01:溺れる日々よ、さようなら
雷(かみなり、いかずち)。
それは雲と雲の間、あるいは雲と地上との放電によって、光と音を発生する自然現象のことである。 〈ウィ◯様より引用〉
かつて、この自然現象である雷を、電気エネルギーに利用することが出来ないかと考えられたことがあった。
しかし、エネルギーが得られたとしても強力すぎるため、耐えられる蓄電装置が今のところ地球上には存在しない。そもそも、雷はいつ発生するかわからないのである。さらに電気は所謂生もののため、蓄電自体が難しい。
そのため、実現化には向いていないという結論がなされた。
現代では決して現実的ではない。だが、その常識を覆そうと名乗りを上げた企業があった。それは天界の一等地にそびえ立つ、
その名も、天界株式会社___!
天界株式会社は、進化し続ける人間界のニーズを充足するために、世界中の神々が手を取り合い起業した会社だ。そして雷に特化した事業を展開するにあたり、新たに部署が発足されることとなった。
かみなり事業推進部だ。
ここでは環境問題への取り組みや、商品開発・製造販売を行う予定である。ターゲットは人間界に暮らす人々だ。
立ち上げにあたり、気象課から3人と1匹(?)が選ばれた。コミュニケーション力や調整力、意思決定力など様々なスキルを持った優秀な者たちである。
前例のない手探りの状態だ。だがしかし、プロジェクトを立ち上げるからには、絶対に失敗は許されない。
とは言え、彼らは人間の生態を知ってはいるものの、日常生活を体験したことは一度もない。そんな神々である自分たちが生み出した商品に、果たして人間が求める使用価値を見出すことができるのだろうかと疑問を持った。
幾度となく意見をぶつけ合い、会議を重ねていく。その結果、やはり人間界で商売をするならば、”人間の意見も考慮すべき”であるとの結論に達した。どうせならば、自分たちには少々乏しい面白い課題発見力があり、なおかつ好奇心旺盛な人間をスカウトするべきだとの意見も出された。
そういうわけで、彼らは共に未来を担う人材を発掘するために、優秀な1匹……雷獣を東京・渋谷へと向かわせたのである____!
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学校はなんでこんなにも、居心地が悪くて窮屈なんだろう。まるで深海にでもいるみたいだ。ろくに酸素も吸えない、光も届かない場所で、苦しくてもがいてばかりいる。暗い海の底からでは、指先だって出すことすら難しい。
毎日がひどく憂鬱だと、私・”森岡衣乃里”17歳は思っている。
_____東京・渋谷
渋谷センター街に向かって、いつもの友達2人とだらだら歩いていく。
仲が良くても悪くても、格好はみんなお揃いだ。
グレーを基調としたセーラー服。襟とプリーツスカートの裾には、朱色のラインが入っている。胸元にはラインと同じ朱色の大きなリボン。足元は紺のハイソックスを下まで下げて、紺のローファーを履いている。肩には茶色の革製スクールバッグ。そんな姿が、うちの学校の女子高生だ。
「ねぇ、今日どうするー?」
「カラオケでよくね?」
「あ、待ってセブイ寄ってい?」
「「おけまるまる~」」
「この前さぁ、姫部屋だったじゃん? まじ今日は、ゆめかわ空いてろってかんじ」
「病みかわでもよき」
「まじそれな」
会話はいつだって、テンポよくしなければならない。そんなルールはないけれど、そうしなければいけない常識になっている。コミュニケーションアプリもまた然り。
ちなみに私が言ったのは、「おけまるまる~」と「病みかわでもよき」だ。
高校に入学したころは、会話をするだけで物凄く緊張したし気を使った。だけどいつの間にか慣れていき、頭が空っぽでも言葉を返せるようになった。要は、親の話を聞き流しながら返事をしているのと同じだ。きっとみんなも、あたしと大差はないと思う。
だけど現役JKにとって、重要なスキルは言葉だけじゃない。流行りのメイクにファッション、アプリやお菓子だって何でもそうだ。……自分を守るためには、置いていかれるわけにはいかない。
ふと奥の横道から、何かが出てくるのを視界の端で捉えた。顔を上げると、まんまる真っ白なものが見える。まるでわたあめみたいだ。ここから見ると犬のように見えるけど、リードはなく飼い主も見当たらない。
私はじっとそれを視界に入れながら、足を進めていく。だけどもうすぐ正面というところで立ち止ってしまった。わたあめの様子が、どう考えても普通じゃなかったからだ。
ふわっふわの毛並みや、どんぐり眼の黒い瞳、ハムスターみたいな小さい耳はまだわかる。だけど黄色と黒のストライプ柄の小さな角や、にっこりと弧を描く異様に大きな口。その口から下向きに生えてる2本の白い牙。それから長い猫のような尻尾が毛先の方で二股に分かれているのは、どう考えてもおかしい。
ーーーーーーまさか妖怪!?
