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株式会社まごころ

作者: 土井留ポウ

 私は第四瓢箪から駒ビルディングの十三階までやけに犬の臭いの染み付いたエレベーターで向かった。エレベーターを出た右手の通路どうやら回廊になっているらしい通路をしばらく歩き、『株式会社まごころ』の札が掛かった扉をノックした。

「入るがいい」

 入ると、そこは西日の眩しい一室であった。逆光になった男がデスクから立ち上がった。

「面接に来たようだな? 面接してやろう。そこに坐れ」

 観葉植物の鉢植えが左手の応接室もどきの衝立だけで仕切った場所の前に置かれてあるので、私は少し邪魔だな、と思った。私は行き手を塞ぐような植木鉢を迂回して、この応接室もどきに入った。

「履歴書を見せろ」

 男はやけに気合いの入った心持ちで腕を捲り、私の手から履歴書を引ったくって、預金通帳を読む真剣さでそれを見るのであった。

「お前は土井留ポウと言うのか?」

「はい」

「ふざけた名前だな。一歩間違えれば不採用だぞ」

「不採用ですか?」

「いや、まだ即断は出来んな。大学は出ているだろうな?」

「そこに書いてある通り出ていません」

「そこに書いてあるだと? てめえ今、皮肉を言いやがったな? それにしても汚ねえ字だな。大学も出てねえし、字は汚ねえし、おまけに名前までふざけてやがる。これはまかり間違えば不採用だ」

「不採用ですか?」

「おっと、はやまるなよ。即断は出来んのだからな。ところで趣味を教えろ。気が合うかもしれんぞ」

「趣味ですか? 趣味はオナニーですかね!?」

 私は言ってからしまったと思った。その()、と言い、趣味ですか、からのたたき込むような勢いで本音をぶちまけてしまったのである。これは面接における受け答えではあるまい。声がやけに天井に反響して、しばらくオナニーですかね……オナニーですかね……オナニーですかね……とこだましていた。しかしこの面接官は、

「そうか……実は俺もなんだ……」

 と言った。そして、そう言ったきり沈黙し、何かを反芻するように眼を閉じ両手を机の下に滑り込ませた。面接官の息が荒くなっていく。そして電流が交錯したように身体を小刻みに震わせたのだ。その光景は活きの良い海老が飛び上がった様であるとしか言いようがない。私は後ろを振り返った。壁にボルノポスターがあると淡く期待したもののそこは黄ばみの目立つ壁に過ぎなかった。


 この男は一体何を持って……


 私は怖気を禁じ得なかった。

 面接官はふうふうと獣のような息遣いで血管の浮き出た太い腕を机に上げた。その白濁した液体の重苦しい臭いが鼻穴に飛び込んできた途端、私の脳は揺さぶられ、後頭を殴られたような激しい吐き気に襲われた。この陰鬱な、沈殿した空間で面接官はどろりとした液体を纏わせた手を伸ばして観葉植物の葉々をもぎ取った。そして両手を揉み合わし白濁した液体と一体になった丸められた葉々を投げ捨てた。妙に厳かなこの行為は何処か全体的に清められた感があるのが不思議であった。

「さて……」

 面接官は深く深呼吸をして遠い眼差しで天井を見詰めた。気怠い雰囲気が室内を覆っていた。しばらくの沈黙の後、面接官は自ら反芻するように口を開いた。

「我が社は人材派遣業だ。知っているだろうな? 知らなくても教える気はこっちはないぞ」

「知っています」

「ほう? 少しは物事をわきまえているようだな。知っていなければ不採用だったな」

「不採用ですか?」

「まあ待て、そう悲観するな。まだ結論は出てはいない。お前も運が良ければこの先の二次面接で社長とお会いできる可能性があるんだぞ。社長は神聖かつ高貴なるお方だ。本来なら貴様のようなザコをお相手になさる時間など無いのだ」

 その時だ。一匹の醜い犬がこの応接室もどきに躍り込んできた。はっ、はっ、と堪らなく臭い息を吐きながら、面接官を見上げている。面接官はこの犬から何かを感じ取ったように、片手を添えた耳を犬の口元に近づけた。

「ふむふむ、何!? それは確かか?」

 面接官は神妙な顔になり私に向かってこう言った。

「お前にとって朗報だ。社長がお前にお会いになられるようだ。貴様! くれぐれも粗相の無きようにな……」

 醜い犬が明らかに私を誘導しようというのか、首をくんっ、と傾けると方向転換した。私が立ち上がると犬は歩き始めた。私は犬に続いて歩こうとしたが、この応接室もどきの前に立ち塞がる観葉植物に膝小僧を当ててしまった。

「おい! 貴様! 何のつもりだ! それはサッカーボールではないぞ!」

 と、すかさず面接官の注意を受けてしまった。私はお詫びを申し上げ、衝立を回った犬を追いかけた。デスクを抜けた先に扉がある。そこには『社長室』の札が掛かっている。西日が私の右頬を染め上げる。ノックをすると、

「入っちゃっていいよ」

 入ると、読売ジャイアンツのジャンパーを着て、巨人軍のキャップを被った男が情熱的な瞳を私に振り向けた。奥まった部屋の狭苦しいデスクの上にはこれでもかと何十体のジャビット君がこちらを向くように置かれていた。この部屋はまるで牢獄のようだな、と私は思わざるを得なかった。

「東京ドームの売り子が今空いているよ。君は明日からそこに派遣されることになろう」

 パチパチ、と拍手の音が聞こえる。例の面接官が扉の外に立っていた。

「よかったじゃないか。採用だ。これでもう貴様もようやく一人前だな」

 醜い犬が臭い息を吐きながら私を見上げ尻尾を振っている。

「時給は? 時給について教えて下さい!」

 私は、その仕事の対価ばかりに目が行くのである。

「百円だ」

 面接官はにべもなくこう言う。

「何とかなりませんか?」

「無理だ」

 私はここぞとばかりに交渉を開始した。粘り強く、時に売り子の辞退を婉曲に切り出したり、時に嘘まで交え、面接官との攻防の末、二パーセントのアップを確約した。

 

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