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016_ミイのジレンマ


 最近、ミイの毎日はとても充実していた。

 ラシルと毎日一緒に過ごす。

 これ以上に幸せなことなど、ミイは知らない。


 朝起きるとラシルと冒険に出る。

 一緒に戦闘をして汗を流す。

 ラシルの戦う姿を見ることができる。

 ラシルは最優先で守らなければならない対象なので、禁城の外にいる時は戦闘中も休憩中も必ずラシルを視界の端に入れておく。

 片時も目を離さない。

 決して、ずっと見ていたいとかそういうストーカー願望ではないはずだ。

 ラシルは皆にとって大事なのだから。

 唯一のマスターなのだから。

 

 ミイはラシルの前に出て戦うよりも、ラシルの後ろを付いて行って、並んで戦う方が好きだった。

 本当はラシルが怪我をしないようにミイが前に出るべきなのだろうが、ラシルにもレベルアップをしてもらわなければならない。

 決して後姿を見ていたいとか、そういう理由ではないはずだ。


 昼食はラシルと一緒に並んで座って食べる。

 これも、禁城の外ではいつ何時モンスターが襲ってくるか分からないので、近くにいないといけないのだ。

 決して、一緒にランチをしたいから、という理由ではないはずだ。


 ラシルと一日中一緒に行動する。

 四六時中ラシルのそばにいる。

 嬉しくて頭がおかしくなりそうだった。


 ラシルのために戦い、ラシルの為に強くなる。

 次の日も、そしてまた次の日も、ラシルと一緒に冒険に出る。

 ここ最近、滅多に味わうことのできなかった最高の日々。

 言葉で言い表せないほど、それはとても充実していた。


 レベリングは激しい。

 洞窟に潜れば一日中歩き回り、戦闘しっぱなし。

 3日に一度は昼ごはんを忘れて戦闘をする。

 帰ってからも仕事がある。

 レベリングで一日中体を酷使しても、様々な物事への対処をひっきりなしにしても、ミイは幸せだった。

 どんなに疲れていても、それはミイにとって心地の良いものだった。


 ミーナ・ドレステン

 それがミイの本名だった。

 ラシルに付けてもらったファーストネームのミーナと、ファミリーネームであるドレステン。

 そもそもNPCがファミリーネームを持っているなど例外中の例外なのだ。

 ラシルの他の配下でファミリーネームや、もしくはそれに準じるタイトルと呼ばれる地位的なネームを持っている者など、ほとんどいない。


 ミイは自分の名前を気に入っていた。

 本名のミーナも、愛称のミイも。


 アップデートのような事象が発生してから、ミイは様々な雑事をこなしていた。

 

 この拠点の管理者はクゥである。

 しかし立場的にはミイのほうが上になる。

 クゥはどちらかというと、戦闘が得意なのだ。

 戦場での状況を素早く把握し、戦闘の流れを見極めること。

 この一点に限って言えば、クゥはラシルの配下の中でも1、2を争うだろう。

 拠点管理の仕事はどちらかというとショウの管轄。


 だけど今は緊急事態。

 通常業務から大きく乖離している。

 敵が攻めてきているのではなく、対応しなければならない事態はもっと複雑なのだった。

 だからほとんどの事柄について、ミイが対応している。


 ミイの仕事は多岐に及ぶ。

 食事を取るようになったNPC達約300人のための食料の管理。

 彼らのレベリングの進捗管理。

 城の守備。

 守備兵の担当およびシフト決め。

 建物の管理運営。

 ラシルの意思伝達。

 現状の分析。

 等々、この他にも沢山の仕事があった。


 ミイ自身は実行しなくても、報告によって現状を把握し、考え、企画立案と方向性を定め、他の者に仕事を割り振って指示を与えるだけだとしても、それはとても疲れる。


 ショウは内政や細かい調整が得意なので、施設管理や食料管理といったものを任せている。

 クゥは部下の面倒見が良く、戦闘が得意で戦術レベルで優れているので、レベリングの管理や守備兵の配置などを担当させている

 情報収集はニボシに任せている。

 

 彼らから上がってくる報告を短くまとめ、ラシルに提出。

 判断できる小さな事柄はミイが判断して、大きな事柄はラシルの判断を仰ぐ。

 レベリングと並行して行うのは大変だが、やりがいがある。

 ここ数年で一番幸せな日々なのだ。

 