いや、モンスターってのもありうるか。……なんかそっちのほうが、このふわっふわの見た目には合ってるかも。モンスターって響きも可愛いし。
じっと観察されていたことに気付いたのか、謎の生物が私の目の前で立ち止る。恐る恐るという感じで上を向いたわたあめと、ばっちりと視線がかち合った。
「きゅいいいいきゅきゅっきゅゆっ!?」
……何だかこのコも、動揺しているらしい。プルプルしていて、全身の毛が波打っている。顔がブレていると、わたあめよりも毛玉っぽい。
私の眼球が乾燥を訴えたところで、友達が異変に気付いた。
「……いのっち? どしたー?」
「……あ、えぇっ!? どうしたじゃないし! このコ見たでしょ!? どう見たっておかしいでしょ!?」
「はぁ? 何がぁ??」
「何がって、いるじゃんここにっ! 足元っ! なんか巨大わたあめみたいな毛玉みたいな変なのがっ!!」
謎の生物に向けて、びしっと指をさした。だけど2人はぽかん顔で、私の指の先を見つめている。
「……えぇ? そこって、どこよ? そこただの道路だし」
「うおい、いのっちー? めちゃお疲れサマなんじゃね?」
「はぁあ!? 2人こそ何言ってんの!? こんなでかいの見えな……ってああっ! 逃げたぁっ!!?!」
謎の生物は、私の横をすり抜けて走り出した。もっふもふの毛で判りづらかったけど、短い手足を懸命に動かしているようだ。走って走って走り続けて、その勢いで十字路を右折した。まさしくその後姿は、毛玉が転がっていくようにしか見えない。
「あぁっ、ちょちょちょちょちょっ! ちょちょっと待ってっ!!」
「えぇっ!? だからなにって!?」
「ちょっと! いのっちどこ行くのー!?」
「あああああああっと、ごめん! 今日は先帰るっ!!!」
そう言い残し、私も走り出した。逃がさないとばかりに、全速力で同じ十字路を強引に右折する。
「……なんじゃーありゃあ思春期かぁ? つーか、いのっち足めちゃ早くね?」
「てか、DJかよ。まじウケる」
「DJいのり」
「おい、JKどした?」
「どっか忘れてきたんじゃね?」
「それなに草。さすがりさっぺ、めちゃ適当」
「さあちょに言われたかねぇし」
「まじそれな」
そんな未来予知的な2人の会話は、私の耳まで届かなかった。
角を曲がったところで、私は急停止した。逃げ続けているとばかり思っていた毛玉が、堂々と待ち構えていたからだ。
「……うっわぁ、あっぶなっ!!?」
人間も、急には止まれないのである。顔面からすっ転びそうになりながらも、寸でのところでなんとか耐えた。走ったのはほんの15秒ぐらいだけど、肩で息をするほど疲れている。ヤバい。
「………はぁぁぁあ、ちょ、もぉ……っ。ひっさしぶりにガンダッシュ、したしぃ……」
息をついてその場にしゃがみ込むと、目の前の毛玉と対峙した。
大きさは中型犬ぐらい。だけど見事にまるっこいから、こう見ると結構迫力があってもっと大きく感じる。
毛玉は逃げるどころか、尻尾をふりふりして愛嬌を振りまき始めた。困ったように首をかしげるのは反則的すぎる。
「なにこのコ……! まじぐうかわすぎるぅっ! 神かぁっ!?」
身もだえながら、毛玉へと手を伸ばす。毛玉は答えるように、首辺り(?)を自ら撫でてもらいに来てくれた。手がうずもれてしまうほど、想像以上にふわっふわで気持ちがいい。洋犬や洋猫などに近いかもしれない。だけどこのコの毛は、シルクのようなしっとりとした滑らかさも持っている。
撫でられている毛玉も気持ちがいいのか、うっとりと目を細めた。
「きゅきゅうぅ~……」
「……声までめっかわとかぁっ!」
思わず憤慨しているのか喜んでいるのか、よくわからない太い声を上げてしまった。
「あっ、そーだ! 写メ! 写メ撮らさしてっ!」
撫でていた手を引っ込めて、携帯を出すためにバッグを漁る。そのとたん、視界がだんだんと明るくなっていく。車でも来たのかと顔を上げた私は、予想外の展開に尻餅をついた。
なんと、毛玉の瞳が車のヘッドライトのように発光している____!
「え、えぇぇぇえええっ!!?!? こわえぇえええっ!!!?!」
その光はますます強くなり、毛玉の全身まで光を帯び始めた。その眩しさに耐えられず、腕で顔を庇いながら目を瞑る。
______やがて私の知らない間に、全身が真っ白な光の中へと包まれていった。