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異世界探偵 京二郎の目糸録  作者: 水戸 連
終章:執念と情熱の讃美歌
94/96

エピローグ1 終幕

『唯一。

これを、報いであると受け止められる精神を抱いて。

瞳を閉じた。』

 とある、動乱の渦中に身を預けることしかできなかった魔術師の結末を文末にして。

かつん、と筆をおく。

 ぱらぱら、と書き終えた原稿を綴じてカバンに放り込み。

 古びた、味のある喫茶店を後にした。


 コンコン、と扉を叩く。

「お待ちしてましたよ」

 奥から、少年の声が聞こえてきた。

 合わせて、木製の扉が、ぎぃ、と開く。

 現れたのは、切りそろえられた茶色の短髪と、利発そうな眼の少年。

ロビン=アーキライト。かつて探偵の助手だった男。

話に聞いていたより、その表情はやや暗く感じた。


「どうぞお入りください、イロムさん」


 招きを受けて、一礼しながら彼の家に上がり込んだ。




 茶色の丸テーブルに、二つのカップが並ぶ。

 真っ黒いコーヒーから、目に見えるほどの湯気が立ち上っている。


「お砂糖、要ります?」


 自分は首を横に振って、そのまま口をつける。

 熱さが舌を撫で、苦さが喉を通り抜ける。

鋭敏となっていた感覚には、少々強い刺激だった。


「少し熱すぎましたか」


 顔に出ていたらしい。

 小さく首を横に振って否定したうえで。

 ここしばらく寝不足だったから、ちょうどいいくらいだ、と言いながら、カバンの紙束を差し出す。


「――もう完成したんですか」


 ロビンの驚くような見開かれた眼と一段張りあがった声に、少し満足しながら「ああ」と小さくうなずいた。


「今読んでも構いませんか」


 もちろん、とうなずいた。

 ロビンはペラリ、とめくり始めた。

『執念の讃美歌』と題された、『動乱』を巡る探偵の物語を。




 最後の一枚がめくり終わる。


「――やはり、想像によるところは多いのですよね」


 うなずきで返すことしかできなかった。

 ロビン=アーキライトからもらった『探偵』の情報だけでは、『探偵』の動向全てを記すには至らなかった。

 自分から執筆を申し出ておいて、至らないことしきりだ。

 ロビンは「気にしないでください」と眉根を下げた。


「数少ない資料をまとめてくださっただけでも十分ですし、あの動乱を生きた人たちの証を残せた。それだけで、十二分です」


 机の上を、一本のペンが転がっていた。

 銀色の『ロージキィ』という銘が記された、探偵の遺品。


「現場から見つかったのはこのペンだけでしたから」


 遺骨すら燃え尽きる業火の中、それだけでも見つかるのは奇跡みたいなものだ、とは警察の見解だったか。


「ええ。多くの物を書き留める人でしたから、最後に一筆、書き残そうとして、外に転がり出たものが残ったのかもしれませんね」


 ロビンは、堅い表情をようやく崩して、カップに口をつける。

 彼にとって、もう、探偵との記憶は穏やかな表情で思い出せるモノらしい。

 数か月は、少年にとって折り合いをつけるには十分な年月だった。

 思いにふけっていた脳を、とんとん、と柔らかく紙を叩く音が現実に引き戻す。


「イロムさん、この原稿、そのまま本にしてもいいですか?」


 ロビンの提案に、一瞬考えてから、小さく首を横に振った。

 どうしても物語のために脚色が多くなってしまったことだろうから、誰かの校正の手は入ってこそ、善いものになるだろう。

