空っぽ
初めまして。
こちらの作品が初投稿になります。
つたなく、下手な文ではありますが、是非読んでみてください。
誤字脱字、意味の重複等ありましたら、ご指摘くださいますようお願いいたします。
「心の穴ってどうやっても塞がらないように思うでしょう。でも本当はそうじゃないんだよ」
「そんなわけ無いだろう。欠落した部分は埋まらないよ」
「意外とそうでもないんだよ。大切な友達ができたら、その人がここの穴を埋めてくれるんだよ。温かい優しさで」
「だから寿衣、ありがとうね。私の心を満たしてくれて」
「僕は何もしてないよ。逆にいつも君に迷惑かけてばかりじゃないか」
突然おかしなことを言い出す彼女。僕は彼女の言っていることを否定した。
「そんなことないんだよ。そばにいて私の話を聞いてくれるだけで凄く私は救われているんだ」
「たかが小学生ごときにそんなこと出来てるわけがないだろう。気のせいだよ」
「照れちゃって、かわいい」
「やめてくれ、そういうのは彼氏とすれば良いだろう」
「ませガキめ、私は彼氏なんかいらないんだよ」
そのやりとりの翌日、彼女はテトラポットから身を投げた。
以来、鏡の前に立つと胸のあたりに大きな、大きな穴がぽっかり空いている。
その穴は全てを飲み込んでしまいそうなくらい、黒くて大きなおぞましい穴。空っぽの証。
きっと僕だけにしか分からないのだろう。
耳障りな音が大きく響く。それが耳に届いたとき、僕は目を開いた。
目を開けると、沈みかけている橙色に輝く光で目が痛かった。そろそろ夏から冬に衣替えの時期。まだ少し蒸し暑いのにすっかり日も短くなってしまった。
携帯電話の目覚ましを止め、体を起こした。
大音量で目覚ましの音を流していたので近所迷惑になっていないか一応心配する。
足は二カ所虫に刺され、首元にうっすら汗をかいている。おまけにコンクリートで横になっていたため腰が痛い。
道に降り、壁になるコンクリートにもたれかかって本を開く。
これが僕の学校帰りの日課だ。
「そんなことしてないで勉強しろ」とよく言われるのだが、リフレッシュでもしないと息が詰まってしまうと言い訳をしている。
ここで時間を過ごしていると、決まった時間に必ずある少女が通りかかる。
この場所は人通りも少なくなく、近所のおばさん、業者の人、子供、様々な人が僕の前を通る。
日課を始めた頃は少し怪訝な顔をされたが、今では子供達はちょっかいを出してきたり、近所の人は挨拶をしたり少々の会話をするくらいになった。
そのため、少女が通りかかっても何の不思議もない。ないのだが、気になってしまう。
いや、やましい気持ちがあるわけではない。小学校の頃、仲良くさせてもらっていた事があるので、声をかけたいと思っているだけだ。
しかし声をかけられない。
それは、単純に僕にコミュニケーション能力が備わっていないことも原因なのだが、いつも彼女の顔が怒っているように見えるからだ。
不機嫌なところに突然声をかけられても、不快なだけだろうと考えると、余計声がかけづらい。
そんなことを考えていたら、目の前を彼女が通り過ぎていった。
今日も声をかけられなかったと肩を落とした。
声をかけられなかった自分に原因があるのだけど。
そこから活字をひたすら追った。気がつくと物語のクライマックス部分にさしかかっていた。
もう少し読み進めたかったのだが、暗くなってきてしまったので本を閉じ、家に入った。
家にはいるとテーブルの上に千円札が二枚置かれている。
両親は共働きで家にいる時間が少ない。おかげで不自由なく暮らせているのだが、僕はこの二千円が嫌いだ。破り捨てたくなるほど。
これで夕食を買って食べろ、という意味なのだろうが、虚しく置かれた二千円に手をつけない。つまり晩ご飯は食べない。
人間一食くらい食べなくても死なない。特に晩ご飯はその後寝るだけだからエネルギーの消費も少ない。
朝はコンビニで栄養調節食品を買い、昼は学食のため、栄養には問題が無いと思う。
ずっとその生活をつつけているので、どれくらい前に置かれた二千円か分からない。
その後は手を洗って自分の部屋に入った。
パソコンの電源をつけて椅子に座る。
ウィンドウズの起動音とファンの回る音が心地良い。
画面が明るくなってマウスカーソルが操作できるようになったら文章作成ソフトをカチカチッとダブルクリックして開いた。
僕は毎日日記を書くようにしている。どんなことがあったのか、何を思ったのかを簡単にまとめて記録する。
三年ほど前から始めたので十万文字は超えている。増えていく実感があるのは楽しい。
