04:そこは海底のオアシス 〔10月〕
今日は資料室に寄るからと、いつもの2人とは一緒に帰らなかった。
大学や専門学校のパンフレットをぱらぱらとめくる。私の目には、載ってる写真ぐらいしか映ってない。
5、6人ぐらいの出入りを見送ると、そこは紙をめくる音でも響くぐらい静かになった。今は中間テスト期間中だから、部活をやってる生徒の声が届くこともないのだ。
顔を上げると、いつの間にかオレンジ色の夕日が窓から差していた。椅子から立ち上がると、見ていたパンフレットを元に戻す。一部も持っていかないまま、バッグを背負って資料室を後にした。
廊下に出ると、左右を見回す。その階は鍵のかかった特別室ばかりのせいか、1人の生徒も見当たらない。それでも、自分の足音を忍ばせながら廊下を歩く。突き当りを左へ曲がって、すぐに見えた階段を上がり始めた。
1段上がるにつれて、窓がないせいか薄暗くなっていく。踊り場が見えたところで、1度足を止めて耳を澄ました。それから、そっと顔を出して前方を確認する。いちゃついてるカップルがいないことに安心して、さらに階段を上がっていった。
小さな踊り場の前には、鉄製の重厚なドアがある。大きな”立ち入り禁止”の文字が真っ先に目に入って、ごくりと喉が鳴った。
スカートのポケットから鍵を取り出すと、カギ穴へと差し込む。そのままゆっくりと、慎重に右へ回した。
_____ガチャン!
思ってたよりも大きな音がして、心臓が跳ね上がる。思わず振り返って、もう1度誰もいないか確認してしまった。
胸元に手を置いて、大きく深呼吸をする。ドアノブに手をかけると、全体重をかけるようにしてドアを押し開けた。
___初めて入った屋上は、まるで駐車場のような場所だった。まっさらなコンクリート詰めの床と、大きなタンク。それから2メートルぐらいのフェンスがあるだけだ。
「……うわ、本物じゃん」
眩しいぐらいの夕日に、思わず目を細める。景色を眺めたいけど、見つかるのが怖くてフェンスの方へは行けそうもない。そのままドアを背に、ずるずると座り込んだ。悪いことだと自覚しているだけに、なかなか気持ちが落ち着かない。
自分の横にバッグを置くと、握りしめていた掌を広げる。私はこのカギが本物だったと、たった今証明してしまった。
……つまり昨日の出来事は、間違いなく夢なんかじゃないらしい。
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横になってたソファから起き上がると、淹れてもらった紅茶をひと口飲んだ。華やかな香りと優しい甘さが、気分を上昇させてくれる。
「……おいしい」
「あらぁ、嬉しい! 淹れた甲斐があるわねぇ。……ねぇ、もう大丈夫~? 少しは良くなったかしらぁ?」
「……うん、もうほとんど平気」
「そう。それならよかったわぁ」
「すまぬな衣乃里。次回からは慎重にすると約束しよう」
「うん、ぜひともそうして」
「鳴神が自重できるとは思えねーけど」
「えぇー……、やめてよ怖い」
背もたれに寄り掛かると、瞼を閉じる。さっきまで乗り物酔い状態だったけど、何とか座れるまでに回復できた。
……やっぱもう土下座されても、マロとなんて2度と乗ってやんない。
「きゅいきゅきゅう……?」
「……あぁ、ごめんね? けだまにまで心配かけちゃったね」
「きゅう~?」
「うん、あたなのあだ名は”けだま”にする。平仮名でけだま」
「いいわねぇ、可愛いじゃなぁい!」
「……そのまんまじゃね?」
「きゅっう!」
またトラさんは気に入らないのか、ぶつぶつと言っている。でも、けだまは気に入ってくれたのか、尻尾を振って私の膝に乗って来た。小さな手足の感覚が、ツボ押しみたいで気持ちがいい。
「衣乃里よ、我らはそろそろ会議へと行かねばならぬ。急かすようですまないが、話の続きをしても構わぬか?」
「あ、うん。大丈夫」
「では、順を追って説明するとしよう_____」
___それから、マロは色々な話をしてくれた。会社の事、所属する部署の事、仕事内容などなど。まるでどっかにいる、本物のサラリーマンの話みたいだ。
契約として、期限は”1年間”。私の空いてる日に来て、1~3時間程度お手伝いすればいいそうだ。
だけど天界にいる時間は、私の人生に組み込まれることはないらしい。人間界から天界へ、それからまた人間界へ戻るときには、天界へ行く前の時間に戻ることになる。つまり、肉体的な疲労は伴うけど、労働時間は0時間だ。
……そうなると、私の1日が25~27時間になるってことか。うんざりするようなお得なような微妙な気分だ。
「……そういう訳だ。そこで我らは、人間の意見を求めるために協力を頼むことにした。____そこで衣乃里、そなたが雷獣より選ばれたのだ」
「……私この通り、ただの女子高生だけど」
「謙遜するではない。そなたのフォロワーは、あらゆるSNSでも中々の人数だ。最新の情報も、逐一チェックしていると報告を受けている」
「えぇええっ!!?! そんなことまでわかるの!? めっちゃくちゃ恥ずかしいんだけどぉっ!?!!」
ぶわっと、顔に熱を持つ。……恐ろしい誰にも教えたことないのにさらっと言っちゃうし! まさに、お天道様は見てるということ!? えぇと、今日何呟いたっけ???