 ミイは思う。


 いつからだろう。

 ラシルが冒険に一緒に連れて行ってくれなくなったのは。

 最初はラシルとずっと一緒だった。

 ラシルに戦いを教わり、ラシルが良く場所はどこへでもついて行った。

 それが当たり前で、そんな日々がずっと続くと思っていた。


 その内に仲間が増えた。

 人が増えると、ラシルがミイ一人に費やす時間が減った。

 それは当然の帰結だった。

 新参者のレベリングにラシルは心血を注いだ。


 沢山の仲間が増え、拠点もできていった。

 ラシルに拠点の1つ、その管理を任された時はとても嬉しかった。

 自分はラシルにとって特別なんだと、そう思うことができた。

 拠点管理者は、今でも7人しかいない。

 ラシルのギルドに所属している大勢いるラシルの配下のNPC。沢山いる中でその栄誉に浴しているのはたったの7人。

 拠点は旅の途中や、旅をしていない時に、ラシルが滞在する場所。

 ラシルが心から寛げる場所でなくてはならないため、とっても大切な場所なのだ。

 その1つを任されている。


 それはミイの自尊心を満足させ、彼女の誇りとなった。


 しかし、拠点の管理を任されたのはいいが、ラシルの冒険のお伴をする機会が減っていった。

 気づいたときには、ラシルと週に1日会えるかどうかになっていた。

 ラシルがログインしないとき、他の拠点に滞在している時などには、2週間も会えない時間があった。


 ミイは不安になった。

 自分は必要とされていないのではないか。

 もしかしたら、自分はもういらない子なのではないか。

 存在が邪魔になっているのではないか。

 そんなことに思い悩んだ日々があった。

 それはミイにとって最も切実な悩みであり、存在意義そのものだったからだ。

 毎日思い悩み、暗く鬱々とした。

 それでもたまにラシルが訪れると、そんな感情は全て吹き飛んだ。

 でもそれは、ラシルと一緒にいる間だけ。

 ラシルが旅立って、いなくなるとまた寂しくなり、ラシルを求めるようになり、不安になり、自己嫌悪に陥った。


 ラシルは優しい人だった。

 自分が必要無いのではないかと何度か聞いたことがある。

 しかし何度聞いても、そんなことないよと言って笑う。

 そんなことがあるわけがない、と。

 

 ミイの言葉はラシルに重く受け止められなかったのかもしれない。

 いや、本当にそうだろうか?

 違う。

 ラシルは真剣に向き合ってくれなかった。

 いや、それも違う。

 真剣に向き合ってくれていた。

 ミイが抱く不安というのは、それは本当にラシルにとってあり得ないことだったのだと思う。


 だから、ミイは考えた。

 自分はどうするべきか。

 それ以前に、どうしたいのか。

 ラシルに会えない間、ミイ曰く、放置されている間に考え抜いた。

 

 自分はラシルがいないと嫌である。

 ラシルがいないとダメである。


 極論を想像する。


 なぜそんなことを考えたのか、そんな問いを思いついたのか、それは分からない。

 多分追い詰められていたんだろう。

 ラシルに捨てられるのと、ラシルが死んでしまうのと、どちらが嫌か。

 もしそんな状況になったら、どちらがマシなのか。

 どちらもイヤだった。

 それはとてもわがままだと思う。

 ミイはラシルの役に立ちたいのだ。

 そんな状況など、どちらもあってはならなかった。


 ラシルに捨てられるくらいなら死んでしまいたいと思うし、ラシルが死ぬくらいなら、先に自分がラシルの盾となり、死にたい。


 とても重い女だ。

 自分でもそう思う。


 けれども仕方ないではないか。


 ずっとラシルのそばにいたい。

 一緒にいたい。

 しかし、どうすればいいのだろう。

 