今日特にあったことと言えば、後輩に冷えピタを貼られたことくらいだ。
僕が冷えピタが大嫌いな事を知ってて、わざわざ家から持ってくるなんて悪質極まりない。
笑いながら「ごめんなさい」と謝られたが、多分そう時間のたたないうちにもう一度やってくるだろう。
そんなことを打ち込んで、画面上に文字が表示されていくのを眺めていた
打ち込み終わってからは、ベッドに寝転んだところまでは覚えている。そのまままどろみに落ちたのだろう。
目を覚ましたとき時計はすでに午前四時半を指していた。
朝早く起きてみても、誰とも顔を合わせることがない。帰ってきた様子もないため昨夜も両親は会社に泊まり込みなのだろう。
週に一回帰ってくれば良い方だし、もうここ最近は二ヶ月間親の顔を見ていない。放任主義も良いところだ。だからといって過干渉して欲しいわけではない。
昨日は風呂も入らず寝てしまっていたことを思い出し、シャワーを浴びた。
しかし上がっても特にやることがない。
一般的な家庭であれば、朝ご飯を作ったり、テレビを見ながらダラダラしたりするのだろうが、できたての朝ご飯など食べたことがないし作らない。第一冷蔵庫に食材がない。あるのはペットボトルか缶ビールくらいだ。
そのまま家にいても仕方が無いので制服に着替え、早々に家を出た。
家から学校まで徒歩一時間半。校門は六時きっかりに開くので丁度良い。
毎日の登下校を徒歩な訳では無い。毎日一時間半は流石に辛い。普段は自転車か電車を使っている。雨の日は基本電車だ。
自転車を使えば四十分程度で着くのだが、今日は早く着きすぎてしまう。
支度が出来たので鞄を持って玄関の扉を開けた。
流石秋口と言ったところだろうか。日中は暑くなるのだが、早朝はかなり肌寒い。
もう少し厚着をしてくればと後悔したが、引き返すのも面倒なのでそのまま歩みを進め続けた。
学校に着いたのは六時きっかりだった。
その後、警備員さんに挨拶をし、滞りなく授業を受けた。
問題が起こったのは下校の時だった。
今朝の登校時全く下校のことを考えていなかったのだ。今朝は時間を持て余していたので徒歩でも問題は無かった。
しかし下校は違う。日課をしなければならないのだ。最早あれはルーティーンといっても過言ではない。やらないと落ち着かないような気がする。
今から帰ったところで家に着く頃には暗くなってしまっている。おのれ秋口め。
普段は下校のことまで考えて自転車を使うようにしている。今日みたいなミスはしていない。
しかし、今日は日課をしないことを納得しなければならないというわけだ。
そんなことを考えていても日が落ちる時間が延びるわけでもないし、瞬間移動が出来るようになるわけでもないので、内心文句を言いながらも諦めて帰路につくことにした。
あからさまに不満をあらわにしながら朝と全く変わらない道を歩いていると、前に見知った後ろ姿を発見した。
そこで僕は何を考えたのか、声をかけようとしていた。
この凡ミスを普段出来ていなかったことをする事によって帳消しにしようと思ったのか、はたまた彼女を見つけて舞い上がったのか。
彼女の不機嫌そうな顔のことはすっかり頭から抜け落ちていた。後ろ姿だったから顔を確認できなかったからだろう。
タイミングが悪いと思ったが手遅れだった。それに気がついたのはもうすでに彼女の名前を口に出してからだった。
「おーい、佐々木」
そこまででてしまったのなら諦めよう。素直に謝れば多少の不機嫌でも許してくれるだろうと謝罪の方向に意識を切り替えていたので、彼女から帰ってきた返答と振り返った後ろ姿に開いた口が塞がらなかった。
「はい、何でしょうか。ああ、寿衣。どうしたの。何か用ですか」
といたって普通のトーンでいたって普通の顔で返してきた。いや、顔に関しては少し間抜けだったかもしれない。
いずれにせよ、そこには不機嫌の「ふ」の字も感じられなかった。
思ってもいない返し方をされ開いた口が塞がらなかっただけでなく「はへ」とこちらも間の抜けた声が出て固まってしまった。
「なんか変な声でたね」
と彼女に言われなかったら多分永遠に固まっていただろう。
昨日までの怖い顔が嘘だったかのように、柔らかく少しバカになっている。怒っているというのは、僕の思い違いだったのだろう。
「珍しいよね。声かけてくるなんて。何か用があったの」
と未だ口を開くことを忘れていた僕に、クリクリとした両目を不思議そうに向けて聞いてきた。
「いや、ごめんね。特に用があったわけじゃないんだ。
優愛はいつも歩いて登下校してるんだろ」
「そうなんだよ。毎日歩って行き来してるんだよ。めっちゃ遠い。正直辛い。