 特に、彼をよく知る、助手の手が入ってくれれば、なお。


「わかりました。少しばかり表現が変わってしまうかもしれませんが、かまいませんね?」


 目の前の少年の危惧は杞憂だ。

 そのような無用な修正をするような人間ではない、ということくらいわかりきっている。

 危機に立ち向かい、謎を暴こうと立ち上がり、混乱を解決すべく駆け巡った。

 その働きあってこそ、今、国王がグランブルト復興の指揮をとれる、と言うモノなのだから。


「善良な一市民としての振る舞いですよ」

 照れくさそうに、頬をかきながらほほ笑む少年の表情を見て。


 思わず、こちらも少し口元を緩めてしまった。


「もう出発されますか」


 荷物をまとめながら、後ろからの声に振り向いて、うなずく。

 どうしたって色々作業と言うモノは残っている。

 その辺り、片づけないことには明日は迎えられない。


「お忙しい身ですものね、そんな多忙な中いろいろありがとうございます」


 自分の責務なんて、そう大したものじゃあない。

 君こそ、そんな張り詰めたような顔をする必要はないんじゃあないか。


「……そうですか?」


 自覚はないらしい。

 少なくとも、表情を見るだけで奥の疲労が透けて見える。

今日一日くらいはゆっくりと休むといい。

 グランブルト戦勝祭。

 一年の区切りで、誰も彼もが思い思いに、休暇を満喫する日なのだから。

 例えば、好きに本を読みふけるのだって悪くないだろう。


「ふふ、なら、イロムさんの作品を読みふけっておきますよ」


 その辺りは好きにしてくれ、と言うだけ言って、外に出る。


「ところで、イロムさん」


 扉を後ろ手に閉めようとしたところを、自らの筆名を呼ぶ声に呼び止められる。


「ずいぶんとこの原稿で熱心に書き記してくれましたけれど、あの人とはどのような関係だったのですか?」


 ただの知り合い、と口にするのは少々、気が引けるような気がして。


『互いに認識しあう、と言う意味なら「友人」と言う言葉が一番正しい関係だよ、探偵とは』


 まわりまわったくどさで、なのに不足にもある言葉で、それでも口にするならこれが限度。


「僕が聞いたのは、エドワード=イシュテム卿に関してですよ」


 素朴な疑問で、何の気なしだろう、と理解はしていたが。


「動乱の主役とはいえ、ずいぶん仔細に書いてくださるものですから、思い入れがあったのかなと思いましたが、そのあたりどうなんでしょうか」


 確信に近い問で、思わず、歪な笑みをこぼした。


『――さあ、しいて言うなら偶像かな』


 自分の曖昧な回答に、ロビンは首をかしげる。

 煙を撒くように、今日は冷える、ゆっくりと休むといい、と言い残して。

 手を振って背を向けた。


『探偵』と、『探偵』にまつわる世界に別れを告げるつもりで。

 土を踏みしめながら、心を堅くする。

 日差しは薄い雲に隠れ。

土を踏む靴音が湿りを増していく。

 明るみに背を向けて。

 暗がりへ歩を進め。

 ――さあ、全てに幕を下ろすとしよう。






 探偵も、そして先ほどの客人の姿も、あるいは誰もいなくなった。

 家の中、彼方を遠目に眺める。


 見下ろす風景は音がなくてもにぎやかで。

 祭りの空気は、光を伝って渡ってくるかのよう。

 楽しげな雰囲気に、少しだけ頬が緩む。


 椅子に腰かけながら、本を開く。

 何の気なく見上げた空。

 思わず、息をのんだ。

