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【22】












「は……?」


 背中から腹に、黒い槍のようなものが貫いていた。『アルカンシエル』の指揮官であり、それなりに戦闘経験のあるエクトルでも、自分がその黒い槍に刺されたのだと理解するまでに、少し時間がかかった。それが引き抜かれて、衝撃で膝をつく。地面に赤い血が流れ落ちるのを見て、やっと腹に焼けつくような痛みが襲ってきた。


「お前に恨みはないが、お前は、姉さんと一緒にいるだろう」


 『姉さん』。エクトルは声のする方を振り返った。痛みから呼吸が上がり、冷や汗が流れる。腹側の傷口を押さえても、血が止まらない。

 その男は、エクトルよりもいくらか年上に見えた。くすんだ金髪に温度のない紫の瞳。そして、かなり整った顔立ちをしていた。この顔を、知っているような気がする。黒い槍、『姉さん』、そしてここは、木々の影である。まさか。


 不意に、空気が凪いだ。


 その一瞬ののち、風の刃が男を襲った。それははじかれたが、意表をつくことには成功したらしい。


「その方から離れてください。次は本気で撃ちます。さすがのあなたも、この魔力が直撃すれば無事には済まないでしょう」


 アニエスが魔法を打ち出す構えだ。アンリエットと見まがうばかりの迫力だが、これはアニエスである。

「姉さん……ずいぶん可愛らしい姿になったな」

 男がアニエスを見て言った。彼は、もうエクトルに興味を失ったように見えた。

「離れてと言っているんです!」

 アニエスが叫んだ。会話になっていない。この女性は彼の『姉さん』ではない。アニエスだ。会話が成立しないのは当然である。

「記憶がないのか? そんなはずはないと思うが」

 わずかに顔をしかめて、男は言った。アニエスはもう魔法を撃ちださん構えで、魔術式が計算を終えて待機している。彼女の全力の一撃は間違いなくエクトルを巻き込むので、できれば男には引いてほしい。


「……そうか」


 男のつぶやきとほぼ同時にアニエスが魔法を放った。しかしそれは、男を直撃せずにやや上を通過し、いくつかの木をなぎ倒した。その騒ぎに乗じて男が消える。アニエスがエクトルに駆け寄ってきた。


「殿下!」


 膝をついたアニエスがエクトルの体を支える。上着を脱いで腹側から傷口を圧迫し、背中側も抑えた。アニエスは念動力があるので圧迫はできるが、残念ながら二人とも治癒術は使えない。

「とにかく、人のいるところへ行きましょう。立ち上がれますか?」

「ああ……」

 アニエスに支えられながら、エクトルは立ち上がった。ここはもう気力だ。ひとまず、人がいるところに出ないとアニエスも身動きが取れない。いくら鍛えているとはいえ、小柄なアニエスが大柄なエクトルを支えるのは少々難しかった。アニエスがよろける。

「悪い……ぬかった……」

 いくら術式なしの魔法だったとはいえ、気づいてよけられれば良かった。反撃すれば死んでいた可能性があるため、反撃できればよかったとは口が裂けても言えないが。アニエスは静かに首を左右に振る。

「いえ。離れるべきではありませんでした。申し訳ありません」

 その点に関してはエクトルもうかつだったので首を左右に振る。話すのも億劫だ。


 何とか人のいるところまで出ることができ、エクトルは無事に宮殿に帰還したが、途中で意識を失ったためにいつ宮殿に戻ってきたのか全く分からなかった。少なくとも、目が覚めた時にはすでに治療がなされており、自室のベッドで寝かされていた。


