エピローグ3 陽の下
青空の下、馬車の荷台に腰かける。
日差しも眩いほど輝くが、その熱は柔らかいくらい、心地よい。
あくびは勝手に、でも止める気もなく、漏れだした。
そよぐ風も程よく、揺れる髪の感覚がこそばゆい。
慣れない感覚につい、肩にかかる髪をすくって、そして指に巻き付ける。
「――しかし、慣れないもんだね」
聞きなれた声が、不思議そうな色で耳に入ってきた。
見上げた視線を下ろすと、両手いっぱいに食料品を抱えた、青年が立っていた。
鷹のように鋭い、真っ黒い真珠のような瞳が、じぃ、とこちらを見ている。
「なんだ京二郎、そんなに人の顔を見るのは面白いか」
「まあね、美人の顔ならなおさらだよ」
「気取ったこと言いやがって」
つん、と杖の先で青年――京二郎の腰をつく。
彼は困ったように笑いながら、こちらの隣に座り込んだ。
「本音なんだけどね」
「ふん、そんなことよりね、こんな変装までしてキミの都合に合わせてやったんだ、一切合切聴かせてもらうぞ」
探偵の都合、と言うのはたった一つ。
この男、未だにグランブルトでの犯罪の容疑が晴れていないのである。
ゆえに、この国外に出るまではその正体を明るみにはできない。
当然、その隣に座ってる人間も探偵と縁の深い人間ではその正体の露見につながりかねない。
だから、自分も弱い肌を魔術で保護してまで、普段とはずいぶん装いを変えた、と言うわけだ。
実のところ、自分の不老の呪いを解決する手段は机に向かうだけではもう行き詰っているもんで、外に解決手段を求めたかった、と言う側面もあるけれど。
「そうだね、私の変装まで都合してもらってる以上、話の十や二十なんてするつもりだ。ただ、一つ指摘するけどね、クルビ――」
「クールゥだ、そう呼べって言ったろ」
わざわざ面倒な魔術による変装までしているのに、名前の呼び方一つで妙な事実が露見する、なんて事態になっても困る。
たったそれだけの意味で、何の意味もないとも。
ちなみに、こちらは何も気にせず京二郎と呼ぶ。ボク以外に彼の呼び名をそう認識できる間はこの世界にいないし。
彼は困ったように眉をひそめながら。
「クールゥ、君のそれ、ただ素顔をさらしてるようなものじゃあないのか」
ずいぶん、呼び慣れない口元はそのままに、妙な揚げ足取りをして来た。
「普段のボクは包帯にフードなんだ、そちらが普段の顔と言ってもいい。ほら、この顔を見てグランブルトの大魔術師様を連想する奴なんていないさ。ほら、変装のあるべき結果を得られてるんだ、変装としか言いようがないだろうに」
「……まあ、そういわれればそうなるか」
なんだか納得しないようにうなずく探偵だが、正直そんなのは些細な疑問だ。
「さて、ボクからするとね、京二郎の動向から何から何まで、あんまりにも疑問がたっぷりなんだ。ボクの疑問――いや、謎が尽きるまで、話を聞いてもらうぞ」
「もちろん。なんだって、どれだけだって答えるとも」
「キミの行動が寄りにも拠って謎だらけだったのもあってね、整理がついてないことも多い。少々言葉にするのに時間が掛かるかもしれない。だから、僕のたまりにたまった疑問、そいつを全部口にするまで隣に座っててくれよ?」
「ああ、そんなの構わないよ。迷惑をかけたからね」
――さて、十分な言質はとった。
ここまでの話、ロビン君や探偵自身から伝え聞いた話で大体の話はつかんだが、明らかに不明なことがいくつかある。
その中でも、謎に包まれたままの出来事が一つ。
「結局ねえ、最初の謎が明らかになってないんだよ」
「最初、と言われても色々あるけど」
「国宝『夕暮れ』を窃盗した犯人だよ」
探偵に濡れ衣を着せた犯人、と言う意味ではエドワードなのだが、エドワードにとってはついでの話。
何者かによって『夕暮れ』が盗まれていたからこそ、そんな濡れ衣を探偵に着せる、という結果に至った。
その犯人が何者か、と言うのは分からなかった。
「いつの間にかキミが取り戻していいように使っていたようだけれど、誰から取り戻したんだ」
「――言いにくいんだがね、前提が違う」
「うん?」
「私が犯人だよ」
さらっと、なんでもないことのように告げられた言葉に。
「――――――は?」
開いた口が塞がらない。
手に握っていた杖を取りこぼしてしまった。
「どういう意味だ!」
「どうもこうも、私が疑われて、私が持ってるんだ。そりゃあ私が犯人だろう」