波打つ雲が夕日に焼かれ。

 黒い雲の影が炎のごとく揺らめき。

 赤熱に焼かれる、黒い煉獄を思わせる。


 ひどく、不気味で。

 ひどく、心が急く。

 何も起こってないのに。

 何もかも、終わったのに。

 何かの前兆に思えて仕方ない。


 一息つく。

 そんなもの、ただの錯覚で、焦燥に過ぎないと。

 まだ、あの日の記憶は抜けきっていないらしい。

 それに蓋をするべく、手元の文章に没頭しようとして。

 机の上で、ガタガタと揺れる音が響きだした。


 何が揺れているんだ、と目をやる。

 その音源は、魔力検知針。

 針は振りきれんほどに前後左右に。

 がたがたと、土台が音を立て。


 ガキン、と大きな音を立て、静寂が戻った。


 机の上に残ったのは、装置の残骸だけ。

 惨状を見て、ロビンは思い出す。

 以前、クルビエが話していた言葉を。


『もしも、この針が折れるような事態になれば――世界を掌握する大魔術が発動しようとしている、と言ってもいい』


 以前の『動乱』において、未曽有の大魔術は未遂に終わった。

 けれど、今。

 過去にない、魔力の波動を検知したからこそ、針は振り切れたのではないか。

 ロビンは思わず立ち上がっていた。


「いったい何が――?」


 ロビンの脳内を困惑が襲う。

 ただの故障、と言う可能性も信じたい。


 ――けれど、そんな都合のいい未来を選べない。


 何か、理由があって揺れていると考えるべきだ。

 しかし、そうだとして。理由が思い当たらない。

 自分には関係ない、と。そう、思考を放り出してしまおうかと思った時。


『どんな謎も、人が作ったものなら人に解き明かせる。間違いなく、君にも』


 背中を押す声がした。

 昔に聞いた、耳の奥の残響だ。

 揺れるランプから漂う油の匂いすら呼び起こせるほど、丁寧に記憶の奥の箱にしまわれたはずの記憶。

しばらくは、思い出すつもりすらなかったけれど。


 それでも、脳裏によぎったからには、あきらめられない。

 何が起きている、と思考を廻す。


 今。


 大前提として、地球全土を覆うような魔法陣は存在していない。

 以前の騒ぎのように、大規模な『点』と『辺』を形成する作業が必要で、現在の地球上にそんなものを形成する騒ぎは起きていない。


 そして、局地的な誤検知で魔力検知針が壊れるほど揺れることはない。

 魔力検知針は大気の魔力の流れのうち、大きな流れだけをつかむ。

 間違いなく世界で大魔術を発動しかねない魔力の流れは生まれている。


 つまり、大魔術に必要な魔法陣はどこにも描かれていないが、大魔法と思しき魔力は流れつつある。

 その矛盾を、解消する仮説はあるか。


 地上のどこに描いたって、気づかれるだろう。

 地球全土に『点』だけならともかく、『辺』まで描くなんて大工事、気づかれないはずもない。

 誰にも気づかれず、円を作る方法。


 それも、地球規模で。


 そんなもの、思いつかない。

 やはり、ただの誤検知だったのだろうか。

 思いながら空を眺める。


 沈みゆく太陽を追って赤が遠ざかり。

陽光のベールを失った空から星の瞬きが滲み。

月が夕焼けを吸ってわずかに紅の円環を宿す。


改めて眺めればひどく美しいのに、ありふれた光景。

誰の目にも止まらないのに、いつでもそこにある。

自分なんかには及びもつかない規模で世界は廻っているのだ、と。

世界の広さを理由に、思考を投げ出そうとした時。

ふと。


 