まあ、ダイエットだと思えば少し前向きになれるかなって」
「今日かなり早く家を出てしまって、帰りのことを考えなかったから自転車を家に置いてきちゃったんだよ。だから歩いて帰らないと行けなくてさ。ご一緒しても良いか」
と彼女が自慢げに話しているのが終わった事を確認してから自分の事情を話したら
「全然大丈夫だよ。むしろ一時間半の道連れだね。ウェルカムウェルカム」
と調子よく承諾してくれた。
僕が彼女に追いつき、並んで歩き出した。並んで歩いていたはずなのに、気づくと差が開いてしまっている。結果的に僕が彼女の数歩後ろを歩く形になった。
流石に毎日歩いて登下校しているだけあって、体力はあるみたいだ。
僕は今のペースで精一杯なのに、彼女はまだ余裕があるみたいだ。恐ろしい、鬼体力。いや、僕に体力がなさ過ぎるだけかもしれない。
歩き出してどれくらいの時間がたったのかは分からないが、しばらくした後彼女が口を開いた。
「毎日塀の上で何してるの」
塀の上とは僕の家のことだ。
僕の家は他の家より一段高くなっている。道路側から見ると塀に見えるため、近所の人たちに塀と呼ばれている。
つまり、僕は自分の家の庭で日課をしている訳だ。
「何ってたいしたことしてるわけじゃないよ。寝たり、本を読んだりしてるかな。ここ数年続けてるから日課みたいなものだよ」
「そうなんだ。でも去年とか見かけなかったよ。たまたまやってなかっただけなの」
「優愛は部活やってるから帰ってくる時間帯と、僕が日課をしている時間帯とが合わなかったんじゃないかな。暗くなる前に家に入るようにしてるから」
「そういうことか」
彼女に納得してもらえたみたいだった。
「私もそれやろうかな」
そう彼女がぼそっとつぶやいた。
独り言のようだったけど、聞こえてしまった僕は
「やめとけ。バカは風邪を引くだろう」
と冗談を含めて返した。
そのあとは、
「バカは風邪引かないもん」
「風邪を引いても気がつかないだけだろ」
「じゃあ私はしっかり気づけるからバカじゃないんだね」
「いやいや、どこからどう見ても正真正銘おバカだろ」
と軽い調子で会話のキャッチボールを楽しんだ。
しかし、一度途切れると少々気まずくなってしまう。久しぶりに彼女と話したのだからどんな話題が合うのか全然分からない。
仕方ないといったら仕方ないのかもしれないのだろうけど、自分の不甲斐なさが沈黙によって突きつけられている気がして息が詰まりそうになる。
そろそろ家の近くになってきた頃、彼女が再び口を開いた。
「なんか寿衣って意外と楽しいやつだったんだね。いつも怖い顔して塀の上にいたし、昔のイメージも堅物超真面目君みたいな感じだったし」
とてつもなく失礼なことを言われた気がする。
自分は面白いやつだと思ってるわけではないが、意外は一言余計ではないだろうか。
「失礼だな。僕は堅物でも真面目でもないぞ。ルールは適度に破る。それに怖い顔なら優愛の方だろ。声かけたいなと思ってもあの顔見ると怯んじゃうんだよ」
よく言われると、コロコロ鈴を鳴らすように笑っている。彼女自身に怖い顔をしている自覚はないらしい。
「別に怒ってるわけじゃないからね。ほら私、温厚な人間だから。気にしないでバンバン声かけてよ」
彼女からの許しも得たので構わず声をかけてやろう。特にテスト期間中とか。
嫌がらせも楽しいのだろうが、単純に彼女と話しがたい。
そんなことを考えていたらもう家の近くだったので、彼女とそこで別れることにした。
「じゃあ、またね」
「ああ、またとで。付き合ってくれてありがとう」
歩いているときには落ちかけていた太陽もすっかり山の陰に隠れてしまっている。
日中は暖かかったが日が落ちると冷え込むようだ。肌に刺さるような風邪が頬を吹き抜ける。
今日は歩いて疲れたのでお腹が減った。かといって家に食べられそうな冷凍食品もない。
今日は諦めて、明日帰りがけにスーパーに寄ろう。
置かれている二千円を使うのは尺だからバイトで溜めているお金を使う事に決めた。
歩いて帰ってくるのはなかなか体に応える。
一息つこうとベッドに横になったが、そのまま寝てしまいそうだったので起き上がった。
流石に歩いて汗をかいたまま寝るのは不衛生だ。今日はシャワーじゃなくて湯船に入ろう。まずはお湯を張らなくては。
部屋から出て、リビングのテレビをつけた。そこには芸能人の不倫を報道していたが興味が無かったのでリモコンをソファに投げ、風呂場へ向かった。
お風呂の蓋をどかし、蛇口をひねったところで、僕を、正確には来訪者を知らせるチャイムが鳴った。
もう街灯が灯り、その周りに虫たちが集まっている時間だ。何のようだろうか。