「それに加え、雷獣は少々変わり者でな。本来ならば人間には見えぬのだ」
「えっ?」
……そういえば、あの2人には全然見えてないみたいだった。あの2人だけじゃなくて、他の人にも見えてなかったってこと?
「そなたの母上が、雷に打たれた経験があると知っておるか?」
「あぁ、うん。……えーと確か、6歳ぐらいの時に」
「人間は雷に打たれると、遺伝子構造の一部に歪みが生じるのだ。人間の解析技術では判らぬほどの、ほんの些細なものだがな」
「ひずみ……?」
「”遺伝子変異”と言い表すことも出来よう。そしてそれは稀に、___子に受け継がれることがある」
「あっ、それじゃあ……!」
「うむ。そなたはその遺伝子を持っているがゆえ、雷獣を目にすることができるのだ」
「そうだったんだ。……でもそうなると、私のママも見えるってこと!?」
「そうなるな。親子で見えるなんぞ珍しいことだ。歪みは大抵、受け継ぐことなく消え失せてしまうものだからな」
「……へぇ、私って希少な存在だったんだね」
「そんで、お前どーすんの? この仕事やる気あんの?」
トラさんの方を向くと、じっと睨むように私を見据えていた。その態度に、私はにやりと笑い返す。もうとっくにその答えは決まっていたからだ。
____「やる。理由は簡単、雷が好きだから」
単純明快な私の答えに、3人そろって見事なぽかん顔になった。だけどそれはすぐに笑顔へと変わっていく。
「……もぉ~! アンタ最高よぉ! 仲良くやっていきましょうねぇっ!!!!」
「う、ぐぇっ……!」
がばっと、またトオルちゃんに抱きしめられてしまった。あくまでハグだってわかるから嫌悪感はまったくない。この人は、本当に娘同然に思ってくれてるんだと思う。……だけど手加減だけはしてほしい骨折れる。
苦しんでるところに、今度は頭をぽこっと拳骨された。___トラさんだ。
「その小せぇあるようでない脳ミソ使って、せいぜい俺らに貢献しろ」
さっきの視線は何だったの?ってぐらい、今度はそっぽを向いている。……ぶっきらぼうだけど、何だかんだで思いやりがある人ってもう知ってる。さっきの拳骨だって、撫でられてるみたいに優しかった。
「それでは衣乃里。これから1年よろしく頼む」
「……うん。こちらこそよろしく」
マロから差し出された手を、ぎゅっと握り返した。マロは満足そうに頷いている。ちょっと変わってるけど、頼りがいのあるここのリーダー。どうしてかわからないけど、初めから私を信頼してくれている。……生意気かもしれないけど、少しでもその信頼に答えられたらいいなって思う。
やっとトオルちゃんから解放されたところで、マロが突然思い出したように手を打った。
「そうと決まれば、褒美を考えねばならぬな」
「褒美じゃねーだろ、普通は給料じゃね?」
「まぁ確かに、普通はそうよねぇ」
「えっ、普通に給料でるの?」
私の答えに、3人とも出ないわけないだろって顔で見てきた。てっきり無料奉仕するものとばかりに思ってたから、こっちのほうが驚きだ。
「当たり前であろう。仕事を頼んでおるのはこちら側だ。……して、衣乃里。そなたは普通に”給料”が良いか? それとも”褒美”が良いのか?」
「いやいや、ちょっと待って! それって私が選んじゃっていいの!?」
……なんか日本昔話みたいになってきた。これってどっち選んでも、本当に私どうにかなったりしないよね!?