脳の神経回路が、結びついた。


「――――――まさか」


 浮かび上がった仮説は、あまりにも不確かだ。

 思考の反芻を繰り返して、自らの中に湧きあがる反論をすべてぶつける。

 しかし。

 あらゆる思考の果てが、仮説と現実の境界を埋めていく。

 ガン、と椅子をけ飛ばすようにして立ち上がり。


『伝話』を掴みダイヤルを回す。


 交換手に連絡先を伝える一分一秒すら惜しい、と無意味に机をたたいてしまう。


『どちらさまかな、次からは交換手に名前くらいちゃんと伝えてやってくれよ』


 寝起きのような、不機嫌さを隠しもしない、よく知る魔術師の声。


「すみません、クルビエさん。とても急いでいたもので。あなたでないと、意味すら分かってもらえないかもしれないんです」

 受話器の向こうの声は低い声のまま、いぶかしむような声を上げる。


『ロビン君か。なんだい、キミらしくもない、そんなに焦って』


「真実の一端がつかめました」


 一瞬の間を置いて。

 深く、深く。クルビエは息をついた後。


『聴こうか、ロビン君』


 落ち着いた声で、先を促した。


「問題は今現在の検知された、膨大極まりない魔力についてです」


「ああ、こちらでも検知してね、外はいくらか騒がしいんだが、何かわかったのかい」


 ロビンは、話が早くて助かる、と思いながら深呼吸をする。


「目標だけは解りました。『敵』は、この地上のどこよりも大きな魔法陣を描く気です」


『その確信が持てる何かを見つけたのか?』


 窓際に肘を掛けながら、見上げる。

 視えるのは暗い、暗い空。

 黒い絵の具をぶちまけたように真っ黒。

 そのわずかな隙間に、月と星々がわずかな光を放ちながら。

 今も、ほんの少しだけ動いて、いや、廻っている。


「宙です。宙に打ち上げるロケットを月のように地球を周回させるつもりなんですよ」


 淡々と言われた言葉は、ひどく落ち着いていて。

 受話器の奥からは、息をのむ音がしっかりと聞こえてきた。

 まさか、と二度つぶやかれたのち。


『根拠は、一体なんだ』


 声は重い。

 問い詰めるように、あるいは、声の一つ一つを一切すら聞き逃さないという気概に溢れたように。


「単純に、地球に描けないなら、その外に書くしかないでしょう」


『方法は?』


「戦勝を祝うグランブルト花火大会は、思い思いの花火を各自で打ち上げるでしょう。その中で、毎年必ず、大規模なロケットを打ち上げるくせに、爆発せずに空の彼方まで打ちあがってしまうものがいくつもあるんですよ」


 受話器の向こうから、息をのむ音。


『――それが六芒星の『点』か』


「そして、地球を周回する軌道が『円』になります」


剣を手首の回転で回すだけで魔術を成り立たせる剣士もいる。

ならば、地球の遠心力で回転する軌道だって『円』になりうる。


「地球の直径よりも大きな魔法陣。そんなものが成立しようとしているから、魔力検知針も折れてしまった、と考えています」


『だが、なぜだ。なぜ今年なんだ。グランブルト戦勝祭は今年で十一回目。ロケットを打ち上げるのに違和感ないタイミングのために戦勝祭を選んだとしても、どうして十年もかけたんだ、この計画を』


「クルビエさん言ってたじゃあありませんか。大陸を覆う魔法陣に使われようとしていた『点』のミサイルについて、あれは並みの魔術師じゃあ一つ作るだけで一年以上かかる代物だと」


『じゃあ君の結論は』


 置くように、丁寧に。

 クルビエは、導かれた思考と口に出す声に子細な違いすらないように、つぶやく。


『並みの魔術師が一年以上かけて作った『点』を二年ごとの祭典の度に打ち上げて、十年かけて地球すべてを巻き込む六芒星を完成させようとしていた、ということか』


「はい」


 ああ、と受話器の向こうから吐き出された吐息交じりの声は、あまりに重かった。


『想像もできない。ここまで明るみにも出ない以上、その計画は極小の組織――いや、個人による実行だろう。そして、地球の周囲を回る軌道から魔法陣を描く繊細な技巧にはどれほどの計算が必要か。それを十年もかけて、そしてたった一度の魔術の実行のためだけにすべてを尽くす、なんて人間の精神性は存在すら疑わしい』