客人だと申し訳ないので一応玄関の靴をそろえて片付け、ドアアイから誰が来たのか確認した。
相手が知らない人ではなく、危険性が低い人物だったので鍵を開け、扉を開けた。
開けられた扉から入ってきた人は靴を脱ぐなりこう口を開いた。
「良かった、誰もいないんじゃないかって少し心配したのよ。帰っててくれて良かったわ、寿衣」
「どうも、真璃花さん。お久しぶりですね」
「ついこの間も帰ってきたじゃない。私だってかわいい子供が心配だもの」
多分彼女の言うついこの間は、二か月以上前のことだ。
真璃花は僕の母親で、大手外資系企業の取締役専務という役職に就いている。察しはつくだろうが、家庭より仕事を優先する人だ。丸一年家を空けることもあった。
「そうだ。寿衣もうご飯食べたかしら。食べてなければ取引先の人にもらったお弁当があるから一緒に食べましょうよ」
「僕はいらないですよ。もう食べましたので」
となんとなく嘘が出てしまった。
疲れからか、正直なところもう空腹でお腹と背中がくっつきそうだ。
長い間家を空けて久々に帰ってきておいて、謝罪の一言もない事に腹が立ち少し意地になってしまった。
「そうなの。残念だけど一人で食べることにするわ」
本当に残念そうにしていたが、そんなものは一瞬だろう。
帰ってきてから慌ただしく動き回っていた母がやっと落ち着いてきたと思ったら、
「お風呂にお湯張っておいてくれたのね。気が利くじゃない。そうだ、久しぶりに一緒に入りましょうよ」
と言ってきたので
「バカな事言ってないで、入るなら早く入って寝てください。僕は寝るので静かにお願いします」
僕は吐き捨てるように返事をして部屋に戻った。
風呂に入りたかったのだが、あの母親のふざけたことばを聞いて入る気も無くなってしまった。
叩きつけるように閉めた扉が、虚しく音を伸ばしていた。
そのままベッドに潜り、布団にくるまると十分もしないうちに眠りについた。
深夜、ガタガタと物音がして目が覚めてしまったが、物音の正体も確かめずにそのまま横になっていた。眠りは浅かったみたいだ。風が吹いているのか、窓の隙間から少し風が入ってきている。寒い。
目を覚ますと、今日はいつも通りの時間だった。
またシャワーすら浴びていなかったので浴びようと部屋を出ると、珍しくテレビがつけっぱなしになっていた。
家を出た母が消し忘れたのかと思いテレビの方に目を向けると、コーヒーの入ったマグカップを両手でもちソファに腰掛けながら朝の情報番組を見ている父親がいた。
昨晩の物音の正体は、父が帰ってきていた音だったようだ。
「父さん、帰ってたんだね」
「ああ、遅くにだけど。やっと仕事に片が付いたんだよ」
父親は、大手飲食店を経営する社長だ。最近はチェーン展開もして話題になっている。テレビに映る父を何度か見かけた。
母と同じく仕事優先の人だ。
「テレビで何度か見かけたよ。チェーン展開のこと話題になってるし、上手くいってるみたいだね」
「まあ、そこそこな。いまいちどんな感じか分からないが」
「父さんの会社の飲食店、最近は行ってないけどよくいくよ。どんどんクオリティ上がっていくよね」
「ありがとう。寿衣に褒められるのは嬉しいな。次の社員のボーナスはいつもより多めにしよう」
そんな会話をしていると、キッチンからフライパンで何かを焼く油のいい音が聞こえた。
覗いてみると、母が目玉焼きを焼いていた。
「おはよう、寿衣。今日はスクランブルエッグじゃないけどいいわよね。お父さんもだけど私も仕事が一段落したから帰ってこられるようになったのよ」
なるほど、だから父はソファでくつろいで母は朝ご飯を作っている訳か。
状況を整理しても、何が起こっているのか理解するのが苦しかった。
散々放置した子供に、今更親の顔をするのか。
理解するというより、目の前で起こっていることが受け入れられなくて、これは夢だという結論に至った。
しかしそれは、頬をつねるという行為によっていとも簡単に否定されてしまった。
未だ理解できないまま立ち尽くしている僕に、母が「できたよ」と声をかけ、テーブルに目玉焼きやスープを並べ始めた。
それに続き、父も何日も続けてきたことのように自然な感じで、パンは何枚焼くのかを聞いてきた。
言葉が出なかった。今まで望んでいた、でもかなわないと思っていた朝両親がいて、父がズボンも穿かないでソファに座り、母がスクランブルエッグとコンソメスープを朝ご飯として作ってくれる生活。少し違いはあるけど。
それが目の前にあること。信じられなかった。
こんなにも、“気持ちの悪い”ものだったなんて。