「――整理がつかない。キミの冤罪を晴らすために調べを始めたはずだぞ、ボクも、ロビン君も」
「なに、グランブルト警察が優秀で、虚偽ではなくただの真実を最初から告げていただけだ」
思わず頭を抱えた。
「――嘘だろ?」
「疑いをかけられた理由を聞かれたときに、宝物庫の警備を指摘した、と言っただろう。アレ、実際に盗みをした後につい口を出してしまったんだ」
確かに、随分器用な男とは思っていたが、しかし。
「あの宝物庫は世界でも有数の警備システムと聞いたぞ」
「それを造ったのも私だ」
やはり、なんでもないことのように言われた言葉に、今度は反応すらできなかった。
「十年前は警備の強化を依頼されたんだよ。魔術と言う技術をふんだんに使ってみたい、と言う気持ちもあってね、私お手製の強固な警備システムを作り上げたんだ」
確かに、宝物殿の警備の強固さの一つに、『他にはないアイデア』という評価もあった気がする。
ほかの世界から流れてきた探偵の発想によって練り上げられた警備網はこの世界の人間からは奇異に映り、そして間違いなく頑強であっただろう。
「……逆に、制作者であったからこそ簡単に突破できた、と」
「その通り。何も変わってないんなら対策なんて容易な訳だ」
はあ、とがっくり肩を落とした。
ボクに対して十二分にヒントになるようなことをばらまいてくれてはいたのだが。
「気づくわけも、うたがうわけもないだろう、そんなの」
「悪かったよ。どうしても彼らに気取られるわけにもいかなかったからね」
その慎重さに対してはあまり頭ごなしに否定はできなかった。
まず、エドワード=イシュテム。
彼の掌握しかけたグランブルト全域の魔力と対峙するために『夕暮れ』を持ち込む必要があって、そして最後の決戦で使うためにどこまでも秘匿し続けた。
勇者としての機能を十全に利用するためにこそ、京二郎はたった一人で立ち向かうことまで考え通しだったのだろう。
そしてアルセト=アローキン。
研究者として卓越した能力は同時に、グランブルト中の情報を収集するためにも生かされていたらしい。
国中の伝話の回線を盗聴し、必要な情報をとりわけ解析する機能まで創り出すに至っていたとか。
『執念と情熱の讃美歌』と題された、アルセトによる小説では、『動乱』の動きをほぼすべて網羅していたほど。
「宝物庫の話も聞かれていたからこそ、それを利用されて指名手配をされた、と言う側面もあったと思っていた。だから、なおさら警戒していたんだ」
理解はしている。
それほどまでに息を潜めて、勝機を伺う必要があった、と言うことは。
「――だから自分が生きているにもかかわらずその生存すらボクにもロビン君に伝えずにいたんだもんなあ、キミは」
ただ、それで納得できるか、と言うとまた別の話。
自分の声がやっかみとか、ひがみとか、そういう負の怨念が入り混じったものになることを止められなかった。
「紙で伝えてくれたって良かったはずだ。そうしなかったのは結局、ボクを信用してはくれていなかったんじゃあないか」
「いやあ、そんなことはない。信用も信頼も、クル――ク―ルゥのことを一番しているとも」
「まさに歯の浮くようなセリフだな、京二郎」
「本当だよ。間違いなくキミがあの地下にたどり着く確信があったから脱出手段もなしにあの穴倉にこもったんだ」
思い起こす。
確かに、京二郎を迎えに行ったとき、本当に着の身着のままで、地下室には食料と、わずかな生活用品のみがあるだけで、大がかりな物品などはなく。
――何の遊びもない、というだけでも地獄のような場所なのに。自力の脱出手段すらない、なんて。
「そう堅い岩盤じゃあなかった。人間一人が通れるトンネルの一つくらい事前に用意しておけばよかっただろうに」
「あの教授相手に余計な細工をすれば必ず見破られるし、一切の隙も見せられなかった。そして、クールゥなら何がどうなっても、時間さえあれば必ず辿り着くとは確信していた。だから、待てた」
とても、真摯な眼だった。
まっすぐで、ただ、自分の意思を真っすぐに相手に伝える、強い視線。
瞬きも忘れるくらい魅入ってしまうほど、とても、惹き込まれる。
きらめくような、真珠の瞳の奥に。
ぼう、っと間抜けな顔で見つめる自分の顔が映ってようやく、目をそむけた。
「――ま、許してやるよ」
ちょっとした間が開いた。
