100_ミイ外伝
私の名前はDTTVNG0004311。
ベボン砂漠に西側から入り、交易路に沿って十日ほど歩くと、砂漠交易拠点第三の町ベリザがある。そこからメインの交易路を外れて、北にちようど四日ほど進んだ所に、私の生まれた村がある。
誇り高い、古き砂漠の民が暮らす村、ゴトだ。
昔は砂漠の交易路の休憩地点としての需要があったのだけれど、今はもう廃れてしまった。海という広い水の道の上を走る、船という乗り物が使われ始めた今日では、陸の交易路は使われなくなり、この村に訪れる者も稀になったのだそうだ。
砂漠は人が少ない。自然環境はとても厳しく、食料も少ないからだ。
この近辺で唯一の小さなオアシスが村の中心にあり、それは人間の生存可能領域を幾ばくか広げている。
オアシスを囲むようにして、食べ物屋さんと道具屋さん、私の家が営んでいる宿屋、そして集会所の四つの建物がある。この四つがささやかな村の市街地で、ほんのちょっとだけ賑わっている場所だ。
市街地から外側にかけて円周上に、日干しレンガで造られた家々が点在している。その数は約二百戸。 この数は、村が昔は栄えていた名残だ。ゴトの村を捨て、移住していった人もいるから、今は四十世帯くらいが暮らしている。かなり昔に人が住まなくなった空き家は、風化したり砂に埋もれて原型をとどめていないものが多い。
私の家の隣にある道具屋さんの息子DTTVNG0004275は、私の五つ年上の幼馴染。商売をやっている家に生まれた子同士だからか、それとも気が合うからなのか、もしくはただ単に家が隣だったからか、私たちは家族ぐるみで仲が良い。白夜の降神祭や夏の祈神祭といった、村を挙げての大きな祭りをはじめ、誰かの誕生日のお祝いなど、何かの行事があれば私たち家族は必ず一緒に祝った。
小さい頃、遊ぶ時はいつも275と一緒だった。275は遊ぶメンバーの中に必ずいた。他に何人かの友達がいたけど、やっぱり275と一番よく遊んだ記憶がある。
私たちは狩人ごっこをして遊んだ。狩人というのは村で村長の次に権威のある誇り高い戦士たちのことで、村の男の子たちはすべからく全員、神獣バドノを狩る狩人に憧れている。
村が食糧難に陥った時、偉大な村の狩人達が古代より砂漠に住むという伝説の神獣、バドノを狩ってくる。バドノは四本足の獣で、砂漠に生息する他の生き物よりも、驚くことに人間よりも知性が高いとされている。だから神として崇められている。実際の、生きたバドノは狩人たちしか見たことがない。狩ったバドノはその場で解体され、その肉が村へと運ばれる。
村の女の子は、誇り高い狩人の男の人と結婚するのに憧れているけど、私は違う。私としては、そんなことよりも村を出て広い世界を見て回りたいと思っている。
狩人ごっこをする時、275はいつも狩人役で、もちろん私はバドノ役だ。275が狩人の役を譲りたくないというのもあったけど、それ以前に狩人は男の人しかなってはいけないという決まりがあるからだ。
私たちはバドノを見たことが無いし、狩りがどうやって行われているのかも知らない。だから、いつもそれを想像して遊んだ。
遊びが始まると、私が先に近くの砂丘まで行き、後から追って来る4275に見つからないように隠れる。とはいっても、砂漠は木が生えていないから隠れる場所がない。だから住む人がいなくなって打ち捨てられた空き家に隠れる。
それでもすぐに見つかってしまう。悲しいことに、砂漠では足跡を消すことができないからだ。
「見つけたぞ、バドノ!」
275は木の棒を持って叫び、私は275から逃げる。神獣バドノは悲鳴を上げるのかどうかはわからないけど、私は「キャー」と叫びながら逃げ回る。鬼ごっこみたいに走り回って、最終的に私が捕まるというものだ。実際、バドノ役の私はあまり面白くはない。
沢山遊んだ後、家に帰るとお母さんがご飯を作っていてくれる。私たちはオアシス周辺の畑で取れるささやかな野菜と、小麦を食べて暮らしている。月に一度は交易品の貴重な干し肉をみんなで食べるのがご馳走だ。
私たちは基本的に食事をしなくてもいい設定なのだけれど、なぜか食べないと生きていけないという設定がさらに上書きされている。
私は村で唯一の、宿屋の一人娘。お父さんとお母さんは、旅人が町に来ると臨時で宿屋をやって、旅人をおもてなしする仕事をしている。お客さんがいない時期は、オアシスの水を汲んで村のみんなと一緒に農作業をしている。
村の交易品は、名産のモラトという特別なキノコとバドノの肉だ。キノコは旅人に高く売れるため、基本的に村の人は食べてはいけない決まりだ。バドノの肉も、少量だが村に頻繁に来てくれる少数の商人だけに売っている。
お父さんとお母さんは、昔と比べて交易が減ったから貧しくなったと言うけれど、私は豊だった頃のことは知らない。それでも私の毎日は十分幸せだった。
私の人生が大きく変わり始めたのは、ちょうど十二歳になる誕生日だった。
その人は、世界から私へのプレゼントのように、何の前触れもなくこの村にやって来た。
昔と違って滅多に来ない来訪者さん。その人は男の人で、この辺りでは見慣れない民族衣装のような服を着ていた。来訪者さんは黒髪で、筋肉モリモリな村の男の人たちと違って細身だった。一番特徴的だったのは、青いマント。すっぽりと身体全体が入るほどの、大きなマントを私は初めて見た。
その来訪者さんは、特別だった。
この村にごくまれにやって来る来訪者さんは、近隣、といっても遠くの村や町からやって来る。
主に行商が目的で、そうでなければ、この村は旅の途中の通過点だ。
そしてほとんどが男の人。女の人はまずいない。いたとしても、何人かの男の人に混じって、一人いるくらいだ。
