058_研修所6 ナカムラさん
100匹の狼を一瞬で滅した女性は問いかけた。
「お前たちはなんのために争っている?」
火国の女性は言葉を区切り、フィールドの隅で腰を抜かしている者たちに視線をやった。
「恨みか? 憎しみか? 憤りか?」
そして観客席を見渡した。
その人が笑っているように見えたのは、錯覚ではないだろう。
「理由はまぁ、人それぞれだろう。しかし、お前たちは私の力を見たか?」
観客席の何人かがコクコクと頷いていた。
「この程度、私なら一瞬で倒せる。この力は私が訓練をした結果と、ラシル様から与えられた力だ。この力は中央の帝王にも匹敵するだろう。私はここにいるほとんどの者と同じように、最近まで戦闘など一切できない小娘だった。信じられるか?」
隣に座っているアムの目が驚きで大きくなった。
嘘だ。
私がこのレベルに達するには多分100年くらいかかるんじゃないか。
そう思ってしまうくらい、自分たちとの実力の差があった。
今の私たちは仙術すら使えない。
武器を持って、数人で取り囲んで1匹倒すのにやっとの状態なのだ。
この女の人のように強くなるなんて不可能のように思えた。
「私は今、仙人まで上り詰めたのだ。しかし、上には上がいる。では竜騎士様、お願いします」
そう言って頭を下げた。
竜騎士と呼ばれた人は、カッコいいフルフェイスの兜をかぶっていた。
高価で強そうな甲冑を身に付け、腰に細い剣を下げていた。多分それはレイピアだろう。
それだけで、位の高い人なのだと分かった。
竜騎士様は頷いて、手を上にかざした。
何が起こるのだろう。
この場にいた何人が予想できただろうか。
空に巨大な魔法陣が突如出現。
魔法陣は何層にもわたり、複雑な模様だった。
そのいくつかが回転していた。
「綺麗……」
何処からともなく聞こえる感嘆の溜息。
その中から大きな鍵爪のようなものが出てきた。
足だった。
爬虫類のような足、でもすごく大きい。
鱗状の皮膚。
それよりさらに大きな翼が出てきた。
それは言い伝えでしか聞いたことのない、邪悪の権化。
「り、竜だーーー!!!」
観客席の誰かが叫ぶ。
「う、うぁーーーーー!!」
各所で悲鳴が起こる。
何人かが立ち上がって逃げ出そうとしていた。
もう転んでいる者すらいる。
フィールドの隅にいる者たちは、最早ビビり過ぎて立ち上がることすらできない。
闘技場全体がパニックになりかけたその時。
「落ち着け!! お前たちに攻撃は届かない」
火国の女性の声が響いた。
爆発しそうだった闘技場は、水を掛けられたように一瞬にして鎮まった。
それでもまだ皆の気持ちは高ぶっていた。
初めて見る怪物。
どのくらい強いのかは分からない。
しかしそれは簡単に、自分たちという存在を消滅させることができるだろう。
信じられないことに、竜が召喚された。
大きな竜。
都市すら簡単に亡ぼす。
その竜が産声を上げた。
そして戦闘が始まった。
竜が強大な唸り声を上げる。
それは挑発なのか、気合いを入れているのか分からない。
それでも強さを誇示するのには十分だった。
火国の女性は竜の唸り声など聞こえなかったかのように、冷静に火の術式を発動。
何十個という火の玉が竜を襲う。
大きな爆発音と煙が上がった。
竜は無傷。
竜が咆哮を上げ、勢いよく息を吸い込んだ。
竜のブレス。
フィールド全体に灼熱の炎が行き渡る。
それだけにとどまらず、土がドロドロに解かされる。
破裂音や爆発音が重なり、フィールドはマグマ状にドロドロになっていた。
どのくらい高温なのか想像もつかない。
火国の女の人は物理攻撃に変更。
竜に切り込んでいく。
素早い動きでの綺麗な剣術。
竜の腹を狙った剣は弾かれ、首を狙うも無傷。
