをかける。
「ジールの言い分も合わせると、つまりレオン殿は私はおろか、シェルド殿にも無断でジールと手合わせをしてきた、という事か?」
「そうなりますな……」
顔に手を当ててうなだれたのはシェルドだ。あのやり取りを見た限り、レオンに振り回されてばかりなのだろう。心底、頭が痛そうだ。
「確認しておくが……。ジール、手合わせしたのはレオン殿で間違いないのか?」
「間違いないかと」
「それはどういった経緯で?」
「領地の警らをしていましたところ、彼が私を確認した後に飛びかかってきましたので応対しました。それと、これを……」
そう答えながら、俺は拾っておいた短剣を姫さんに差し出す。意外にも、姫さんより先に反応したのはレオンの方だった。
「おぉ! それは私の短剣だな。ちゃんと持ってきてくれて助かる!」
姫さんの手に渡った短剣を見て、レオンは呑気にそんな事を言っている。
どうもコイツは状況がよくわかっていないようだ。
ハァ、と溜息をついて姫さんはまとめはじめた。
「どうやら、ジールとレオン殿が手合わせしたのは間違いないようだ。……シェルド殿、私達は貴公らを手を取り合える隣人として接する予定だった。しかし、領主に無断で騎士団に飛びかかるのはどういった了見なのだろうか?」
静かに話し始めた姫さんに、シェルドは慎重に言葉を選んでいるようだった。
まあ、傍から見れば侵略者みたいな行為だもんなぁ。
だというのに、レオンは自由気ままに口を開いた。
「オークを本当に討伐出来る実力があるのか、私が直に見極めたのだ。ジール殿は確かに実力者であった!!」
「それは、私の騎士をふるいにかけたという事か?」
「言い方は悪いが……。そうなるな」
「……シェルド殿」
「……は」
シェルドは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていたが、姫さんに声かけられて姿勢を正した。それは従者が主人へみせる態度のそれとよく似ていた。
レオンは最初に御老公なんて呼んでいたからシェルドの方が目上の存在かと思っていたが、無理にレオンの言葉を遮らないあたり、レオンの方が位が高いのかもしれないな。
「先程言った通り、私達は貴公らと友人になれるよう接するつもりだった。だが貴公らがそういった態度で私達と接するのであれば、私達もそうせざるをえまい」
「そ、それは……」
慌てるシェルドを待たずに姫さんの口は動き続ける。
「私達はオーク討伐に騎士ジールを貸し出そう。では、貴方がたは私達に何をしてくれるのだ?」
おそらくシェルドはこんな展開にならないように交渉するつもりだったのだろう。俺が来る前に話をしていた姫さんも最初は、何も言わずに引き受けてやれ、と言わんばかりだったしな。
こういった交渉事になったら引き合いに出されるのは、エルフならではの特産物。エルフの妙薬、魔法薬として噂される類のものだろうか。噂だとどんな傷も病もたちまち癒やすとか。いや、噂にはひれが付くんだったな。
「そうだ。私から提案しよう。エルフは魔法に長けた一族なのだろう? ならば私達に魔法を教えるのはどうだろうか?」
「魔法、ですじゃ?」
何を交渉材料にしようかと考えていた様子のシェルドは、急な申し出に声が裏返っている。
「ああ。私達にも魔術を魔法に昇華させたい人間がいる。その手助けをしてもらうというのはどうだろうか?」
「アレクシア様!」
「いいんだ、シャルウィル」
さっきまで黙って姫さんに付き従っていたシャルウィルが前に出てきたが、姫さんに窘められてまた一歩後ろに下がる。
シャルウィルからすれば驚きだろう。どう考えても、この提案は『解析魔術』を使うシャルウィルの為のものだ。
「と、いう事はその少女が?」
「そうだ。どんな魔術かはまだ言えないが、より良い暮らしをするのに役立つ魔術だと、私は思っている」
シェルドはふむ、としばし顎に手をやると、よく伸びた髭を再びさすりながら考えているようだ。
「爺、魔術を魔法にするのは我等一族にとっても悲願。他者にかまけている余裕なぞ……」
「若は黙っていてくだされ」
「む……」
レオンがまた拗れそうな一言を言いそうだったが、シェルドに一睨みされ素直に腕を組んで黙った。
一分程、そうしていた頃だろうか。シェルドは考えがまとまったようでパンっと手を打つと、大きく顔を綻ばせた。
「レイアード卿の申し出通りに致しましょうぞ!」
「そうか。なら此度の件はこれで終了だな。あとは日取りだが……。被害が出る前の早い方が良い。ジール、明日からエルフの住む森に行って、オークを狩ってこい」
「承知!」
正直に言えば、準備の事を考えると明日というのはかなり急だ。だがやらねばなるまい。それが主から受けた命を守る騎士たる務め。
「では儂等は明日、森の入口で待っておりますじゃ」
「シェルドさん達も来るのか?」
「我等の住む森だからな。任せきりという訳にもいかない」
「それに魔術の手解きの件もありますでな……」
あー、流石に道の途中でちょっとって訳にもいかないだろうしな。教えを乞うのであれば訪ねて行くのが道理。場所がわからなければ訪ねようもないし、道案内も兼ねてる訳か。
「ではレイアード伯爵、この度は大変失礼しましたですじゃ。……ほら、若もっ!!」
「痛っ……。う、うむ。今日は時間を取ってもらい大変感謝する。私も明日を楽しみにしているぞ。では、失礼する」
そう言って二人は部屋を後にしたが……。
「ジール、君は残れ」
当然、俺にも事情聴取はあるよなぁ……。




