【1】
新連載です。やる気がないようなタイトルですが、ちゃんと書き切る予定なので、よろしくお願いします。
エクトルは自分の婚約者が苦手だった。苦手、というのはむしろ柔らかい言い方だとエクトル自身は思う。まあ嫌いかと言われると、そこまででもない気もするが。
ガリア王国第二王子エクトル・フェリシアン・カルリエの婚約者は、ニクロー侯爵の次女アニエスである。彼女は黒髪にも見えるシルバーブロンドに切れあがった翡翠色の目をした、可愛いと言うよりは綺麗な娘だ。
理知的な容貌の彼女だが、何分、おっとりが服を着て歩いているような少女だった。基本的に気の短いエクトルとは合わないのである。
今日もエスコートして貴族の夜会に来たが、たまに話しかけてもアニエスはゆっくりと言葉を返す。のんきだ。これで、武門ニクロー家に生まれた彼女は、剣を持たせればそこそこ強いのだから、もはや意味が分からない。
エクトルとアニエスは、女王の定めた婚約者ではあるが、うまくいっていないのが貴族たちに知れ渡っている。そのため、エクトルは令嬢に声をかけられることが多かった。ダークブラウンの髪にグレーの瞳をした精悍な面差しの彼は、お嬢さん方に人気があった。おそらく、王子であることが理由の大半を占めている気もするが、結局、アニエスの側にいることが一番声をかけられずに済む方法だった。
おっとりしすぎていることを除けば、アニエスは婚約者として悪くない少女だ。強すぎる主張をしないし、教養を感じさせる振る舞いをする。それに、顔がきれいだ。
それでも、ちらちらと眺められ、エクトルは舌打ちしたくなった。ひとまず視線から逃れようと、アニエスに声をかける。
「アニエス。踊らないか」
彼女はゆっくりとエクトルの顔を見上げ、
「はい」
おっとりとうなずいた。エクトルは視線から逃げるようにアニエスの手を引いてダンスフロアへ向かった。ゆったりとしたワルツがかかっており、危なげなくステップを踏む。武術をしているアニエスは体幹もしっかりしているので踊りやすい。
ふと、アニエスの耳元のイヤリングが目に入った。珍しい意匠のものだ。青い石がはめ込まれており、アニエスによく似合っている。
「……?」
視線に気づいたアニエスがおっとりと首をかしげる。口で言え、と怒鳴りたくなったが、短気なエクトルもこんな公の場で声を荒げるほど非常識ではなかった。
「いや、何でもない。気にするな」
アニエスは何度か目をしばたたかせたが、「そうですか」と納得の返事をした。本当に納得したかはともかく。
ダンスが終わり、ダンスフロアを離れると、エクトルは騎士の格好をした青年に声をかけられた。
「エクトル様。出ました」
このタイミングで、と思わないではないが、夜会を抜ける口実になる。エクトルは一応アニエスに声をかけた。
「お前はどうする。まだいてもいいが」
「いえ……帰ります」
おっとりと、しかしきっぱり言われ、エクトルは「そうか」とうなずいた。では、アニエスを送ってから行こう。
モンスター狩りだ。
ガリア王国にある魔法部隊は『アルカンシエル』と呼ばれている。エクトルはそこの副司令官だ。総司令官である元帥は、大半が王都不在なので、エクトルが最高責任者ということになる。
文字通り軍である『アルカンシエル』にも、一応階級らしきものがある。騎士や射手、魔法使いの前に、1~5の数字をつけられて呼ばれることが多いか。例えば、エクトルならアン・シュヴァリエ、というように。数字が小さい方が階級が高いわけだ。意味としては一級騎士、というような意味合いになる。
それはさておき、最近、ガリア王国の王都ルテティアで話題になっていることがある。ファントム、という魔法剣士についてだ。これはもちろん本名ではなく、実体が掴めないことからこう呼ばれている。
エクトルたちも簡易的にファントムと呼んでいるが、数か月前から王都に出現し、魔獣狩りをしたり、非道を行う魔術師をとっつかまえたりしている。その存在が市民たちに知れ渡り、ファントム様、とか呼ばれているらしい。不愉快だ。本来なら、彼らを魔法的なものから守るのは、『アルカンシエル』であるはずなのだ。
エクトルはファントムに遭遇したことがない。これまで何人かの隊員が遭遇しているが、すべて逃げられたか返り討ちにされている。とにかく、逃げ足が速いのだ。
そのファントムを捕まえるべく、エクトルはモンスターが出たら呼ぶように隊員に言いつけていた。社交界シーズンなら夜会を抜ける言い訳にもなる。連れられて行くアニエスも、それほど夜会が好きではないようなので、便乗して帰ることが多い。今日もそうだった。
部下を二人連れ、エクトルは目抜き通りから一本裏に入った通りを疾走していた。耳につけた魔法通信具からオペレーターの声が聞こえる。
『そのまままっすぐ。二つ目の角を右に曲がってください』
「了解した」
言われた通りに曲がる。部下たちを置いてきたような気もするが、エクトルは目的と思われる人物を見つけた。ちょうど狼大の魔獣を倒したところらしく、その遺体を見分している。
「……違うな」
「何が違うんだ」
背後から近づき、しゃがみこんでいる怪しいローブ姿のファントムに剣を向けた。顔がややこちらを向き、口元が笑みの形を作るのが分かった。
「おや、これは……いや、斬らないでくれると嬉しいな」
「それはお前の出方次第だ」
両手をあげて、ファントムがゆっくりと立ち上がる。背中を向けたままで、顔も髪の色すらわからない。
思ったより、声が高い。背丈も、エクトルより顔半分以上低く、華奢だ。勝手に男だと思っていたが、女性なのかもしれない。そう思うと、ちょっとやりにくい。
「エクトル様!」
部下二人が追い付いてきた。一人は剣を、もう一人は杖を構える。ファントムは動揺した様子も見せず、うーん、とうなった。
「君たちの邪魔はしないということで、妥協してくれないかな」
「現在進行形で邪魔をしている! とにかくお前には、『アルカンシエル』の本部まで来てもらう」
「ああ……うん」
それは困るなぁ、とファントムはつぶやいた。逃げると思ったのだろう。魔術師が魔法を放った。ファントムはひょいとよける。そのまま逃走しようと身をひるがえした。進行方向にいた魔術師を飛び越える。
「は!?」
飛び越えられた魔術師が驚愕の表情を浮かべる。エクトルともう一人の騎士がファントムを追った。振り返ったファントムがエクトルの剣戟をいなす。そのまま何合か打ち合ったが、かなりいい腕だ。ファントムはまともに切り結ぶつもりはないようで、すぐに逃げようとする。エクトルは手を伸ばしてそのローブのマントをつかんだ。
「っ!」
ずり落ちかけたフードが慌てて直される。振り返って剣を一閃されたが、エクトルは今度は素直に避けた。そのままファントムは逃走していく。一息に民家の屋根に飛び乗り、そのまま屋根を疾走していった。
「エクトル様!」
「追いますか?」
部下たちに尋ねられたが、エクトルは首を左右に振った。
「いや、いい」
フードが外れかけたとき、見えた。編んだ黒っぽい髪、黒い仮面、耳元で揺れる耳飾り。とても見覚えがあった。
ファントムの正体が分かったかもしれない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今日中にもう1話更新しようかと。