来訪者さんは平凡な、性別でいえば高確率に現れる男の人だったけど、他の来訪者さんとは違った。
まず目的が違った。
村長の歓待を受けて、訪問の目的を聞かれた来訪者さんは、「観光です」と言った。
私はその意味をすぐにお母さんに聞いた。
そうすると、行ったことのない場所を見てまわることだと教えてくれた。
その目的自体、とても珍しいものだったが、それだけじゃなかった。
なぜならその来訪者さんには「名前」があったからだ。
その来訪者さんはやっぱり私の家に泊まる。他に宿屋をやっている家なんてないし、そもそもよそ者を家に入れたがらない人が多い。
村への来訪者は三種類に分けられる。良い人と、普通の人と、悪い人。
良い人は村に交易品を持って来てくれて、私たちが作るモラトキノコと希少なバドノの肉を買っていく。良い人はその代わりに、とっても希少な塩や香辛料、家畜、干し肉などを交換してくれる。
普通の人はただの旅人で、交易品の取引などはせずに村に数日間滞在して、また旅に出る。
悪い人は私たちの村を襲おうとしたり、私たちが作ったものを盗んだりする。そういう人達は、村のみんなで追い払うのだ。
ゴトの村人は基本的に来訪者と距離を置くのが習わしで、必要最低限の会話しかしてはいけないという厳しい決まりがある。
誇り高い砂漠の民は、外の世界の考え方や風習に毒されてはいけないのだそうだ。
その来訪者さんは、今まで来た普通の旅人と同じように、積極的に私たちに関与して来なかった。
でも私はその人にとても興味を持った。
どうして興味を持ったのかと聞かれても、明確には答えられない。
その人が何か、他の来訪者と決定的に違うと感じたのだ。 名前持ちだという事実もあるかもしれない。
例えば、来訪者さんは長旅をしてきたはずなのに、全く疲れてなどいないようだったし、服装も旅をしてきたというわりには綺麗なままだった。他の来訪者さんは馬やラクダなどを使う人がほとんどなのに、彼は歩いてきたようだった。
見たことはないのだけれど、大きな町や都会にいた人がそのままそこにいた姿で現れたみたいだと思った。来訪者さんの年齢は分からない。二十歳を超えているようだけれども、三十歳というには若すぎると思う。年齢不詳だ。
私がその人のことを観察していたら、DTTVNG0003148に声を掛けられた。
「あの人のこと、気になるの?」と聞かれ、私は顔が赤くなった。
「うん」と、肯定した私に、「やっぱり女はセイカツシュウのしない男がいいのよ」と、言って去って行った。
私にはさっぱり意味がわからなかった。
それにしても、来訪者さんはこの村に一体何をしに来たのだろう。観光って、何を見て回るのだろう。
お母さんに聞いたら、来訪者さんは一人旅をしているのだという。一泊して、明後日のお祭りの前に旅立つのだそうだ。
村にはお祭りがある。
年に一度の、神獣バドノを祭るもの。
十二歳以下の子供たちは夜の祭りに参加してはいけないという決まりがある。十二歳で一人前とは言わないまでも、半人前の大人として扱われる。今日で十歳になった私は、もうあと二年待たなければいけない。今の私はただの子供。
なんでも、夜の祭りでは、村人全員でバドノの肉を食べるのだそうだ。
子供はそれを口にできない。十二歳になって、お祭りに参加して初めて大人の仲間入りができる。
祭りの三日前から学校はお休みになり、祭りの準備が行われる。
狩人たちは祭りの日のためにバドノを狩りに行く。
大人たちはみんな準備に忙しそうに働いているけれど、私は子どもなので、遊んだり手伝いをしてまわったりする。
年に一度の一大イベントといっても、小さな村の行事だから、そんなに大きな祭りではない。せいぜい焚火のための薪を運んだり、ご馳走を作る手伝いをするだけなのだ。
だから時間を持て余している私は、来訪者さんの後をつけることにした。
村の掟で直接話してはいけないことになっている。でも遠くから何をしているか見るだけなら大丈夫だろう。
来訪者さんはまず、村を歩き回った。
とても目立つ恰好だったので、来訪者さんが歩いて見て回る度に、来訪者さんのほうが皆からジロジロと見られた。
見に来たはずの来訪者さんが見られているというのは、まるで立場が逆転しているようで面白かった。
来訪者さんは村の隅から隅まで歩き回り、いくつかの目ぼしい空き家に入ったりしたけれど、誰とも言葉を交わしていないようだった。
食べ物屋さんと道具屋さんにも寄ったのに、それぞれ五分もしないうちにで出てきた。
残念ながら、この村には来訪者さんの興味を引くようなものはなかったらしい。
最後にオアシスを一周して、宿屋である私の家に帰ってきてしまった。
私はお母さんに頼まれ、来訪者さんが泊まっている部屋に飲み物を届けに行くという大役を授かった。
部屋をノックし、「失礼します」と言って入る。
落ち着いた声で、ちょっとすまして言うのがポイントだ。
ゆっくりとドアを開けると、来訪者さんは窓辺の椅子に座って、外を眺めていた。
少しだけ、そのとても知的な横顔に見とれてしまう。多分、何か私の想像もつかないような深い考え事をしているのだろう。
来訪者さんの深淵な考え事の邪魔をしないように部屋の中を進み、丸テーブルに飲み物を置く。
あとは一礼をして、回れ右をして帰るだけだ。
それで任務完了。
「ここの子かい?」
来訪者さんは唐突に、窓を向いたまま声を掛けてきた。
「あ、えっと、はい」
接客としては落第点だ。でも突然だったので、仕方ない。
「君はこの村が好きかい?」
「はい、好きです」
「この村から出ていきたいと考えたことはある?」
ある。
来訪者さんのようにいろいろ旅してまわりたい。
でも来訪者さんはどうしてこんなことを聞くのだろう。私の心でも読めるのだろうか。