「お、起きたか」


 覗き込んできたのはジルベールだった。たまたま見舞いに来ていたらしい。彼は「アニエスじゃなくてすまんな」と笑いながら言った。

「お前、丸一日寝てたぞ。ああ、怪我の治療は終わっているが、動くな。少なくとも五日は安静にしていろとのことだ」

「アニエスは……?」

「何ともないぞ。お前のことすごく心配してた。というか、ちゃんとお礼言っておけよ。応急処置がよかったって宮廷医が言ってたからな」

 アニエスだからな、と言おうとしたが声が出なかった。丸一日寝たきりだったので声がかすれているし、身体も痛い。

「とりあえず、安静にしてろ。今医者が来るからな」

 医者の診察を受けて、やはり五日は安静にしていろとの診断を受ける。身動きが取れないと暇すぎる。眼を閉じるとそのまま眠ってしまった。次に目を覚ましたのは午後だった。様子を見ていた侍従が素早く立ち上がって言った。


「陛下を呼んでまいります」


 なぜ。


 息子の部屋にやってきた女王は、一人ではなかった。アニエスを伴っていて連れ立った二人は、なんとなくしっくりきた。

「エクトル、目が覚めてよかったわ。ああ、起き上がらなくていいわよ。アニエスを泣かせたくはないでしょ」

 子供のころのように頭を撫でられ、エクトルは鼻白む。アニエスの前だ。というか、なぜこの二人が一緒なのだろう。

「『アルカンシエル』の方は、私がしばらく預かるわ。お前はしっかり養生なさい。まったく、うかつが過ぎるわよ」

「も、申し訳ありません……」

「ああ、あなたじゃないわよ」

 反射的に謝ったアニエスに、女王が慌てたように言った。そう、アニエスのせいではない。ぱん、と女王は手を叩く。

「とにかく、お前はおとなしくしていること。アニエス、よければお見舞いに来てやってね」

「はい。……あの、お世話になりました」

「いいのよ」

 女王がにこりと笑う。アニエスはどこか複雑そうだ。女王は執務に戻るのに部屋を出て行く。アニエスだけが残った。


「殿下……ご無事で、よかったです」


 泣き笑いのような顔でアニエスが言った。エクトルは目を細めて微笑んだ。

「お前のおかげだと聞いた。礼を言う。ありがとう」

 最初に起きたときよりはだいぶ調子も戻ってきていた。まだ安静にしていろと言われているが、起き上がるくらいはいいだろうとベッドに肘をつく。少し離れていたアニエスが慌てて駆け寄ってきた。

「殿下、無理なさらないでください」

 焦ったような言葉も、やはりおっとりと紡がれた。それが本気で戸惑っているように聞こえる。アニエスがエクトルを抱えるように支えた。

「すまん。大丈夫だ」

「それならいいのですが……」

 アニエスはぎゅっと唇を引き結んだ。

「申し訳ありません……巻き込んだ、のだと思います」

「ああ……」

 エクトルは自分もアニエスの腰に手をまわしてベッドに座らせた。抵抗せずに、ストン、と彼女はベッドに腰かけた。

「あの男は、『リオネル』か」

「はい……アンリエットの中の記憶の姿と、ほぼ相違ないと思われます」

 金髪に紫の瞳の、整った顔立ちの、二十代半ばほどに見える男性。アンリエットが語った、彼女の弟弟子の特徴と一致する。エクトルを襲撃したのはリオネルだ。

「アンリエットにとっては、絶好の機会だったんじゃないか?」

 尋ねると、アニエスは首を左右に振った。

「いいえ……今のアンリエットでは彼に勝てないと思います。だから、見つからないように引っ込んだのだわ……」

 つぶやくように言ったアニエスの体を抱きしめる。慣れないだろう啖呵を切って見せた彼女の体は細かった。どさくさに紛れて婚約者を抱きしめたエクトルだが、その瞬間、治ったばかりの傷口が痛んでうめき声が漏れた。アニエスの慌てた声がする。


「で、殿下! お医者様を呼んできます!」


 ベッドから飛び降りてアニエスは部屋を駆けだした。そんなことをしなくても、呼べば使用人が来る。

 そして、なぜ母とアニエスが一緒にいたのか聞けなかった、とエクトルは傷を押さえながら思った。













ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


そろそろクライマックスでしょうか。


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