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【4】













 ニクロー侯爵家を急襲した翌日、宮殿のギャラリーでアニエス兄に遭遇した。近衛のローランである。

 ローランは、彼の二人の妹と似ていない。精悍な顔立ちの美丈夫で、明るい茶髪に碧の瞳をしていて、そこだけがアニエスとの血のつながりを感じさせた。


「エクトル様。昨日、妹に会いに行ったそうですね」

「……婚約者だからな」


 無難に答えるが、おおらかで天然に見えるローランも、だてに近衛連隊副隊長などやっていない。


「一昨日の晩、ファントムに遭遇したそうですが」

「……」


 エクトルがアニエスを問い詰めに行ったことに気づいている。ついでに言えば、アニエスがファントムであることもローランは知っているのだろう。見かけによらず洞察力の鋭い男だ。


「ローランはいいのか。妹が得体のしれないやつに体を使われてるんだぞ」


 問いかけると、ローランは笑った。


「どちらも、俺の妹ですから」


 こいつ、器が広すぎやしないか。エクトルはちょっと引いた顔をした自覚があった。ローランは相変わらず笑っている。

「お前がそう言うのなら、いい。ただ、ファントムの方は夜に徘徊されて不愉快だ。やめさせろ」

「俺の言うことを聞くのなら苦労しません。あれでなかなか我が強い」

「……」

 本気で言っているのかうそぶいているのかわからない。ただ、アンリエットと話をした後だと、本当のことかもしれないと思った。

 アニエスだって、自分の意思がないわけではない。アンリエットがファントムとして活動し続けるには、どうしても主人格を担っているアニエスの協力が必要だ。アニエスはそれを容認していて、これまで続いているのだから、確かに意思は強いのだろう。


「あの子もエクトル様を邪魔したいわけじゃない。話せばわかりますよ。たぶん」


 最後。まあ一応、ローランの言うように話してできるだけ邪魔はしない、と言われたが、それがどこまで信用できるかはわからない。

「ローランは、ファントムが何の目的を持って行動しているのか知っているのか」

「いや、知りませんね」

 アニエスといいローランといい、この兄妹は何なのだろう。ニクロー家のもう一人の娘はきりっとしたしっかり者だったような気がするのだが、上と下はおおらかというか、頓着しない性格なのだろう。

「……それでいいのか。お前の妹の体だぞ? 気づいたら死んでいた、なんて洒落にならんぞ」

「なら、エクトル様が見てやってください。俺はアニエスを信用していますから」

 サクッと言ってのけた。何があっても、アニエスは絶対に帰ってくる。ローランはそう言っているのだ。そう信じている、と。

 エクトルはそこまで信じることができない。アニエスを信じられない、というのではなく、何も話さないアンリエットのことが信じられなかった。

















 そのアンリエットが扮するファントムに遭遇したのは、さらに二日後の夜のことだった。暗いがまだ飲み屋などは開いているぐらいの時間に、彼女は小路地で十歳ほどに見える女の子を相手にしていた。


