√トゥルース -008 母の正当な怒り
「空が荒れそうだったからだけど、何か問題が?」
笑顔ではあったが目が笑ってない母さんが、既に虫の息の父さんと師匠を睨み付けて答える。20年も前の話だった事、出会う前の事だという事で、アガペーネの件は渋々許してくれたらしい。
話は変わって、さっきまでは村の出身ではないシャイニーを村の中に入れる事は難しいとの事だったが、勝手にシャイニーをここに連れてきたのは何故か村長へは事後承諾の形になっていた。それも威圧的に。
事実、外を見ると、まだ昼前だというのに徐々に暗くなってきており、西風が強く吹き出していた。耳を澄ませば、雷鳴も聞こえてくる。こうなると雨が降りだすのは時間の問題だろう。
良かった、午前中に辿り着けて。途中で降られていたら、マジでヤバかった。
「いや、一応村長の許可が...」
「そんなのんびりしていたら、この子がずぶ濡れになって風邪をひいていたわ。それだけでなく、風に煽られて大怪我を負っていたかも知れないじゃない。そんな事になってごらんなさい、村の恥よ?嵐が来るのに、大した理由もなく門の中にすら入れさせず怪我をさせてしまうような狭量な村だって。それにそうなったら治るまで村に居続ける事になるわよ?」
「いやでも、村の掟で...それに、もし村の中で悪い事でもされたら...」
「この子が悪さをするように見える?ルースは信じなくても良いけど、この子は信じて良いと思うわ?」
母さんが、村の顔とも言える父さんと村長に向かってそう言い切るが、俺に一言謝って欲しいところだ。失礼だろ。
そんなこんなで無理矢理二人を納得させた頃には、外は横殴りの雨が降りだしていた。勿論シャイニーは、この家とラバが移された村内側の厩舎以外には出歩く事は禁止されたが、それは雨が止むまでの辛抱だ。
漸く落ち着いた俺は、父さんと石の交渉を始めようとしたが、またもやドアがバンッと開いた。その内に壊れないか?
「あ~クソッ!思いっきり濡れちまった!くっそ~、おばさん!食材は倉庫の中に全部入れたぞ...って、トゥルースが何でここに?」
ずぶ濡れの若い男が愚痴りながら入ってくるなり、俺の顔を見て顔を顰めた。その顔には会いたくもなかったとハッキリ書いてあったのは誰の目にも明らかだ。
彼はニーラチェフ・バレット。俺の5歳歳上で又従兄に当たり、村長の孫だ。というか、もうお分かりと思うが、村の中はみ~んな血縁である。全ての家がバレット姓なのである。ややこしい事極まりないが、それは村の者にとっては特に問題にはならない。
てか、このニーフや門番のように、村では俺は嫌われ者だ。ちょいちょいと俺が嫌味を言うと、それとは逆の事が起こるのだ。その為、俺は村の者に嫌われていて、嘘つき呼ばわりをされている。なので俺が15歳の誕生日を迎え成人すると同時に一人きりで村を追い出された。それが二ヶ月前。
...ちょっと帰ってくるのが早すぎたかな。
とは言え、数年振りに会うニーフですらこの反応だ。師匠は俺が産まれる前に村を出ていたからか俺を毛嫌いする事はないが、村で一緒に暮らしていた者からはこの通りである。
どうやら良いタイミングで村に帰って来たところを捕まったらしく、ラバに積まれた食材を荷下ろしさせられに連れてかれた様だ。
「まあそう言ってやるな、ニーフ。初めての行商から帰って来たばかりなんだ、労ってやれよ」
「ター兄...。でもよ、オレらはみんな、こいつに関わると碌な事になりゃしねぇからよ...」
「んなん、偶然だろ。それより倉庫に入れなければならないって、どんだけ食料を買い込んできたんだ?」
師匠は俺が原因で悪い事が起こるとは思っていないようでニーフの愚痴を一蹴するが、ニーフは師匠の疑問に首を傾げた。
因みに師匠とニーフは兄弟でもなければ伯父甥の関係でもないのに師匠の事をター兄と呼ぶのは、ニーフの親が師匠の事をそう呼ばせると師匠が喜んで遊んでくれた事に起因する。要は体の良い遊び相手をさせる為だった。まあ俺も師匠と呼んで稽古を付けて貰っているから、人の事は言えないけどな。
「その女はター兄の連れじゃなかったのか?オレはてっきり...」
「いや、おれも初めまして、だな。トゥルース、紹介してくれ」
「...トゥルースの連れ...だったのか。何か損したな」
...ニーフのヤロウ、何て言い種だ。俺の連れだろうが師匠の連れだろうが、シャイニーはシャイニーだ。俺の連れって事で見下したって事は、シャイニーの顔の痕でも見てガッカリした口なのだろう。フンッ!顔を見て人の価値を決めるなんて、何て浅い考えなんだ。
俺はニーフを半分無視してシャイニーを紹介した。直ぐ下の町で孤児院から追い出された事は伏せて。それは余分な情報だ。
「そう...親がいないのね。で、ルースから悪さはされてない?遠慮しなくても良いのよ?正直に答えてちょうだい」
「え?いや...ウチはルー君には良くしてもらってます。悪さなんて全然...」
「って事は、やっぱりトゥルースはまだ童貞か」
ぐはっ!母さんも師匠も、容赦なさすぎだろ。そりゃ中には成人して直ぐに結婚し子供も...って奴もいなくはないけどさ。
って、いやいや。何をそんな大事な話に持って行こうとしてんだ?
