077_ダークエルフ4 火の沼
将軍の号令とともに、エルフたちが一斉に進軍を開始した。
その数、およそ5千。
対して、その相手をするのはナスカ一人。
エルフたちは負けるはずがないという自信に満ちている。
同じように、ナスカも負けるはずがないという自信に満ちていた。
ナスカは、ここから入ってはいけませんという境界を示している。
そこから拠点のバリアまで200メートルほどの距離。
その200メートルラインを、先頭の軍はもう既に超えている。
軍の中ほどに戻った将軍も、騎乗しながらその境界に足を踏み入れた。
「侵入を確認しました。敵対行動とみなします」
ナスカは声を拡張して、最終勧告を行った。
将軍は蟻でも踏み潰しているかのような表情をして、堂々と行進している。
ナスカには相手のレベルは分かっていた。
見えている。
自分より低いレベルの者であれば、だいたい分かるようになっているのだ。
どのように対処しようか、先ほどからナスカは頭を巡らせていた。
速やかに、だけど圧倒的に。
エルフの軍勢はナスカを侮っているのか、攻撃すらしてこない。
一人では何もできないと高をくくっているようだ。
「どうした? かかってこないのか?」
エルフの将軍の挑発。
ナスカは冷静だった。
挑発になど乗らない。
どう料理するか、それしか眼中になかった。
と、その前に。
「ラシル様、開戦の御許可を」
「許可する。存分に戦え」
あぁ。
嬉しい。
これは甘えだ。
ただラシルの言葉を聞きたいが為の確認。
ナスカの頬が緩む。
やる気が漲ったナスカ。
これは頑張らなければならない。
まずは。
ナスカは大まかな方針を決め、それを即座に実行に移す。
土と水のコンビネーション術式を展開。
もちろん無詠唱。
エルフたちは術式が展開されたことなど気付かない。
見ていてください、ラシル様。
心の中で祈りでもするようにナスカは呟いた。
エルフの軍勢が進軍している足場が、急にぬかるみ始めた。
地面が波打ち、ジワジワと水が地表に出てくる。
べちゃぺちゃ音を立てて、エルフたちの進軍は止まらない。
水位は少しずつ、上昇し始め、次第に足を取られる者が出てきた。
「なんだ!! これは!!」
「速度を上げろ!!」
「そのまま進め!!」
「幻術か!!」
小隊の指揮官と思われるエルフが檄を飛ばす。
幻術とは面白いことを言う。
それはメルバコルのところのブッシェルの得意分野で、ナスカは苦手とするものだ。
何が起こっているのか、それさえも理解できていない。
エルフたちの足取りが早くなるのと比例して、水嵩は上がる。
膝まで泥に浸かり、進軍のスピードが大幅に遅くなった。
後ろから走ってきたものが足を取られて転倒する。
「うあ! なんだこれは!!」
倒れる者が続出。
ナスカは周辺全ての足場を沼地に変えてみせた。
しかし、これでは完全に止めることはできない。
「魔法射撃用意!!!」
大体の指揮官と思しきエルフが叫ぶ。
まだ沼地に進軍していないエルフ達が詠唱を開始する。
「まずいです!!!」
管制室から見学していたルニエスティが叫んだ。
「大丈夫。ナスカを信じて」
ラシルはニヤリと笑った。
「エルフの精霊魔法は強力です。油断してはいけません」
「油断はしていないよ。むしろ、警戒しすぎている」
ラシルの言葉を聞いたルニエスティの顔は、まだ険しい。
詠唱が終わり、エルフたちの魔法攻撃が炸裂した。
