√トゥルース -004 臭い茶屋
「あ、おはよう。ルー君」
ああ、またか。本当に寝た気がしないな。
俺はそう思いつつ、声を掛けてきたシャイニーに挨拶を返す。親しき仲にも礼儀だ。
って、あれ?おかしな。布団の皺がおかしな事になっているような。こちらにはいつものようにシャイニーが寝ていた痕。そして反対側にも...もう一人寝ていた痕跡!?
えっ!?何コレ!?
俺は驚いてガバッと起きると布団を捲る。
そんな俺の様子に驚くシャイニーだが、俺は内心穏やかではない。一体何が!?しかし、布団の中はもぬけの殻。先に起きて着替えていたシャイニーは勿論、俺以外に布団の上に人はいない。
ど、どういう事だ?
背筋にゾッと悪寒が走る。ドアは...閂が...外れている!?
「え?ちゃんと掛かっていたわよ?」
顔を洗う湯を貰いに出ていたようだ。窓も開けた様子はないし、荷物は昨夜のまま。中身を確認するも、特に問題はない。
...どういう事だ?
夜中に俺が寝返りした訳でもない。ずっとシャイニーがくっついているからだ。それにシャイニーがこんな悪戯をする事もない。確か昨夜はミーアがこっちに入り込んだような...
ミーアを見ると、後ろ足で首を掻いた後、こちらを一瞥してシャイニーの方にスタスタと歩いていった。ミーアが寝た痕?いや、まさか。明らかに大きさが違う。こんな時にエスピーヌがいればなぁ。
エスピーヌは一度その身に掛かった呪いで、ミーアの心の声を聞いている。あの駄ラバの上で足をトントンとして、これにしろ、と。
そう、ミーアは人の言葉が分かるようなのだ。だからこんな時にミーアの声を聞いてくれると真相が分かるかもなのだが。
幽霊なんてオチは考慮しない。そんなのは無いったら無いのだ!怖い訳じゃないんだからなっ!
これはお蔵入り...か。俺の夜中の呪いが無ければ目が覚めてたかも知れないのにな。
「ウチが起きる時にルー君の向こう側でもぞもぞしてたの感じたけど、ミーアが毛づくろいしてたわ」
「...。」
俺がミーアを見ると、プイっと視線を外す。やっぱり何か知ってそうだけど...もどかしいな。
気を取り直して宿を出る。女将に聞いたところで良い答えは期待できないだろう。
町で買い出しをしがてら、軽食で腹を満たす。ここから先は徐々に山道になってくるので、空腹では身体が保たないから無理しない範囲で腹に詰め込む。食い過ぎはいけないから無理は禁物だ。
買い出しは生ものを中心に。保存食は王都で買い込んでいるし、フェマのところで王都で買った生ものは置いて来た。ザール商会で安くしてくれたのを良い事に、買い込み過ぎて食べきれなかった。反省点だな。この先でも食料は買い込む事が出来るだろうから、その都度買い足せば良い。
そうして買い出しが終われば、いよいよ出発だ。
この先、徐々に坂道となっていくので、たとえラバたちの足腰の強さに期待しようとも、どうしてもスピードは落ちていくだろう。自分たちの足で上っていく事を考えればまだマシだと思う他ない。
そんな事を考えている内に町から離れて木々が多くなり、いよいよなだらかな坂道へと差し掛かっていく。案の定、ラバたちのスピードは落ちていく。まぁ人も乗せ、荷物も乗せだから仕方ないところだ。それにこの二頭は山道は初めてだろうし。
平地ではタッタッタッと軽快に速足だったが、緩やかな坂道になってくるとやはり徐々にスピードが落ちてくる。仕方ないので小まめに休憩を取りながらにする。
道は川から離れて林の中を山肌に沿って伸びる。所々に沢が流れ、ひんやりした風が流れる。木漏れ日が心地好い。そんな水場を見付けては休憩をしているから、進むペースが極端に落ちている。
ラバたちもいつの間にか常歩にまでスピードが落ちていたけど、それは今、最初の峠越えをしているからだから仕方ない。ここを越えればまた暫くはなだらかな道が続く。
暫く進むと漸く峠が見えてきた。その上には小さな茶屋があるようだ。
「ニー、あそこで休んでいこうか」
途中、買ってあった軽食で昼を済ませているので、ここではちょっとした休憩のつもりだ。
だが、その茶屋に近付くと、反対側から来たであろう旅人姿の三人組が茶屋に入りかけて飛び出してきた。その顔は歪み、何やら喚いている。
その様子に俺とシャイニーは顔を見合わす。何があったんだ?