 一気に吐き出された言葉は信用できないという意志に溢れていた。

 ロビンのくるくると回り続けていた思考が、急速に止まりかかる。

 この人でだめなら、誰にも、自分の抱いた光景は理解されないんじゃないか、と

受話器の奥から、さらに大きな息をつく音が聞こえてきた。


『だが、あまりにキミの推測は現実に符合している』


「信じてくれるんですか、クルビエさん」


『――信じるも何も、キミからして、その推論でもっとも疑わしい犯人は魔術に卓越した技能の持ち主だと思うけど』


「――あ」


 稀代の魔術師。

 このグランブルトで間違いなく五本の指に入るほどの魔術師。

 並みの魔術師にできることが、この受話器の向こうの人間にできないはずもない。

 ふふ、とほほ笑むような声が漏れてきた。


『そんなことすら頭からすっぽ抜けるくらいボクを信用してくれたんだ、君が嘘をつくとは疑っちゃいないし、導き出された推論は少なくとも、間違いなく真実を向いているよ』


 かん、木の杖が石畳を叩く音が響く。


『ボクの名前で尽くせる手は尽くしてやるよ』


「すみません、お名前を借りるようなことになってしまって」


『いいさ。それより、きちんとキミの推理だって報告しておくからな、今後警察に調書作成の手伝いなんかやらされてもボクに文句言うなよ』


 軽い調子で言われた言葉は、気づかいに満ちている、と言うことくらいはすぐに分かった。


「――よろしくお願いしますね」


『ああ、キミはのんびり待ってると良い。何か変わったことがあれば連絡してくれよ』


 かちゃん、と下ろされた受話器の音は、いつもよりも優しく聞こえた。

 ほっと、一息ついた途端。

 急に、世界がぐらりとゆがむ。

 がたん、と机に手をついてようやく自覚した。

 ――ああ、ずいぶんと、気を張りすぎていた。

 まどろみに身を任せて、瞳を閉ざした。



 ゴンゴンゴン、と揺らすような大音ではね起きた。

 窓の外はすっかり真っ暗で、時計の針は長針が二周はしたことを示していた。


「すまない、ロビン=アーキライトは居るか」


 ドアの向こう、けたたましいと言わざるを得ない大きなノックとともに聞こえてきたのは、どこか聞き覚えのある声。

 尊大そうな口ぶりには貴族時代からして心当たりは多いが、この家にぶしつけに訪れるような人間はずいぶん絞られる。

 まして、つい先日も似たような一件があった。


「もしや、ノイア刑事ですか」


「そうだ。君の推理について報告があるのでね、こんな夜分にすまないが尋ねさせてもらった」


 以前の彼とはずいぶん違う、真摯でおとなしい言葉に、ロビンは思わず面喰いながらも。


「どうぞ、お話を聞かせてください」


 開いた扉の向こうに立ち尽くすノイアは、幾分落ち込んだような表情で、少なくとも以前の威圧感などはみじんも見えなかった。


「お座りください。飲み物はコーヒーでよろしいですか?」


 ロビンがコーヒーを入れようとする手を、大きな獣人の手が制した。


「急ぎでもあるし、招きを受けられるような人間でもない」


 そうかたくなにされると手をとめざるを得ず、ロビンは椅子を引くだけにとどめた。


「まさか、ノイアさんが来てくれるとは思ってませんでした


「謝罪にはせめてもの誠意を示すべきだろう、と思ってな」


「以前この家での出来事の話ですか?」


 ノイアは「いいや」と大きく首を横に振るう。


「それもまた謝罪すべき話だが、今はさしせまった話だ」


 真剣で、そして愁いを帯びた表情で。

 悔恨の混じった声に、ロビンは黙って言葉を待った。


「君からもらった助言だが、活かすことはできなかった」

 ノイアの声はゆっくりと、重く、苦しさがにじむ。


「今年計画されている私製ロケット型花火の総数だが、千を超える」


「――多すぎる」


 年に一度の祭典に力を入れる人は多いと聞いていたし、まして動乱が明けて少しでも祭りに気分をゆだねたい、と思う人間はそれほどまでに多かったのだろう。

 しかし、その中に入り混じった、国を溶かす毒を探り当てるには、あまりに障害が多すぎる。


「郊外や、そもそも王都ではない場所まで含まれていてな。グランブルトと言う国の隅から隅まで、まるでカモフラージュされるかのように散らばされている」


「でも、グランブルトは世界でも有数の軍事力を持つ国家です、私有軍を持ちうる貴族にだってその意志を伝えれば、郊外まで捜査の手を伸ばせるはずです」


 ロビンの口から漏れたのは、非現実的だとか、理想論に過ぎないとか、そんな前提が多すぎるもので、普段なら無意味な問いだ、なんて言われそうな類。

 ノイアは真剣に聞いたうえで、首を横に振った。


「――それでなお、届かんのだ」


 論ずるに値しない、ではなく。

 論じたうえで、不足だと。


「今、国王を含め自由に動かせる軍人というのは昨年と比較すれば十分の一にも満たない」

 ロビンは一瞬逡巡した後、この一年で――いや、つい先日のグランブルトで最も大きな影響を及ぼした事件を思い起こす。


「動乱の影響ですか」


「『動乱』を起こしたエドワードはすでに死んだが、国民の貴族と国家への不信感はあふれかえっている。反乱や蜂起寸前の住民を留めるために駆り出されている人員が大勢でな、フルズ卿やローゼ卿のようなアルドレッド卿ゆかりの人間のおかげで落ち着いてはいるが、国中をひっくり返してロケットをすべて発射中止にできるような余裕はないんだ」