ナスカへ向けて風魔法と水、そして木や土の魔法も同時に行使される。
何十本という木の根がナスカの身体の自由を奪おうと猛スピードで迫る。
そして間を開けずに数百の水の刃がルナスカを切り刻もうと襲い掛かる。
トドメといわんばかりに、巨大な岩の塊が投げつけられた。
大きいのは音だけだった。
水が打ち付けられる音と、岩が当たる音。
その音を聞いたエルフたちは勝利を確信した。
泥の中を進み、最初に首を取ろうと奮起した。
水飛沫が全て地に落ち、岩も消えた後、底に立っていたのは無傷のナスカだった。
顔に微笑さえ浮かべている。
エルフたちからどよめきの声が上がる。
「怯むなぁー!!!」
マズイと思った指揮官が声を上げる。
「矢の用意!!!」
魔法で威力の込められた数百の弓が、ナスカに狙いを定める。
「放てぇ!!!」
ナスカに向けられた矢が一斉に放たれる。
「キャーーーーー!!!」
管制室に響き渡る絶叫。
それはルニエスティだった。
先ほどの攻撃をなんとか奇跡的に耐えきったナスカは、今度こそやられると思ったのだ。
「ロメリア」
ラシルが静かに名を呼ぶ。
「はい」
ロメリアは分かりましたとほほ笑み、同時にルニエスティの体が光った。
カームの魔法が唱えられた。
落ち着かせる精霊魔法。
「大丈夫」
何度か瞬きをしたルニエスティは画面に映し出されたナスカを見た。
それは驚愕の光景だった。
生きていた。
ルニエスティは奇跡だと思った。
生まれて初めて、奇跡を見た。
でも、奇跡はそれで終わらなかった。
ナスカに向けて放たれた矢が、全て跳ね返ったのだ。
矢を放った張本人に向けて。
「凄いなナスカ。張り切りすぎじゃないのか」
ラシルが呆れて言う。
「はい。それはもう。ラシル様が御高覧されておりますから」
ロメリアが朗らかに微笑んだ。
ラシルは引き攣った笑みを浮かべた。
今さっき見せたナスカの技術は凄い。
数百本ある全ての矢を、矢を射った張本人にそのまま返したのだ。
それをするには二通りの方法しかない。
一つは、全てに転移魔法を掛けて、返す方法。
もう一つは、全てに持ち主に戻る、リターンの魔法を掛ける方法だ。
ナスカが使ったのは、リターンの魔法。
どちらの魔法を使ったにせよ、その数と制精度は目を見張るものがある。
戦闘慣れしているというレベルではなく、もう一段階から二段階、丘を越えたところにある技だ。
「どうなっている!?」
将軍は強い悪態をついた。
合成魔法攻撃と強化物理攻、この二種類の攻撃をこの数で仕掛けたのにも関わらず、相手は全くの無傷。
どうなっているんだ。
こんな事象、エルフの将軍といえども経験したことなど無かった。
白虎帝の軍とも戦闘経験があり、白虎帝本人とも戦場で相まみえたことがある。
確かにに白虎帝は強かった。
しかし、これほど無茶苦茶ではない。
一体、自分は何と戦っているんだ。
将軍の側近たちの中にはそう考える者が出てきた。
「ば、ばかな」
いい頃合いだとナスカは思った。
地面の水位は上がり、完全に沼地と化している。
膝の上まで達した水位は進軍を停滞させ、エルフたちを泥遊びに興じさせていた。
「埒が明かん! 禁術を使え!!」
将軍が大声で叫ぶ。
エルフの言う禁術とは、火の術式。
エルフにとって、森を焼く火の精霊術は禁忌とされている。
森で火を使うと、それは強大であり、辺り全てを焼き尽くす。
一度ついた火は術者の制御の越えて、見境なく木々を焼いていく。
