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異世界探偵 京二郎の目糸録  作者: 水戸 連
終章:執念と情熱の讃美歌
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36 雨の塔から望む景色

 吹きすさぶ風が世界を揺らす。

 雨はやみ、されど混沌とした雲は空を覆ったまま。

 ただ立つだけでも苦しくなるような暴風の中。

 エドワードは見下ろす。

 ただ、待っていた。

 終焉を。


 世界のすべてがどこまでも終わっていく様を。

 ただ、決まりきった結末を見守るような面持ちで。

 ぎしり、と体をむしばむような痛み。

 身体を見れば、蔦やつるが自分の体から生え、自らの根を肉体の内部へ侵食していく。

 ――自身もまた、終焉へ向かっていると、自覚せずにはいられない。

 それでも、あるいは、その程度では。

 もう止まれない。ただ、突き進むこと。

 それだけが、エドワードを突き動かす原動力だった。


 ――夜を裂くように、一筋の光が宙へ放たれた。


 エドワードの意識は、空を飛ぶ光体へ吸い込まれた。

「――なんだ」


 結界が反応しない以上、魔力の宿った物体ではない。

 爆弾にしては、その質量はたかが知れている。

 だが、確かにその光はこちらに向かってきている。

 エドワードはその事実のみを認識して、剣を抜く。

 魔力を込めて、陣を形成する。


「【魔弾】」


 一言で六の魔弾が剣先に宿ると、一瞬で解き放たれる。

 一つは正面、五つは囲むように回り込み、光へ迫る。

 剣を下ろす頃には、魔弾は正確に目標へ着弾した。

 爆発を伴った魔弾は煙となって、対象を跡形もなく消し飛ばした。

 ――牽制にしては、妙に正確な投擲だったが、一体何だったのか。


 その意図を探る前に、違和感に気づく。

 暴風の中、風を切るような音が耳に届く。


 目を凝らす。


 ――煙の中に、鷹を幻視した。


茶色の翼を広げ。鋭い瞳がこちらをにらみつけ。

獲物を見つけたように空を堕ちてくる。

 エドワードは反射的に剣を振り上げる。


 蔓を編み上げ、翼を打ち抜くようにうち放つ。

 螺旋の軌道を描いた緑のツルは正確に標的を貫いた。

 同時に、エドワードは衝突の瞬間、理解する。

 まるで紙を裂くような手ごたえで、がらんどうを揺すったよう。

 中身は、別にある。


「囮か」


 後方を振り向く。

 ――鷹の瞳を直視した。

 全身を漆黒のローブに包んだ人影が一人。

 闇に沈むような色合いは、目を凝らさなければ一瞬で見失ってしまいそう。


「君が来たのか」


 人影は暗闇を脱ぎ捨てる。

 古びた茶色のコートを風になびかせ、エドワードと相対した。


「こんばんは、エドワード卿」

 探偵は緑の地を、我が物のように踏みしめながら、一歩、エドワードへ迫った。

「また無為な説得にでも来たのか、探偵」

「まさか。真に無意味なことはしませんよ、私は」


 ピン、とわずかに反った指がエドワードの手元を差す。

 手のひらに掴んだ、緑の宝玉を。


「そうか、君は勇者の形代としてこの宝玉を奪いに来た、ということか」


 探偵は「ええ」とうなずく。

「私が近づくだけでソレは意味をなくすものですから」

 土の地面を踏みしめながら、足取りも確かに。

 鷹の瞳で、距離を詰めていく。


「君はつくづく甘い。不意を撃てばたやすかっただろうに」


 エドワードが剣を振るう。

 地面から無数のツタが生い茂り。

 うねり、意志を持って探偵を穿つべく突撃し。


「届きませんよ」


 探偵に迫る直前で。


ぼろぼろと、砂のように崩れていった。


「――なぜ、届きもしない」


 エドワードが思わず、と言った調子でこぼした言葉に。

 探偵は、当然だろう、と言わんばかりに足をとめない。


「勇者の力が勇者に牙をむかないのは道理でしょう?」

エドワードは虚を突かれたように目を見開いた後。


「――ずいぶん手を尽くしたつもりだったが。最大の障害を見逃していたらしい」


 どこか納得したように、つぶやいた。

 同時に、戦意をなくしたように、剣の柄から手を放す。

 からん、と床に反響する金属音に交わるように。

 探偵が靴音を一度、大きく立てて立ち止まる。

 指を、パチン、と大きく鳴らす。


 同時に、ぱりん、と。


「『勇者の器』は破棄させていただきました」


 エドワードが手にしていた宝玉は砕け、大地にその破片をこぼしていた。


「冷徹な男だ。男同士の一騎打ち、なんてロマンスすら解さぬとはな」


 魔力と言う支えを失い、塔の細部が少しずつ、ほどけていく。

 自然を生み出した魔力は逆流し、周囲を炎で包んでいく。

 エドワードの肉体もまた、芯を失ったように崩れおちる。


「安いロマンスに命なんて賭けませんよ」


 探偵の体は溢れ出る魔力の奔流に耐えきれないように、ひび割れていく。

 どさり、と座り込む探偵。

 二人は、同じ高さの視線で見つめあう。

しばらくして、エドワードは顔をしかめる。


「――やはり、やはり。君は感情が欠けている。自らの役割に徹し、自らの役割を遂行する機械。自分でも自覚はあるんじゃあないか」


「温いですね。私の貰った祝福の前にはかゆみすら覚えない呪詛です」


 探偵は聴く耳持たぬ、と言う調子でエドワードの言葉を切り捨てる。

「それに、あなたこそ。世界のために、不平等を正す、なんて大望はあまりに他人に尽くす行動が過ぎる、と言うモノです」


