√真実 -009 ホモォ!?
「君たちはここは長いのかい?」
声を掛けてきた見学のオジサン。俺が道場に入ってきた時には目のやり場に困ってた人だ。
「あ~俺が一番長くて四年程で、こっちの二人はまだ一ヶ月程ですね」
「私は三年くらいですね~。どうかしたんですか~?」
ミサが俺に続いて答えると、そのオジサンは少し考えた後、真剣な表情で聞いてきた。
「失礼ながら、この道場は少し教える内容がのんびり過ぎないか?先ずは逃げろって、当たり前の事じゃないか」
「...その当たり前の事が、いざという時に出来ないんですよ。逃げる事すら出来ない人が反撃なんて出来ると思いますか?」
「む。しかし君は先程、あの師範から見事手を捻って逃げたじゃないか。その後に押し潰されたのは、体格差のせいだろ」
俺の問いに問いで返してくるオジサン。しかし...
「いや、男の俺でも反撃しようとして潰されたんですよ?非力で細い女の人が同じ状況で俺より上手く立ち回れると?格闘技家でも目指すつもりならその様に申し出れば師範が教えてくれますよ?あの人、あれで空手に柔道が出来ますし、元は合気道が本業だったんですから」
「え!?い、いや...そこまでは...でも、ただ逃げるだけなら誰にでも...」
どうやらこの道場に通う意味を見出だせないようだ。ならばと、師範に声を掛ける。この三人には悪いけど、あの悪夢よ再び、だ。
「一体何を?」
「まぁ、見てて下さい。因みにあの三人が通っている期間は覚えてますか?」
「...小さい子たち二人が一ヶ月程で、あの女性が三年程だったな」
「加えて言えば、二人が中学三年で一人が大学生です」
「よし、じゃあ始めるぞ?他の者たちは壁際まで離れていてくれ」
その掛け声で師範が豹変する。
一瞬で変わったその雰囲気に、初めて見た体験入学の人たちは勿論、常連の人たちからもヒィっと小さな悲鳴が上がった。自分たちに向けられた訳でもないのに、これだ。慣れた俺でも変な声が出る。
今の師範は、見るからに変質者その者。それも特上の、だ。
その悪意を直接受けた三人。
真っ先にへたり込んだのは黒生。一歩も動けない。
智下はそれよりはマシだったけど、それでも数歩後ずさっただけで足がすくんでしまい動けなくなった。
唯一、ミサが逃げ出したが、反撃出来る状況ではない。逃げ惑った後、俺に飛び込んできた。ぐへっ!
...相変わらず師範、容赦ないなぁ。
「ええっと、分かりました?一ヶ月程じゃ声も出せず動けなくなります。三年通っても逃げるのに精一杯なんですよ、本物の変質者を相手にすると。ま、あそこまで酷い人は滅多にはいないと思いますけど」
「...。」
返事がない。隣のオジサンを見ると、壁に体を預け辛うじて立っているけど、足は震えていた。俺に飛び込んできたミサ目掛けて、師範がこちらに向かってきたからな。少しは理解出来ただろうか。
「...っと、こんな感じで先ずは逃げ出せるようになれる事が目標だな...って、あれ?みんなどうした?」
師範が通常モードに戻って周囲を見渡すが、みんなの目は冷ややかだ。いや、怯えの色さえ見える。
「し~は~ん~?やり過ぎよ?」
「そうよそうよ!ミサちゃんがいるからって、初めての子たちの前でエキスパートモードだなんて...」
「しかも初心者二人まで巻き込んで。可哀想に...」
常連のお姉様方がへたり込む智下や黒生、周囲で震える初心者や体験入学の娘たちを、あれはお芝居だからね~と宥めつつ師範を非難する。
二人には少し酷かと思ったけど、見るのは二度目なのでもしかしたら...と期待はしていた。しかし、結果的には黒生にはまだ早かったようだ、謝っておかないとな。そして数歩動けた智下を誉めてやろう。
ま、俺を痛め付けてくれた師範には良い薬だし、俺に襲う役を強制したミサにも意趣返しが出来た。ぐふふふふ。おっと、悪い笑みが出てしまった。見られてないだろうな。