「無論構わん。我らはどちらでも良いからな」
「……えっとぉ、ちなみにご褒美だったらどんなものがある?」
「ふむ、そうだな……。何を所望しておるのかはわからぬが、”上”には多少の職権乱用程度、目を瞑っていただこうかと思ってはおるな」
「えぇえ? 大丈夫なの、それって……?」
「いいのよぉ! それで部下のやる気が出るなら問題ないでしょお? そうじゃなきゃ、何のために神様やってんだかわからないじゃないのよぉ」
「いやお前は雷のためじゃね?」
「そーゆーこと言ってんじゃないのよぉ!!! アンタは黙っててぇ!!!」
「事実だろーが」
「あ゛ぁあ゛!?」
トオルちゃんとトラさんのケンカが勃発した。いつものことなのか、マロはまったく気にしてない。……トラさんめちゃすばしっこい。トオルちゃんは翻弄されて、さらに怒りまくってるみたいだ。どっかの猫とネズミ対決みたいで、見てる方は面白い。
「そなたは褒美のほうがよいのか?」
「うん、まぁ……そうかな。ご褒美気になるし」
「では衣乃里、そなたは何を所望する?」
「な、何って言われても……。急にそんなこと言われたって思いつかないし」
「ふむ。……では一例として、今月の褒美はこれでどうだ?」
マロは胸ポケットから何かを取り出すと、私の方へと差し出した。受け取るために両手を出すと、マロの掌からぽとりと銀色の物が落とされる。自分の方へ引き寄せると、部屋の明かりに反射して鈍く光った。
___それは”R”と刻印されたカギだった。
「カギ? 何これ、どこのカギ?」
「そなたが通う学校の屋上のものだ」
「……えっ? 屋上!?」
「おそらく生徒はおろか、教師すら立ち入ることは禁じられておる場所であろう。中々にいい代物だとは思わぬか?」
「うそ、本物……?」
「本物か偽物であるかは、そなた自身で確かめてみるがいい」
何だかすごいものを貰ってしまった。これが本物だったら、確かに”中々にいい代物”だ。時間制限はあるけど、誰にも邪魔されない場所を手に入れたことになる。
……だけど、ものすごく気になることが1つある。
「ねぇ、マロ。これって今貰っちゃっていいの?」
「無論だ。……どうかしたのか?」
「だって変だよ。大体の大人って、最初にご褒美なんてくれないよ。これが出来たらとか、終わったらって言う人が多いんじゃない?」
「……そうなのか?」
顎に手を当てて、マロは考え込んでしまった。いまいちピンとこないみたいだ。この人が変わった大人なのか、神はそういうものなのか私にもよくわからないけど。
「別に何でもいーんじゃね? やるっつってんだから貰っとけば」
「そうそう! 鳴神にしてはいいモノ出してあげたじゃなぁい!」
意見が聞こえてきた後ろを振り向く。すると、じりじりとお互いの距離を詰めてる2人の姿が目に入った。どこぞの小学生だって状態でも、私たちの話は聞いていたらしい。
まだ仕事が始まってもいないのに、マロはご褒美をくれた。……それは信頼している証だと、解釈していいってことなのかな。
「……ありがとう。ありがたく貰っとくね」
「うむ。そうするがよい」
「あっ……!」
私の声に、3人が同時に視線を向けた。貰ったカギを掲げると、私は嬉しくて満面の笑みで言い放つ。
「なくしちゃったら、ちゃんとマロに言うから安心してね!」
一瞬ぽかん顔になったマロは、くくくっと笑い出した。
「それは実に心強いな」
「……そこは嘘でも大事にするとか言う場面じゃね? 鳴神お前、甘やかしてんじゃねーよ」
「もぉ~しょうがないわねぇ!! ほら貸してみなさいなっ! それに紐でもつけてあげるからっ!!!」
「えっ!? 紐ぉ!!?! 絶対ヤダっダサすぎっ!!!」
____こうして私は、10月のご褒美として”屋上のカギ”を手に入れた。
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見つめていたカギを、またスカートのポケットにしまう。それからバッグの外ポケットから携帯を取り出して、空に向かってカメラを向けた。
沈んでいく夕日が、薄雲をオレンジや赤を混ぜながら染めている。その景色を写真に収めと、今度は鳥マークのアプリを開いた。そこには多くの反応があったと、通知が報せている。
___「我らは現在、雷エネルギーを用いた商品を開発できないかと模索しておる。そなたもどのような物があるのか考えてみてほしい」___
帰り間際にマロから出されたその課題は、なかなかアバウトで難解だ。思いつかなかったから、昨日の夜にリサーチがてらに呟きを送信してみた。
『皆さん突然だけど、電化製品系で欲しいものってある??ちなみにうちはこのスピーカー内臓の最新型お昼寝用抱き枕ww』
その呟きに対する返信を読むために、どんどん下へとスクロールしていった。
↓
↓
ホームシアター
↓
エアコン
↓
同じ物
↓
パソコン
↓
ルンバ
↓
ゲーム機
↓
家電より愛
↓
美顔器
↓
パソコン
↓
乾燥機
↓
パソコン
↓
↓
↓
……こんな質問にちゃんと返信くれるだなんてありがたい。顔も知らない人たちだけど、素直に感謝だ。だけど、どれがどう雷に使えるかがわからない。そもそも電化製品なんて、雷通したら壊れるイメージしかないし。
「う~ん……」
それからしばらく、検索かけたりいろんなサイトにヒントがないか探し回った。……だけどどれもいまいちだ。結局のところ、みんなが欲しいものなんて千差万別すぎる。
「……あ、ヤバ」
突然画面に、『バッテリー残量が少なくなっています』と表示がでた。昨日の夜に忘れてしまって、朝に慌てて少しだけ充電したのを思い出す。……これじゃあもう無理だなぁ。てか、さっむ!
集中してたから忘れてたけど、今はもう10月だ。さすがにこの時間だと肌寒くなってきた。この場所は景色がいいだけあって、風通しが抜群すぎる。そろそろここにいるのは限界かもしれない。
ちょうどいいから切り上げようと立ち上がったとき、私はふとひらめいた。___ひらめいてしまった!
「___あぁー! これじゃん!!!」
私は屋上を後にすると、用心しながら学校の外へ出る。それから急ぎ足で駅へと向かった。