本当は必要最低限の話しかしてはいけないのだけど、私は話し掛けてもらったのが嬉しくて、ついつい答えてしまった。
「はい、砂漠以外の景色に興味があります。海、というものを見てみたいです」
私は来訪者さんとの会話を他の人に聞かれないように、小声で注意深く話した。
「海か。この砂漠の黄色をそのまま青にすれば海になるよ。何も特別なものじゃない」
「海には砂漠と違って、たくさんの生き物がいると聞きました」
「そうだね。そう言われれば砂漠よりもずっと多いかもしれない」
「一度でいいから見てみたいんです。綺麗な海を」
どうしてただ「見てみたい」ではなくて、「一度でいいから」と言ってしまったのだろう。
それは多分、私は死ぬまでこの村から出ることが出来ないと、心のどこかで分かっていたからだ。
来訪者さんは私のほうを向いて微笑んだ。
初めて正面から見た来訪者さんの顔は整っていたけれど、それよりも、彼の目に吸い寄せられた。
来訪者さんは、身に付けているマントと同じ、深く青い瞳をしていた。
私たちの目はみんな黒か茶色だから、青い目の人を見るのは初めてだった。
来訪者さんは海を知っているようだから、多分、綺麗な海を見過ぎてこんな瞳の色になってしまったのかもしれない。
「年はいくつ?」
「今日で十歳になりました」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ君にこれをあげよう。誕生日プレゼントだ」
そう言って、来訪者さんは懐から手のひらサイズで丸いピンク色の物体を取り出した。
それは私が今まで一度も見たことのないものだった。モラトキノコと同じ色をしていたが、こっちのほうが色は薄かった。
なんだろうと首を傾げていると、来訪者さんは言った。
「これはモモという果物だよ。これを大事に持っておけば、きっといいことがある。我慢できなくなった時に食べなさい」
「はい」と言って私はその桃とやらを受け取る。
我慢できなくなる時というのはいつなのだろう。そう思い、私はまた少し首を傾げた。
でも本当はダメなのだ。よそ者からは何ももらってはいけないし、くれると言っても遠慮しなければならない。掟できつく禁止されている。
そして万一もらった時は、すぐに大人に報告して、もらったものを渡さなければならない。
私は嬉しさと、悪いことをしているという複雑な気持ちになったけど、気分はとても良かった。
「ありがとうございます」
できるだけ可愛く見えるように微笑んで、一礼をして部屋を出た。
お母さんに飲み物を届けたという報告をしに行く前に、自分の部屋に寄って、いつも持ち歩くカバンの中にモモを隠した。
何事も無かったとお母さんに報告した後、私はまたすぐに自分の部屋へと戻った。
ベッドにダイブして、さっきの来訪者さんのことを考えた。
あの人はどこから来て、どこへ行くのだろう。
私の事ばかり喋ってしまったけれど、来訪者さんの名前すら聞いていない。
来訪者さんは名前持ちだという。
いったいどんな名前なのだろう。
もう一度、お話をする機会があれば、色々と聞きたい。
けれど、そんな機会なんてやっては来なかった。
いや、やって来たのだけれど、それは最後の最後で、全部が終わってからのことだった。
夕食の準備ができたから降りてきなさいとお母さんに呼ばれ、下に行くと、お父さん、お母さんの他に、4275、、4275の両親、友達の女の子、4310と4312が来ていた。
そうだ、今日は私の誕生日だった。
テーブルの料理はとても豪華だった。私の好きなインゲン豆のスープ、マッシュポテト、パン、そしてこの日の為に用意されたとっておき、私が生まれて初めて見る鶏の丸焼きだ。
一つ一つが美味しそうでいい匂いがしていたのに、匂いが全部混ざって、もっともっといい匂いになっていた。
ご飯を食べる前に今日で私が十歳になったことをお父さんが祝福してくれた。そして信じられない事を言った。
「4275を許嫁にしようと思う。祭りの日に祝言を上げるんだ」
私は耳を疑った。
4275を見ると、少し頬を上気させて、熱い目でこっちを見ていた。
「そして4275、狩人の仲間入りおめでとう」と、4275のお父さんが言い、みんなが拍手した。
4275は15歳。祭りの日に合わせて、狩人の見習いに指名された。大人の仲間入りをしたのだ。
「それじゃあ、乾杯」と私のお父さんが言い、誕生日会が始まった。
私は混乱し、大好きなインゲン豆のスープも、香ばしい匂いのする鶏も、口の中でただもさもさして歯に絡みついてくるだけで、ほとんど味わうことができなかった。
4312は「良かったね」と言ってくれ、4310は「私が4275と結婚する予定だったのに」と頬を膨らませた。
何が「良かった」のだろう。
「じゃああなたが4275と結婚すれば?」と4310に言ったら、凄い目で睨みつけられた。
4312が「まぁまぁ」と4310を宥め、「そんな事言っちゃだめよ」と、私を嗜めた。
みんなが帰った後、私はベッドの上に仰向けになり、グルグルと考えた。
私は4275と結婚するという。
それはなぜか自分の事ではないように思えた。
明後日の祭りで祝言を上げると、私は4275の奥さんになることが決定する。4275が私に愛を誓って、私もそれを受け入れる。私が十二歳になれば、4275と私のための家が与えられ、そこで一緒に暮らすことになる。夫婦生活の始まり。4275は誰もが憧れる村の狩人になり、私は妻として4275を支える。
だけど。
私は4275を愛せるのだろうか。
世界で一番好きになれるのだろうか。
私は今、4275が好きなのか嫌いなのかよく分からない。もちろん、小さいころはそんな面倒くさいことを考えたことすらなかった。