なぜ今になって戻ってきたのか。小学校低学年から今までほぼ一人暮らしのような状態だったのに、どの面下げて僕の日常に加わろうとするのか。
両親がいるのに姿が見えないことでどんなに肩身の狭い思いをしたことか。授業参観で親についての作文を親に読むという活動が出来ず、先生に同情されてどれほど苦痛だったことか。かえって来てほしい、寂しいという内容をどうにか伝えようと、つたない語彙で書いた手紙が、読まれることなく一週間放置されたことがどれほど悲しいものだったのか。その手紙を自分で破り捨てたことがどれだけ苦しかったか。小学生の僕にとって、絶望でしかなかったのに。
腹の底から、抑えきれないほど大きな怒りが蓋を開けて、いや破って溢れてきた。
部屋に戻り、着替えて財布を持ち飛び出すように家を出た。
庭にある自転車にまたがり、ペダルに足をかけこぎ始めた。
制服には着替えなかった。今日はもう学校にすら行きたくなかった。
とにかく遠くへ行きたかった。ただの現実逃避なのだろう。衝動的に家を飛び出すなんて子供らしくてかっこ悪い。
こんな気分なのに、なぜこうも雲一つ無い快晴なのだろうか。冬が近づいていることを知らせるような肌を刺す風と、頑なに退こうとしない暖かい空気が攻防戦を繰り広げているような、そんな空気を感じた。
自転車を進めて三十分ほど経ったと思う。隣町まで来た。町と言うより村の方が正しいかもしれない。見渡す限り畑や田んぼだ。
ここの町に一つ今は使われていない駅がある。この町には二つ駅があったのだ。一つは僕たちに町に繋がる路線の駅。もう一つはもっと田舎の方にいく路線の駅だ。
後者の路線はあまりにも利用客が少ないため、すでに廃線になってしまった。そのため、一緒に駅も廃れていったのだ。今近寄るのは、不良か物好きだけ、いや、今じゃ不良ももっとましなところにたまるだろう。
それくらいボロボロで、周りにはジュースとタバコの自動販売機くらいしかない。
とりあえずそこを目指すことに決めた。
目的地を決めてからわずか五分もしないうちに到着した。
以前ここを訪れたときよりもひどい有様になっていた。道路脇の雑草は伸び放題、飲みかけの発泡酒の缶やタバコの吸い殻、挙げ句の果てには使用済みのコンドームまでポイ捨てされていた。
依然といってももう何年経つか分からないくらい前だ。散らかり様の中にも閑散とした雰囲気が感じられる。
流石に気分が悪くなるほどの散らかり具合だったので、拾った枝を使って、つついて一カ所にまとめた。
一通り片付け終わったところでタバコの自動販売機の前に立った。
まずお金をお札で入れる。次に商品を選んでボタンを押す。最後に機体の側面を思いっきり蹴る。
そうするとあら不思議。タバコが出てくるのです。普通の自動販売機ではこうはできないだろう。身分証明書なり、何かしらが必要だったはずだ。詳しくは知らない。
でもこの機体はお金を入れて蹴ると買えてしまうのだ。お札が吸われてしまうのは少々痛い出費なのだが。
出てきた箱を手に取り、近くの段差に腰掛けた。
箱の封を開けて、早速一本取り出した。綺麗に詰められているタバコを崩す瞬間はどうしても許せない。
財布の中から非常用に持ち歩いているマッチ箱をとりだし、改札横のベンチだったものの木片に擦りつける。
こんなものではつかないのではないかと思ったが、案外木でも火をつけられるらしい。メラメラと燃え上がり、持ち手の部分にまで熱が伝わってきた。
長く持ち続けていると熱いので、急いでタバコに火を移そうとした。火が移ったことを確認してからマッチを吹き消し、地面に落として何度も靴で踏みつけた。何度も何度も、途中で数えることをやめるくらい。
その時間は長かったような気がしたし、短かったような気もした。
実際は長かった。タバコの長さの四分の一が灰になってしまっていた。
灰皿は持ち合わせていないので、腰掛けている段差の過度で軽く灰を落とした。
それから、火が付いた部分から立ち昇る煙をじっと眺めていた。軽くフワフワと空へ昇っていく様は、まるで恐怖なんていうものが存在しない世界へ行く光景のように思えて、そんな些細な光景に心を奪われていた。その煙の中に加わりたいとすら思えた。
引き込まれつつあった世界からようやく戻ってきたときには、タバコの半分は天国あるいは地獄へ行ってしまっていた。そこでようやく口に咥えた。
おそらく、大きく吸って煙を肺に溜めてから吐くというサイクルが正しい吸い方なのだろうが、慣れていないためしない。
喫煙なんて悪いことをしたのは右手の指二本で数え切れてしまうくらい少ない。僕は意外と良い子なのだ。