 諭すように。

 悔いるように。

 あきらめるように。

 唇をかみちぎってしまいそうなほどゆがむ表情に、ロビンは思わず、その負の結論を曲げようと口を開く。


「でも、まだ発射そのものを延期できるかもしれません」


「まず、祭りの楽しみを延長、なんてことを強要できる人間は国王陛下を含めて現在は存在しない。その言葉を理由に反感が爆発しかねんからな」


「――では、具体的に発射され素時間帯は」


「一時間もしないうちに、私製花火の発射時刻だ」


 告げるような声に。


「もう、誰にも止められないじゃないですか」


 ロビンの声も、ぽっきりとシンが折れたような声でしか返事をできなかった。


「――君の貢献を、我々は何も活かせなかった」


 手から、黒いペンが零れ落ちていた。

 全身から力が抜け落ちて、崩れ落ちるようにして椅子に座り込む。

 すまない、申し訳ない、と言う声が遠くから聞こえるような。

 ごめんなさい、すみませんと言う言葉が自分の口から漏れているような。


 耳と喉を、かすれる謝罪がすり抜け続けていた。

 茫然と窓の向こうを眺めてしまう。

 無機質なランプの光なんてまるで届かない、夜の暗闇。

 それが、至る未来の果てと、悟ってしまった。




「――そうか。警察たちは間に合わなかった、か」


 夜の空を見上げ、がれきに腰かけながら受話器に声をかける。


『すみません、クルビエさん。ここまで来たのに何も、何も――』


 止められない、と。

 悲壮に満ちた、切ない声。

 自分ごときでは何も為せないのだ、と打ちひしがれる声。

 その悲観に、覚えはある。

 だからこそ、子供に背負わせられるような重さじゃあない。


「ところでロビン君、ボクもそのロケット花火に関する資料、持ってるんだがね」


 きわめて陽気に、自分でも不自然だと自覚があるくらい明るい声で返事をしながら。

 ぺらり、と紙をめくり。


「今日発射されるうち、グランブルトの市内はこの上から522番目まで。違いないな』


『……その通りです。そして、そのいずれも大型で魔術結晶を内蔵していてもおかしくないサイズだそうです』


「ロビン君、警察に伝言しておいてくれ」


 自らの背丈よりも長い木の杖を大きく振り回しながら立ち上がる。


「明日からはキミ達が死ぬ気で留めてこい。今日はボクらが全部ぶち抜いておく、ってね」


 返事は聞かず。

 優しく、受話器を戻すと同時。

 もう一つ、取ってつけたような、やや不格好な受話器を手にする。


「スリエス、聞こえるか?」


『よう、クルビエ』


 向こうからは、随分とご機嫌な声が聞こえてくる。


「陽気な声だな、おい」


『そりゃあ酒飲んでるところに呼び出されもしたんだ、当然だろ』


 はあ、と思わずため息をつく。


「そんなんで全力出せるのか」


『ハ、どんな時でも全力以上の成果を出せるさ、それよりそっちの結果はどうだった』


「警察たちはやはり、住民たちを抑えるのに精いっぱいだ」


『ま、数か月やそこらでクーデターの影は消えねえわな』


「というわけで、だ。予定通り今日のところはボクらで凌ぐ」

『明日のことは考えなくてもいいのか』


「ここまで派手に展開するなら尻尾位出てくるだろう。それに、キミらの担当はグランブルトの国土95パーセント。いくら五人いるって言っても余裕はないだろ」


『そりゃあ、お前もだろうに、お前は一人でロケットの半分をぶち抜くんだろう、クルビエ』


「なあに、稀代の魔術師様に任せろよ」


『――ヘッ、信頼してるぜ、おい』


 がちゃん、と荒々しく投げ捨てられた受話器を背に。


「キミ達がつないでくれたバトン、無駄にはしないよ」


 はるか、はるか先を見る。




 荒れ果てた遺跡のがれきに囲まれて。

 まっさらな、庭の中心。

 魔術師が一人、降り立った。


「見せてやるよ、真の魔術師の実力を」


 杖を地面に突き立てると同時、魔法陣が浮かび上がる。

 魔術とは、人間の思うがままを実現する技術。

 ただし、その自由度は魔術師の腕次第、限度は用意した魔力。

 

