部屋に入ると『殿下』が必ず女装しているのは――。
浮気、謀略、色仕掛けと様々なことが脳裏を駆け巡るが、
『情事』を及ぶ直前を思わせる煽情的な『下着女』を目の前にしたとき、人はどのようにリアクションするのが正解なのだろう。
深夜。
誰もが寝静まった時間に、疲れた体を押して婚約者のキリシュ殿下の寝顔を覗きに行けば、
私――エルザ・エインヘルは不覚にもドアノブを握ったまま、固まることしかできなかった。
これでも剣聖と誉れ高き騎士を輩出するエインヘル家の末席だ。
緊急事態に対処できなければ意味がないのだが
さすがに鏡の前で謎のポージングしている見知らぬ女性の対処方法など学んでこなかった。
最近忙しくてなかなか時間を取れなかったから今日くらいはと、なけなしの乙女心を振り絞ってみればこのざまか。
入室する際にノック忘れた私にも非はあるが、それにしたって婚前を控えた私よりも先に他の女に手を出すとは……。
これまで王たる者はどういったものかそれこそ口を酸っぱく忠告してきたというのに。
「あの軟弱殿下ときたら、いったい何を考えているのでしょうね」
ミシリとドアノブが歪み、ぶわりと全身から闘気が立ち昇る。
まさかあの臆病者に裏切られる日が来ようとは。
『血染めの剣聖』と名高い貴族令嬢の私を差し置いて他の女に浮気する殿下の度胸には恐れ入ったが、気の毒なのは目の前の彼女だろう。
「どこの貴族の令嬢かは知らないが、私と鉢合わせたのが運の尽き。ずいぶんと舐められたものだな」
この私の武勇伝を知っているのなら、その選択だけは絶対にしてはいけないと理解していように。
恋は盲目とは言うが、目にボタンでもついているんじゃなかろうか。
まぁとにかく――
(どうしてくれようか)
赤髪のスレイダーな肢体をこれでもかと晒し固まっているが、貴族の令嬢なら絶対に遭遇したくない現場ナンバーワンなのは間違いない。
まさか野鳩を食おうとして、己が喰われる側に回るとは考えていなかったのだろう。
まぁNTRの途中に剣を帯刀した女騎士が現れれば驚くなと言う方が無理があるが――ちょっと待て。
あの燃えるような赤髪と鷹を思わせるような鋭い目つき、どこかで見たことがあるような……
そうして図らずも私の手から零れ落ちた書類が、カサリと不吉な音を立てたところで『ハダカ女』の肩が大きく盾に揺れ――気づいたときにはもう遅い。
「あ、ちょ、待ってくだ――」
と言う私の制止も虚しく、緩やかに開いた静寂は時を取り戻すかのように急速に巻き戻り、
キリシュ・ローゼンクライツ『殿下』の口から絹のような悲鳴が炸裂するのであった。
◇◇◇
恋人の『女装』現場を偶然見てしまった時、人はどう反応するのが正解なのだろう。
衝撃的な光景を目の当たりにした翌日。
寝不足と罪悪感に苛まれ、人生最悪の目覚めともいえる私の下に届いたの物々しい恨み言が殴り書きされた一枚の書状であった。
まぁ昨夜あれだけの珍事を目の当たりにしたのだ。
当然なかったことにできるはずもなく――
「エルザ・エインヘル。今日限りをもって貴様との婚約を破棄する!!」
婚約者であるキリシュ・ローゼンクライツ殿下の住まう王城に赴いてみれば、貴族間お決まりのテンプレともいえる婚約破棄宣言を叩きつけられるのであった。
豪奢と品格を綯い交ぜにしたような内装のローゼンクライツ城――王宮の間。
本来、有事の際にしか使われない王宮の間には、何事かと状況を理解できていない貴族たちで溢れ返っていた。
さっと視線を走らせれば、さざ波のように騒めく動揺に、困惑の色が見え隠れする。
当然だ。私と殿下の関係は周りが羨むほどうまくいっていた。
それが突然の婚約破棄。
それこそ狼狽えるなと言う方が無理からぬことだが、
「恐れながら殿下。エルザ・エインヘル殿との婚約破棄の意味を本当に理解していらっしゃいますでしょうか?」
「無論だ。奴が我ら王室派以上に民の心を掴んでいるのは理解している。だがこれは余の今後の問題なのだ宰相!! 無関係な貴様は口を出すな!!」
宰相バルセルクの訴えに殿下の声高な一喝が飛ぶ。
周りの「またか」と言う反応から察するに『殿下お馴染みの突然の気まぐれ』のように考えているかもしれないが今回はガチなのである。
騎士として主君を正せなかったという忸怩たる思いと、さらに頭の痛い宣言を前に堪らず額を押さえて小さなうめき声を漏らす。
うう、周りの視線が痛い。
戦場に置いて肉体的責め苦など日常茶飯事な私だが、やはりこの身は人の子。
責め立てるような視線に居たたまれなさで胃が痛い。
婚約者、キリシュ・ローゼンクライツ殿下の口からもたらされた婚約破棄宣言。
それは王室派閥と騎士派閥の同盟決裂を意味していた。
騎士として殿下に仕える以上。私はあらゆる忠誠を殿下に誓っている。
そこに裏切りは絶対にありえない。
主である殿下が戦場で死ねと言われれば、この身が朽ち果てるまで戦う所存だ。
だけど――
「何か異論があればもうしてみよエルザ・エインヘル。貴様と余の仲だ。一度くらい慈悲を与えてやってもよいぞ」
私の能面が気に入らないのか、キッとあからさまに尖った殿下の挑発の視線が突き刺さる。
ああ、今回ばかりは意志が固そうだ。
いつものように一喝するだけでは簡単に考えを変えてくださらないだろう。
まずは下手な地雷を踏む前に一つ確認しておかなければ。
「殿下。とりあえず婚約破棄の件は脇に置いておいて、まずは殿下が私にお怒りな理由を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ふん、白々しい。貴様は昨夜、無断で余の寝室に訪れ、余の心を辱めた。それ以外に余が貴様に婚約破棄を申し付ける理由があるか」
「やっぱりそれですか」
早々に頭を抱えてみせれば、ぎゃーぎゃーと喧しく吠えたてる殿下の声が聞こえてくる。
不敬と処罰されても仕方のない蛮行だが、今はそんなことに構っていられる余裕はない。
正直あれはそう、なんというか不慮の事故と言うやつだ。
私だって出来れば知りたくなかった。まさか殿下に『女装』趣味があったなんて――
でも王族の威信を傷つけたともなれば、追放処分も致し方なし。
処刑される覚悟もできるというものだが――
「いくらなんでも、あれは予想外です」
◇◇◇
時は殿下『女装』疑惑ッッ!?の前に遡る。
日々の疲れを癒すべく、たまには殿下の寝顔でも覗きに行くかなと思った私は、
生娘もかくやと言わんばかりの悲鳴を叩きつけられ、その場に押し倒されていた。
すさまじく衝撃的な出来事があって一瞬記憶が飛び、なにが起こったのかわからないという珍事態に巻き込まれてはいるが、とにかく今重要なことは――
「えっと――もしかしなくても貴女。キリシュ殿下で、ありますか」
「うわぁああ忘れろぉ、忘れるのだぁ!! 余はキリシュ・ローゼンクライツでも何でもないのだぁ」
恐る恐る問いかければ、まさかの反応に今度こそ思考が蒸発するかと思った。