「いざという時にはあれを越えるような事は殆どありませんから。今のを何度も体験しておくと、怯えて動けなくなる事はほぼ無くなるって師匠が...」
「むぅ...あれに慣れろと?」
「慣れなくても体験しておくだけでも良いと思いますよ?ほら、通っている人たちはああして動けているでしょ?俺の知る限り、師範のアレをまともに受けた事のある人はあの中でも半分くらいじゃないかな?そもそも何かあった時に迷わず逃げ出せる人って意外と少ないんですよ。況してや反撃するなんて...」
むぅ...未だ疑いの目が...今、見たばかりなのに。
「一月程前にあの二人が襲われそうになってたけど、その時は今と同じように動けなくなってて通り掛かった俺が逃がしたんですよ。もしその時に声を出して人を呼んだり自分たちで逃げ出せていれば、ここには通ってなかったでしょうね」
仕方なく、俺の...俺たちの実体験を織り交ぜて説明するが、それを聞いて顔を顰めるオジサン。
「何?あの子たちも襲われたのか...」
「...ぇ?じゃあ娘さんも?」
「ああ。うちの娘も先日...」
夏休みに入って浮かれていたところを襲われたから、外に出るのが怖くなってしまったらしい。幸いな事に、偶々通り掛かった人が近くの店の人を集めてくれて、事無く済んだと言う。その助けてくれた人がここの生徒だったそうで、この道場に通う事を勧められたそうだ。
勧められたんだけど、その指導が先ず逃げる事を教えると言う。大丈夫なのか?と。む。ここまで逃げる事を教えるのに否定的なのか...
俺はオジサンにある提案をした。それは...
「...オレは良いが、本当に良いのか?真実」
「言っても否定的だし。なら体験して貰うしかないんじゃない?」
「う~ん、しかしこんなのは初めてだぞ?」
「散々俺にもやっといて、そんな事を言うの!?」
いや、生徒以外には...と言い訳じみた事をブツブツと言う師範。しかし、俺がやれ!と睨むと渋々応じてくれる事になった。
「じゃあこっちに」
そうオジサンを手招きして師範の前に行かせると、智下や黒生の元へ向かう。
「う~、何で先に言ってくれないのよ!本当に怖かったんだから!」
少し涙目で訴えてくる智下に、頭を撫でてよく頑張ったなと褒める。勿論、黒生には無理をさせてごめんと謝りながら同じように頭を撫でてあげた。
「で?何が始まるの?」
「ん?見てりゃ分かる」
そう言うが早いか師範がまた豹変して、今度はオジサンを襲う。
それを見て慌てて師範の背中側方向に逃げ惑う周囲の者たち。そして智下も黒生も小さな悲鳴を上げながらも俺の後ろに隠れた。
しかし、当の襲われたオジサンは...
「ぜぃぜぃぜぃ、本当に、反撃、どころか、逃げる事が、出来なかった」
膝を着いて息を切らすオジサン。
「はい。そして、今日二度目の見ていた人たちは今度は曲がりなりにもみんなあちらに逃げてました。慣れ、でしょうね」
「成る程、先ずは、逃げろ、か。ぜぃぜぃ、確かに、非力な、女の子に、反撃は、難しそうだ」
やっと認めてくれた。それに今日体験入学に来ていた人たちは貴重な体験を二度も出来た。少なくとも今後プラスになる事は間違いない。
そして師範はというと...
「嗚呼、感触が...」
こっちはこっちでダメージが大きかったようだ。
周囲の女の人たちも、何か白い目で二人を見ている。あの智下ですら、有り得ない...と目を逸らせていた。
そして逃げ惑った女の人たちの中からミサが何やら、逃げる場所を間違えた!と呟きながらこちらへと来ると、智下と黒生に今のは忘れましょ!綺麗サッパリ忘れましょ!と念押しした。うん、俺も忘れたい。あれは目が腐る。まさか本当にスーパーエキスパートモードを発動するなんて!
「何事!?これは!」
そこに散歩兼買い物に出ていた瑞穂が帰ってきた。道場に入って中の惨状を確認すると、ギギギと首が回る。
「キ~ン~ちゃ~ん~?」
「ひっ!ひゃいっ!」




