【31】
夜会、というものはやはり好きになれない。いつぞやのように、『アルカンシエル』の呼び出しがかからないかな、と思ってしまう。だが、今日は王宮での女王主催の舞踏会に出席しているので、呼び出される可能性は低い。せめてもの救いは、婚約者のアニエスが領地から王都に戻ってきていることだった。長い冬を越えて、半年近く間が空いた。
久しぶりに見たアニエスは、どことなく大人びて見えた。年を重ねたのもあるだろうが、上手くアニエスの中に残っていたアンリエットの部分と折り合いをつけたのだろうと思う。相変わらずおっとりしているが、前ほど浮世離れした雰囲気はない。
そして、どうやら髪を黒く見せていたのはアンリエットだったらしく、本来のアニエスは銀髪で、薄暗い中でもその色彩がはっきりと見えた。以前なら、暗い場所だと黒髪に見えた。
ちらちらと向けられる視線にため息をつく。婚約者との仲が良くなっても、こうした視線からは逃れられないようだ。
「アニエス。一曲踊らないか」
いつぞやと同じく、手を差し出すと、彼女はおっとりとエクトルを見上げて微笑んだ。
「はい」
ダンスフロアに向かうと、ちょうど演奏が始まったワルツに合わせて足を動かした。というか、エクトルたちが入ってきたから、音楽が変わった気がする。
「少し変わったな」
「はい? ……はい」
「どっちだ」
調子は相変わらずらしく、思わず笑った。アニエスもにこにこする。
「エクトル様も、よく笑ってくださるようになりました」
「そうだな」
だいぶ短気も収まってきたように思う。人間、結構変わるものだな……。
「その後、アンリエットは?」
「出てきません。ちょっと寂しい気がします」
「ずっと一緒にいたからな」
あれを一緒というのかちょっとわからないが、他に適切な言葉も特に思い浮かばないのでそういうことにしておく。
「きっと、リオネルと一緒にいると思います」
おっとりを小首をかしげるアニエスの耳元で、イヤリングが揺れている。珍しい意匠の青い石のイヤリング。ものすごく見覚えがある。これがもとで、アニエスが昨年巷を騒がせていたファントムだと気づいたのだ。
左手でアニエスの髪をかき上げた。耳元がさらけ出され、イヤリングがよく見える。
「エクトル様?」
「いや、よく似合うな」
「これで君は私に気づいたからね。懐かしい?」
ふと、そんなことをいつもの柔らかな口調ではなく、きっぱりと強めの口調で言われ、ぎょっとした。よもやアンリエットが戻ってきたのかと思った。眼を見開いたエクトルに、アニエスはいたずらっぽく笑う。
「似ていましたか?」
これはアニエスだ。びっくりした。似ているも何も、二人は存在的には同じだと何度も自分で言っていたではないか。ほっとすると同時に少し怒りがわいてきて、その勢いに任せてアニエスの腰を掴むと軽く持ち上げた。
「わっ!」
唐突でアニエスも驚いたらしく、エクトルの肩に手を置いて驚きの声を上げる。周囲もどよめいた。どう見ても浮かれた恋人たちだ。ちょうど曲が終わる。
「……びっくりしました」
「俺も驚いたから、甘んじて受けろ」
肩を抱いて軽く押すと、アニエスも足を動かしてダンスフロアから離れた。
「アニエス」
「はい」
「お前は今幸せか?」
アニエスはエクトルを見上げ、はっきりと「はい」と答えた。
彼女自身が気づいているかわからないが、彼女の中でおそらく、アニエスとアンリエットがまじりあっている。女王がまさしくその状態らしいので、そんなものなのかもしれない。
だから、今のアニエスはおっとりしすぎるほどおっとりしている、というほどではない。それでも、アニエスはアニエスだ。
エクトルも、アンリエットがいなくなって親しい友人を無くしたような寂しさがある。だが、アンリエットはアニエスの幸せを望んでいった。
きっと、アニエスとアンリエットが二重人格で、リオネルを討伐することは必要なことだったのだと思う。少なくとも、これがなければエクトルはアニエスとここまで心を通わせられなかった。
だから、エクトルはアンリエットに感謝している。アンリエットの代わりではないが、アニエスを大事にしようと思った。
△
「そういえば、全く関係ないが、アンリエットは本名を何と云ったんだ?」
リルは、彼女の師匠がつけた呼び名だ。その場に応じて名前を変えていたようなので、結局エクトルは、彼女の本名を知らない。まあ、アニエスだって知らないかもしれないが。
「ああ、それは」
こともなげにアニエスは答えて、知っていたんだな、とちょっとびっくりした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これにて『ファントム』は完結になります。
漫画やアニメでよく?出てくる二重人格ですが、どっちが本物か論争ですね。今回はヒロインの方が副人格でした。そういえば、二重人格物を書いたことがないのでは、と思い、書きだしましたが、無事完結してよかったです。
呼んでくださった皆様、ありがとうございました。