以前初めてタバコを吸ったときに、煙を大きく吸い込んでみたのだが、案の定むせてしまい、二度とタバコなんか吸ってやるものかと一人ぶち切れていたような気がする。なぜ大人はこんな事を好んでするのか理解できなかった。
今回は、煙を口に溜めるだけのいわゆる、「タバコを吹かす」だけにとどめておいた。
それでは意味がないのではといわれればそうなのだが、そうではない。
僕は、喫煙という非日常的で背徳的な行為そのもので満足なのだ。
しばらく、空を眺めながらふかしていた。
非行をするには勿体のないくらい快晴だ。
自分の心の中などお見通しだと、はるか上の煙たちが昇っていくところにいる神とやらに見透かされているような気がして腹が立った。
口にためてゆっくり吐き出し、そこから立ち昇る煙を、また煙を眺めていた。
タバコというものは案外すぐには灰にならないみたいだ。 それとも半分が灰になるまで眺めていた時間が長すぎたのだろうか。時計を確認しながらだと時間が過ぎるのが遅かった。
もうだいぶ短くなってきたのでアスファルトに押し付けて火を消す。
やはり、灰皿までは持ち合わせていなかったので、さっき集めたごみがまとまっている所に投げた。
ポイ捨てしているようで良心が痛んだが、後でビニール袋片手に片づけに来るから許されるだろう。もう一度言おう、僕は意外と良い子なのだ。
許してくれるよね、管理している人。
そうやって存在しているのかどうかも分からない人に許しを乞う。いくらか自分の行いを正当化する。
いや、ここまで荒れ果てている時点で管理している人はいなさそうだし、もはや管理もクソもないのだが、自分で満足できればそれで十分なのだ。
すぐに二本目を取り出したが、火をつけようか迷った。
マッチを持っているといっても非常用でそこまで量をたくさん持っているわけではない。
タバコ一本に火をつけるのに一本マッチを消費してしまうのでは、いささかマッチが勿体ないように感じてしまう。ロウソクなど火がついている状態を持続できるようなものを持っていればよかったのだが、そんなもの都合よく持っているわけがない。
どうしようかと途方に暮れた。
あと財布の中には千円札1枚と十円玉が数枚しか入っていない。
半家出のようなものなのに、所持金が少ないからと言ってのこのこ家に帰るのは、格好悪いし恥ずかしい。まず戻りたくない。
万引きでもしようものなら、ギリギリ少年法に守ってもらえるが周囲からの扱いは塀の向こうの人と同じになってしまう。
これからの行動をどうにかしようとして、いわばどうにもならないことをどうにかしようとして、しょうがなくもう一本火をつけることにした。
センチメンタリズムに影響する。
そこはサンチマンタリスムだろだって言いたげだな。うるせえ、これは下人の話じゃないのだ。
再び財布からマッチを一本取り出して、ベンチと思しきものに擦り付ける。
やけくそにやったのが悪かったのだろう、うまく火が付かなかった。少し焦げ臭いようなにおいが周囲に漂った。
もう一度擦り付けると、今度は火が付いた。しかし勢いが強すぎてしまったのか、持ち手のところまで火が揺れてきた。
熱くて反射的に手を放しそうになったが寸でのところで火が戻ったので、落とさずには済んだ。多分落としていたら火が消えてしまっていただろう。間一髪だった。
一本目と同じ行動を繰り返し、タバコに火が付いたことを確認したらまた座った。
一本目と同じ行動といってもマッチに対しては優しくなった。あまりひどい扱いをするとマッチがかわいそうだから。
今度は立ち昇る煙を眺めることなくすぐに口に咥えた。
ふかすだけでは楽しくないだろうと馬鹿なことを思い、大きく吸い込んで見せた。
案の定むせた。それはそうだろうと、全員一致で首を縦に振る結果になった。そして苦い。とても苦い。甘ければいいのに。
噂では吸うとチョコレートの香りがするタバコがあるらしいのだが、それならおいしいのだろうか。おいしいのであれば一度吸ってみたい。でも、おいしいと甘いはたぶん違う。
そんなことを考えながらふかしていると、さっきの経験を学んでいないバカが無意識にもう一度大きく吸ってしまい、せき込みながら顔をしかめた。眉間にしわが寄り、ブルドックみたいになった。
いや、ブルドックより僕のほうがかわいい……はず。そう信じたい。
それから持ってきたスマホの電源を入れた。
勝手に家を飛び出してきて、学校も無断で欠席したのだから何かしらのお叱りの不在着信はあるだろうと予想していた。
それは、案の定多かった。いや、予想していたよりもはるかに多かった。