 ラシルの盾になり、ラシルを守りたい。


 悩んで、悩んで、悩み抜いた。


 そして、ミイは『情報』に辿り着いた。


 ラシルのことをもっと知ろう。


 これはストーカー的な発想かもしれないと思ったが、何よりラシルの安全保障のためと、自分の精神衛生上の問題だ。


 ラシルのそばにいるためには、ラシルがどこにいるのかを知っていなければならない。

 ラシルを守るためには、何かあった時にすぐに駆け付けることができなくてはならない。

 ラシルの帰りを待つだけではなくラシルを見守り、すぐにラシルの元に行けるようにする。

 私は受動的な女から、能動的な女に進化するのだ。と、その時のミイは考えた。


 ラシルのことをもっと知ろう。

 ピンチになったら、死ぬ前に助けよう。


 そして、ミイはラシルの為の情報機関を設立するに至った。



 ミイは変わった。

 今までは、悩んでクヨクヨするだけの存在だった。

 水を得た魚のように、組織を大きくしていった。

 ラシルへの忠誠心と、愛情と、使命感で溢れていた。

 ラシルに情報機関設立の許可を取り付けた。

 もちろん、情報収集によってゲーム攻略が容易になることや、皆のためになること、危険回避という名目で作った。

 ただし、メインの情報収集の対象をラシル本人だということは言わなかった。


 無事に許可を得たミイは、各拠点の優秀な人材を引き抜いた。

 母体となっている拠点で暇そうにしていた者。

 あまりにも優秀なため、集団の中で浮いていた者。

 特殊技能を持っている者。

 ミイはそういった者たちを引き抜いていった。


 ラシルのギルドメンバーである全ての拠点管理者とその住人は、引き抜かれることに抵抗を感じなかった。

 なぜなら、ラシルの配下であり、他の拠点も同じ組織の中であるという強い仲間意識があったからだ。

 引き抜かれた者も、喜んでいた。

 勧誘するにあたっては、個人の考えや自由を尊重したが、みんな喜んで加わった。

 そこからミイによる厳しい訓練と、ラシルの世界の本を沢山読み、組織の土台を作った。

 結果として、各世界の最新情報やイベント、ログインと同時にラシルの位置情報を入手するまでに至った。

 きわめて高い精度の様々な情報が、続々とミイの元へ集まってきた。

 

 そんな強固で強大な組織を作ったものの、生かされることは少なかった。

 苦労して入手した攻略情報などをラシルに教えようとすると、ラシルは「それじゃあ面白さが半減する」と言って情報を受け取らなかった。

 また、ラシルのピンチの時にいつでも駆け付けられるように、ログイン時から追跡し、臨戦態勢で待機していても、一度もラシルがピンチになる瞬間などやって来なかった。



 そして、そんな状況が続いた後、今がやってきた。



 つい最近起こった謎の世界改変。


 そのせいで帰れなくなってしまったラシル。


 それはミイにとって、心が痛むと同時に、体が震えるほど嬉しかった。

 元々、情報機関の設立で、ラシルの居場所がすぐに判明するようになっていたのだが、それでもラシルが現実の世界へ、ミイからすると異世界へ帰るというのはとても悲しい出来事だった。

 ラシルにしてみれば、こちらがゲームの世界で、偽物の世界だ。

 しかし、ミイにしてみれば、ゲームの世界が本物なのだ。

 そしてミイにとっての本物の世界には、ラシルしかいない。

 それがミイの全てなのだ。


 謎の世界改変で失ったものは沢山ある。

 他の拠点、なにより自分の拠点と連絡が取れない。

 レベルという自分の強さも失った。

 元のゲームという世界も失った。


 でも。

 それでも、ラシルがいる。

 他の全ては、いつか取り戻せるのだ。

 拠点なら見つけるか、また作ればいい。

 レベルなら、また上げればいい。 

 失った元の世界も、今の世界をそういう風に創ればいい。


 でも、ラシルだけは取り戻すことができない。

 絶対的な、唯一無二の存在。

 その唯一無二の存在がいる。

 まだ自分手の届く範囲に残ってくれた。


 最高だ。


 ミイはそんな思いだった。


 力を失い、拠点の施設を維持することができない。

 仙術や魔術が使えないのは、非常に影響が大きい。

 例えば、部屋や建物の掃除。

 本当であればスイッチ一つで魔力と仙力が発動し、部屋がキレイになる。

 魔力の改変の力と、仙力の物理操作の力で、部屋を自動で掃除する技術がある。

 それが使えないのは痛い。

 大ピンチだ。

 でもそれがとうした。

 ラシルがいる。


 電気もつかないし、風呂にだって入れない。

 でもそれがどうした。

 ラシルがいる。


 これからゆっくりと、取り戻していけばいい。


 しかしミイはこの状況で、悪魔的なひらめきを得ていた。

 

