【9】
今回からはアニエスの『中の人』が『生きて』いたころの話。
長いです。
馬車から投げ捨てられ、地面から起き上がれずにいるところで、目が合った。背の高い男性だ。端正な顔立ちをしている。
「……お前、生きているか」
「……」
声が出ない。頭がふらふらする。身も起こせない。こんな足手まといだから、捨てられたのだ。男性は彼女に近づいてきて膝をつくと、上半身を抱え起こした。
「熱があるのか。『旧き友』は体が丈夫なはずだが」
そう言いながら、彼は彼女を抱き上げた。そのまま道を外れ、木々の間を抜けていく。洞窟を見つけて、男性は彼女を抱えたまま中に入った。地面に自分がきていたローブを敷き、彼女を寝かせた。荷物から何やら小瓶を取り出し、彼女の口元に当てて無理やり飲ませた。
「大丈夫だ。すぐに楽になる」
あまり安心できない台詞を聞いて、彼女は目を閉じた。
次に目を開けたとき、確かに体は楽になっていた。熱は引いていないだろうが、意識ははっきりある。
「目が覚めたか。気分はどうだ」
「……」
男性に顔を覗き込まれて彼女は瞬いた。端正な顔をしていると思ったが、やはり涼やかな美人だ。亜麻色の顔に青い瞳。彼女が見た男性の中で一番の美人だと言って差し支えないだろう。
「お前、口がきけないのか」
「……きける。気分は、少し楽」
「そうか。やはりレイリの薬はよく効くな」
独り言ち、男性は尋ねた。
「お前、行くところはあるのか」
首を左右に振ると、男性は「では、共に行こう」と彼女に選択肢を与えなかった。否やはないので、ついて行くことにする。
道中、男性はサクと名乗った。もっと北の方の出身なのだそうだ。『旧き友』と呼ばれる不老長寿の魔法使いで、今百歳前後だそうだが、二十代にしか見えない。彼女には本当なのかウソなのかわからなかった。
サクは徒歩と乗合馬車で目的地を目指した。初めて見る景色にぼーっとしていると、問答無用で抱え上げてくる。だが、気遣ってくれる相手との旅は楽しかった。
さすがの彼女にも、サクが国境を越えたのはわかった。途中で何度か魔法で転移もした。魔法は初めて見た。そうしてたどり着いたのは、緑に囲まれた小さな家だった。
「おい、レイリ」
「いきなり来て『おい』はないわよ。まったく、『旧き友』には常識が存在しないのかしら」
「お前も『旧き友』だろう」
「そうだけれども! ……あら?」
奥から出てきたのは淡い金髪に紫の瞳の美女だった。年のことはサクと変わらないくらいに見える。初めて会う相手に、彼女はサクのローブを握った。
「可愛い子を連れてるわね。どうしたの?」
「拾った」
「まあ、誘拐したとは思ってないわよ」
軽口をたたきあいながら会話が進む。しゃがんだその美女は目を合わせて尋ねた。
「初めまして。私はレイリ。このお兄さんの仲間よ」
「連れ合いだ」
「そうともいうわね……ねえ、お嬢さん、お名前は?」
「あ……」
サクには名前を聞かれなかった。答えたら、家族のもとに返されてしまうのだろうか。それはいやだった。答えない様子に、レイリがサクを見上げる。
「ちょっと、この子、名前は?」
「さあ?」
「あなたねぇ」
呆れたようにため息をつき、レイリは視線を戻した。
「呼び名がないと不便でしょ。そうねぇ。とりあえず……」
「リル」
黙っていたサクが唐突に言った。レイリが再びサクを見上げる。
「リル? 百合の花ってこと?」
「ああ。この娘を拾ったとき、周囲に百合が咲いていた。リルでいいだろ」
「適当感があるけど……まあ、可愛いわね。あなたのことは、リルと呼ぶわね」
そうして彼女はリルと呼ばれるようになった。特に異論はなかったため、彼女自身も名を聞かれたらリルと名乗るようになった。
レイリはサクの妻で、薬師だった。医者のまねごともできるため、熱を出していたリルを連れてきたらしい。さらに、リルを魔術師として鍛えるつもりはあったが、女の子の入用のものが分からずに助けを求めたらしかった。サクはそういうことを言わないので、これを聞いたのはレイリからだ。
ひと月ほど、レイリの家で三人で暮らした。レイリはもちろん、サクも親切で、家族とは本来、こういうものなのだろうかと思った。
「私も師匠に拾われたのよ。私も革命で没落した貴族の娘でね、置いて行かれたのよ。今のリルより小さかったわね。十歳になってなかったと思うわ」
「そうなんだ……レイリ姉さんは本名?」
「一応ね~。ほかにも、ロクサーヌとかシーリンとかって名乗っていることもあるわね。私たちは生が長いから、人に怪しまれるのよ」
「ふーん……」
レイリと豆の皮むきをしながらリルは首をかしげてうなずいた。魔法でできないのか、と尋ねたが、自分の手でできる方法を知っていて損はないのだ、と彼女は笑った。思えば、レイリからは生きるすべを教えられたのだと思う。
サクは魔術について教えてくれた。リルには実感がないが、サクやレイリにとって、リルが『旧き友』であることは確定らしい。どうしてわかるのか、と聞くと、これに堪えてくれたのもレイリだった。
「私たちは、仲間がいるとわかるのよ。いずれリルにも分かるようになるわ」
レイリの家で親子のように暮らすのは楽しかったが、サクは放浪の魔術師らしく、各地を旅した。その時点でリルは十三歳だったが、小さいころからの栄養失調のためか、同年代の子に比べて体格が小さかった。そんな子供を連れての旅は、大変だっただろう。リル自身も、旅の要領をつかむのに結構かかった自覚はある。サクは何も言わなかったが、結構面倒だったのではないだろうか。ちゃんと世話はしてくれたけど。
ある時、とある国のとある場所で、突然リルの魔法の才能が開花した。森の一角を丸裸にした。超弩級の雷を落としたのである。
「……お前の攻撃魔法の才能は大したものだな」
「いや、そう問題じゃないですよね!」
各地を旅して一年が過ぎようとしていた。それまで、さまざまな小さい魔術は使えていたが、こんなに大きな魔術を使ったのは初めてだ。自分でも魔力が足りないのが分かる。貧血の感覚に似ていた。
「とりあえず、逃げるぞ」
「あ、はい」
誰か人がやってくる前に、現場から逃走したのも今となってはいい思い出である。
リルの師匠のサクは、力の強い魔法使いだった。そんなサクよりも、レイリは強いらしいから見た目は関係ないのだな、と思った。リルは今のところ策よりも弱いが、力自体はサクと同じくらいだろうな、と師匠に判じられた。
サクは聞けば教えてくれるが、聞かなければ教えてくれないタイプの人だった。一事が万事そんな感じで、質問攻めにして嫌そうな顔をされたこともある。怒ったところは見たことがないけど。
実年齢で二十歳になったころ、独り立ちした。そのころには、リルにもなんとなく、自分が普通の人間とは違うのだろうな、という自覚はあった。魔力が桁違いであるし、老化が遅い。それを自覚したのは十五を過ぎたあたりだ。栄養失調が続いていたせいもあるのだろうかと思ったが、発育が遅い。サクが言うには『旧き友』の特徴らしい。
二十歳の時点でも、肉体的には十六、七と言ったところか。ここからどれくらい成長するかは人による、と言われた。サクに一人前と認められたリルは、魔術大国アルビオンにしばらく身を置くことにした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
正直、『リル』の方が書きやすいのですが、アニエスが懐かしくなってくるくらい、長い。