一件ごとに丁寧に確認してみても、父と母と登録された番号で埋め尽くされていた。時折学校からも連絡が来ていたようだが、折り返すこともしなかった。
父と母も、一時間も折り返しがないことで流石に諦めたのか、四十分前から連絡は途絶えている。
一通り見終えたと思ってホームボタンを押してホーム画面に戻ったのだが、最後の着信履歴を見て再びタスクを開いた。
珍しい人から、というか全く今の状況に関係のない人からの着信履歴だった。むしろ関係がないからこそ、目がひかれたのかもしれない。
“佐々木優愛さんから着信が一件あります”
そう画面に表示されていた。
電話番号をいつ交換しただろうか。でも登録されているということは記憶にないだけで交換しているのだろう。だって結果が残されているのだから。
着信があったのは二十分前。そう履歴君が教えてくれた
彼女は、普段なら学校のはず。何をしているのだろうか。
とりあえず、折り返しで電話をかけてみることにした。
プルルル…プルルル…
電子的な呼び出し音が二回聞こえたところで向こう側とつながった。
「もしもし。どちら様でしょう」
通話の向こうからは女の子の声が聞こえてくる。電子機器を通してなので優愛の声にもそうでない人の声にも聞こえた。
優愛は電話番号を交換している、していなくても僕の携帯に電話をかけることができるということは僕の電話番号を知っているということになる。彼女なのであれば、僕からの折り返しだということに気づくはずだ。心の中ではすでに彼女が出ているとは微塵も思っていなかった。
「佐々木さんの携帯でよろしいですか。私、佐々木さんの友人の哀原と申します」と余所行きのために修得した敬語で話し出すと馬鹿げた声で返事があった。
「なんだ、寿衣か。知らない番号からかかってきたのかと思ってびっくりしたよ」
「僕の登録してないのかよ。優愛のだけ知らないうちに登録されていたんだけどどういうことだ」
「それは、寿衣が庭で寝てるときに鞄から抜き出して登録しておいたんだよ」
さらっととんでもないことを言われた気がする。第一、僕はパスワードを設定しておいたはずなのにどうやって解除したのだろうか。プライバシーもクソもない。
「パスワードは意外と簡単に外せたよ。ダメだよ、簡単に外されるようなパスワードじゃ」
「勝手に外される前提で話をしてないんだが」
「もういいよ、その話は。で、何の用で電話してきたの」
「何の用って…。優愛が先にかけてきたんだろう。そっちこそ何か用があったんじゃないのか」
「そうだった。私からかけたんだった」
自分でかけたことを忘れるかと思ったが彼女はそういう人間だ。ちょっとおバカというか、間の抜けているというか。
「今朝ね、寿衣の家の前通ったらおじさんとおばさんが騒いでてさ。久しぶりだな、と思ったから声掛けたら寿衣を見なかったかって。いなくなったなんて聞いたら心配するよね」
「だから電話をかけてきたのか。学校はどうした」
僕が言える立場でないことはわかっているが、彼女は受験生なのだ。こんなことくらいで棒に振ってほしくない。
「エスケープしました」
と僕の意に反して向こう側で元気よく叫んでいる。
こちら側にも小学生が叫ぶような声が聞こえたが、気にも留めなかった。
「寿衣は今どこにいるの」
「父さんたちに言うつもりだろ。教えない」
受話器の向こうで「あっ」という声が聞こえ、電話が切れてしまったので心配になったが、特に何もないように感じたため、再びかけなおすということはしなかった。これに関してはただの勘でしかない。
彼女との会話の最中にも死んでいったタバコの死骸を落とし、もう一度ふかした。
煙を口の中に溜め、ゆっくり吐き出していると、不意に頬に冷たい何かが触れた。驚きすぎて大きく口を開けてしまったため、溜まっていた煙が一気に吐き出されて少々滑稽な絵面になってしまっていたに違いない。
振り返ると、満面の笑みを浮かべている優愛が立っていた。ひとまず得体のしれているもので安心する。
彼女は両手に缶ジュースのようなものを持っていた。それを早く受け取れと言わんばかりに差し出してくる。
いったん受け取り、まずは事情を聴いてみることにする。缶には「カシスオレンジ・アルコール3%」と書かれていた。
「どうやってここを見つけたんだ。もうここらの不良も別の場所に行くだろうに」
「だからだよ、不良君。学校をサボって喫煙とはいい度胸だね」
「お前も人のこと言えないだろ。学校サボって飲酒とはね。しかも受験生が…。親が泣くぞ」
「いいねえ。飲酒に喫煙。非行のオンパレードだ」
となぜだか機嫌がよさそうにして、満面の笑みで缶のプルタブを勢い良く開けた。