それはエルフたちにとって、使ってはいけない精霊術の筆頭だった。
将軍はそれを解禁する。
ここは本陣とも遠い。
中央エルフの都市とも、遠く遠く離れた場所にある。
たとえ大きな火事になったとしても、被害はない。
それよりも、この忌々しい敵を駆逐することが目下の最優先事項だった。
「火炎術式用意!! 弓を引け!!」
各地で号令が轟く。
ちょうどいい。
ナスカは妖艶な笑みを浮かべた。
さっきからずっとあちらの攻撃ばかり。
ナスカは攻撃を受け続け、自分からはほとんど攻撃をしていない。
やりたい放題やられている。
しかし、これでまだ終わりではない。
むしろここからなのだ。
ナスカは仕込んでいた次の術式を解放した。
水が、油に変わる術式。
音を立てず、静かに、着実に水質が変化していく。
沼地になった足場から、強い油の匂いが立ち込める。
「これはなんだ!!」
「臭いぞ!! 臭い!!」
全軍が錯乱状態に陥る。
「放てぇ!!!」
そこに攻撃命令が響きわたる。
本日何度目になるか分からない、攻撃の命令。
火の術式が込められた矢が一斉にナスカを狙う。
矢がささる所で火が燃え上がるという、ナスカからすると他愛もないもの。
それでもエルフたちは真剣だった。
彼等にとって、火は恐怖と同義だからだ。
これが当たれば、大ダメージを与えることができるとエルフたちは信じて疑わない。
一方のナスカは、何もしない。
ナスカがいる場所へと矢が吸い込まれ、ある一定の距離に達するとそれが消失する。
何もしなくても、矢が消えていく。
ナスカから1メートル付近まで到達した矢は全て消えた。
「ナスカ、やべーな」
管制室にいたラシルが呟いた。
ナスカに向けられた矢は、そのまま全て転移し、上空に出現。
それは地面の方向を向いていた。
幾百もの矢は、重力と共に加速し、地面に降り注ぐ。
火の術式と共に。
沼地の油に引火して大きく燃え上がる。
「うぁーーーーー!!!!」
「熱い!! 熱い!! 熱い!!!」
各地で怒号と悲鳴が上がった。
火に油、いや、油に火という状況だった。
油田と化した沼地が地獄と化した。
火に対して、必要以上の恐怖を抱いているエルフたちは逃げ出した。
火傷をさせるくらいの出力で、ナスカは沼地全体に炎を発生させる。
エルフたちの体が火に包まれる。
エルフたち、森の種族は火を極端に恐れる傾向にある。
火は森の全てを焼くからだ。
エルフは戦闘で火の術式を使うのは禁忌とされている。
焼いてしまえば略奪することができないからだ。
だからエルフたちは食事をする際に調理をしない。
森から取れる食材を生のまま、サラダで食べることがほとんどだ。
「うぁ、うぁ、うぁーーーー」
大パニックになった。
そこまで大けがをさせるつもりはないので、ちゃんと出力は絞っている。
撤退させることが主な目的だということを忘れない。
そしてあとは。
風の簡易殺傷魔法。
いわゆるカマイタチである。
しかしナスカが使うと出力が違う。
可視化できるほど鋭利な鎌が、上空に出現。
そして次の瞬間、それは消えた。
ビュン!!!
一直線に将軍へと向かい、右腕を切り飛ばす。
血が出る前に、右腕が宙を舞った。
まだ気づいていない。
鋭利すぎて、斬られたときの反動もないためだ。
宙に舞った腕が当たった側近エルフの指摘でようやく気付たようだった。
将軍が馬から転げ落ちる。
「き、き、貴様、お、俺の腕、俺の腕をーーーーー!!!!