4275は最近、私に対する態度というか、ちょっと様子が変だった。
ここ一年くらい、ずっとやっていなかった狩人ごっこをしようと、先月久しぶりに誘われた時だった。
4275は私の五歳も年上。そんなごっこ遊びは卒業したはずだったのに。
小さい頃と同じで、4275が狩人の役、私がバドノの役をした。これは変わらない。
いつものように私は4275から逃げて回り、鬼ごっこのようになる。
ひとしきり逃げ回った後、私は空き家の物置に追い詰められ、捕まってしまった。
本当であればここで終わりのはずなのだが、4275は私の手を押さえ、私の上に覆いかぶさったまま動こうとしなかった。
私が逃げようとしても、4275が強い力で押さえつけてくるので、私は動けなかった。
「もう放してよ」と、私が言っても4275は私の首筋を見たまま動かない。
私は訳が分からなかった。
そのままの姿勢で何分か経つと、4275に見られていることが少し気持ち悪くなった。
何故こっちを見てくるのだろう。
私は狩人に狙われている神獣の気持になって考えた。
「ねぇ、どいてよ」と、私が催促すると「肉を解体するところまでやろう」と、4275は言って、私の服に手をかけた。
「イヤ!」
私は全力で叫び、4275を蹴り上げた。
「うっ」と唸って4275が怯んだ瞬間、私はパッと起きて逃げ出した。
一目散に走って、自分の家に飛び込む。そのまま階段を駆けあがって部屋に入り、ドアを閉めて鍵をかけた。その少し後、何回かドアをノックする音があったが、私はベッドの上で毛布を被り、物音を立てないようにじっとしていた。そうしたら諦めたのか、ノックが止み、階段を下りていく音が聞こえた。
そんなことがあってから、私はなんとなく4275を避けていた。
4275は私と話したそうにしていたが、私はできる限り避けた。
4275が何を考えているのか分からず、怖かったというのもあった。
誕生日の次の日、いつの間にか眠っていた私が起きたのはお昼近くになってからだった。
もっと早くから目覚めていたけど、昨日の誕生会のことを思い出し、布団から出るのが億劫で、ずっとグズグズしていた。
どうすればいいだろう。
4275と結婚してしまえばこの村で一生暮らしていくことになる。
そうなれば旅をすることができないし、海を見ることができない。
そんな風に考えていると、ふと、ある考えが浮かんだ。
来訪者さんに聞いてみよう。話を聞いてもらえば、何かアドバイスをしてくれるかもしれない。
村の人やお父さんお母さん、4310と4312は同じ考えを持っている。彼らはみんな、私が4275と結婚をしてここで暮らしていくのが、私にとって最も幸せなことだと信じて疑わない。だから村人の誰かに話しても、理解してもらえないし、説教、ないしは説得をされるだけだというのは目に見えている。
そうと決まればすぐに布団から出て、着替えた。
悪くなるといけないから、今日時間があれば食べようと思い、昨日もらったモモをカバンの中にこっそり忍ばせておく。
一階へ降り、洗い物をしているお母さんの所へ行く。
「旅人さん、まだいる?」
「あら、もういないわよ。ついさっき昼食を食べて出て行ったわよ」
「じゃあ私も出かけてくるね」
「深く関わるんじゃないわよ」
「わかってる!」
そう言い残すと、私は家を飛び出した。
ついさっき出て行ったのだから、まだその辺を歩いているかもしれない。
集会所や道具屋さん、食べ物屋さんを見て回ったけどいなかった。
村の出口、砂漠の入り口まで走り、近くの砂丘に登ってその姿を探す。
しかし、砂漠には人影らしきものはかった。
「もう行っちゃったのかな」
諦めきれずに立ち尽くしていると、後ろから声がかかった。
「どうしたんだ?」
振り向くと、4275がいた。
いつからそこにいたのだろう。足跡を見て、私をつけて来たのかもしれない。そう思うと私は少し怖くなった。
「ううん、なんでもない」
「もしかして、あのよそ者のことが気になるのか?」
4275はしつこかった。
「違うよ。じゃあ、私行くね」
私はすぐに踵を返した。嘘をついてでも、今は4275と会いたくなかったし、話もしたくなかった。
村のほうへ歩き出そうとしたら、グイと腕を掴まれた。
「あいつのことはもう忘れろ。どうせ食われてしまうんだ」
4275は真剣な顔で、脅すように言った。
「何、どういうこと?」
私が聞き返すと、4275はバツが悪そうにそっぽを向いた。
「食べられるって何?」
「あいつ徒歩だったろ。次の町に着く前に砂漠の神様に食べられて死んでしまうさ」
4275は鼻で笑うように言った。
「そんなことないよ!」
私はついカッとなって大声を出した。
私の尋常じゃない様子を見た4275は、また怒りが再燃したようだった。
「どうしてあいつの肩を持つんだ!」
「もう放して!」と、私は言って腕を引っ張った。でも腕は外れなかった。
「お前やっぱりあいつとなんかあったんだろ?」
「何もないよ、ただのお客様だよ。どうしてそんなこと言うの?」
「お前は俺のお嫁さんなんだぞ。もう少し自覚を持てよ」
そう言うと4275は私の腕を乱暴に放し、歩き去って行った。
4275に掴まれていた所が思い出したように痛み始めた。袖をまくると赤くなっていた。
私は家に戻りたくなくて、村を歩き回った。
畑に行って、オアシスに行って、食べ物屋さんの3148の所へ行って話をした。
私の村に老人はほとんどいない。女性も、子供を産んだ後、四十歳になる前に死んでしまう人がほとんどだ。
3148は二十歳手前。
もう結婚してもおかしくない年なのに、頑なに結婚を拒んでいる。
しかし今回の祭りで、3148は結婚することになっていた。
私は結婚して、子どもを産み、幸せに暮らし、そしてこの村で死んでいくのだろうか。
