√トゥルース -001 幼女と味覚の無いお婆さん 1
この作品は『Bi-World ~夢の中の俺は呪われし少女たちと旅をする~ (第一部)』の続編となりますが、前作を読まなくても良いように構成しております。
前作をお読みになられた方は少々くどいかも知れませんが、ご容赦ください。
本日、3話ほどを投稿予定です。
以後は不定期更新の予定です。
よろしくお願いします。
「ふぅ~、生き返る~」
手に掬った湧き水を飲み干すと、そこにペタンと座り込む。右横では漸く言う事を聞くようになったラバのミールとメーラの二頭が同じく溜まった湧き水をパシャパシャと音を立てながら飲んでいた。
「この後は宿を探すの? それとも野宿する場所を探す? ルー君」
声のした左側を向くと、やはり水を飲み終わった少女と、足元にはまだペロペロと水を飲んでいる白猫の姿が。
彼女はシャイニー。一月半程前に15歳で成人した俺、トゥルースが村から放り出されたその日に、同じく成人して孤児院を追い出された彼女と出合い、一緒に旅をする事になったのだ。
一方ラバ二頭はミールとメーラ、半月程前に縁あって世話になった商会で安く分けて貰った。難有りと言う事で格安で。二頭で一頭分よりも安く、更に馬具まで付けて貰った。ぶっちゃけ全部で馬具代程という破格値でだ。
白猫の名はミーア、牧場にいたのが勝手に付いてきた。
後述するが、この猫を含めて俺たちは皆、一癖も二癖もある集団だ。
「ルー君……この後移動しないのなら、ついでにここで体を拭いていきたいんだけど……」
良いかな?と伺いを立ててくるシャイニーに、俺は日中汗をかいた上に砂埃で汚れた自分の服に鼻を付けて臭いを嗅ぐ。咽せた。
こりゃ、俺も体を拭くべきだな。もうじき七月だと言うのに川の水はまだ冷たく、いくら今日一日暑い日だったとは言え、川に入ってまで汗を流す気にもならない。
二人でラバに積んだ荷物から手拭いと着替えを出して川原に下りると、シャイニーは手拭いを濡らした後、街道から見えないように木陰へと走り、被っていたフード付の薄手コートを脱ぎ出す。
……いや、そこだと俺から丸見えなんだけど。仕方なく俺はシャイニーに背中を向け、服を脱いで体を拭く。信用されてるのは分かるけどさ、俺だって男なんだ。もう少し警戒して欲しい。
素早く体を拭き終わった俺は小高い所を通る街道から人が覗いてないか見やるが、先程、先を急いでそうな馬車の屋根が一台見えただけで、他には人っ子一人として通らなかった。
いや、人っ子が丁度一人、水桶を手にして水場へと来るのが見えた。
とても小さな……女の子? 服装や髪型からそう判断したけど、たぶん間違ってはないだろう。その少女……と言うよりは幼女と言った方が良いかも知れない。背丈は俺よりも小さなシャイニーの腰辺りまでしかない所を見ると、まだ6歳前後? いや、もしかしたらもっと幼くも見える。
って、うわあ!まだシャイニーは、上半身裸じゃないか!俺は慌てて視線を逸らした。
その幼女は俺たちを気にする事もなく水場にしゃがむと水桶に水を汲み、それをよっこいせっと両手で持ち上げようとして持ち上がらず、少し両手で水を掻き出そうとした。
「なあ、水汲みなら手伝おうか?」
俺が近付いて声を掛けると、その幼女は俺を一瞥した後に金はないぞ?と一言言って水を掻き出し始めた。中々しっかりしたお子様だ。そう言えばこの辺りで半月前に盗賊が現れたんだっけ、と思い出す。俺を警戒しているのかな?
