【23】
エクトル視点だけでは説明できないことが出てきたので、アニエス視点。
エクトルが推察した通り、アニエスが女王マリー・シャルロットと共にいたのは、偶然ではなかった。女王に召喚され、面談していたのである。当然の成り行きだと思う。エクトルが傷ついたとき、アニエスはそこにいたのだから、事情を聞かれるのは当然だ。
お茶を出されてもてなされつつ、どう説明したものか、と悩んだ。
マリー・シャルロットは、どちらかというと王子兄弟の兄の方が似ているように見えた。ブリュネットを編み上げた女王は、青灰色の瞳でまっすぐに下の息子の婚約者を見つめてくる。何かしただろうか。
いや、アニエスをエクトルの婚約者に定めたのは女王だ。大丈夫だろう。開き直ることにした。
「エクトルを無事に連れ帰ってくれて感謝するわ、アニエス」
「いえ……私の方こそ、一緒にいたのに、申し訳ありません……」
とりあえず、この一言に尽きると思った。アニエスが巻き込んでおきながら、彼を一人にしたのは彼女の落ち度だ。少なくとも、アニエスはそう思っていた。
アンリエットが、リルが、往時の力を持っていればあそこで引く必要がなかった。あの場でリオネルを倒せたはずだ。アンリエットが表に出てこないのは、リオネルに『危険はない』と誤認させるため。実際、アニエスではリオネルの相手にならないだろう。
リオネルは恐らく、姉弟子と思われるアニエスと、その関係者について調べたのだろう。エクトルが姉弟子が存在しているアニエスの婚約者だと、調べるのはそう難しくなかったと思う。だから、エクトルが狙われたのだと思う。
そういう一切を、マリー・シャルロットに打ち明けられないので、説明するのが難しい。だが、マリー・シャルロットは暗躍する黒い魔法使いの存在に気づいていた。さすが女王陛下である。もとは『アルカンシエル』の元帥あがりなので、そんなものかもしれないが。
「アニエス、何か私に、言いたいことはない?」
そんな応えづらいことを言われ、アニエスは少し間をおいてから「いいえ」と答えた。もしかしたら、アンリエットには言いたいことがあるかもしれないが、アニエスにはない。そこに、エクトルが目を覚ましたという知らせが入ってきたのである。
その後も、アニエスは毎日エクトルの見舞いに行った。彼はベッドでの生活に二日目にして飽きてきていたので、アニエスの来訪はやたらと歓迎された。彼女がいる限り、エクトルがおとなしくしているからだ。
そんなエクトルだが、アニエスが大量の本を持ち込んできたのを見て、顔をひきつらせた。
「それ……読むのか」
「読みました」
「読んだのか!」
エクトルがツッコミを入れるのに叫んだので、怪我が開かないかと心配したが、どうやら大丈夫だったようだ。
「『旧き友』について調べていました。お兄様に聞いたら、王宮書庫が一番詳しいだろうと言われて」
「まあ……そうだろうな」
女王に許可をもらったのだ。閲覧規制がなされているが、王宮書庫には公文書が保管されている。それらの情報から、『旧き友』について推察するのは可能だ。
「記録には、アンリエットもリオネルも出てきません」
きりっとして言うと、エクトルは「そうだろうな……」と苦笑を浮かべた。
「『旧き友』には誓約と盟約がある。それに基づいて、仲間がその約束事に反すれば粛清するし、基本的に権力に関わることはないと聞いた。記録に残らないのも当然だ」
エクトルがやたら詳しいので尋ねると、女王に聞いたらしい。王配殿下も詳しいそうだ。何しろ、王配殿下の出身国には、今も『旧き友』が多数存在していると聞く。これほどまでに駆逐されているのは、この国ぐらいだ。
「『旧き友』が仲間を粛正するのは、基本的には『旧き友』は『旧き友』にしか殺せないから、でしょうか……」
「肉体的にはただの人間と変わらないと聞いたが。まあ、寿命は違うし、身体も丈夫だというが、普通に首を落とされたり、心臓を一突きされたら死ぬ」
つまり、過去にリオネルに殺されたリルやレイリは、かなりの重傷を負ったことになる。アニエスを思わず顔をゆがめた。
「リオネルは、それでも死ななかったのですね」
「そっちか」
エクトルのツッコミが入った。過去のアンリエットたるリルたちを悼んだのかと思えば、同じくらいの重傷を負ったはずのリオネルが生きていることに着目している。リルやレイリのことは終わったことだ。問題は、リオネルを倒せないということにある。
「……それは、アンリエットが何とかするだろう」
エクトルはそういうと、アニエスの腕を引っ張った。最初の二・三日はベッドの住人だった彼も、今はアニエスと並んでソファに座っていた。いまだに訓練は禁止なのだそうだ。
引っ張られた動きに合わせて、アニエスはエクトルの胸の中に納まった。最近、エクトルはアニエスを抱きしめるのがお気に入りだ。頬や瞼にキスされてアニエスははにかんでエクトルを見た。嫌か、と聞かれてアニエスは首を左右に振った。ただ、恥ずかしいだけだ。嫌なわけではない。それに、触れられるのは心地よい。
すっと唇を指でなでられ、アニエスは震える唇を開いた。
「殿下……」
「名前で呼んでくれないか」
多分、ずっと彼はこれを言いたかったのだと思う。アニエスは少しうろたえ、おずおずと口を開いた。
「エクトル様……」
「アニエス」
耳元で低くささやかれて、アニエスは体がかっと暑くなるのを感じた。絶対顔が赤い。その顔を隠そうと、アニエスはエクトルの胸元に顔をうずめた。エクトルもアニエスを抱きしめ、つむじに口づけた。
ぐっと顎を持ち上げられた。まっすぐに見つめられてドキドキした。
「いいか」
極端にはしょった言葉だったが、何を言われているのかは分かった。ぐっと唇を引き結んだまま、アニエスはぎゅっと目を閉じた。唇に柔らかいものが振れた。離れていくのを感じて、うっすらと目を開いた。
「あ……」
真剣なまなざしを受けてアニエスはわずかに口を開いた。再びキスされて、反射的に目を閉じた。今度は触れるだけではすまなかった。口の中をまさぐられて吐息が漏れた。息が苦しい。腰のあたりを撫でられて、身体が跳ねた。
名残惜しむように唇が離れた。アニエスは赤い頬を隠すように両手で覆い、ぎゅっと目を閉じた。エクトルの笑う気配がする。
「そんなことをしてもかわいいだけだぞ。……嫌だったか?」
何度か下やり取りである。アニエスは今までと同じく、首を左右に振った。嫌ではない。嫌ではないのだ。驚いたし、恥ずかしいだけで。
いやではないのだから、きっと、アニエスはこの少し短気なところのある優しい王子様のことが好きなのだ。
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