何度も何度も剣を突き立てるが、攻撃ほとんど効いていない。
竜の方も尻尾や前足で攻撃するものの、火国の女性に全部避けられている。
火国の女性の攻撃は効かず、竜の攻撃は当たらない。
いったい竜はどれほど強いのだろう。
フーリュから見て、火国の女性は十分に強い。
身のこなしは目で追うのがやっとだし、繰り出される斬撃や技も凄い。
仙術も併用して使っている。
物理攻撃を駆使しながら、剣に炎や風を巻き付けて見たり、土の術式で足場を揺らしている。
見惚れるほどに、非常に高度な戦い方だ。
しかしどちらも決め手の無い闘い。
それでもどちらが有利かは一目瞭然だった。
火国の女性は、今のところ竜にダメージを与える術がない。
恐らくこのままいけば、火国の女性は負けるだろう。
なぜならいつかはスタミナが切れてしまうからだ。
動きが鈍り、竜の強力な攻撃が一度でも当たればアウト。
その時点で勝敗が付く。
火国の女性は剣での攻撃をいったん中止した。
展開する為に用意していた大きめの術を解放。
爆発の術式をいくつか竜の顔に命中させた。
狙いは良かったのに、竜には何の効果も無かった。
火国の女性は肩で息をしながら、戦闘を中止した。
「いいかみんな。このように、この竜は私では倒せない。しかし、倒せるお方がいる」
そこに出てきたのは、私たちの先生、ナカムラさんだ。
いくらナカムラさんでも……
相手は竜だ。
生身の人間では太刀打ちできない。
どれほど鍛錬を積んでも、レベルを上げても到底、敵いそうにない。
フーリュは声援を送ろうか迷ったが、シリアスな展開なので自重した。
声を出すとか、そういう雰囲気ではなかった。
周りの観客は次の瞬間に何が起こるのか、一瞬でも見逃すまいと食い入るように見つめている。
だから心の中だけで応援する。
頑張れ、ナカムラ先生。
ナカムラさんはいつも通りの表情をしていた。
まるでこれから晩ご飯でも食べに行くかのように。
全然緊張しているように見えない。
ナカムラさんが素早く飛来して、竜にパンチを繰り出した。
竜は反応できず、石ころのように吹っ飛ぶ。
観客席のバリアに大きな音を立てて当たった。
その近辺にいた人たちは腰を抜かしていたり、大慌てで後ろに移動している。
ナカムラさんが竜に手をかざす。
空間が歪んだ。
見間違いではないと思う。
ナカムラさんの手の周りだけ、世界がぐちゃぐちゃになった。
それほどまでに莫大な力。
青く綺麗な術式が雨のように発生し、全ての粒が上昇していく。
竜の頭上で青い粒は一気に合体し、光となり、やがて武器の形になった。
大きな槍が出現したのだ。
たぶん風の術式だとフーリュは思った。
唯一、推測できたのはそれだけ。
後は何が起こっているのか分からない。
ただただ大きくて美しい力を行使しようとしているということだけが、見ている人全員の印象だ。
槍が竜を断罪するかのように、いっぎに下に落ちる。
竜は槍で貫かれると同時に、青い光にも包まれた。
そして光が止むと、竜が消滅していた。
ナカムラさんが火国の女性の方を見て頷くと、退場する。
歓声や喝采は起きなかった。
余りにも信じられない光景に、みな唖然としていて、それどころではなかったからだ。
火国の女性はフィールドの中央へ行き、観客に語り掛けた。
「このように、ラシル様の民は非常に強い。たった御一人でもこれだけの力があらせられる。因みに、今御力を行使されたナカムラ様は、兵士ではないそうだ」
観客たちにどよめきが起こる。
どういうことだという顔をしていた。
「ラシル様の民には、我々で言うところの一般市民がいて、さらに戦闘に特化した兵士がいて、その兵士よりも強い隊長級の方々がいて、その方々よりも強い幹部の方がいらっしゃる」