よく見ると、三人とも鼻を摘まんでおり、臭いやら匂いがどうやらと聞こえてきた。匂い?茶屋の中で異臭騒ぎか?
その三人とすれ違うと俺たちはラバの歩を止めて降りその茶屋を遠巻きに見るが、中では騒ぎになっている様子はない。
俺はシャイニーと顔を見合わせた後、俺だけで意を決してその茶屋の中に入ってみる。
...臭っ!!
何だ?この匂いは!自然と涙まで出てくる悪臭だ。
取り敢えずシャイニーには離れた所で待機させて俺は鼻を摘まんで奥を覗き込むと、人の姿が二つ。
「んぁ?いらっひゃいまへ!」
どうやら無事のようだ。同じように鼻を摘まんだ女性がこちらに気が付いて奥から出てきた。しかボチボチ限界だ、その女性に茶屋の外に出てくるようゼスチャーをして外に避難する。
「ご、ごめんなさい。ちょっと匂いがキツくて」
「いや、これはちょっとどころじゃないと思うけど。さっきも別のお客が入ろうとして逃げ出していたし」
「...はぁ。やっぱり」
臭わない所まで離れると、その女性が謝ってきた。シャイニーも加わって話を聞く。
「...ルー君。これって...呪いじゃ」
「...やっぱりこれは呪いなんでしょうか?」
シャイニーが俺に同意を求めてくると、その女性が項垂れる。これじゃあもう商売は出来ない、と。確かにこの匂いじゃ商売は無理だろうし、病気ではなく呪いであれば回復は望めないというのが世間の常識だと言う。
聞けばこの数日の内に、奥にいるこの女性の旦那の匂いがだんだんと強くなってきたらしい。最初は何か悪い物でも食べたのか?と思ったが、自分も同じ物を食べているのに自分は臭わない。匂いは衣類からかと思って着替えるも変わりないので、今度は湯を沸かして身を清めてみた。しかし変わりないどころか日に日に悪化していく。今までも裏方に徹していたそうだが、今では絶対表に出てこないよう言いつけていると言う。それでもこれ程に匂うのだ、商売どころではない。
この茶屋には王都へと行く際にも立ち寄ったが、その時はこんな事もなかったし味も良かったと記憶している。
「医者も匙を投げて、もう来ないでくれと。私たちはこれから一体どうしたら...」
「...医者ですらどうにも出来ないようなら、俺たちにもどうにもする事は出来ないな。"あの臭い匂いと一生付き合う"事になるだろうから、客席を外に出すとかした方が良くないか?」
「そんな...」
そう勧告しながら甘味と飲み物を頼み、茶屋から離れた所に二人で腰を下ろした。
涙を目に溜めたその女性から注文した品を受けとると、それらに鼻を寄せる。うん、美味しそうな匂いだ。これならさっき言った提案でも問題ないだろう。食べ物に匂いが移るようだったら、客席を別に建てるか調理場を離す事を考えた方が良いと提案した。
「うん、美味しい。やっぱり疲れているところにこの甘味は有り難いな」
「ホッとするね、ルー君」
「ありがとうございます。先程の案、考えてみます。取り敢えず、席は外に置くようにしてみます」
涙ながらに言うその女性に代金を支払おうとすると、案を出してくれたお礼にと受け取るのを固辞された。この数日の売り上げは壊滅的だろうから、この代金は喉から手が出る程欲しいところだろうに。
まぁ、そんなに高い物でもないし、そんな事も浮かばない程に切羽詰まってたようなので、ここは素直に奢って貰う事にしよう。でも雨が降る前に屋根はどうにかしないとな。
それにしても、この世の中、結構呪いが蔓延っているんだな。いや、俺のは呪いなんかじゃないぞ?きっと。
さて、ここから少しの間は下り坂だ。ラバたちも山道に少しづつ慣れてきたし、スピードアップが期待できそうだ。今夜の寝床は確保出来るかな?