 ――つまり。卓越した技能を持つ魔術師が、無数の魔力源を用意すれば、真に思うがままを実現することだってできる、と言うわけだ。例えば、夜空を埋め尽くすことだって。

 湯水のように零れ落ちる魔石の数々が、地上で無数の交錯を重ねて紋様を描き出す。

 紅の円が幾重にも重なり、蒼の六芒星が無数に廻り、黄金の文字が無尽に記される。


 ばきん、ばきん、と役目を終えた魔石は砕け散りながら、魔力をさらに、さらに、と呼び集める。

 ぴちゃん、としずくが滴る音が静かに響き渡り、魔法陣の共鳴を深めていく。

 空間がゆがみ、時間の流れが引き延ばされ。

 視界すべてを埋め尽くす魔法陣が展開され。


 家ほどもある燃え滾る氷の弾丸が、五百を超えて魔術師の手中に。

 ごう、とはるか遠くから、いくつもの破裂音が響く。

 宙を埋め尽くす、地から登る流れ星。

 そのすべてめがけて、杖を振り上げる。

 ばきん、と体の内側で折れる音が響く。


 痛みで意識を埋め尽くされそうになって、それでも踏みとどまる。


 ――まだだ、まだ。こんなところで、未来を摘ませるわけにはいかない。


「轟け、我が全て」


 ただ一言の詠唱に、氷の弾丸が応える。

 空を滑走し、音を裂く。


 氷の火花が夜空を照らす。

撃ちあがったすべてを追撃し。

地球の外側に向かう前に、視界すべてを破砕していく。

たった一つの真実のために、五百に渡る輝きを端から打ち砕き。

 砕け散った氷晶が雨となって落ちて肌に当たり。

 暗闇を取り戻した後、へたり込む。

 

――ああ、止めた。止め切ったぞ。


 そう、実感して。


 もう、これ以上ない全力を出し切ったと実感の上で、大地の体を預けて。


 ――がたがたと。大地丸ごと揺れるかのような魔力を感知した。


 これ以上なく巨大で。

 今までになく力があって。

 想像もできないほど、近くで。


 ――何者かの大魔術が今、結実しようとしている。


 がばりと体を起こす。


 ――ありえない。たった今、その魔術の頸木を一つ残らず撃ち落としたはずなのに。


『――まずい、クルビエ』


 転がる受話器から、男の声が震えて響く。


『今のは囮だった――どでかい、本物が発射されようとしてる』


「分かってる、でも敵ももう限界だろう、せいぜい本命の一発が打てる程度だ、そいつを死ぬ気でぶち抜けばいい」


『こっちの感知担当が見ちまった。数十発程度だが、『本物』が発射されようとしてる』


 ――言葉が出ない。


 魔術師が一年以上かけないと充填できないような『本物』のロケット。


「なんで、そんな馬鹿げた魔力、どこから」


『エドワードの遺した魔法陣を再利用して、グランブルト全土から魔力をかき集めてるやつがいるんだよ!』


 ――すべてが、全てが、全てが、結びついた。


『そいつ』の目的は、最初からこれだった。


 エドワードに魔力を集めさせ。

 それをおとりに、そしてその魔力を再利用し、この地球を覆う魔術を発動させるのが目的だった。


 ――気づくのが、至るのが、あまりに、あまりに遅すぎた。


 もう、決して間に合わない。


「――ふざけるな」


 そうとわかってなお、足を縛る痛みを投げ捨てて走り出す。


「――――どこまでも手のひらの上だったっていうのか、ふざけるなぁ!」


 叫ぶような声を張り上げて。

 たとえ何の意味もないと分かりきっていても、それでも。

 溢れ出す心の衝動が、足を突き動かす。




 学園跡の端。

 もう今やだれも立ち入らない、廃墟の中。

 耳を当てていた【伝話】の受話器を投げ捨て、がれきの山に立ち上がる。

 結局、今日、多くの人間が示した抵抗は、水の泡となる。

 誰も立ち寄った気配もないことを確認しながら、舗装もボロボロな地下に足を踏み入れていく。


 ――無数の邪魔が入った。エドワードの計画が成功していれば十分だったし、魔術塔が健在であれば地上の魔法陣の乗っ取りに時間はかからなかったし、王の暗殺さえ成功していれば混乱した世の中でいくらでも手は打てたし、たった今のロケットが宇宙に到達していればそれで十分だった、というのに。