お金なんて取らないよ、と言って水桶を満杯に汲み直してひょいと持つと、服を着る途中だったシャイニーにちょっと行ってくると言って歩きだした。
「家はこの近くかい?」
「ああ。そこの右手に曲がった先を入った所のボロ屋じゃ」
幼女らしい可愛いい声なのだが、何とも幼女らしくない口調の答えが返ってきた。だが俺は気にせず質問を続ける。
「水汲みは家のお手伝いなのかい?」
「いや、これから夕食の仕度じゃ」
「仕度って…… 君が夕食の仕度をするの? お母さんは?」
「そんな大層な者はおらん。一緒に住まう婆様が体調を崩しておるからの。ワシが家事の一切を行っておる」
トゥルースはその幼女の返答に、いろんな意味で眉を顰めた。
母親がいない事。こんな幼女が家事全般をしている事。体調の良くない祖母を、おそらく幼女一人で看ている事。そしてこの口調。
そうなんだ……と言葉を詰まらせるトゥルースに、気にするなと素っ気なく返してなだらかなカーブの先の小道を入った所にあった小さな家へと足を向けた。
こんな所に家があったんだ。
それはとても小さな平屋で、直ぐ隣に大きめの納屋があり、家屋の裏には小さな畑があって青々とした葉が何種類か整然と並んでいるのが見えた。そして家の前には色とりどりの花が咲き誇っていて、幼女の祖母が花好きである事を物語っている。
幼女に続いてその家の玄関をくぐり、土間続きのお勝手へと水桶を運ぶ。
「助かったぞ、坊よ。水はそこへ置いておいてくれ」
えっ? 坊? 坊って俺の事か?まさかうんと年下の幼女に、そんな風に呼ばれるとは思ってなかった。かと言って、目くじら立てて言い直させる事でもないし、何と言っても相手は子供だ。成人したばかりの15歳とは言え、俺はもう大人の分類に入るから、いちいち子供の言葉に反応するのも馬鹿馬鹿しい。
水桶を指定された場所に置くと、俺はその幼女に訊ねる。
「この辺りでどこか宿は無いかな。旅の途中なんだ」
「ん? 宿か。宿はこの辺りにはないぞ? 王都方面は馬車で一時ほど、反対方向は一時半は掛かるかの」
「ええっ!? シマッタな。じゃあ、どこかで野宿できる場所でも探すか」
「止めておけ。この半月ほどは見掛けないが、この辺りには盗賊が出よる。それでなくとも野犬もうろついておるから危ういぞ」
げ。盗賊に野犬か。そうすると無理してでも一時半進む方が安全か。でも、あの駄ラバじゃ一時半じゃ着かない可能性が高いな。
王都で購入したラバ二頭。あいつらは単独では一歩たりとも動こうとしない。二頭とも乳離れする前に人に母馬を買い取られてしまい、人を嫌悪している上、お互いに依存しているようだ。ただ、人を嫌悪していると言うのには疑問が残る。こうして俺たちには懐いているからだ。いや、もっと言うと俺たちにじゃなくてシャイニーにだ。俺が雌ラバのメーラに乗っても動こうとはせず、シャイニーなら動いてくれる。ならばと雄ラバのミールに乗ればたちまちに暴れラバと化す。牧場での訓練で何とか抑えて乗る事が出来る様になったが、気を許せばたちまち暴れようとするから性質が悪い。
しかし、そこに牧場から勝手に付いて来た白猫のミーアの出番だ。この白猫、この駄ラバが暴れようとするのを抑えつけてくれる。それだけではない。
世話になった商会の常務であるエスピーヌ曰く、この白猫は人の言葉でラバ達を勧めてきたと言う。何故そんな事が分かるかと言うと、エスピーヌは相手の言葉の裏を聞こえるという呪いが掛かっていると言うのだ。事実、俺が無理して威張った口調で話すのを見破って見せた。
人の言葉を理解する猫、ミーア。
シャイニーが勝手に付けた名前だが、勝手に付いてきた所を見ると俺たちを気に入ったのだろうか。
話がずれたが、そんな旅に慣れていない癖のあるラバに乗っての移動が、そこいらの慣れた馬車並みに進める筈がない。事実、エスピーヌの馬車に乗せて貰っての王都への道程はこの辺りから半日ちょっとしか掛からなかったにも関わらず、王都からここまで丸二日掛かったのだ。そして日は既に今にも沈もうとしている。
ここは少しでも近い町に戻った方が良いのか?と考えていると、奥から声が聞こえてきた。
「フェマ? お客さんかぇ?」
「うむ、ちょっと水汲みを手伝って貰ったのだ」
「ほう、それはそれは。どなたか知りませぬが、有り難い事ですじゃ」