いつもより若干声が高いが、このアホみたいな口調とパ二くり方。
間違いなく殿下そのものだが、
「まさかあの殿下に女装趣味があろうとは……」
「んなわけあるかあああああ!! こっちだって好きであんな格好してるんじゃないんじゃああ!!」
少女も相当パニくっているのだろう。
ガシガシとせっかく整っている髪を搔き乱しては、その小さな拳をやたらめったら打ち付けてくる。
といっても重さゼロに等しい威力なので、羽でなでつけられる程度の感覚しかないわけだが、
ちょっと待ってください。
そういえば先ほどから何かとスルーしておりましたが、殿方にあるべきパーツ。
ひいては男性の象徴的なナニカがないように見えるのですが……
「えっと、もしかしてその――殿下は女性であらせられるのですか」
「きゃあああああああああああああ!!」
「ちょ――いきなり肘ですか!?」
ビュンと飛んでくる肘鉄を飛び退くように身をひねれば、羞恥から一転。顔を真っ赤にし毛を逆立てるような下着姿の殿下(ピンクのフリルが可愛い)の姿があった。
ふーふーと息を荒くし、どこから取り出したのかその手には鋭い短剣が握られている。
「うう、貴様ぁあああよりにもよって余の秘密を。知られたからには死んでもらうぞぉおお!!」
「ちょ、短剣持ってパ二くるのはおやめください殿下!? 本当に危ないですって!!」
「うるさいうるさいうるさい! 貴様が余の婚約者とて、お主を殺せぬと思うたか。秘密を知られたからには生かしておけぬ。いまここで余自ら制裁を降してやるぅ――ッ!!」
「ああもう、落ち着いてください!!」
「ひゃん!?」
そうしてビュンビュンとがむしゃらに振り回わされる短剣の軌道を見切り、すかさず殿下のモチモチお肌をひっぱたけば、
思いのほか可愛らしい悲鳴と共に、殿下の身体が簡単に崩れ落ちた。
とりあえず危ないので短剣は没収するとして、気遣うように殿下の下に駆け寄れば、その大きな瞳に大粒の涙が溢れ出した。
うん、正直、弱い者いじめしているようで罪悪感がすごいです、ハイ。
「殺す。お主を殺して余も死んでやるうううウうう!!」
「いや、殿下。確かにノックせず入ってきた私にも非はありますがいくら何でも今回ばかりは鍵を掛けなかった殿下にも非があるのではないでしょうか」
「うっさいわばーか。そもそも貴様がこんな夜更けに無断で余の寝室に入ってこなければ、こんなことにならなかったであろうが!! なにが王国最強の騎士じゃ。人の寝こみを覗き込むケダモノではないか!!」
「あーもうそれじゃ、私の所為でいいですからとりあえず泣き止んでください。次期国王がみっともない」
「みっともないとはなんじゃ!?」
そうして懐から手ぬぐいを引っ張り出せば、殿下の顔に優しく当ててチーンさせる。
ぐじゅぐじゅになった顔もこれで少しは見れたものになったが
「というかその反応、女装趣味で去勢したとかそういうことじゃなく本当に女の子だったんですね」
そう言ってそっと大きなため息をついてやれば殿下の肩が激しく上下する。
嫌な沈黙が室内を支配し、問い詰めるように殿下の方を見れば、あからさまに視線を逸らされてしまった。
まぁ言いたくないのはわかるが、見てしまったものは仕方がない。
殿下にも並々ならない事情があるのもわかるし、相手は王族。
武芸一つで成り上がってきた貴族の娘にはわからない事もきっと多いだろう。
でも――
「いい加減この私にもわかるように説明してください殿下。
いくら幼少のころからの付き合いとはいえここまで見てしまったからには限度がありますよ」
「ううっ、お主には、婚約者のお主にだけは知られたくなかったのに……」
「私は貴女に忠誠を誓った身。どんなことでも受け入れる覚悟があります。ですからどうか真実をお話しください」
そう言って恭しく膝をつけば、むむっと唇を横に引き絞る殿下。
その口から諦めのため息が漏れ聞こえたかと思うと、観念したかのようにポツリポツリと真実が語られた。
「お主も知っての通り、我が国は王族が竜の血を受け継ぐことによって繁栄しておる。
竜の魔力が大地を豊かにし、人は竜を崇めることで竜の存在を確かなものとする。
竜の血が途絶えぬ限り我が国は永遠の繁栄を約束されている訳だが……実は先々代。
祖父のロイ・ローゼンクライツの代から子が生まれにくくなっているいう話を聞いたことはあるか?」
「い、いえ。私たち騎士団はどんなことがあっても王家ローゼンクライツの御子をお守りするために存在するとおじい様から聞かされてきましたが、まさか――ッ!?」
「そうじゃ、呪いじゃよ。マルリク帝国の奴らは我がローゼンクライツに男が生まれぬよう呪いをかけておったのだ」
竜の血脈は代々子に引き継がれる。だが、それはあくまで世継ぎが男であることが条件だ。
キリシュ殿下にも竜の血は引き継がれているだろうが、その特異なチカラは歴代の王に比べてずっと弱い。
竜の血脈が薄まることは国の衰えを意味する。
今までは国土の豊かさと竜の加護によって他国の侵略を撥ね退けてきたが、世継ぎができないのであれば話は変わってくる。
マルリク帝国はそのことを見越して、百年にも及ぶ無謀な戦争を仕掛けてきたのだろう。
全ては竜の加護によって守られたこの土地を奪い去り、自分たちが竜と契約を結ぶために。
「念願叶った御子が女子と知って父上もだいぶ気が滅入ったであろうな。
望まれた御子が女子と知れば民だけでなく兵士の士気にも関わってくる。余が生まれた頃から帝国は我が国と戦争をしていたからのう。我が国に弱体化の兆しありと知れば、奴らは間違いなく攻め込んでくるであろう。
だから父上は次の御子が生まれるまで余の性別を偽ったのじゃ」
だが陛下の容体が急変。
そのまま新しい世継ぎを作ることなく眠るのように息を引き取られた。
「結局、父上の正統後継者は生まれず、余は男として育てられ、いずれ生まれてくるであろう男児のための繋ぎとして生きていくことなった。仮初の王とはいえ余は女じゃ。子は生せる。
あとは余の身体が成長すれば終わりじゃったのじゃ。じゃが――」
「じゃが?」
そう言って首を傾げれば、若干俯いた殿下の口から消え入りそうなほどか細い声が聞こえてきた。
「生理がの、来ないんじゃ」
「え――ッ!?」
顔を真っ赤にして語られる衝撃的な告白に思わず、顔にモーニングスターを喰らったような心地にさせられる。
それはつまり――
「十中八九、マルリク帝国の呪いの所為じゃろうな。ちなみにこれは腹心の宰相であるバルセルクにも言っておらん」
「それは、なんというか不味いのでは」
「うむ、不味い。余が生きている間はまだ持ちこたえられるだろうが、余が死んだあと。この国がどうなるのかは余自身にもわからぬ」
殿下との初の顔合わせの頃「実はお主との婚約も本来ならば父上がするはずだったのじゃ」と聞かされてかなり驚いたことがあるが、これはそれ以上の衝撃だ。
殿下が抱えていることを全部話してくれと言ったが、なんだこの重さは
と言うかそれで私が陛下の妾として婚約される予定だったのですか。