カマイタチを10個くらい出現させ、将軍の体の周りをかすめるように攻撃する。
将軍が尻もちをついたまま、頭を庇って泣きじゃくり始めた。
側近が数人で治癒魔法を掛けつつ、将軍をう前と担いで乗せる。
そしてそのまま踵を返すと、馬は戦場とは逆方向に走り出した。
側近たちもそれにつづき、逃げ出し始める。
「撤退だ!!」
「撤退! 撤退!!」
各指揮官が部下の兵士に叫ぶ。
炎でパニックになっていたエルフたちは、そのまま武器を捨てて走り出した。
しかしすぐに泥で転ぶ。
這いつくばりながらも、沼地から抜け出そうと必死でもがいている。
エルフたちは逃げだした。
ナスカは撤退を助けるように、風の魔法で辺り一面を吹き飛ばした。
強風にあおられ、宙を舞うエルフたち。
沼地の外側に投げ出された後も、叫び声を上げながら逃げ出した。
エルフがいなくなると、戦場にはナスカが一人だけ立っていた。
後片づけである。
念話を使って部下のエルフたち数人を呼ぶと、ナスカは再度魔法で風を起こした。
10個ほどのつむじ風を発生させると、落として言った武器や装備を風で巻き上げる。
巻き上げられた装備は何か所かにまとめられた。
いわゆる戦利品である。
持ち帰ってベッフィーやミイのお土産にする。
戦利品の装備からは様々な情報が収集できる。
どの程度の装備を加工、製造することができるのか。
そこに魔法は付与されているのか。
魔法工学的な観点から、相手の技術力と戦力の最大値がある程度分かる。
ナスカに呼ばれたエルフたちが武器を空間に収納していく。
魔法を使ったのでほとんど一瞬で完了した。
一旦部下たちを離脱させ、火の術式で沼地一体を焼き払う。
戦闘の際に使用したよりも大きな出力で全体を満遍なく、徹底的に焼く。
もちろん周りには防御フィールドを張っているので、延焼する心配はない。
そして最後の仕上げ。
土の術式で焼かれた土地を攪拌する。
木の術式で草を生やす。
ものの数分で沼地になった場所は元通りになった。
「これでよし」
ナスカは頷くと、転移魔法で拠点へと戻った。
ナスカが管制室に戻ると、ダークエルフたちがラシルに跪き、忠誠を誓っている現場に遭遇した。
ダークエルフの族長ルニエスティや村長、そして兵士たちも床に膝を付き、深く頭を垂れていた。
「ラシル様、これまでの数々の無礼をお許しください。私どもを庇護していただき、感謝申し上げます。私共はか弱い身ですが、ラシル様のお役に立ちたいと思います。どうか今後とも、庇護をお与えください」
その様子を見たナスカは満足気に微笑んだ。
一方で、ラシルは困っていた。
ラシル的には、強さを見せて従わせるっていうのはちょっとアレなのだ。
近代国家で生まれ育ち、自由を標榜するギルドにあまりふさわしくない。
そしてなによりも、ルニエスティの胸元がちょっとアレなことになっていた。
ボロボロの服に大きな滑、そしてきわどい姿勢。
そう、これは沼地だ。
男の視線を絡め取る沼地なのだ。
ラシルはその沼にハマり、脱出しようと必死にもがいていた。
さっきのナスカの仕掛けのように、もうすぐ沼に火が付こうとしている。
いや、もう火は付いている。
ラシルの頭の中で。
心配なのはロメリアとナスカの存在だ。
「一つ言っておく。別に忠誠を誓う必要はないし、訓練で強くなったら独立していい」
要らぬ火の矢が飛んで来る前に、ラシルは何とか真面目な一言を放った。
ラシルの言葉を聞いたルニエスティは真顔で首を傾げた。
やめてくれ、そんなポーズはやめてくれ。
「今は分からなくてもいい。ここにいるナスカがお前たちの面倒を見るだろう。まずは温泉にでも入ってゆっくり休んでくれ。明日夕食会を開こうと思う」
「はっ。ありがとうございます」
ラシルは尤もな顔をして指令室を後にした。
転移術で禁城に戻るまで、ラシルの頭はダークエルフの胸でいっぱいだった。
「ラシル様、ダークエルフはいかがでしたか?」
転移先でラシルの帰還を待っていた、満面の笑顔のミイ。
全てを知っているような、何も知らないような、そんな笑顔だった。
ラシルの頭の中で渦巻いていた熱気は、一気に冷めた。
恐ろしくなったラシルは身震いを一つすると、咳払いをして、幹部の招集を命じた。