「ああ、婆様。起きてきてはいかん。まだ具合が良くなかろう」
奥の部屋から顔を出したその老婆の顔色はあまり良くないように見える。もうお暇する旨を告げるが、この時間では移動は止した方が良いと止められる。
「お礼にここへ泊まっていかれると良い。何も無いし、この体なので何もおもてなし出来なくて心苦しいのじゃが……」
「いえ、泊めて頂けるだけでも。本当に助かります」
ラバは納屋が元々馬小屋だったそうで、使って良いとの事だ。屋根があるだけでも随分と楽になるので納屋で寝泊まりしようとすると、家の中で泊まって行けと薦められた。
「この辺りに隣人はおらぬのでな。話相手になってやってくれぬか」
あまり話上手ではない事を先に断った上で、お安いご用だと快く承諾する。
話が決まれば川原へと戻り、着ていた服の洗濯を終えてラバ達のブラッシングをしていたシャイニーに伝えると、大層喜んだ。やはり野宿は何かと疲れるから、避けられるのであればそれに越した事はない。
その後、食材を提供し夕飯を一緒に作る。幼女はその見た目に反して随分と料理の腕が達者で、俺は専ら力仕事担当になった。
皆揃っての夕飯時に改めて自己紹介をしていく。
お婆さんの名はボーネ。結婚してからずっとここに住んでいると言う。夫とは随分前に死に別れ、一人息子は王都に住んでいて、暫くは一人だったそうだ。
そして幼女の名はフェマ。何故親元から離れて祖母の元にいるのかは聞けなかった。その話題や歳の話になると上手くはぐらかされる。その話し方についても、お婆さんの前では口にも出せない雰囲気だった。
「味が分からない?」
「ああ、小さい頃は味が分かったんだけどのぅ。体が大きくなるにつれ、舌が馬鹿になってのぉ。そんなあたしゃの出鱈目な味付けの料理も、文句ひとつ言わずに食べてくれたのが死んだ爺さんでのぉ。あの人に出会うまでに何人の男に振られたか」
「良い旦那さんだったんですね」
シャイニーがそう言えば、お婆さんは本当に嬉しそうに破顔する。
「あたしゃには本に勿体無い男じゃった。爺さんが死ぬ前にもっと美味い物をたんと食わしてやりたかったのぅ…… ゴホゴホ」
「おお、こりゃいかん。婆様、ちょっと横になった方が良いぞ?」
フェマがお婆さんを寝床へと連れていき、寝かした後に戻ってきた。
「悪いのぉ。婆様はもう随分と老いておるからの。もう先は短いやも知れぬ」
「そんな事は……」
「嬢よ。そう思いたいのは山々じゃろうが、いかんせんあの通り老いておるからの。体力的にも厳しいものがあるのじゃ。わしがここに来た時には味が分からない事もあって出鱈目な味付けで体を壊しかけていてのぅ。見るに見兼ねてわしが料理をする事になったのじゃ。しかし、味付けを良くし滋養に良い物を作ったところで、流石に歳には勝てん。もう限界じゃろう」
「そんな……」
幼女らしからぬ現実的な物言いに、シャイニーは言葉を失う。
「……そうか。そうすると、もう"美味い物を美味いと感じる事はない"のか…… 気の毒だな」
……あ、しまった。俺の今の言葉に二人とも気分を沈めてしまった。何かの病気であれば、それが突然回復するのは先ず有り得ないだろう事は想像に難くない。おそらく、もう味覚が戻る事はないだろう。二人が何とかしてあげたいと思っているのに、今のは失言だったな。
だがしかし、フェマがぼそりと漏らす言葉に、俺もシャイニーも眉を顰めた。
呪いさえ解ければ……と。
「……呪い?」
「ああ、呪いじゃ。あれは呪いじゃ。病気なんぞじゃないじゃろう。って、どうしたのじゃ?」
「……ええっと、驚かないでね? ウチの顔、化粧して髪で隠してるけど、ほら。火傷のような痕があるでしょ? これ、呪いらしいの」
シャイニー…… 話して良かったのか? 自分から痕を見せて話すなんて今まで一度も無かったのに。それにほら。今度はフェマが眉を顰めてる。
シャイニーの顔にある火傷のような痕は、額から右頬までの顔半分にまで及び、右目の瞼は爛れたように見え、シャイニーの印象を酷く台無しにしている。
しかし俺はそんな痕のない綺麗なシャイニーの顔を今までに二度、いや三度?見た……気がする。出会って直ぐ、王都に行く途中の町でエスピーヌたちに出会った日の夜、そして翌日に王都で商会長のアガペーネに出会った後。月明かりに照らされたシャイニーはとても美しくて……
……月明かり?