てっきり、殿下の護衛役とし採用されるための冗談とばかりに思ってましたけど……
「それもあるがお主は剣聖である前に聖女としての性質も持ち合わせている。父上はお主と交われば、マルリクの奴ら呪いも平気なのではと考えたのだろうな」
「というとやはりこの呪いは王族のみに掛けられた呪いなのですね」
「そのようじゃの。まぁお主に竿でも生えておればまた違った結果になったのだろうが。どのみち余の卵が死んでおっては意味がないか」
「いや、タマゴとか生々しい表現辞めてください殿下!!」
ほら、種だけ蒔けばあとは勝手に育つじゃろ、と言ってみせるあたりかなり吹っ切れてますね。
まぁなぜ性別を偽ってまで生活しなければならないのかは分かったが、
「だったらなんで女装など。国に殉ずる覚悟をするのでしたら女物の服を着るなど未練にしかならないのでは……?」
「それは、その――国に全てを捧げたとはいえ余の身体と心は女じゃ。たまには人目に憚らずオシャレを楽しんでもおかしくはなかろう」
そう言って、その可愛らしい頬が羞恥とは別の意味で真っ赤に染まりはじめる。
なるほど、そういうことですか。
でしたら何も私にだけでも打ち明けてくださったらよかったのに。
「それはならぬ。どこに間者が紛れ込んでいるかも知れぬし、王家の威厳が乱れれば国が乱れる。余はこの国の最後の王族として無様を晒すことはできぬのだ。それはお主が一番よくわかっておろう」
「……でしたら私との婚約はどうするつもりだったのですか。私はこんな形でも殿下と同じ女です。肝心のお世継ぎが作れないのでしたら、婚約の意味も……」
「ああ、その辺はぬかりない。世継ぎの件は南方に位置する女部族の村に伝わる秘薬を使うことになっておる。寿命をだいぶ削ることになるだろうが、まぁ背に腹は変えられぬ。これも王族の勤めよ」
「――っ!! まさか、竜と交信するですか!?」
ある種の覚悟の灯った眼差しに、思わず食い入るように殿下の肩を掴み上げる。
南方に位置する女部族の秘薬――アマゾネス。
聞いたことがある。
たしか年に一度だけ、精神体である霊魂と交信するため用いられる秘薬だとか。
まさか殿下はその秘薬を使ってもう一度、竜と再契約をし直そうというのか。
竜種と交信した者は一度だけ願いを叶えることができる。
だけど願いによって消費される代償は、莫大なまでの魔力と生命エネルギーとされており、
元々、魔力の少ない殿下にとっては竜と交信しただけで命が尽きてしまう可能性がある。
「陛下がそこまでなさることはございません。騎士派閥に働きかければ国民の情操などいくらでも――」
「相変わらず余には甘いのぉお主は。じゃがこれは余なりの意地じゃ。男として育てられて十八年、余は男として文字通り全てを捧げてきたのだ。今更、性別がどうので自分の生き方を曲げるつもりはないのじゃ」
「で、殿下……」
あのお子様で我が儘な殿下がまさかここまで成長していようとは。
昔はエルザ、エルザと可愛らしく私の周りをついて回っていたのに。
いつの間にか立派な王様になってしまわれて……
「うう、このエルザ・エインヘル。感嘆の涙で前が見えませぬ!!」
「よ、よさぬか大袈裟な奴じゃの。余とお主は三つしか違わぬくせ……」
「それでも私にとっては貴女は可愛い弟分、いえ妹分です。まさかあの殿下にそこまで深い考えがあったとは露とも知らず、立派になられまして」
「そ、そうかの? 余は立派に父上のあとを継げておるか?」
はい。それはもう立派に!!
「そうか、お主がそこまで言うのであれば……そうなのであろうな」
そう言って私の言葉に照れくさそうに、微笑ましげに頬を掻いてみせるキリシュ・ローゼンクライツ殿下。
ああもう、なんて愛らしいのだ。
こんな状況でなければいますぐ抱きしめてよしよしして差し上げたい!!
「ではな、その――こんな婚約者のお主にこんなことを言うのもあれじゃが……その、な。エルザ。お主に一つだけ我が儘を聞いてもらいたいのだが、よいか?」
「もちろん一つと言わずいくらでもご命じください!!」
貴女さまのためならこの命いくらでも使い潰していただいて構いません!!
「そうか。ではその――今すぐ余と契ってはくれぬか」
「…………………へ?」
堪らず、首肯しかけた動きが堪らず制止する。
しかし現実はあまりにも無情で、目の前の殿下が指を鳴らすと同時に着込んでいた軽装の鎧が消失し、正面からしゅると艶やかなピンクのネグリジェが床に落ちる音がした。
迫りくる熱視線が歴戦の剣聖を一歩一歩後退らせる。
「お主にそっちの気がないことはわかっておる。じゃが、世継ぎのためには代えられぬのじゃ。
余の為だと思って抱かれてくれ」
「え、いや、でも、その――」
「それともなんじゃ? やはりこんな貧相な女には抱かれたくないのかの?」
めいいっぱい瞳に涙をためる殿下の視線に言い知れぬ恐怖が駆け巡る。
まるですべてを委ねてしまいそうな、従ってしまいそうな甘やかな言葉。
鼓膜が、脳が、本能が痺れ、いまにも溺れてしまいそうになる感覚に私は初めて恐怖した。
いつも手のかかる弟くらいの立ち位置で面倒を見てきた。
婚約者なのだからいずれ『そういうこと』をするのはわかっていたし、覚悟もできていた。
でもそれがいまなんて――
そうして徐々に迫る唇を受け入れようと、ギュッと固く目を瞑り
「えっと、エルザ? この手のひらは一体……」
そう言ってどこか艶やかに火照った顔で首を傾げる殿下の姿に、今度こそ私の本能が耐えきれず悲鳴を上げた。
「え、っと、そのすみませんでしたああああああ!!」
「へ?」
馬乗りになっていた殿下を小脇に置き、生涯最速の全力ダッシュを決め込む。
ドキドキした心臓が早鐘のように鳴り響き、気付けば私の身体は蹴破るように部屋の扉をぶち抜いていた。
そしてポツンと一人、部屋に残された殿下の呆気にとられたような表情を視界の端で捉え、
「な、な、な――このばかものがあああああああああああああああああああああああ!!」
と寝静まった夜の安らぎをぶち壊すように、落雷の如き怒号が城に響き渡るのであった。
◇◇◇
人生初の告白。
いままでは殿下の婚約者と言う立場もあり、そういった誘いを受け来なかったためか
その拙い『お誘い』は想像以上に私の心を揺さぶっていた。
正直、可愛かったし、弟分にあんな魔性な一面があったとは思わなかった。
思わず受け入れてもいいと思ってしまった自分がいるのも確かだが、
それ以上に殿下の告白に生娘並みに心を搔き乱した自分を恥じ入る気持ちの方が強かったのだ。
だからこそ、みっともなく逃げ帰ってしまったわけだが――
「ううっ、私、騎士なのに殿下の期待に応えられず逃げちゃったよぉおお」
最愛の人の告白に応えられず、無様に逃げ帰ったヘタレチキンことエルザ・エインヘルはわいわいと喧しく騒ぎ立てる行きつけの酒場で飲んだくれていた。
ゴクゴクとエールを喉奥に流し込んではおっさん臭い仕草でおかわりを繰り返す。