「もう大丈夫だから、ほら。おうちはどこかな?」


 どうやら、魔獣に襲われていたのを助けたらしい。エクトルと一緒に来ていた射手がアンリエットに向かって弓を引く。

「その子から離れろ!」

 放たれた矢をファントムが叩き落した。よけると子供に怪我をさせるかもしれない、と思ったのだろう。エクトルも思った。

「よせ! 子供にあたるだろ!」

 エクトルが弓を構えた腕を下げさせる。彼は「殿下ぁ」と情けない声を上げる。大丈夫だ、しっかりしろ。

「何をしてるんだ、お前も」

 今度はファントムをさして言うと、彼女は困ったように言った。

「いや、うん。襲われていたから助けたのだけど、泣き止んでくれなくてねぇ」

「そんな怪しい格好してたら当たり前だろ。馬鹿か」

「ひどい!」

 マントのフードを深くかぶって、その下は仮面だ。怪しい以外に何を言えと。同行者が「知り合いなんですか」と驚いている。知り合いどころか婚約者だ。肉体的には、だが。


「……とにかく、子供は預かろう」


 だが、女の子はエクトルの顔を見て余計に泣き出した。むしろ、怪しい格好のファントムの方がましだと思ったらしく、マントをつかんで大泣きである。

「顔が怖いってさ。優しくなって出直してこい」

「ふざけんなお前。表に出ろ」

「ここ外だけど」

 煽られてエクトルはいら立つ。アンリエットはアニエスとは違う意味でいら立つ。

「ほら、来るよ」

 ファントムが女の子を抱き上げてその場から飛びのいた。エクトルは剣を抜いて攻撃をはじいた。それを見越してファントムが飛びのいたのかと思うと、腹が立つ。

「モンスターか」

「さっき取り逃がしたからね」

 ファントムは女の子と押し付け、自分も剣を抜く。

「しれっと言うんじゃねぇよ。取り逃がすな」

「倒したら倒したで怒るくせに、何なのだろうね?」

 突っ込まれて、自分でも確かに、と思ってしまった。女の子の側にモンスターの死体が堕ちていれば、それはそれで苦情を言っただろう。ファントムにとっては理不尽な話だ。

「モーリス、その子を守れ!」

 エクトルは連れてきた射手にそう命じると、モンスターに向かって剣を振り下ろした。力強い彼の剣戟とは違い、ファントムの剣筋は流れるように正確だ。エクトルの剣戟の隙をカバーしてくれているのが分かる。おそらく、技量だけで言えばファントムの方が圧倒的に上だ。


 ファントムが繰り出した高速突きが狼型のモンスターののどを貫く。間髪入れずにエクトルがその体を真っ二つにした。

「二人いるとさすがに楽だな」

 一人でサクッとモンスターを狩る女がそうのたまいながら剣を鞘に納めた。今度、絶対手合わせをしよう。

「……これも違うな」

 独り言をファントムがつぶやいた。先日会ったときも同じことを言っていた。同じ質問をエクトルもする。

「何が違うんだ」

 ファントムが顔を動かしてエクトルを見た。

「お前には関係ないな」

 その子のことを頼んだ、と女の子も押し付けて行こうとするファントムの腕を、エクトルはつかんだ。

「怪我してんだろ。治療くらい受けてけ」

 わざと傷口の上をつかむが、彼女はけろりとしたものだ。

「気遣いありがとう。だが大丈夫だ」

「どこがだ。それはアニエスの体だぞ」

 声を潜めて言うと、ファントムが押し黙った。ファントム、というかアンリエットの泣き所はアニエスである。アニエスの方は、どう攻略したものかわからないが。


 やってきた治癒術師にファントムを差し出すと、驚いた顔をされた。それはそうだ。ちょっと前まで追い回して攻撃していた相手を治せと言うのだ。治癒術師はファントムの右腕を見て顔をしかめると治癒術をかけた。明らかに獣の牙が貫通した痕があった。

「お前、それどうする気だったんだ」

「正装すればわからないだろう? 姉がいたころは治してもらったりもしていたが、私は治癒術を使えないからね」

 開き直ったのか、ファントムがエクトルにそう答えた。治療を終えて、治癒術師に礼を言うと、治癒術師はやはり微妙な表情になる。

「あの子を任せてもいいか」

「……ああ。任せておけ」

 エクトルが承ると、ファントムがうなずき、少し歩いてから振り返った。

「正直、助かった。ありがとう」

「いや」

「代わりにひとつ、教えてあげよう」

 まだ情報を握っているのはこいつなんだな、と思って少しイラっとしたが、黙って先を促した。

「私が探しているのは『旧き友ウィタ・アミカス』だ。この国にはあまりいないけれど、聞いたことはあるだろう?」

「……ああ」

 というより、『アルカンシエル』に所属していて、知らないなどありえない。『旧き友』は、不老長寿の魔法使いのことだ。ただ人の五倍は生き、体は頑健で、魔力も強い。今から百年ほど前にガリア王国では『旧き友』が狩られる事件があり、以降、彼らは死んだか国を出てしまい、今はほとんど姿を見ない。というか、エクトルは見たことがない。

「……なら、この国にはもういないんじゃないか」

「いや、いる。必ず」

 ファントムが嫌に真剣に言った。彼女はくるりとマントをひるがえす。


「では、次は邪魔しないようにしよう」


 言うが早いか、姿を消した。転移したわけではなく、どこかの屋根に飛び移ったらしい。身体強化ができるのだろう。出なければ、アニエスの細腕であれだけの力を出すのは不可能だ。


「ていうか殿下、いつの間にファントムと知り合いに……?」


 部下たちはどうやらエクトルがおとなしくしているからファントムに手を出さなかったようで、彼女がいなくなった途端に質問攻めにされ、さすがに困った。困った末に、不可侵条約を結んだのだ、と適当に答えておいた。











ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


キレるエクトル。煽るアンリエット。


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