そう言えばどれも一瞬だったから気のせいかとも思っていたけど、いづれも月明かりに照らされていた。もしかしたら……
「なあ、ニー。ニーの呪いはもしかしたら月明かりで一時的に解かれるのかも知れないぞ? 俺がニーの素顔?を見たのは月が輝いている夜だったから」
「え? そう……なの? そう言えば夜に外を出歩く事は孤児院にいた頃は無かったわ」
「なぬ? 一時的にでも呪いが解けるのか? 徐々に酷くなる話しかワシは聞いた事が無いぞ?」
「いえ。そうでもないわ。王都で一人、ルー君のおかげか、呪いが治まった人がいるから」
「なんと! 呪いが解けたと言うのか? それに、坊のおかげ? 何じゃそれは。それこそ聞いた事がないぞ?」
「ええ。それも月明かりとは関係なく」
わちゃ~。相手がシャイニーの顔をあまり恐がらない子供だからだろうか、珍しくシャイニーが滑舌に、それもあまり大々的には知られたくない話をフェマにする。
結果的に、アガペーネに掛かっていた、若い男を口説いて性的に食べちゃうという、何とも迷惑な呪いが俺の呪い?によって治まっている。俺の呪いは口にした事とは逆の事が起こると言うもの。実際にそれが呪いなのか、只の偶然なのか、それとも運が無いだけなのかは未だ分からないけど、俺は呪いだなんてちょっと懐疑的だ。
とは言え、俺はその事により村では嘘つきとして皆に嫌われている。成人になる15歳の誕生日を迎えたその日に一人で村を追い出された事がそれを証明している。
そんな話を分かり易く簡潔に纏めてフェマにした。
「何と……嘘になる呪いとはの。じゃが、もしそうであれば婆様の呪いも何とかして解いてやれぬかのぉ」
「いや、そんな意図的に起こせるものでも無いから。期待させちゃって悪いけど、そんな旨い話は無いと思ってくれ」
そもそもそれが呪いだなんて、俺は認め難い。それにお婆さんだって、病気じゃなくて呪いだとは言い切れないじゃないか。
確かにこの世には呪いのようなものがある。現にエスピーヌが人の言葉の裏を見抜いて見せたし、アガペーネもあの迷惑極まりない行動は呪いだと言って良いのかも知れない。それにシャイニーの顔の痕。月明かりで解けるのであれば、やはり呪いなのであろう。
しかし、やはり自分の身にそんな厄介なモノがあるなんて認めたくないのだ。
俺の言葉にガックリと項垂れるフェマ。
それにしても……この子は見た目に反して結構大人な会話に付いてくるな。口調もそうだし。どちらかと言えばうんと年上、孫でもいそうな老女としゃべている様に錯覚する。お婆さんと暮らしている内に考え方もお婆さんよりになったのだろうか?
どっぷりと日も暮れたので、早々に寝る事にした。どう見ても照明用の油を買うのもきつそうな暮らしぶりだし、話し相手にと約束したお婆さんが先に床に就いている。余分な油を使わないようにする気遣い位は俺やシャイニーも出来る。
布団は余分には無いそうなので、手持ちの野宿用の毛布を被ると、シャイニーもサッとその中に入って来た。若い男女が同じ毛布にくるまる。
元々、一緒に旅をする事となって直ぐに毛布やテントを買い足そうとしたところ、シャイニーが勿体無いからとそれを辞退した。一緒に寝れば寒い夜も温かいからと。普通であれば間違いが起こるだろうけど、今まで俺たちにそんな気まずくなる様な出来事は起こった事はない。二人とも横になると直ぐに寝てしまうからだ。
しかし、今日はいつもより少し床に就く時間が早いからなのか、二人とも直ぐには眠りに就かなかった。
「……ねぇ、ルー君。起きてる?」
「……ああ。何だ? ニー」
「お婆さんの呪い、ルー君の力で何とかならないかな」
「何とかしてやりたいのは俺もだけど、こればかりはなぁ……」
「そう……だよね。そんなに簡単にはいかないよね」
「そもそも俺のは呪いなのかも疑わしいしな」
「……そう、なのかな? でもルー君のも呪いの様な気がする。いえ、呪いじゃなく何か別の特別な力なんじゃないかな」
「特別な……力? そんな力は俺にはないよ。さぁ、もう寝よう。明日も朝から移動するから、出来るだけ疲れを取っておかないと、な」
うん、と力なく頷いたシャイニーがいつも通り俺に抱き付いてくると、途端に寝息へと変わった。そして俺もその柔らかくて暖かい感触を堪能する前に、微睡の中へと意識が落ちていくのだった。
***
ピピピッ ピピピッ ピピピッ
微かな意識の中、耳障りな電子音が静寂を切り裂く。
ああ、またか。
先程、眠りに就いたばかりなのに……
んんっ!と腕を伸ばして体を起こすと、目覚まし時計を止める俺。
「ああ、もう朝か。何だか寝た気がしない……」
毎日のように吐く言葉をいつものように今朝も呟くと、サッと学生服に着替えて鞄を手にキッチンへと降りるのだった。
本日、3話ほどを投稿予定です。
以後は不定期更新の予定です。
よろしくお願いします。