生涯最大の過ちを犯した後のエールのなんと苦い事か。
いっそこのまま酒におぼれて死にたいなど考え、豪快にカウンターに突っ伏していると
席の隣からどこか聞き覚えのある呆れた声が聞こえてきた。
「まったく天下の剣聖様も主を失うとこんなんになっちまうのか。これじゃあまるで飲んだくれの親父じゃねぇか」
「だって、ばるせるく。わたしはわ゛た゛し゛は~~!!」
「はいはい、珍しくヘタ打ってるのは知ってるからとりあえずこれ飲んで落ち着けって、な?」
そう言って、法衣を着た男から冷たい水の入ったジョッキを受け取れば、ごくごくと喉を鳴らして一息つく。
宰相――バルサルク。
学園時代から旧知の中で、若くして先帝陛下の慧眼によって起用されたされた庶民にして王国随一の戦略家だ。
普段は部屋に籠っては戦術書や知識書にかじりついているのだが、今回ばかりは私の失態もあり、彼の知見を頼って、有無言わさずねぐらから引っ張り出してきた次第である。
だが、恋愛のレの字も興味のない引きこもりを連れてきた私が馬鹿だった。
先ほどから散々愚痴ってるが、適当に頷いてはツマミを食べるばかりで何の解決案も出してこない。
というか――
「半分面白がってるでしょアンタ」
「おいおいお前、無理やり連れてきておいてなんつー言い草だよ。そこまで薄情者じゃねぇよ俺は。
俺はいつでもあんたのことを心配してるに決まってんだろうが」
「だったらそのにやけ顔何とかしなさいよ!! 完全に面白がってるじゃない!!」
おう言ってドンと木製のジョッキをカウンターに叩きつければ、「悪かったって真面目に聞くって」とおどけた返事が返ってくる。
ふん。最初からそうやって真面目に対応してくれればこっちだってイライラせずに済んだのに……
「つか聞けば聞くほどアンタらしくもない失態だなオイ。あの戦場で臆する者のいない血染めの剣聖さまが一回り小さい殿下から逃げちまうなんて」
「ううっ、私だって殿下がすごく頑張ってお誘いしてるのわかってたもん。でも考えるより前に身体が動いちゃって……」
「それで逃げちまったと。まぁ普通はそこまでやられたら食っちまうもんなんだが……それにしても落ち込みすぎじゃねぇ?」
「当然よ!! だって婚約破棄よ!? 追放よ!? 明日からどうやって殿下をお守りすればいいのよ!!」
ああ、もう思い出しただけで泣けてくる。
最後の方なんて目も合わせてくれなかったし……。
あの今にも泣きそうで堪えていた顔、相当怒っていたに違いない。
追放処分なんてまさに三行半を突き付けられたも同然の処遇だ。
王家ローゼンクライツとエインヘル家は昔から絶対な信頼関係で成り立っていた間柄だ。
いずれは殿下の騎士として、王を守る盾としてその身をもってあらゆる障害から殿下を守り、王を仇なす者を裁く剣として殿下の治政に支えていくはずだったのに。
「それが無職になっちゃうなんてェえええええ」
「まぁまぁそう鬱になるなって。一体どこの国に自国の最高戦力を追放する王がいるってんだ。どーせいつもの我が儘だよ」
「そんなことない! あれは何としても許さないっていう覚悟を灯した目だった!!」
長年、同じ時を過ごしてきた私だからこそわかる。
あれは何としても邪魔者を排除するという覚悟を持った『支配者』の目だ。
「本当に取り返しのつかないことをしてしまった。穴があったら入りたい……」
これが東洋で言うところの『後悔先に立たず』と言うやつか。
いずれは殿下を身近でお守りするための政略結婚。
来るべき日が来るまで、いつまでも殿下の御傍で仕えることができる。
そう思ってたなのに――
「もう一度きちんと話し合えば、考え直してくださるだろうか……」
「いやさすがにいますぐは無理だろうな。だって必死の告白を前に逃げちゃったわけだし」
「そーなんだよねぇええええ」
決闘を挑まれて逃げ帰る騎士がどこにいる。
どんな形であれ、殿下の言葉を受け入れていたらこんなことにはならなかったといのに……
「まさか殿下が殿下でなく、王女殿下だったとは――いや確かに宰相の協力なくしては隠し通せない事情だったわけだけど、それにしたって貴様の所為で!!」
「ちょ、お前八つ当たりで俺に当たるんじゃねぇ!? すげーデリケートな話題なんだから秘密を知る者は少ないに越したことないに決まってんだろう!!」
「だからって私をハブることないだろうが!? 私は殿下の婚約者だぞ!!!!」
「くっそこれだからテメェとは飲みたくなかったんだ。雑な酔い方しやがって!? つーか十年間以上、殿下の守護者しといてなんで気づかなかった!! ふつー気づくだろ!?」
「それを言うなぁ!! 貴族の女の子よりヤンチャだったから男の子と思ったんだよぉ!!」
思い返せば婦女子らしい傾向はたくさんあった気がする。
男性にしてはやけに髪の手入れに気合を入れたり、覗きの為か女子トイレからコソコソ出てきたり。道端に落ちた潰れたゲジゲジに悲鳴を上げるなんてこともあった。
当初愚かで白痴な私はそれが殿下の女々しさからくるものと思っていたが、
それが全部、殿下が女性であったとなれば説明がつく。
「うう、どうして私はこんなにも愚かなんだ」
「お前その酔うと人がまるっきり変わる癖いい加減どうにかしろよ。いつもはクソ真面目な堅物のくせに酔うとあざとくなってすげー絡みにくいんだよ」
「これはもう私の癖だ、もう治らん。それよりも――ああ、殿下。ヘタレな私をお許しください」
そう言って自分の愚かさを罰するようにゴンゴンと頭をカウンターにぶつけることしばらく。
私の口からたった一つの贖罪の言葉が零れだした。
「どうやったら殿下が女の子として過ごせる日が来るだろうか」
「それは……キリシュ様の代じゃ難しいだろうな。
いまの時代、平和で賢い名君より戦乱の、それこそ苛烈な暴君が求められている。
殿下が実は女王でしたなど知れたら、それこそ殿下の言う通り兵の士気が下がる一方だ。
それは騎士派のお前が一番よく理解しているだろう」
「だってぇぇえええ」
殿下は、彼女は女としての自分を捨てきれていない。
きっと、このまま戦争が進めば、殿下がおしゃれをして街中をうろつくなんて機会は永遠に失われることになるだろう。
その時、殿下はこの長い生の中で心の底から笑うことはできるのだろうか。
(いや――できるはずがないッッ!!)
現にどんな感じで周りに聞き耳を立てれば、『キリシュ殿下は落ち目だ』『頼りない王についていけない』『王家の時代は終わりだ!! 我ら騎士派が全てを変えてみせる』といった話題でいっぱいだった。
貴様ら、殿下がどれだけ心を砕いてこの国に支えているのかわかっていないのか。
そもそもこの戦争がここまで長続きしているのは帝国の侵略を止めきれていない、我ら騎士派の落ち度だというのに……、
結果、私の中に積もりに積もった苛立ちは頂点を振り切り――
「お、おい大丈夫か? さすがに飲み過ぎたんじゃ――」
「あああ、もう。うるせえええええええええええええええ!!