「やっぱりアガペーネの姉ちゃんに筆下ろしして貰った方が良くねえか?」
「し、師匠は何の話をしてんですかっ!!そんな事する筈ないじゃないですか!それに...」
「ん?それに?」
また蒸し返した師匠に、母さんの顔色が変わってきているの気付いてないのかな、師匠は。しかし、アガペーネと言えば、俺のせいかどうかは分からないけど、若い男を襲うという呪いが今は治まっているんだよな。その事を俺の呪い?の話は伏せて言うと、師匠と父さんが驚いた顔を俺に向ける。
「...やはりあれは呪いだったか。しかし、呪いであるなら治らないというのが常識だろ。それが治まっているってどういう事だ?」
「さあ。俺に途中まで色目を向けていたのがスッと無くなった後、七、八日程乗馬訓練で王都にいたけど、その間は発症してないって。すごくスッキリした顔で見送られましたよ?」
「そう...なのか?まさかあの姉ちゃんが...もうあれは打ち止めなのか?」
シャイニーが何か言いたそうな顔をする一方、酷く残念そうな顔をする師匠。いや、マジでその辺にしといた方が...。
「へぇ。ルースが耐えられたというのに、あなたたちはコロッとその女の毒牙に掛かった訳ね?へぇ...」
ビカッ!ガラガラゴロゴロゴロ...
ひぃぃぃぃっ!か、雷が直ぐ近くに!!
その一方でニーフはというと、自分も首都へ行けば良かったとブツブツ呟いていたが、通常初めての行商は父親や伯父に付いて行くのが村の習わしだ。首都ではなく、いきなり隣国へ越境していた。と言うのも、基本的に近場である国内に石を売り歩くのは市場価格の下落を招くので、国外での取引が中心となる。初めからそれに慣れさせるのが目的だ。
しかし例外が我が家だ。もっと言えば長男ではなく家を継がない次男がその対象外となる。唯一、国内での売り歩きを許される代わりに、一人で行く事を課せられる。
この家の二男である師匠も、父親や伯父に付いて行って貰わなかったのだが、実はと以前打ち明けられた。村に偶々立ち寄った村長の知り合い~~~別の町の町長だったらしい~~~に、王都まで案内してもらった上、王都では帰国した父さんたちと落ち合ったと言うのだ。ズルい。
「えっ!?ちょっ!待った待った待った!義姉さん!それはさっき許してくれたじゃないか!」
「それはそれ、これはこれ。今、あわよくばもう一度...って思ってがっかりしたんじゃない?ね、そうよね?ターラー君?ニーフも。まさか、あなたまでそんな事を考えてはいないわよ、ねぇ?」
ビカッズドン!ガラガラゴロゴロゴロ...
ひぃぃっ!お、落ちたぁ!!直ぐ近くに落ちたぁぁぁ!シャイニーが俺にしがみつき、いつの間にか入って来ていたミーアが俺の腕の中に飛び込んできた。どちらもガタガタと震えている。
そしてそこには、今までに見た事の無い冷えきった母さんの笑顔があった。