それにつられて僕も結露でぬれた缶を服で拭い、プルタブを開けて口をつける。今補導されたらひとたまりもない。
「美味しいねえ」
もうすでに酔っぱらっているのではないかという彼女のテンションは、無理やりにでも僕のテンションまで上げようとしてきたのでかたくなに抵抗した。
彼女は、タバコを一本吸わせてほしいと言ってきたが、さすがに彼女の肺を汚すのは忍びないので丁重にお断りをした。飲酒を許している時点で何をためらっているのかと言われればそれまでなのだが、喫煙と飲酒の重みが僕の中では違ったのだ。
彼女が来たことで、タバコに口も付けなくなり、横に置かれたタバコの煙だけがむなしく舞っていく。
彼女と何を話そうか迷っているその沈黙にも居心地の良さを感じつつ、何か話さなくてはという焦燥感にかられた。
彼女に渡された酒のアルコールが回ってきたこともあってか少し感傷的な気分になり口から言葉がこぼれだした。
「僕はずっと父さんや母さんがいる生活、みんなと同じような普通の生活を送ることが夢だったんだ。テーブルの上にお金が置いてあることも、書いた手紙が読まれないことも、僕以外の靴が動かないこともない、そんな生活を送ること。でもいざそれが手に入ってしまうと、思い描いていたものは所詮想像でしかなくて、僕にとって都合の良いように作られたご都合主義でしか無かったんだよね」
彼女は何も言わない。口を固く結んで目線を落としている。でもその表情は真剣で、見つめているのがアスファルトでも目線を合わせて聞いてもらっているような感覚に陥る。
「元気なふりしてるのも、親の前では良い子でいることも疲れた。継母の真璃花と良好な関係を築くふりも。全部全部。何のために生きてるのか分からなくなるんだ。生活に芯が、彩りが何もない。家族との思い出がない。日々の生活がない。もう僕自身の存在が取り繕った偽物のような気がしてさ」
一呼吸置いてから続ける。
「欲しかった日常なのに気持ち悪くて飛び出してきちゃったよ」
冗談めかして言った。
「そっか」と彼女は静かに返す。
そのまましばらく沈黙が続いた。地面に置いたタバコも持つところがないくらい燃えてしまった。
我ながら、大分重い内容を酒の力を借りたからとはいえ話してしまったなと反省した。
その後の重い雰囲気をどうしようかいろいろ頭の中を探っていると、彼女がポツリと口を開いた。
「私ね、だいぶ前だけどリスカしちゃったんだ」
“リスカ”という言葉があまりにも自然に彼女の口から発された。その自然さのあまり受け入れてしまいそうになった。
「学校で部活とか勉強とかうまくいかなくてさ。みんなが普通にやってる課題も満足にこなせない、部活の練習も行かない、そのせいで回りからヒソヒソ悪口を言われる。いろいろ追い詰められちゃってさ」
僕の反応を待たず彼女は続ける。何か言ってほしいというよりも、ただ聞いてほしいだけという風に感じた。僕と同じようにただ吐き出したいだけ。
その証拠に相槌を打たないと満足そうに続きをしゃべりだすのだ。細い声で。
その声は、一度遮ってしまうと再び心の中に閉じこもってしまうような細く、か弱い声。
「私の家もさ、再婚したでしょう。私そこまで賛成してなかったけど、拒否できないところまで外堀固められてしょうがなく首を縦に振ったの。そのおかげで満足にごはんも食べられてるし家も建ててもらえて。感謝はしてるんだよ。でもやっぱり本当のお母さんだったらどんなだろうなって。家族を捨てていったひどい人だってことはわかってるけど、やっぱり今のお母さんは本当のお母さんじゃないって思うことが多くて」
彼女の本音。普段は明るくふるまっている彼女の弱い部分。お酒のせいもあってかたくさん出てくる。
そんな救難信号ともとれるような言葉を聞いてもなお、彼女にかけてあげられる言葉を見つけることができなかった。
袖で涙を拭い、立ち上がろうとした彼女の腕を、引き留めようとしてつかんだはいいもののかける言葉がなく離してしまった。
彼女は、微笑みながら「ごめんね」と一言だけ言って去っていった。
どう言ってあげれば彼女を引き留めることができただろうか。
去っていく彼女の後姿に大きな黒い穴が開いている。
その穴は全てを飲み込んでしまいそうなくらい、黒くて大きなおぞましい穴。空っぽの証。
ご清覧ありがとうございました。
初投稿、初執筆と言うことで大分つたない文ではありましたが楽しめていただけたのであれば幸いです。
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