火国の女性が何を言いたいのかは分かった。
しかし、されでさらに混乱が大きくなった。
つまり失礼な言い方をすると、ナカムラさんはラシル様の配下の中で最も弱いということなのだ。
それなのに、この戦力。
「ラシル様にとって、我々の国を滅ぼすことなど容易い」
一番お強いラシルさまは、一体どれほど強いのだろう。
それこそ、神の領域なのだと皆納得した。
「しかし、ラシル様は慈悲深いお方だ。皆、色々思うことはあるだろう」
火国の女性はゆっくりと観客席を見回した。
「ラシル様は奴隷となった火国人を解放し、火国を救ってくださった。奴隷を使役していた水国、木国、土国の都市を滅ぼした。その都市にいた者は誰一人として生きてはいない」
観客席にいた3割くらいの人の顔が青ざめた。
滅ぼされた都市が属していた国の人たちだろう。
「ラシル様は奴隷制度を是としない。それどころか、我々に力をくださった。今、私は自分の身を守る以上の力を得ている。ラシル様に元々仕える方々以外、私を害せる者などいない。そう確信している」
実際に彼女の戦闘を見た誰もが同じように思っただろう。
「これ以上お前たちは何を望む? 私にも恨みがあった。故郷を奪われ、両親や友人を殺された。しかし、今ではそんなものなどほとんど意味をなさない。なぜなら、私はラシル様の民なのだ。火国の民でも水国の民でもなく、ラシル様の民だ。ラシル様よりも強い者など私は知らない。これからは絶対の安全と、豊かな暮らしが約束されている」
彼女の言う通りだ。
私たちがラシル様の民であるならば、それは絶対の安心を約束してくれる。
「お前たちはまだ信じられないかもしれないが、食料も問題なくなる。私でさえ、数か月前まではただの村娘だった。レベルもお前たちと変わらなかった。そこらにいる男たちより弱かった。だからお前たちも強くなれる。恨みを捨てろとは言わない。憎しみをなくせともいわない。ラシル様は個人の意思を尊重される御方だ。恨みを晴らすための決闘や戦闘を禁止しない。ただし、ここで必ず私達の誰かを立会人にすることがその条件だ」
フーリュは考えた。
両親が死んで、奴隷になって、ずっと過酷な日々が続いていた。
その時には何かを考えることなんてできなかった。
その日その日を生きていくのに精一杯だったからだ。
ひたすら辛くて、不安だった。
だけど今、何かが自分の中で変わって行っているような気がする。
前に進みたい。
誰かに、何かに引っ張られたり振り回されるのではなく。
「ただし、これだけは覚えておけ。お前たちはラシル様の民なのだ。それを肝に銘じて考えるがいい」
火国の女性は最後にそれだけを言い残し、フィールドを後にした。
「そろそろレベリングに行こうか」
私たちの後ろにはいつの間にかナカムラさんが立っていた。
「ナカムラさん、凄いです!! 感動しました!!」
メビィが興奮して言った。
「ナカムラさん、ドラゴンまで倒せるんですね!!」
リンシンが絶叫した。
「カッコよかったです」とシェンリ。
「やっぱりラシル様は偉大な方なのですね」とアム。
「最後はどういう術を使ったのですか?」とメイユ。
アムを始め、女の子たちの目は輝いていた。
男の人達もナカムラさんを尊敬の眼差しで見ている。
「君たちもこれくらいならすぐ強くなれるさ」
ナカムラさんはいつも通り、何でもないことのように言った。
そんなわけないと思ったのは私だけではないだろう。
でもそれは嘘ではないかもしれない。
だってナカムラさんが言うことだから。
「私、レベリング頑張ります」
「早く訓練したいです!!」
「それじゃあ転移するよ。準備はいい?」
「はい!!!」
みんなやる気は十分。
次の瞬間、私たちはフィールドに立っていた。