そこに直れ貴様ら。このエルザ・エインヘルがその根性を叩き直してくれる」
暴発した撃鉄のようにカウンターを叩いて立ち上がり、全身から立ち込める殺気を隠さず背後を睨みつける。
ガタガタと武器を取っては、何事かと腰を抜かす部下たち。
まさか上官である私がこんなしみったれた酒場で夜を明かしているとは思ってもみなかったのだろう。
一瞬、そのへっぴり腰が立たなくなるまで修行と称した制裁を叩き込みたくなったが必死に堪える。
「バルセルク、全ては私が愚かだった。こんな簡単なことに気づけなかった自分が不甲斐ないッッ!!」
なにが剣聖だ。なにが騎士の誇りだ。
主の苦悩も知ることもできず、ただ己の騎士道を是として殿下に押し付けていただけではないか。
私は、私でやらねばならぬことがある。ならば――
「私は殿下の剣だ。彼女を叶えるためなら何でもする」
「お、おい。エルザ、馬鹿な真似はよせ、いったいなにする気だよ」
「クーデター。この国に革命を起こす!!」
「はぁ!?」
「この軟弱な国を根本から鍛え直す。そのためにまず、殿下の首を取ってきます」
そう言って、懐から多すぎる金貨をカウンターに叩きつければ、
慌てたように旧友の制止を振り切り、私は先ほど追放された古巣、殿下の待つ夜の城へと歩き去るのであった。
◇◇◇
きっと婚約破棄も私の将来のことを考えてのことだろう。
そう思えるようになった頃にはすっかり酒も抜け、清々しい気分で私は城門の跳ね橋を吹っ飛ばしていた。
婚約破棄されたとはいえ『元』婚約者。
嫁を取り返しに来たといえば聞こえはいいがむしろ半分、開き直った女と言うのはもはや無敵に近い生き物だった。
一度、エインヘル家に戻って『身支度』を整え城に訪れれば、戦場でもないのにやけに気合の入ったフル装備の私を見た兵士たちの悲鳴が上がる。
一応、あんなのでもわたしが手に『死』を育てて鍛え上げた可愛い元部下たちだ。
「お、おとまりください先生!!!!」とガタガタと丁重にお帰りを願う部下たちの矜持を刀剣の錆にすれば、派手な警告音が鳴り響く。
ズンッズンッコパーと後ろに積み上がる屍を乗り越え、まっすぐ目的地まで歩いていけば、
王宮場内まさに戦々恐々と言えるほどの大混乱に陥っていた。
飛び交う伝令はどこか地獄の底でも垣間見たように震えており、
『剣聖が裏切った!?』だの『殿下をお守りしろ』だの『もうおしまいだあああ!!』などの情けない報告が飛び交う始末。
まぁ今晩、警備を担当している部下たちには申し訳ないが、これも私の幸せの為。
大人しく国の行く末を支える柱となってくれ。
そして半ば泣きじゃくりながら飛び掛かってくる障害の全てを悉く打ちのめし、撥ね退け、捩じり伏せることしばらく。
私は見慣れた部屋の前に立っていた。
そっと胸に手を当てればやけに心臓の音が大きく聞こえてくる。
どうやら柄にもなくかなり緊張しているらしい。
実に派手な『夜這い』となってしまったが、正面突破は騎士の作法。
ここで対応を間違えれば、私は永遠に殿下に合わせる顔がなくなる。
「大丈夫。どっちにしろもう後戻りはできないのですから」
きっとハチャメチャに怒られるだろう。今度こそ殿下の恩情も虚しく、命はないかもしれない。
でもやってしまったものは仕方がない。
ならばあとは自分らしく生きるしかない。
「今度こそ――、間違えない」
襟を正して、部屋の扉をノックする。
返事はない。
でもその沈黙が彼女の返事を物語っているようで、大きく息を吸い、一息に重たい扉を開け放てば、
「エル、ザ? 何故お主がここに……」
驚いたように顔を上げる殿下の姿があった。
あからさまに意気消沈していたのか、その目元がやけに赤い。
きっと私を思って泣いてくださったのだろう。
そうだったらどれだけ嬉しいか。堪らず「殿下ッッ!!」とそのまま殿下のもとへ駆け寄ろうと一歩、前に踏み出せば、
「来るな痴れ者がッッ!!」
と鋭い静止の命令が私の足を縫い留めた。
恐る恐る殿下の様子を窺い見れば、そのどこか儚げな鋭い目尻に怒りの色を現れていた。
「貴様、昨夜よくもあれだけの事をしでかして余の寝室に顔を出せたものだな。
非常事態にかこつけて戻ってきたようだが、――いったいなんのつもりだ!!」
ふーふーと肩を震わせ、恨み言のような言葉の数々が鉛玉のように飛んでくる。
気丈に振る舞おうとしているのか。それとも興奮しているのか。
寝間着姿にも関わらず、立ち上がり、吠え立てる殿下の姿はまるで王宮で私を追放処分にしたときのような拒絶の雰囲気を感じさせた。
でもだからと言って引く気はない。
それに殿下に縋りつく前に、まず私にはやらねばならぬことがある。
「殿下、そのままで結構です。どうか私の話を聞いてください」
「ふん。そんなことを言ってうやむやにするつもりじゃろう。余はここから逃げんぞ!! お主がなにを思ってこの部屋に訪れたか知らぬが、余は――」
と言いかけたところで、殿下の言葉が唐突に止まった。
「エルザ、それは一体何のつもりだ」
「命乞いです殿下。戦場では敵意のない者、勝負に負け、情けを乞う者は皆、こうするのです」
そう言って顔を上げれば、改めて驚き目を見開く殿下と目が合った。
きっと誰かが床に額を擦りつけて、命を乞う現場など初めて見たのだろう
かくいう私も、誰かに『命乞い』をしたのはこれが初めてだ。
でもそうしなければならないと私の魂が理解しているからこそ、咄嗟に出た行動だった。
「殿下、この間は大変申し訳ありませんでした」
突然の謝罪に驚いたのか。思わずといった様子で口を閉じる殿下。
私を睨みつける視線には未だ拒絶の感情が浮かんでいるが、それでも身体の奥底から困惑の様子を隠しきれていなかった。
どうすればよいのかわからず、かといって容易に許すことのできないからか、堪らずといった様子で殿下の口から震えた声が零れ出した。
「き、貴様。余を見くびるのも大概にするのだ!! 謝ればすんなりと許してもらえると思うたのか!! 余がその程度のちっぽけな謝罪で許すはずがなかろうが!!」
「ええ、殿下のお怒りはごもっともです。
私もこれまで多くの女性を泣かせてまいりましたが。こんな夜更けに一人、愛する人を悲しませるくらいならみっともなく縋りついてあるがまま直接謝ればよかった」
「――っ!? ど、同情で気を引こうなどもう遅いわ愚か者めッ!!