そんな今の気持ちを3148に打ち明けると、そんなことは村の他の人に絶対に言ってはいけないと注意された。
でもその後、「受け入れれば楽になれるし、幸せになれるかもしれない」とアドバイスされた。
ずっと結婚を受け入れてこなかった人に言われても、説得力はない。
結婚をすれば、幸せが約束されている。これは多分、本当の話だ。4310も4312も私のことを羨ましがっている。だというのに、心がそれを幸せだと受け入れようとしていないのはどうしてだろう。
「時間が解決することもある。受け入れることが幸せの第一歩よ」と言って3148は寂しく笑った。自分の境遇にも重ねているのだと思った。
夕方になり、家へと戻ると、中に何人かの大人がいた。その中には村長さんもいた。
お母さんとお父さんがとても深刻そうな顔をして、何か話をしていた。
「ただいま」と声を掛け、大人たちの横をすり抜けて二階の自分の部屋へ行こうとすると、お父さんが立ちふさがった。
そして頭に衝撃が走った。
頬を強く打たれたのだと何秒か後に気付いた。
お父さんは、何か私が気に障るようなことをすれば、容赦なく手を挙げる。
今度は何をしてしまったのだろう。
「お前というやつは、何てことをしてくれたんだ!」と、お父さんが怒鳴った。
「今度という今度は許しませんからね」と、お母さんが言う。
なんのことだろうか。
呆然としている私に、村長がトドメをさす。
「反省牢で頭を冷やすんだ」
反省牢。それは私にとって、とても恐ろしいものだった。
「私が何? 何をしたって言うの?」
「何をとぼけているんだ。よそ者にモラトキノコを渡したというではないか」と村長は怪訝な顔をして言った。
「何もしていません」
「では今朝からどこへいっていたんだ?」
「それは……」
「ほらみろ、あのよそ者を追っていっだろう?」
「でも会ってもいないし、なにもあげていません」
「嘘を言うな! 4275と4310がその現場を見たと言っておるんだ」
「嘘です!」
「もういい! つれて行け!」
私は闇雲に叫んだ。少し暴れてもみせた。だけど全然意味が無かった。
大人二人に強く掴まれ、連行されて集会所の地下にある反省牢といわれる牢屋へと入れられた。
「出してよ! 出して!」
鉄格子を叩いたり押したりするが、びくともしない。
壁を蹴ったり、秘密の出口が無いか探したが、そんなものはどこにも無かった。
疲れた私は脱出を諦めて、牢屋の奥に座った。
牢屋は私が入れられた所と、その正面にもう一つ。計二つある。
そこには簡易トイレと、ボロボロで薄い毛布が一枚あるだけだった。
私は今よりもっと小さい頃、一度だけここに入れられたことがある。
村から出てはいけないという言いつけを破り、一人で村の外に出て砂漠で迷子になりかけたのだ。狩人の大人に保護された私は村へ戻るとお父さんに殴られ、今回と同じような状況になった。
村の掟は厳しい。前回は丸一日ここに入れられて、ご飯を与えられなかった。
今回もきっとそうだというのは容易に想像できるけれど、今回は果たして一日で済むのだろうか。
座ったまま、空しく時間が過ぎていくのをただ待つことにした。
すると唐突に声がした。
「やあ」
びっくりして顔を上げると向いの牢に来訪者さんがいた。
入ってきた時は陰になっていて暗かったので、気付かなかったのだ。
「どうして来訪者さんがこんなところにいるんですか」
「どうしてだろうね」
「村の人に捕まったんですか?」
「そう。何人かが僕の後を追ってきて、僕を捕まえたんだ」
「来訪者さんも何か悪いことをしたんですか?」
「どうなんだろう。僕が捕まっているということは、何か悪いことをしてしまったのかもしれない。彼らにとって」
来訪者さんは捕まっているというのに、どこか他人事のようだった。
「何をしたんですか?」
「町をブラブラ歩いた」
「それから?」
「君の家の宿屋に泊まって、次の町へ行こうと出発しただけさ」
「他には?」
「他には何も」
「ではどうして捕まっているんですか?」
「僕が聞きたいところだよ。君の村ではこんな風習があるのかい」
「ないと、思います」
正直、私は自信が無かった。
「それより君に聞きたいことがあるんだ」
だから少し話をしようと来訪者さんは言った。私は嬉しくて、その提案に飛びついた。
「私もお話をしたかったんです!」
「しっ、静かに」
来訪者さんは口に人差し指を当てた。間もなくして上の集会所と繋がっているドアが空いた。誰かが来るようだった。
来訪者さんは頷くと、後ろに下がって影の中に入っていった。
入ってきたのは4310だった。彼女は私の牢の前まで来ると、腕を組み、見下すようにニヤニヤと笑った。
「いい気味ね」と、4310は尊大に言った。
私は4310を睨み上げた。
「どうして嘘を言ったりしたの?」
私の問いに、4310はフンと鼻を鳴らして吐き捨てるように言った。
「あなたが4275を困らせるからよ」
「私は何も困らせることなんてしてない」
「うるさいわね! どうしてあなたなのよ。4275は私と結婚すれば幸せになれるのに」
「私は4275と結婚なんてしたくない」
「死ねばいいのよ! お前なんて死ねばいい!」
悪態を付いて私の方へ唾を吐くと、4310は去っていった。
今まで友達だと思っていた彼女のあまりにも豹変した態度に、私はショックを受けた。
4310が集会所へと続くドアを閉じて、完全にいなくなったのを確認してから、私は「来訪者さん」と、声をかけた。何度か呼びかけて、目を細めて影の中を見たけど、不思議なことに来訪者さんはもうそこにいなかった。
出口はなく、来訪者さんの入っている牢の鉄格子もずっと閉まったままなのに。私は幻とでも話をしていたんだろうか。でもそんなことはないはずだった。