 そんな思考は、結局は過去の思い出。

 そうなってしまうかもしれない、と言う前提で仕組まれた、最後の仕掛けがこの地下だ。

 ガラクタに埋もれた地面の一角に手を触れる。

 薄く浮かび上がる魔法陣は、魔導学院が崩れ落ちてから、今日この日まで、この地に誰も侵入していないことを間違いなく示していた。


 過去、学園で禁忌とされる魔術の研鑽のために使われ、今では役目を終え、使われなくなっていた、過去の研究室。

 地上に魔術塔が立つ前、自らの研究を秘匿する魔術師はひたすら地下にこもっていた。

 今では、魔術の研鑽と言うことすらされなくなって、迷宮のようになった地下はただ、廃墟のようになっていた。


 誰も立ち入らず、誰も感知しない。


『条件』が良いのもあって、最後の鍵はこの暗闇の先に設定していた。

 この計画の最後のセーフティ。

 万が一にも地下室に感づいたものがいれば、その時点で計画を放棄するつもりだったが、それもない。


 つまり、もう障害はない。

 青く光る魔術結晶を、鍵穴に差し込む。

 ぎぎ、と石がこすれる音とともに。

 ひとりでに、地下への扉が開く。




 地下への階段を降りながら、振り返る。

 確かに、間違いなく。

 彼の遺した魂は受け継がれ、世界を変えようという企みを防ぐために機能した。


 けれど、現在を生きる彼らには二つ足りないものがある。


 一つは、真実そのものへたどり着く力。

 二年前まではともかく、今年はエドワード卿の『余り』がある。

 彼が執り行おうとしていた大魔術は未遂に終わった。つまり、その魔術に使われる予定だった膨大な魔力はいまだ、貯蓄されている。

 指先で、エドワード卿の血液の入ったケースを揺らす。


 これがあれば、その『余り』をこの手で再利用できる。

 ただの一度ミサイルを止めても、エドワード卿が集めた魔力が十二分にある以上、魔術の中心である自分を止められなければ次弾を装填するだけで宇宙へ飛び立つミサイルは発射される。


決して、この計画は止まらない。

 もう一つ足りないものは、未来を視る力。


 ――彼なら、探偵なら、この計画をすべて知っていたのなら、必ず肯定してくれることだろう。


 この計画の果ては、彼と自分だけが知る未来のカタチへたどり着く。

 そもそも無理に止めよう、と言うのは彼の意にもそぐわないことだ。

 間違いなく、世界は次のステージへ進み、より幸福をもたらす時代になる。

 過程はともかく、結果として、今、地上で嘆く多くの人々の幸福にもつながる。


 だから、後腐れなく。地下へ、地下へ、降りてゆく。

 降りぬいた先には、最後の魔術の箱。

 すべてを終わらせる、幕引きのための呪文を唱えるだけだ。

 物語は、魔術と言う謎をほどいて、全て、終幕する。




 ――風が、吹いている。

 ふと、違和感を覚えた。

 この先は、行き止まりだ。

 吹き抜けるような通路はなく、たった一つの部屋しかない。


 ――風が、頬を撫でる。

 脚が早まる。

 何もいないことを確かめるだけの儀式に過ぎないはずなのに。

 足元を照らすためのライターをつけようとするがうまくいかない。

 火花をつけるだけの行程すら、うまくいかない。

 手が震えている、なんてことはないはずなのに。

 それでも階段くらいなら、手元のランプだけで十分に確認できる。

 ゆっくりと、ゆっくりと、土を踏みしめていく。


 ――風が、小さく音を立てている。

 最下層に降り立ってなお、風は五感を刺激する。

 肌をなで。

視界に砂を巻き上げ。

土のにおいを感じさせ。

隙間を吹き抜ける音を立て。

飲み込んだつばにわずかな砂利の味が混ざる。

 古びた扉に手をかけ、その先には何もない暗闇しかない。


息をついた瞬間。


「――ようこそ。首を長くしてお待ちしていましたよ。アルセトさん」


 呼ばれた声に、思わず顔を上げた。

 聞こえるはずがないと。

あるはずがないと、脳が否定する。

それでも、悠々とした声が、聞こえてきた。


「さあ、真実を解き明かしましょう」


 何もいないはずの小部屋に、ランプがともる。

 土の洞穴の奥。

 男の影が映っていた。




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