余と貴様はすでに他人同士なのだ。それに余は貴様にどこぞなりとも消え失せろと言ったはず。
それをなぜ、なぜ今頃になって――」
咳を切るように歯を食いしばるキリシュ殿下。
でも最後の言葉がどうしても吐き出せないのか、苦しそうにえづくばかりで、見ていられなかった。
今すぐ駆け出したい。
力いっぱい抱きしめて、ごめんなさいと謝りたい。
でもそれは私の身勝手な後悔が生み出した結果だとわかっているから、グッと拳を割らんばかりの情けなさと後悔に耐え抜く。
そして――ようやく落ち着きを取り戻したのか。
どこか冷静で恨みがましい視線が私に突き刺さり、どこか落胆したようなため息が一つ。寝室に寂しく響いた。
「それで……婚約者でもないが貴様ここにいる。侵入者が入ったのであろう? 部屋の前にいた兵士はどうした」
「殿下に会うと伝えたら、邪魔しに来たので斬り捨てました」
呆気からんと首肯してやれば殿下の方から驚きの声が上がる。
「味方の兵士を斬り捨てただと!! 貴様いったい何をやっておる!? まさかこの騒ぎ――お主が原因なのか!?」
「ええ、汚恥ずかしながら殿下に会いたくなってつい力が入ってしまって」
「ついではないわ!? 余はてっきり王国に潜んだ手の者がお主の不在を知って動き出したものとばかり……」
そう言って、殿下の視線が震えた右手に向かう。
そうか。それで護身用の短剣を握っていたのか。
確かにこのご時世。侵入者があったとなれば真っ先に暗殺を疑うのは道理だ。
ましてや敵は長い時を掛けてまで王族に呪いをかけ、王国を滅亡の窮地に追い詰めたマルリク帝国。
敵国の最高戦力が国外追放処分を受けたとなれば、イチかバチかで行動してもおかしくない。
でも――
「ご安心ください殿下。ここには貴女を害する者は一人もいません」
「それでは、なんじゃ。お主はいった何をしに余の下まで来たというのだ」
「それは――仲直りしに来ました」
そう言って自然に零れ出た笑みを殿下に向けると、正面から息を呑む声が聞こえてきた。
「なか、なおり――じゃと!? お主、たかがその程度のことで敵味方問わずこれだけの騒ぎを引き起こしたというのか?」
「お叱りはごもっともです。でも私は貴女さまに会うために本気で国を落とす覚悟できたんですよ? そのくらいしなければ嘘というものです」
それに味方を切り捨てたというのは少々語弊がある。
これは野外奇襲訓練。
精々足腰が断たなくなる程度まで特訓してあげただけだ。
いつもより気合が入って激しめに剣を振るってしまったが、まぁたぶん生きているだろう。
いまとなってはこの愛らしい殿下に会うための踏み台になってもらったわけだが……
「本当に、エルザなんじゃな。偽物でも影武者でもなく、余の愛してやまない従者の――」
「ええ、貴女さまのためにここまでする大バカなど、私くらいなものです」
「ふっ、自惚れも大概にせい、馬鹿者が」
そう言って殿下の顔が皮肉気に歪み、跪く私へと震えた手のひらが伸びる。
ドクンドクンと心臓が大きく波打っているのがわかる。
一刻も早く殿下と触れ合いたい。一刻も早く殿下の体温を感じたい。
でもその待ち焦がれた右手も、私の頬へ触れる寸前で微かに止まり――
「殿下?」
堪らず顔を持ち上げれば、右手を抱えるようにして殿下の表情が苦々しげに背けられた。
「余に、余に会うのが目的ならば、もう目的は果たしたであろう。
余はお主の謝罪は受け入れた。これ以上――お主に掛ける温情などない。この場で処断されたくなければ、即刻立ち去れ」
背を向けるようにして語られる声が僅かに震えている
王としての矜持か、はたまた意地か。
確かに、私はこれまで口を酸っぱくして王と言うあり方を殿下に求めてきた。
王は間違いを起こさない。
それはこの世に指導者が持ち合わせる絶対的なルールであり、象徴だ。
王は間違いを犯さないからこそ、国の指導者として君臨できる。
それが悪しき正義であれ、良き偽善であれ、王は民の為に存在する。
きっとこの場で間違っているのは私の方なのであろう。でも――
(私は貴女の真の欲望を知ってしまったから――)
己の中に根付いた騎士道をかなぐり捨てて、不敬と知りながら殿下の身体を包み込むように抱きしめる。
すると腕の中で驚きの声が上がり、誰にも聞かれないようそっと耳元に唇を近づけた。
「エルザ、いったい何を……」
「殿下。いやキリシュ・ローゼンクライツさま。わたしは貴女の抱えている秘密を知っています」
そっと語られる言葉に、殿下の肩が大きく強張っていくのがわかる。
僅かに引き攣った横顔は、恐怖と戸惑いを孕んでおり、まるで私の言葉の真意を探りかねているようにその可愛らしい眉をひそめ、
「まさか、その事実を盾に、余と取引しようというのか」
「いえ、そんな面倒なことをするくらいならわざわざこんな格好をしてまで夜這いになど来ませんよ」
「ならばいったい貴様の目的はなんだ。いったい何をしにこの場へ――」
「ふっ、だから何度も言ってますでしょう。……貴女と仲直りするためです」
毅然とした声色で静かに語り掛ければ、握った手をゆっくりと離し「失礼します」と一つ一つ鎧を脱ぎ捨てていく。
そして殿下の持つ短剣を右手に、後ろで結わえ付けた黒く長い髪を一房握ると、
訳の分からないと言いたげに眉を顰める殿下の口から一転。悲鳴のような声が聞こえてきた。
「お主、まさかそれは――」
「ええ、これが貴女と今後付き合っていくための『俺』なりの覚悟です」
ブツリ、と髪を断ち切る感触が右手に伝わり、はらりと男物の軍服の上から滑り落ちた。
「お主、なんてことを……」
ガクリと膝から崩れ落ちるように床に座り込み、口元に手を当てる殿下。
黒く長い髪が床に落ち、さっぱりした頭がやけに軽く感じる。
首元がやけにスース―するが、自己満足に、我がままに己の迷いを断ち切ったせいだろうか。
慣れない軍服を着るために、膨らんだ胸をさらしで潰しているためか少々息苦しいが、それでも気にならないくらい誇らしい気持ちでいっぱいだった。
だけど――その私の覚悟をお気に召さなかったのか。わなわなと震える殿下の表情が徐々に嚇怒の色に染まっていき、
「貴様、余の思いを、余の覚悟を侮辱する気か!!」
「いいえ、殿下。先ほどもいいましたが、これは俺が貴方の隣でして生きていくための覚悟の証明です。貴女が、今後国のために女を捨てるのなら、俺は貴方の為に女を捨てます」
「だからそれが馬鹿にしているというのじゃ!! お主がいまさら女を捨てたところで何の解決にも――」
吠えたてるように迫りくる殿下の言葉を無言の圧力で封殺する。
強引に唇を奪い、黙らせる。
柔らかい体温を食むように丁寧に舐めとれば、戸惑いから一転。大きく見開かれた瞳に動揺の色が浮かび上がり、次に胸板に強い拒絶の衝撃が走った。
「貴様、なにを――」
「ですからこれは夜這いだと言ったでしょう殿下? これはあの日逃げてしまった俺なりの答えです」
「こ、これがその答えだと!? こんなものが、余の覚悟をあざ笑うような行為が、あの日の答えであって堪るか!! 貴様が男装したところで余と貴様の関係は何も――」
「でしたら殿下はあの日、いったい俺に何をお望みだったのですか!!」
強く、それこそ迫るように一歩踏み込み殿下の腰に手を回してやれば、逃げられないように腰を掴み、強引に引き寄せる。
ジッと見下ろすように殿下の瞳を覗き込めば、泳ぐ視線が全てを物語っていた。
そう――彼女は私に全てを受け入れてもらいたかったのだ。
本当に国を憂い、王としての役目を果たすため私に子を産ませるのなら、あの場でそう命じてしまえばよかったのだ。
たしかに、エインヘル家は剣聖を多く輩出すると同時に聖女の才能を受け継ぐ者が多い家系だ。
女同士の婚約などそれこそ異例ではあるが、少なくとも呪いをどうにかできるくらいの力はまだ残っているのは間違いない。
王家の血族がマルリク帝国によって呪われた以上。