その後しばらくして、4275が来た。
「あいつはどこだ?」
「あいつって誰よ」
「旅人のことだよ」
「知らないわ」
「あいつも牢屋に入れられたはずだ」
「私が来た時にはいなかったわ」
私は嘘をついた。
4275はどこか困っている様子だった。
「その、ごめんよ」
私には彼の気持ちの変化が理解できなかった。謝って来る4275のことを、何だか気持ちが悪いと思った。
「悪いと思っているのなら、早く本当の事を言って私をここから出して」
「4311、こっちにおいで」
4275は抱擁でもするように、腕を広げて鉄格子の前まで来た。
「いやよ」
私は牢屋の奥から動かなかった。
「どうしてそんなに僕を困らせるんだ?」
私は返事をしなかった。
「明日の結婚式には出してもらえるようにするから、反省して待っているんだよ」
私が黙ると、「愛してるよ、4311」と言って4275は去って行った。
その後、大きな騒ぎになった。牢屋へ入れたはずの来訪者さんがいなくなっていたからだ。
村長が来て私は事情を聞かれた。最初からいなかったと言い、4310もそう証言したため、深く追及されなかった。きっと私が来る前に逃げたのだろうということになった。
来訪者さんを捕まえるための捜索隊が編成されたようだった。
私は来訪者さんが捕まらないように祈った。
今日一つだけはっきりした事がある。
私は4275のことを何とも思ってはいなかった。むしろ、嫌いだ。
私はイライラして、次第に惨めな気持になり、これからの事を考えると心細くなって、少し泣いた。
寒い。
砂漠の夜は冷える。
私は毛布を掴むと、身体に巻いた。だけどボロボロの毛布は、寒さも私の心も暖めてはくれなかった。
次の日、私は人の話声と物音で目覚めた。
向かいの牢屋に誰か人が連れてこられたようだった。
鉄格子の閉まる音がして、連れてきた男たちが歩き去るのを音で確認してから、私はそっと向かいの様子を見た。
薄暗くて顔は見えなかったが、どうやら女の人のようだった。
私は起き上がり、鉄格子の前まで来た。
「あの」と声を掛けると、女の人は初めてこっちに気づいたように私を見た。
顔を確認した私は驚いた。
3148だったのだ。
「あら」と3148が嬉しそうに言う。
「どうしてここにいるんですか? 何か悪いことをしたんですか?」
「それはこっちのセリフよ。あなたこそどうしてここにいるの?」
私は3148に昨日家に帰ってから起きたことを全て打ち明けた。
「そうなのね。あなたのことは、前から少し危ないなと思っていたのだけれどね」
そう言って3148は微笑むと、ゆっくりと語り始めた。
「私もね、結婚が嫌なの。全然好きでもない人だし。それにあなたと同じで、私もこの村からも出て行こうとして、捕まっちゃったの。もっと広い世界を見てまわりたいという夢もあった。そういった意味では、私とあなたは似たもの同士なのかもね」
3148は自分の小さかった頃の面影を探るように私を見つめた。
夢もあったと、3148はなぜか過去形で話した。私はそれが気になった。
「でもね、やっぱり無理なのよ」
3148は目を瞑って何かを思い出しているようだった。
「これは今の私の経験則でしかないけれど、受け入れることが幸せに繋がるのよ。みんなから愛されて育ち、子どもを産んで子孫を残し、大好きな村のみんなに食べられて死んでいくのよ。最高に幸せなことよ。まだあなたは小さいから、大丈夫よ」
3148が最後に言ったことはなんだろうか。
食べられるとはどういうことだろうか。
私の疑問を察してか、3148が続けた。
「4311はまだ知らなかったわね。これは秘密よ。私はね、これからここで暮らすの。不特定多数の誰かの子どもを産む。そしてそれが終わったら、バドノになるの。バドノっていうのはね、元々人間なのよ。死んだ人間が神様になって、みんなに食べられることで食べてくれた人達の中で生き続けることができるのよ」
私は混乱した。
今目の前で話しているのは私の知っている3148ではなかった。
「どういうこと、ですか?」
「考えちゃだめ。いい? 受け入れなさい。私みたいになっちゃだめよ。それが幸せなんだから」
3148は寂しく笑うと、牢の奥へ行ってしまった。こちらに背を向けて、横になった。
私は酷い頭痛がした。頭がガンガン鳴っていた。
3148と話した後、私はまた牢の奥で膝を丸めて座り込んだ。
話の内容は簡単に理解できるものではなく、現実感がなかった。
私を混乱させるために、嘘を言っているのではないかと
何時間経っただろうか、女の人が二人、牢へと入ってきた。
その二人のことはもちろん知っている。4310と4312のお母さんだった。
彼女たちは私を立たせ、服を脱がせて持ってきた服を着せようとした。
私は拒否しようと思ったが、ここで暴れてもどうにもならないと悟って、仕方なくされるがままになった。
服は婚礼用のもので、私はそれに着替えさせられ、化粧まで施された。
準備が整うと牢から出され、地上の集会所に連れていかれた。
牢から出る時、「もうここに来ちゃだめよ」と、3148の声がした。
集会所では貴重なお酒と、ご馳走が用意されていた。
簡単な舞台のようなものが設けられ、一段高くなった所に4275がいた。彼も立派な婚礼用の服に着替えていた。
外に目をやると、ちょうど日が沈む所だった。
私は案内されるまま、4275の隣に座った。
背もたれが無ければ、そのまま後ろに倒れていただろう。
4275が何かを話しかけてきたが、心神が喪失していた私の耳には何も入ってこなかった。
そのうち、大きな皿にのった肉が運ばれて来た。
直感的にそれがバドノの肉だとわかった。
誰だ?