 お風呂に入れない。

 お風呂に入るためには、仙術が必要だがそれは無いし、莫大な金貨を消費するので、それもできない。

 そのため、ラシルはじめ、みんな水浴びをする。

 朝早くからレベリングをして、その汗を水浴びのみで流すのだ。

 しかし、それでは十分にキレイにならない。


 また、部屋の掃除もできていない。

 誰かが人力でその部屋を掃除しなければならない。


 ミイはこの状況を最大限に利用した。


 ラシルには毎日違う部屋で寝てもらっている。

 部屋の掃除が間に合わないためと嘘を言って。



 実は違った。

 掃除などできるし、間に合っている。

 でも、そこにはラシルが寝たベッドがあるのだ。


 ラシルと一緒に寝ることを禁止されてしまった今、取れる手段は一つである。


 ラシルが寝たベッドに次の日、自分が寝るのだ。

 それに気づいたとき、自分はなんて天才なんだと思った。


 何も知らないラシルが隣の部屋で寝ている。


 ミイは前日ラシルの寝たベッドで寝る。


 そこは天国だった。

 天使族が作るどんな国家体よりも、ミイにとって信仰と愛にあふれる、最も天上に近い場所だった。

 最愛の主であるラシルの匂いで溢れていた。

 

 初日は、あまりの幸福のために気を失いそうになった。

 ラシルの匂い。

 ああ、ラシル様。

 ああ、ラシル様。

 ミイは何度も幸せを噛み締めた。

 ベッドも布団も枕も、ラシルで溢れていた。

 まるでラシルに包まれているかのように。

 これをこのまま一生取っておきたい。保存しておきたい。

 どんな重要文化財よりも、尊いものに思われた。



 2日目は、あまりの興奮のために寝付けなかった。

 ミイは、人前では絶対に見せないような表情でだらしなく笑い、髪を振り乱して狂気した。

 好きな人が寝た後のベッドで寝るのだ。

 これほど素晴らしいことはこの世にあまりない。

 


 3日目。

 いよいよ異変に気付いたクゥがミイを問いただした。

 クゥは様子のおかしいミイに一番に気づいた。

 さすがの洞察力。

 ミイは誤魔化したが、クゥは見事に状況を正確に見抜いた。

 さすがはクゥである。

 そしてクゥは当然のように、自分もラシルが寝たベッドで寝たいと抗議した。


「妾も、妾も寝たいのじゃ」


 そして喧嘩になった。

 しかし分が悪かった。

 ミイに許されて、クゥに禁止する正当な理由がない。

 自分だけが良い思いをして、利権を独占しているような状況だ。

 舌打ちを堪えつつ、ミイは許すことにした。

 仕方ない。

 こうして、この日のラシルが寝たベッドはクゥに譲り、次の日はミイ、また次の日はクゥというルーチンができあがった。


 ラシルに知られればすぐにやめろと言われるだろう。 

 もしくは、ずっと同じ部屋で寝て、誰も入れさせないだろう。

 それだけは絶対に避けなければならない。

 絶対にばれてはならなかった。

 この意見はクゥとも一致した。

 この幸せは絶対に手放したくはないと。



 しかしながら、この満足は最大限ではない。

 これでも満足以上のものに値するのだが、それでももっと上があるのだ。

 それは、ラシルと同じ布団の中で寝るというもの。

 ラシルが一晩過ごしたベッドも涎垂ものだが、ラシルのいるベッドで一緒に寝るという行為は、発狂ものである。


 ここで満足してはいけない。

 ミイは毎晩そう思い、ラシルのいたベッドで、ラシルの残り香に包まれ、その硬かった意思が木っ端みじんにされる。

 このままでいいじゃないかと。

 この状況がずっと続けばいい。

 でも、ラシルと一緒に寝たい。

 でもこのままでもいい。

 やっぱり一緒に寝たい。


 あぁ。

 なんという。

 

 ミイをジレンマが襲っていた。


 しかし、恋する乙女となり、回りの見えていないミイは気付いていなかった。

 頭の良い彼女としては稀なことに。

 盲点があったのだ。


 それは、レベルアップして進化すると、仙術や魔術が使えるようになる。

 そうなると、部屋がキレイになり、ベッドの匂いもなくなる。

 そうなればラシルが部屋を変える必要がなくなるという事実。


 その事実に気付き、驚愕と戦慄を覚えるのはもう少し後のことだった。




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