エインヘル家の者と婚約を結び、子を為そうとするのは王として当然の判断だ。
だがそれは先帝陛下が崩御される前の話で――
「違う。そうではない。余がお主に臨むものなどなにも――」
「だったらなぜこの十年以上もの間、私を婚約者としてお傍に置いてくださったのですか!!」
そう言って叫ぶように顔を近づければ、息を呑むような声が聞こえてきた。
そう、それが全ての答えだった。
先帝陛下が崩御されてから十年。少なくとも彼女にはパートナーを選ぶ権利があった。
もし本当に国に殉ずる覚悟があるのなら、少なくとも『婚約者』の役割は女の私でなくてもいい。
密かに男の愛人でも作って、貴族令嬢よろしく子作りに励めばそれで解決したはずだ。
それでも彼女は『それ』をしなかった。
それどころか婚約者である私や家臣にまで自分が女であることを伏せ、男であることをこだわった。
なぜなら――
「殿下は俺を、エルザ・エインヘルを愛していたからじゃなんですか?」
「違う!! 違うのだエルザ。余は、その――。お主が国のために尽くせる者か試すために……」
「もう嘘はやめましょう殿下。もし『私』の為を思って自分の気持ちに嘘をついているのなら、もうやめてください。俺は貴女の傷つく姿を見たくないんです」
私も殿下と同じ女だからこそわかる。
望まぬ愛ほど虚しいものはない。
本当に国のためを思っての行動なら、自分と契れと私に命令するだけでよかった。
でも彼女は私に『選択』を委ねた。
もしそこに『私への気持ちの配慮』があったのだとするのなら――
「もう、十分です殿下。もし本当に俺を好いて、ああ言ってくれたのなら――いまさら性別がどうだの、国の立場がどうだの関係ありません。
たとえ、貴女が望まれた王で、一人夜更けに女装を楽しむ性癖の持ち主であっても俺は――私には、貴女の全てを愛し尽くす覚悟があります!!」
そう言って彼女の肩を抱き寄せれば、僅かに震える唇が答えを欲しがるようにたどたどしく開かれる。
「なんで余の為に、そこまでしてくれるのだ?」
「ここまで言ってもわかりませんか? 『私』も貴女を愛しているからですよ」
あまりに予想外の告白だったのか。
先ほどまで困惑気味だった殿下の顔色が、直視できないくらい真っ赤に染まっていた。
パクパクと唇を動かす殿下。
なにかを喋ろうとしてはいるのが、声が出ていない。
それくらい戸惑っている証拠だろう。可哀想だが、私だって『あの時』はこれくらい驚いたのだ。
だからもう我慢しない。
ここまで来たら私も私の用いる全てで口説き落とす!!
それに――
「よくよく考えてみれば、『俺』は貴方に王として多くのことを期待しすぎました。
帝国をどうにかしろだの、俺の夫となるならもっと王としての自覚を持てだのと無責任に貴女に国の全てを背負わせすぎた。これじゃあ殿下に愛想つかされても仕方ありません」
「な、なにを急に盛り上がっておるのだ、余は別に、お主に愛想などついては――」
「ええわかっていますよ。貴女はそんな度量の狭い人間じゃない。きっといつもみたいになんだかんだ許してくださる。だからこそ――俺はこの機会をうやむやにしたくないんです」
それこそ、これは私なりのケジメだ。
愛する人の一世一代の告白から逃げてしまった自分へのケジメ。
「だからキリシュ。もう一度、俺にチャンスをくれないか。
君が君らしく生きるための手伝いを俺にさせてほしい。俺なら誰よりもお前を理解してやれる。お前の望むことをすべて叶えてやれる。お前を幸せにしてやれる」
少し苦手なオシャレだって一緒に付き合うし、
小うるさい宰相たちに内緒で王城を抜け出し、城下街でショッピングを楽しむのだっていい。
戦争が終わり、国が安定したら少し遠出して新婚旅行にしゃれ込むのもいいかもしれない。
「俺がこの手で壊してしまったものを、やり直すチャンスが欲しい。
貴方がどちらを選んでも俺は全てを受け入れる。男でも、女でも俺にとっては等しく愛しい人だ。
だから――俺を、見捨てないでくれ。もう一度やり直すチャンスをくれないか」
気付けば二人の目尻から一筋の涙が零れ出ていた。
情けないくらい、みっともない懇願だ。騎士としてあるまじき告白。
でも私は貴女の隣でいつまでも共に歩いていきたいから――
情けない告白のあと。僅かな静寂に胸を締め付けるくらい静か流れ、
「この、卑怯者め」
と柔らかく微笑む殿下の唇を今度こそ優しく受け止め、誓いのキスが深く交わされるのであった。
◇◇◇
そして数年後――
◇◇◇
短い髪を揺らし、新調したネクタイのタイを締めれば、私――エルザ・エインヘルはキリシュ・ローゼンクロイツ『陛下』が待つ部屋のドアの前に立っていた。
今日は待ちに待った、キリシュ・ローゼンクロイツ陛下の戴冠式。
マルリク帝国との終戦を迎え、無事、国の内政が軌道に乗ってきたからこそできる行事だが、
まさかこの終戦協定が結ばれたタイミングで、ついでに私の守護者叙勲式まで行われることになろうとは思いもしなかった。
まぁそれも『婚約者』である私の活躍を喜び、国民の前で褒めてやりたいという、よくわからない独占欲と我が儘を炸裂させた結果なので、純粋に喜んでいいものかわからないが――
「それでも殿下、いえ――陛下の思い付きに振り回されて嬉しいだなんて、私も――いや、俺もずいぶん現金な性格になったものだな」
そう言って小さく笑みを漏らせば、大きく息を吸い、気持ちを整える。
なにせ約3ヶ月ぶりの王都帰還だ。
本来ならば一か月程度で陛下の下に舞い戻るはずだったのに、約束をすっぽかして三か月もかかってしまったのだ。
これも全ては宰相バルセルクのサボりの所為だ。
かといってせっかくの戦後処理を放置するわけにもいかない。
ということでここまで時間が掛かってしまったわけだが、
「身支度に、不備はないはず。髪も大丈夫、よね」
胸ポケットから取り出した姿見で、己の身体を念入りに確認する。
仮にも今日は、陛下の守護者として認められる大切な日。
陛下を守る剣として情けない姿を民草に見せるわけにはいかない。
別に久しぶりに会う恋人にガッカリされたくないとか女子力に目覚めたとかそういう訳ではないのだが、
「これでよし、と。それじゃあ、あとはメイドに任せて……」
「どこ行こうというんじゃああああああああああああああ!!」
なんか気まずくなりそうな未来、および臆病風ないし、戦略撤退を図ろうとしたところで――
扉があっさり押し開かれ、部屋の中から愛しい人が飛び出してきた。
まるでどこぞの喜劇のような計算されたタイミング。
おそらく扉越しに聞き耳でも立ててたんだろうけど、
「エルザ!! お主、久しぶりの再会だというのに挨拶無しに逃げるとはどういうことじゃ!!」
と目の前に現れた恋人のあまりにも衝撃的な姿に私は言葉も忘れて、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
視界いっぱいに広がる恋人の純白のウェディングドレス。
そこには代々、ローゼンクロイツ家に連綿と受け継がれている格式高い礼服はそこにはなく、
その手にはまるで天使の羽を思わせるベールに、白いバラと百合で統一されたブーケが握られていた。
咄嗟に陛下のお腹を庇うようにキリシュの身体を受け止めれば、純白のドレスふわりと空気を孕む。
そしてその隙間を縫い付けるかのように不意に熱い接吻が私の唇を攫っていき、
「遅い。もう間に合わぬかと思ったぞ」
「すみません。もう2度と殿下にちょっかい出せないようにコテンパンにしてたら時間かかってしまいました。これでも急いで帰ってきたつもりなんですよ?」
「ん、まぁ間に合ったから許す。というかもう殿下じゃないんじゃが……それよりもまず余の姿を見てまず言うべきことがあるんじゃないかの?」
ジト目で睨みつけられた。
ああもう、この人は。式典まで時間がないというのに!!