神になった、元村人だった誰かだ。
私は吐きそうになったけど、何も食べておらず、胃が空っぽだったため、吐けなかった。
式典が始まった。
お父さんが何か言い、4275のお父さんも何か言い、村長が何か言い、4275が何か言った。
私はただ黙って下を向いて泣いていた。
みんな立ち上がり、乾杯をして酒を飲んだ。
そして静かになり、神妙な面持でバドノの肉を食べ始めた。
彼らはそれを口の中へ入れ、咀嚼し、味わい、飲み込むことによって自分のものとしているようだった。
食べた後、彼らは満ち足りたような、恍惚の表情を浮かべていた。
ただただ異様な光景に、喉が枯れていた私は悲鳴も出なかった。
お父さんもお母さんも、みんな恐ろしかった。
ひとしきりみんなが食べ終えると、今度は私の番だった。
みんな食い入るように私を見ていた。
私は拒絶の意を表し、首を横に振る。
4275が端で肉を一かけらつまみ、私の口元へ運ぼうとする。
私は必死でその手を払いのけた。
顔を腕で覆い、むせび泣いた。
お父さんが来て、腕を強く掴もうとしたけど、村長と4275に止められた。
村の大人たちが話し合い、私は猶予を与えられることになった。
その猶予がどのくらいあるのかはわからない。
きっとそれが過ぎると3148と同じ扱いになるのだろう。
私はただ呆然と、その成り行きを眺めた。
無理に食べさせられなくて良かったという安堵も少しだけあった。
そして私はそのまま牢へと戻された。
牢に戻って、また膝を抱えてただ時間が過ぎるのをずっと待った。
ずっと何も食べておらず、お腹が空いてきた私はカバンの中にモモがあるのを思い出した。
さっきこともあり、肉はあまり食べたくなかったが、果物だったら食べられる。
カバンからモモを取り出して、暗闇の中で眺める。
砂漠では取れない、貴重な果物。
私はそれを一口齧った。
瑞々しくて、甘い。
美味しい。
もう一口、もう一口、あっという間に全部食べてしまった。
少しお腹が満たされた私は横になった。
意識が眠りに引き込まれようとしたとき、物音がした。
狩人の男二人が地下にやって来たのだ。
すぐに私は身構えた。
階段を下りて来た彼らは私をチラリと一瞥すると、3148がいる牢を開け、中に入った。
3148が抵抗すると、男たちは容赦せずに3148の腹を殴った。
「おい、あんまり強くするな」
「悪い悪い」
それは3148対してに悪いのではないと、私は気付いた。
「ほら、行くぞ」
男たちは3148を両脇から抱えて、牢から出てきた。
小窓から差し込む月の光で、3148の頬が濡れているのを見て、この後の彼女の運命が何となく分かった。
私は何も言うことが出来ず、ただその様子を眺めていた。
三人が地上の集会所へと続く階段に足を掛けたその時だった。
大きな爆発音がした。
地面も揺れたみたいだった。
「何だ!」
男の内一人が叫んだ。
もう一人と顔を見合わせ合って頷いた。
乱暴に3148を元いた牢に押し込み、鍵をかけると、二人とも上へと続く階段を駆け上っていった。
「大丈夫?」
私は3148に声を掛けた。
「まだ、大丈夫」
3148は弱々しく微笑んだ。
「どうしたでしょうね?」と言う私に、「なんだろうね」と3148。
何度か爆発のような恐ろしい音が聞こえた。
人の悲鳴のような声もいくつか聞こえた。
何かが起こっているけど、私たちには確かめる術はない。
怖いと思う反面、どこか他人事のような気持だった。
15分ほど経過ただろうか。
集会所へと続くドアが開き、誰かが下りて来た。
私たちは恐怖で震えあがった。
鉄格子から少しでも遠ざかるようにして奥へ行き、膝を丸めて縮こまった。
3148も同じように奥へ引っ込んだ。
私は気付かれないように、物音を立てないように、息を殺した。
その男は牢の前で立ち止まり、牢屋を交互に見た。
そして私が入っている牢の方の鉄格子に手を掛けた。
「っ!!」
声が漏れてしまった。
「大丈夫?」
男の人の声がした。
どこかで聞き覚えのある声だった。
私は咄嗟に思い出すことが出来なかった。
どうやってか、鉄格子が簡単に開き、男の人が入って来た。
私は改めて男の人の顔を見た。
薄っすらとしか見えなかったが、はっきりと認識できた私は息を飲んだ。
来訪者さんだった。
「遅くなってごめん。ようやくイベントが解禁されたんだ」
来訪者さんはちっともすまなそうではなかった。
でもそれがどうしてかは分からないけど、私を安心させた。
「君の両親は死んだ。村の人も沢山死んだ」
来訪者さんは無感動に言った。
「僕が殺したんだ」
私は頷いた。
「ごめん」
私は首を横に振った。
「僕と一緒に行かないか?」
来訪者さんは思わぬ提案をした。
私は来訪者さんの真意をはかるために表情を見たが、暗くてあまりよく見えなかった。
「一緒に行きたい」
村はどうなっているのか分からない。
でも村にいても、私は幸せになれないと確信した。
観光したい。
「世界を見たい。もっと知りたい」
「じゃあ一緒に行こう」