京二郎がどんな表情をしていたかは知らない。
「ありがとう。恩に着る」
聞こえてきた声はとても落ち着く声で。
ようやく、一区切りがついた、と。自分の中でも、納得ができた気がした。
わずかに揺れる馬車の中、ぱらぱらと本をめくる。
『執念と情熱の讃美歌』と題された、グランブルト大陸を巡る動乱の話。
中ほどまでめくったたらいで、ふとした疑問に気づく。
「なあ、京二郎」
向かい側に座る、空を眺めていた彼に声をかける。
「どうした、クールゥ」
すっかりあだ名で呼ぶのも慣れたらしく、もうよどみは消えていた。
つまらないな、と内心思いつつ。
本を読み進めるうえで、どうしても気にかかった内容が一つ。
「なあ、この本、どうしたっておかしなところが一つないか」
「どのあたりが?」
「妙に詳しいんだよ。書き手はアルセトってことらしいけど、いくらグランブルト全土の情報を集めていたと言っても、ここまで書けるものか」
京二郎は腰を深くかけなおすと、小さく咳ばらいを一つした。
「実はね、その小説、元々は『執念の讃美歌』という原題だったんだ」
「よく知ってるな、そんなこと」
「だが、原稿段階でとある情報提供者が内容の訂正を行ったものでね、その提供者の意思を編集者であるロビン君が尊重してくださって、『執念と情熱の讃美歌』に変更されたという経緯があるというわけだ」
京二郎の、とても流暢な語り口に。
次の答えが予想できてしまった。
「なあ、京二郎。もしかしてその情報提供をした犯人って言うのは」
「そう、わた――」
とっさに手に持っていた本を投げつけた。
ぱし、と難なく受け止められて安心した。
目の前の男はともかく、本に罪はない。
「道理でね、道理でキミの心の内が多いと思ったわけだ!」
しれっとした顔で、堂々と。
「言っておくがね、最終的に文章の体裁を整えたのはロビン君だよ。ちょっと書きすぎじゃないか、とは注意してみたんだが、『この方が面白いでしょう』と言われてしまった。――まったく、彼も成長してしまったものだ」
京二郎の奴は言い逃れなんてし始めた。
正直、目の前の男が自分の活躍をどれだけ広めていたってかまわないのだが。
「なあ、ボクのことを妙に誇張して書いてないか、この本」
どうも、クルビエ=シアキのことに関しての書きぶりが気に入らない。
「そんなはずはないけどなあ」
「すくなくともボクが稀代の魔術師、なんてそんな誇大主張するわけないだろう」
「――いや、今日だけでも似たようなことは言ってた気がするけど」
ぼそぼそと言う声はよく聞き取れないので無視する。
それより、この探偵が情報提供した、という事実が気になる。
中ほどまでしか読んでいないが、ボクはどこまで描かれているのか。
「――なあ、ボクのことはどこまで『情報提供』したんだ」
探偵は、キリ、とした涼やかな顔で口を開いた。
「星空まで」
返事代わりに、杖の柄を全力で腹に突き付けた。
京二郎がごほ、と肺の中の空気を吐き出しきって、ぐったりとしてしまったが自然の摂理だろう。
人のことを題材にするなら本人に了承を取るのが筋だろうに。
ふと、視界を外に戻す。
日が傾きはじめ、影と光の境界が紅を帯びる。
石畳の街並みを横目に、蹄と車輪が叩く音は硬く、高い。
行き交う人々はまばらに、談笑やら、喧嘩やら、何であれ、随分と騒がしく。
日常、と言うモノがようやく、街に帰ってきたことを深く実感した。
「なあ、クールゥ」
京二郎の落ち着いた声に視線を戻す。
崩れた姿勢はすでに戻っていて、痛みも気にするほどでもなかったようだ。
「君は一体どこまで来るつもりなんだ」
何でもないような疑問に、ふといたずら心が沸いた。
もとよりそのつもりでもあった、と言うのもあるし。
今日はここまでずっと驚かされっぱなしだったので、言い返してやりたい、と言う気持ちもあった。
だから、彼にぴったりの一言を、じっと目を見て伝える。
「ボクの抱く謎は尽きないよ」
京二郎は一度首を傾げた跡。
一瞬目を見開いて、逸らされた。
その顔が朱に染まってるのは、夕日のせいかどうか。
「なあ、答えを聞かせてくれよ」
そっと、手を握る。
もう、逃がす気は、ない。
京二郎も観念してか、小さくため息をついてから、こちらを向いた。
とても、真剣で、鋭くて、でも、優しさの混じる瞳で。
「解き明かし続けて見せるさ、どこまでも、いつまでもね」