とりあえず色々と言いたいことはあるが、
「その、とっても綺麗です……」
自然に零れた感嘆の言葉に堪らず息を呑むと、振り返りざまにキリシュ陛下と目が合いその幻想的なまでに整った顔が花が咲いたように綻んだ。
よっぽど嬉しかったのか、ぐりぐりと額を擦りつけてくる。
でも――
「メイドに戴冠式用の礼装を準備させたはずですが、どうしてこのタイミングで花嫁姿のお出迎えなんですか」
「ふっふっふー戴冠式に参列する前に、婚約者であるお主に一番に見せたかったのでな。ちょっと秘密裏に取り寄せてみたのじゃ」
いや、「どうじゃ? 可愛いじゃろ?」じゃありません。
心臓に悪いのでほんっっと止めてください。襲いますよ?
「まぁ待て待て。そういきり立つでない。これはいわゆる余からお主への婚約祝いの贈り物というやつなのじゃぞ?」
「贈り物?」
「その通り。なにせ今宵の披露宴はお主の叙勲式と余の結婚式も兼ねておるからの。
余の為に頑張ってくれたお主に何かご褒美があってもいいと思ったのじゃ」
「だからってこの姿が他の者に見られたら今までの努力が全部水の泡じゃないですか。もう立派な指導者なんですからそこら辺の自覚を持っていただかないと困りますよ?」
「余の花嫁姿を見れぬお主が不憫で密かに取り寄せたのじゃが、気に入らなかったか? お主好きじゃろ、こういうの」
「いやたしかに好きですけど……」
宰相に相談してまで無理やり推し進めたから結構大変じゃったのじゃぞ?
と言ってみせるあたりあのサボり魔も片棒を担いでいたようだが、なるほど。
あの妙にしつこい終戦処理はそういう意図があったわけですか。
「まぁ見事にサプライズは成功したわけじゃが、その、やっぱり怒ってるかの?」
「……怒ってるか怒ってないかと言われればもちろん怒ってます。でも殿下、いえ――陛下の幸せそうな姿を見たらもう怒れないじゃないですか」
「ふっふっふ~~、そうなることも全て織り込み済みよ。これで少しは余の気持ちも理解できたのではないのか?」
――? どういうことです?
「ヤレヤレこれだからニブチンは……。お主は他の令嬢に目移りせぬように気を配る余の気持ちを考えたことはないのか? お主、髪を切ってから社交界の婦女子からそれなりに人気なのだぞ。少しは夫を安心させる何かをプレゼントしてくれてもいいのではないのか」
「つまり――証が欲しいと? でも、証ならすでにここに――」
「わかっておる!! じゃがやっぱりそれなりに不安なのじゃ。余がこれからしばらく表に出れぬからとはいえ、浮気は許さぬからな」
どこか顔を真っ赤にして、指を突き付けてくるキリシュ陛下。
そうか。慣れないサプライズなんてするから何事かと思えば、そういうことか。
でも安心してください。最初から周りの女性なんて眼中にありませんよ。
私の愛する人はキリシュ・ローゼンクロイツ陛下ただ一人だけです。
それに――
「ドレスの件は単に自分が着てみたかっただけでしょう?」
「ふふ、バレたか」
ペロッと可愛らしく舌を出してみせるキリシュ陛下。
ああもう、この方は自分の可愛らしさをわかっていない。
貴女が女王だとバレたらどれだけの周辺諸国の貴族たちが貴女に婚約を申し込んでくると思ってるんですか。
まぁ、そういう意味では、この特別な陛下の『女装』姿を満喫できるのが私だけと言うのはかなり嬉しかったりするのだが、どこか抜けている陛下のことだ。
それなりに念を押しておいても損はあるまい。ということで――
「ぜったいに他のものには見せないでくださいよ」
「わかっておるって。余もお主以外に肌を見せるつもりはない。まったく嫉妬深い嫁を持つと苦労するの」
「それはこちらのセリフです」
そっとウェディングドレスの上から触れるように、少しだけ膨れたお腹を撫でれば、恥ずかしそうに身をよじり、頬を赤らめさせる陛下。
結局、陛下は自分が女であることを世間に公表することはなかった。
女性の格好をするのだってこの寝室だけだし、私の誓いもまだ果たしきれていないことが多い。
でも彼女は私のことを笑って許してくれた。
曰く「お主だけ理解してくれればよい」とのことだった。
(でも、私の待つ未来はなにも悪いことだけではない)
いまはまだ、理解を得られていないだけ。
いつか、愛すべき二人があるがままの姿で堂々と日の下で歩けるようにするため、これまで宰相と一緒に色々と根回しをしてきたのだ。
だから――
「陛下。私、頑張りますからね」
「うん。まってる」
そう言ってドレスがしわにならないように正面からそっと優しく抱きしめてやれば、不意にトンと腹部を蹴られたような気がした。
驚いて目を見開けば、陛下も私と同じことを思ったのか。
クスリと小さな笑い声が共同寝室に響き、その柔らかな目尻にどこか優しげな母性の色が灯った。
「もうすぐですね」
「ああ、もうすぐじゃな」
そして改めてお互いの体温をわけあうように抱きしめ合えば、
ゴーンゴーンと高らかに鳴り響く鐘の音が、私たちの未来を暗示するかのように祝福の歌を歌いあげるのであった。
≪Fin≫
最後まで読んでいただきほんっっっとにありがとうございます!!
感想・ブクマ・☆評価、めちゃくちゃ嬉しいです!!
今回のお話は例の有名なフレーズを切り出して、物語を膨らませてみました。
今回は話の流れ的に百合百合しいものになっちゃいましたが
他にもいっぱい異世界恋愛を書いているので覗いていただけたら嬉しいです!!