私は立ち上がり、来訪者さんが差し伸べた手を握った。
来訪者さんは向かいにある牢を見た。
「あなたはどうしますか?」
「私も連れて行ってくれるの?」と3148が言った。
少し泣いていたためか、声がかすれていて弱々しかった。
「あなたさえよければ」
来訪者さんはなんでもないことのように言った。
それは好意的な意味合いだ。
「じゃあ、連れて行って」
3148のお願いを聞いた来訪者さんは3148の入っている牢の鉄格子を開けた。
鍵がかかっているはずなのに、どうやって開けたのか不思議だ。
来訪者さんが手を差し伸べる前に、3148は来訪者さんの腕に飛びついた。
少し困った顔をした来訪者さんは「ちょっと待って」と言い、またモモを懐から出した。
3148にモモを差し出すと、大丈夫という意味を込めて、頷いた。
3148は迷わずそれを食べた。
来訪者さんは私たちを伴って、集会所から出た。
集会所の中と建物の周りは、沢山の村人が倒れていて、燃えていた。
倒れて動かなくなっていた村人の中に、お父さんやお母さん、村長や4275もいた。
火の中を通って来たはずの私たちは、熱さを感じず、不思議と火傷もしなかった。
村はずれの砂漠の入口まで来ると、来訪者さんは歩を止め、私たちに向き直った。
「それじゃあ、まずは自己紹介から。僕の名前はラシル。君たちは?」
「DTTVNG0004311」と私が答え、「DTTVNG0003148」と3148が答える。
「うーん、4311かぁ」
来訪者さんは顎に手を当てて、少し悩むような仕草をした。
「311でミイ。3148はミーシャ。これが君たちの新しい名前だ」
私と3148は驚いて顔を見合わせて頷いた。
「すぐに旅立とうと思うんだけど、何忘れ物はない?」
「ありません」と私が答え、「私も」とミーシャが言った。
ラシルは満足そうに頷くと、私とミーシャにどこからか取り出した槍を与えた。
「とりあえず持ってだけでいいからね」
そう言ってラシルは村に背を向けて歩き出した。
私たちも村を振り返ることなく、その背中について行った。
町が小さくなる頃には、空が白み始めていた。
ギルド第七拠点、ヴァンパイア城。
情報局、局長室。
「ミイちゃん、今日はどうしたの? エルフの動きも、西の魔女の動きも、ワールドマップ探索の進捗も、昨日報告した通りよ」
執務室に唯一置かれた机に座る、部屋の主が声を発した。
「ラシル様の血を吸ったら、昔のことを思い出しちゃって」
あー、と納得したような部屋の主。
「感傷に浸ってるわけだ」
「うん」ミイが苦笑して肯定する。
「どのくらい昔?」
部屋の主、局長が首を傾げた。
「私とあなたが名前をもらった日」
「10年くらい前かしら」
「うん」
「懐かしいわね。あそこがわたしたちの始まりだったのよね」
「うん」
「あの頃のミイちゃんは今と違って泣き虫だったわよね」
「ミーシャさん」
ミイは部屋の主を名前で呼んだ。
「何?」
「ううん、何でもない」
そう言ってミイは笑った。
「変なミイちゃん」とミーシャも笑う。
一時間ほど昔の話で盛り上がり、二人は軽口とお喋りを楽しんだ。
部屋を出て行こうとするミイが、何かを思い出したように振り返った。
「そういえば、ラシル様が各拠点に観光に来るわ」
「この拠点も?」
「ええ、ここにもたっぷり一日使って来るそうよ。この世界に来てから会ってないでしょう?」
「会ってないわ。ラシル様ったら、古い内縁の妻のことなんて忘れたのかしら」
「その設定初めて聞くんですけど」
ミイが呆れたように言った。
「ミイちゃんは私とラシル様の子供みたいなもんじゃない」
ミーシャはにっこりと笑った。
「それより、ラシル様のおもてなし、抜かりなくね」
「分かってるわ。バトラーと相談しとく」
ミーシャは手をひらひらと振った。
ミイも手を振り返し、部屋を出て行った。
ミイが出て行くと、表情を元に戻し、鋭い目になるミーシャ。
情報局を牛耳っているトップ、情報局長の顔だ。
この世界に来て、当初は混乱状態だったが、今はかなり落ち着いている。
リセットされたレベルも上がってきており、各拠点との連携も取れている。
それでも油断はできない。
まだまだ全員のレベルはカンストしていないし、この世界にどんな強者がいるとも限らない。
ラシルとミイ、そしてギルドをなんしても守り抜くためには、ありとあらゆる情報が必要だ。
種族属性の効果もあり、ほとんど睡眠をとらずに激務に励んでいるミーシャ。
「これは私へのご褒美だわ」
ラシルの訪問を自分へのご褒美と捉える。
フフフと妖しく笑い、念話を起動。
「お呼びですか?」
答えたのは渋い男性の声。
「ラシル様が視察にいらっゃるそうよ。そのことで打合せをしましょう」
「畏まりました」
念話が切れる。
呼びつけたのはミイの副官であり、この城のバトラー。
高位の存在だが、ミーシャは彼よりも上。
この拠点のナンバー2なのだ。
どうやってラシルをもてなすか想像を巡らせるミーシャ。
ニヤニヤと考えていると、ドアをノックする音が響いた。




