【8】
混乱のうちに、ガーデンパーティーは終了した。この案件は明らかに『アルカンシエル』の案件だが、近衛連隊も調査に入っていた。つまり、ローランがいる。
もっとも、気にしたのはエクトルだけで、アニエス……というか、アンリエットはそれどころではないらしい。魔法陣が消える前に、と観察している。それで何かわかるのだろうか。
『アルカンシエル』の隊員や騎士たちを戸惑わせながらいいだけ魔法陣を見分したアンリエットは、真剣な表情でエクトルの元へ戻ってきた。
「もういいのか」
「はい」
アンリエットの返答がおとなしいのは、エクトルの隣にローランがいるからだ。どうも彼は、アニエスの中に別の人格がいることに気づいているようだが、特に指摘してはいないらしい。なので、アンリエットもローランの前では比較的アニエスのようにふるまっているように見えた。
「お願いがあるんですが」
「なんだ」
アンリエットにまっすぐ見据えられてちょっと引きながら、エクトルは先を促した。
「あの鳥、解剖させてほしいんですけど」
「……」
思わず、エクトルはアンリエット……というか、顔はアニエスだが、彼女の顔をじっと見つめてしまった。その表情は、嫌に真剣だった。見つめあうこと数十秒。
「いや! ダメだろう!」
「お願いします」
両手で袖を引っ張る姿はかわいらしいが、これの中身はアンリエットである。アニエスなら他の令嬢たちと同じようにおびえただろうかと考えると、そんなこともないような気もするが、心が強すぎるだろう。
「駄目だ! アニエスを入れられない。『アルカンシエル』の医師が調べるから、それで我慢してくれ」
「む」
『お前』ではなく、『アニエス』と言われ、アンリエットは引き下がった。代わりに条件を付けてきたが。
「解剖するとき、脳をよく調べてほしい」
耳元でささやかれ、思わず「は?」という反応になったが、ひとまずうなずいた。
「わかった。伝えておく。明日までに結果を出す。明日また俺を尋ねて来い」
「承知した」
信用してくれるのだな、と思った。ただ、ここはごねても仕方がないと思っただけかもしれないが。ここで約束を反故にすればばっさり切り捨てられそうだ。
エクトルはアニエスを見下ろす。難しい表情をしているが、これは正真正銘のアニエスだ。ずいぶん、見ただけでわかるようになってきたな、と自分でも感心した。
「ローラン、アニエスを任せてもいいか。俺はこれから『アルカンシエル』の本部へ行ってくる」
「なるほど。もちろん!」
まあ、彼の妹なので、嫌がられはしないと思ったが、こうもはきはき言われるとは思わなかった。
翌日、アニエスは宮殿にエクトルを尋ねてきた。ちゃんとアンリエットとの会話を覚えていたらしい。宮殿に上がってきて、エクトルと顔を合わせた時点では確かにアニエスだったが、エクトルが宮殿に構えている執務室に入った時点でアンリエットに切り替わったのが分かった。何というか、顔立ちがきりっとするのである。
「解剖結果はどうだった?」
「今はまだ、ざっくりとした結果しか出てねぇな。昼過ぎにはより詳しいことが分かるはずだが」
「構わない」
と、アンリエットが真剣に言うので、エクトルは口を開いた。
「内臓が内側から破裂していたそうだ。脳については、開いてみると言っていたが……どうも肥大していたようだな。血がたまったせいかもしれないが」
「……うん、それでいいんだ。その所見で正しい」
どういうことだ、と問おうとしたが、その前に使用人がお茶を持って入ってきた。エクトルはその使用人が出て行くのを視線で見送ったが、アンリエットは我関せずとばかりにカップに口をつけていた。
「事情を話せと言ったね」
「あ、ああ……」
唐突に言われて、エクトルはびくりとした。アニエスはこんなに静かな揺らがない声が出るのだな、と思った。いや、今はアンリエットだが。
「どこから話せばいいかな……『旧き友』が弟子を取ることは知っている? 同胞を見つけて、育て上げるんだ」
「文献で読んだことはある」
できるだけ平常通りに聞こえるように、エクトルは応じた。そうか、とアンリエットがうなずく。
「あの魔法陣、描いたのは私の弟弟子だ。『旧き友』は上から下へ魔法を教えていくから、師匠と弟子、兄弟弟子は魔法の形が似てくるんだ。あれは私の弟弟子がやったものだ。私が今に至るまで探している相手でもある」
『旧き友』を探しているのだ、とは聞いていたが、弟弟子を探していたのか。『旧き友』の感覚はなんとなく理解できるものであったため、エクトルは相槌をうつ。
「そうだったのか……だが、お前の弟弟子だと言い切れるのか」
「ああ。間違いない。あの術式を知っているのは、もう、この世界で私と弟弟子だけだからな」
「……」
なるほど。それなら確かに、アンリエットでないのなら弟弟子の可能性が高い。弟弟子が、他に教えていなければ、だが。
「それはないと思う。あれは、『旧き友』ほどの魔力がなければできない」
いろいろとツッコミたいし、聞きたいこともあるが、その前にアンリエットの話を聞いてしまおうと思う。
「まず、あの魔法陣が、宮殿に敷かれた結界を破るためのものだと言うことには気づいたか?」
「ああ……うちの解析官がそうだろうと言ってたな。一応、補強はしたが」
「破れた部分を補強しても、そこだけゆがみが生じる。全体を張り替えた方が賢明だな」
「……進言してみる」
アンリエットの言うこともわからないではないので、エクトルは素直にうなずいた。補強した部分は、元の結界と違うのだから、打ち破られやすい気はする。
「だが、なぜお前の弟弟子が宮殿の結界を壊すんだ」
「中に入るためだ」
「いや、そうじゃねぇよ」
そう言うことを聞きたいのではなく。イラっとしたが、ここでアンリエットの機嫌を損ねると何も聞けなくなるので我慢した。
「あいつは宮殿の中のものに用がある。そう言うことだ」
「……宮殿の中に? 国宝とかってことか?」
「いや、物ではない。人だな」
アンリエットにきっぱりと言われて、エクトルは思わず眉をひそめた。人。何が目的かはまだわからないが、よくないことなのはわかる。
「……というか、お前は話すのか話さないのかどっちだ」
「……」
エクトルのツッコミを受けて、眉をひそめたアンリエットは、かすかに息を吐いてから言った。
「少し長くなるが、初めから話してもいいか?」
「……構わん」
了承を受けて、少し表情をやわらげてアンリエットは口を開いた。
「私が死んだのはシャルル・フェルディナン二世の御代のころだが、私が生きたのは、その四代前、アンリ・フランソワ王の御代だった」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回からアンリエットが『生きて』いたころの話。長いです。