「やはり、君は私の夢を否定するか」

「いいえ。私は他のあらゆる思想は否定しませんよ。隠された行動と過程を正すだけです」

 探偵は遠くを見つめるように、顔を宙に向ける。


「それが君の正義なのか」

「いいえ。ただ興味深いから、己の好奇心に従って真実へ手を伸ばす。ただそれだけです」


 炎がちりちりと身を焦がす中。

 探偵は、ほほ笑んでいた。

 過酷な熱と痛みに身を焼かれているはずなのに、なお穏やかなその表情。

 エドワードは、その表情に、ひどく見覚えがあった。


 自らの手で切り捨てた友が見せた顔。


「――」


 息をのんで、声を発しようとしたが、その先が出ない。

 結びつく何かがあるのに、それを言葉にできなくて、喉の奥にとどまったまま。


「私のことなどより、エドワード卿の真意をこそ知りたいものです」


 探偵はわずかに目を細め、エドワードに視線を向ける。


「貴方は、これだけの用意周到さをもって、世界の不平等を正すと、そう布告しましたね」

「そうだな」

「ただ不平等を正すだけならいくらでも手段はあるでしょうに、何故こんな手段を?」


「以前、言っただろう。より早く、今苦しむ人々を救いたかったんだ」

「――救いたかったのは市民ですか?」


 探偵の声は、深くへ問いかけてくる。


「それとも、そんな不平等を眺めているしかできない自分自身ですか?」


 心の根の奥を、掘り出すように。

 悪趣味とも取れる問いに。


「なんだ、自分の心と他者の幸福を祈る精神の融合。それすら、悪徳と君はみなすのか」


 エドワードは、そんなことは分かっている、と言わんばかりに応える。


 分かっていたのだ、世界のために尽くす、と言うのはただのエゴだと。

 それでも。


「たとえ、己の欲望だとしても、始まりを違えていたとしても、確かに誰かを救いたいと思ったことまで、間違いだったというのか?」

「いいえ。正当性も、あるいは悪徳であるかどうかも、私にはあずかり知りません。ただ、嘘で着飾っていることくらいは解るものです」


「――――」


「本当に世界すべての不平等を正そうというのであれば、力のある貴族を排したのは悪手でしょう。内側を滅ぼして全権を掌握したところで、他の国々にまで抗う力は残らない」


「――魔法陣の拡大で賄える予定だったがな」


「この大陸が精いっぱいでしょう、あんな方法では。大陸一つを力で支配したところで――貴方の望む平等には届かない。ひとときの平等と言う名の混乱をこの地に招くだけだ」


 探偵は、力ない体を支えながら、視線だけは力強く、目の前の男に向ける。


「あなたの行いは、ただ現在の欲望を満たすだけで、輝かしい未来(ロマンス)など見えていなかった。違いますか」


 エドワードは、ただ。


「――ロマンス」


 反芻するように、つぶやくことしかできなかった。


「ありふれた、つまらない言葉ですが、きっと、あなたに欠けていたものでしょう」

 探偵はため息をつきながら、壁にもたれかかる。


 顔面は蒼白。


「探偵。君は――助かる公算はあるのか?」

「いいえ」


 あっさりと、こともなげに答え。

 探偵が広げて見せたコートの内部は、体がボロボロと目で見てわかるほど崩れはじめていた。


 エドワードは一瞬言葉に詰まった後、息をついた。


「無益なことだ――君だけが命を尽くす必要なんてなかったろうに」

「貴方もそうでしょう。勇者ならざる人間が勇者の力をむやみに使えば体がもたない」


 エドワードがごほり、とせき込む。

 口元からこぼれるのは、手のひらには収まりきらないほどの血。

 そんなものには目もくれず、視線を真っすぐに探偵へ向けた。


「君一人なら、いくらでも手段はあっただろうに。逃げ出しても、あるいはもっと安全な場所から別の人間を焚きつけて解決させるなんて手段もあったんじゃあないか」

「それはロマンスが欠けていますね」


 探偵の声は、絞り出すようで。

 かすれて、小さくて、ようやく耳に届くかどうか、と言うか細い声。

 それでも、エドワードには、その言葉がよく響いた。


「私は今日ばかりは『勇者』で――ありたかったんですよ。いいロマンスでしょう?」

 砂に染み入る水のように。

 よく、よく、よく。その声は、血の奥に溶けていった。


「そうか。そうだったな。一人一人の魅入る景色(ロマンス)はまるで違う」


 思わず漏れたような言葉に。

 応える声はなかった。


 すでに、エドワードの前には骸が一つ。

 ただ、その表情は微笑みを浮かべ、空を見上げていた。

 はるか未来の、輝かしい景色をのぞくように。


 そして、彼の懐から、一枚の地図が零れ落ちる。

 ――以前、少女に手渡した、孤児院への地図。

 その上に、大きく描かれた文字。


『どうか、どうか、あのくろいきぞくさまだけでもおすくいください』


 ――はるか、はるか未来しか見えていなかった景色から、ようやく足元に戻ってきた。

 自分のしてきたことは。


『自分の』エゴだった。


「ああ、そんなことに今更気が付くなんて。ずいぶんな遠回りだった」


 エドワードもまた、眠りに身をゆだねる。

 ちりちりと身を焦がす痛みが、安寧を引き留める。

 指一本すら動けない停滞の中。

 苦痛が身を焦がす。

 死と言う終わりに至るまで、安らぎは訪れないだろう炎の中。

 唯一。

 これを、報いであると受け止められる精神を抱いて。

 瞳を閉じた。


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