【6】
七夕!
エクトルは何度かファントムを『アルカンシエル』の本部に連れて行こうとしたのだが、彼女の方が上手だった。アニエスを本部に連れて行く方法もあるが、そんな方法ではアンリエットは顔を出してくれないだろう。
結果、手合わせはニクロー侯爵家の修練場で行われた。
「手合わせに付き合ってくれるなら、本部に同行してくれ」
「そうだね。また今度ね」
アニエスに優しくするようになったからか、アンリエットの対応が最初より軟化している。一刀両断ではなくなった。だが、これは先延ばしにするための言い訳の可能性もある。
「お前にはまだ聞きたいことがある」
「おや。負けたくせに偉そうだね」
そう。手合わせはエクトルが負けた。力で押せば勝てるような気もしたが、それでは手合わせの意味がない。アンリエットは特段力が強いわけではないが、やはり技術が巧みだ。
「言っただろう。私は『旧き友』を探しているんだ」
「それで、疑問が生じた」
エクトルは修練場の床に座り込んでいるアンリエットを見て言った。
「いみじくもお前が言ったように、この国で『旧き友』はほとんど見ない。アニエスも、会ったことがないだろう。なのに、お前は探しているという。どこで知り合った? アニエスは『旧き友』ではないから、お前が自動発生したとも考えにくい。お前、過去に『生きて』いたんじゃないか?」
アンリエットがそばに立つエクトルを見上げた。立てた膝に頬杖をつく。アニエスなら絶対にしない体勢だ。
「なかなか鋭いね。わかってはいたけど」
いつも通り微笑んでそう言った。肯定はしなかったが、否定もしなかったということは、エクトルの推察は当たっていたのだろう。
「お前はアニエスに憑依しているということか」
「いや、そうではない。私もアニエスも、この体に意識がある。完全に二重人格だと考えていいだろう。憑き物落としで落とせないからね」
「……」
考えを読まれたかと思った。アンリエットがアニエスに『憑いて』いるのなら、落とせる、と思ったのだ。だが、そうではないらしい。アンリエット曰く、体と精神は結びついているのだそうだ。
「言っただろう。私とアニエスは同一の存在だと」
その前提は覆すことはできない。アンリエットとアニエスは、同時に同じ体に存在しているのだ。
「ま、しかし、過去に生きていたことがある、というのは鋭い洞察だね。私もしゃべりすぎたかな」
「で、どうなんだ」
「君の言う通りだよ」
短気を起こしそうなエクトルに動じる様子もなく、アンリエットはさくっと答えた。
「おそらく、今から百数年前を生きていたと思う。時の王はシャルル・フェルディナン二世だったな」
ならば確かに百年は前だ。エクトルは「なるほど」とうなずき、少し考えた。
では、アンリエットはアニエスとして転生を果たしたことになる。アンリエットの人格が転生してきたとして、アニエスとしての人格と融合されずに分離しているのが不思議だ。
「そのころから『旧き友』を追ってんのか。気の長いことだな」
「ほんとだね」
アンリエットはそれ以上正体を明かす気はないらしく、簡単にそれだけ言った。エクトルもそれ以上は聞かないことにした。あまり質問攻めにしてアンリエットの機嫌を損ねると、何も教えてくれなくなるだろう。
「二人とも、ここにいたか」
修練場に顔を出したのはアニエスの兄ローランだった。さりげなくアンリエットが座り方を直した。そんなことしなくても、たぶんローランはお前の存在に気づいているぞ、と思ったが、アンリエットなりの気遣いなのだろう。その気遣いが、すでにエクトルに対してはなくなっている気がするが。最初に脅したのがよくなかったのだろうか。
「エクトル様。母が、少し休憩してお茶でもどうかと」
「……ああ、そうだな」
ニクロー侯爵夫人からの警告だろうか。少し、アニエスの体を拘束しすぎた。エクトルはアニエスに向かって手を差し出した。それを見つめ、彼女はおっとりと首を傾げた。いつの間にか、アンリエットからアニエスに入れ替わっている。
「アニエス、手を貸してくれているんだ」
ローランに指摘されて、彼女はあっと声を上げた。慌ててエクトルの手に自分の手を重ねた。普通の令嬢とは違い、皮膚の硬い、剣を握る手だ。
アニエスを引っ張り起こすと、彼女は頬を赤らめて言った。
「申し訳ありません……察しが悪くて」
「いや、いい。慣れてきた」
慣れて、心の余裕を持てばそれほど腹の立つことではない。と、思うことにする。そもそも、エクトルがアニエスに対して、こんな些細なこともしていなかったということになるのだ。何も、彼女の鈍さのせいだけではない。
「……なんだ」
ローランが微笑ましそうに見守っているのでにらみつけるが、彼は笑ったままだった。心が強い。
「いえ。妹と仲良くしてくださってありがたいなと」
嫌味か。思っただけで、言えないけど。ニクロー侯爵家の兄姉は、末の妹を可愛がりすぎている。エクトルがアニエスと意思疎通ができていなかったころ、アニエスの姉のミレーヌにはよくにらまれたものだ。
着替えて戻ってきても、アニエスはアニエスのままだった。きっと、二人はこうして住み分けをしているのだろう。
「最近、アニエスと仲良くしてくださってありがとうございます、殿下。手合わせというのが何とも言えませんけれど」
ニクロー侯爵夫人イザベルがにこにこと笑って言った。もちろん、わかりやすい嫌味である。エクトルは自分が今までアニエスに優しくなかった自覚があるし、訪問目的も手合わせだと言う色気のないものであることが不満なのだろうと言うことも理解できる。
「殿下は前からやさしかったです」
おっとりとアニエスが口をはさんだ。イザベルもローランも驚いた顔をしていたし、エクトルも驚いた。ここでお世辞を言えるような性格ならもう少し楽に生きられているだろうから、彼女は本気でそう思うっているのだろうと思われた。
「アニエス、どうしてそう思うんだ」
そこを突っ込んでしまうのか、と思ったが、エクトルには口をはさむ権利がなかった……。アニエスはのんびりとお茶をすすってから口を開いた。
「だって、私が嫌がることをされたりしませんでした」
「……」
いや、そうだろうか? 怒鳴ったことはあるし、無視したこともあると思う。手をあげたことはないとは思うが、決して優しい態度ではなかったはずだ。アニエス、思ったよりも心が強い。鈍いだけかもしれないが。
「そうなの?」
「はい」
こくりとうなずいた娘を見て、イザベルも「あなたがいいなら、いいわ」と言った。ローランは鷹揚に笑う。
「アニエス、我が妹ながらなかなかの豪胆さだな!」
「さすがにお前の妹だなぁと思いますよ、私は。というか、私はお前のことの方が心配だわ」
「む」
母に突っ込まれ、笑っていたローランも固まる。アニエスは兄に小言を言う母を見てもほぼ無反応だ。というより、反応が出る前に話が次に進んでいるので、反応の出しどころが分からなくなっているようにも思える。エクトルは、何やら議論を始めたイザベルとローランを放り出し、アニエスに話しかけた。
「アニエス。こちらもおいしいぞ」
「あ……はい」
戸惑いながらも素直に受け取るアニエスが可愛いな、と思う自分がいる。
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