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異世界探偵 京二郎の目糸録  作者: 水戸 連
終章:執念と情熱の讃美歌
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35 星は登り、雫は落ちる


 魔術師は街を見下ろす。

視界に入るのは、滅んだ世界のようだった。

 家と言う家はほとんど屋根がなく。

 道と言う道は穴だらけ。

 灰があちこちから匂う。

 焼け落ちる音が遠くから響く。

 誰かが昨日までここに住んでいたんだ、と言うことすら信じがたい。


「――こんな惨状になっては、グランブルトの街はもう元に戻ることはないだろうな」

 ローブに身を包んだ魔術師が、憂いに満ちた声を漏らす。

「悲しいとも、むなしいとも思う。怒りだって満ち溢れるほどだ。――けれど、そんなものよりも、もっと心のうちには宿るものがある」

 空につぶやくような独白。

青年は横に座り込み、目を細めてただ聞いていた。


「恐怖だ。こんな災害をもたらす敵を相手に、立ち向かおうというのは恐ろしくて仕方ない」

「竜殺しが情けないことを言うじゃないか」


青年が皮肉を交えて言葉を返す。

 ローブの魔術師は星を見上げるようにその顔を天へ向ける。

 表情はフードの陰と、顔を覆う包帯でほぼすべてが見通せない。

 月を反射する瞳だけが、揺らめく液面を湛えていた。


「名声なんてこけおどし以外に役には立たないよ。ただ自分でも勝てる相手を狩る仕事を続けていたら勝手に名前の方がついてきた。それだけだった」

「なら、今回もそうだ。矢を使って敵を射す。それだけで、いつもと変わらない」

「だが、それは君の命を使う矢だぞ」


 裂くような、悲鳴交じりの声。

 青年はそれを聞いてなお、ほほ笑むばかり。

「今ここにいる私はこのために存在したようなものだからね」

「逃げてもいいじゃないか。この廃墟に目を背けたって、遠いところで人並みの生活をする権利はあるはずだ。違うか」


「引き留めてくれるんだな、クルビエ」

「――ボクはボクのエゴのためにキミを止めてるだけだ」

「だとしても、感謝しかない。――私がここに居る理由もね、自分のエゴなんだよ」


 青年はぽつぽつと語りだす。


「人並みの生活ってやつの権利は誰にだってある。――そして、最後に一度くらいは、正しく人らしくありたかったんだ」

「なんだよ、それ」


 魔術師が視線を向けると、探偵はひどく曖昧な笑みをこぼしていた。

 ひどく、寂しそうに、悲しそうに。


「彼に言わせれば、私は怪物らしい。本能を忘れた、理性だけの人らしからぬ存在」

 つぶやくような声でも、隣で聞く魔術師には聞き逃しようもなかった。

 声が波のようにゆらゆらと揺れているのも分かってしまう。

 彼をむやみで、無鉄砲な存在と思っていたけれど。

 それよりはもう少しだけ脆い心の持ち主で。


「でも、人々を守りたいというこの意思は間違いなく、私の人としての意思から来たものだ。――それを見せつけてやろうと思ってね」


 その脆さを併せたまま、彼の足は立ち上がる。

 闇の中で見上げる。

 月の光を浴びて、黒いはずの髪が少し透き通って見えた。


「意志は固いんだな」

「そうだね。そうでなければ、ここに居ない」

「引き止めたいよ。けど、止まらないんだろう」

「たぶん、キミに止められても、この機会を逃しても、私は私の為すべき目的に進むよ」


「――」


「最後になる前に、クルビエ。君の言葉を一つだけ訂正しておこう」


 魔術師の無言をどう受け取ったのか、探偵は柔らかい声色で言葉を続ける。


「この街はきっと、復興する。元通りなんかじゃあなく、元以上にだ」

「この惨状でも?」


 魔術師の言葉の先には、朽ちた灰しかない。


「ああ。人は強い」


 青年の言葉は、夜空に満ちているであろう星へ向けられていた。

 よどむ雲の向こうに、輝く未来の星がある。

 確信に満ちた表情は、そのまま魔術師へと向けられる。

 この先に、この先の未来に、臆することはないと。

 瞳が語っていた。


「キミは、優しいんだな」

「語るべき言葉を口にしただけさ」

「なら、ボクも一つだけ教えておく」


 立ち上がって、全身で彼を見つめる。


「聞こうじゃないか」

「キミは怪物なんかじゃない」


 星が揺らめく瞳が、探偵を見る。


「キミはただ、本能のままに、理性的に生きてるんだ。論理的でありたい。理性的でありたい。そういう本能に突き動かされて、君の行動は形作られてるんじゃあないか」

「――」


 青年は口を開くが、言葉を失ったように声が出ない。


「キミは人だよ。人を愛し、人に愛される、ただの人だ」


 青年はきょとんとした顔で魔術師へと振り向いた。

 交錯する視線を添うように白磁の手が、青年の肩に伸びる。

 月明りの下、フードがはらりとめくれ、白銀の長髪が星にきらめく。

 石畳をける音の後。


 光の隙間が閉じて、陰が重なる。


 世界が止まったような一瞬。

もたつくような足音とともに、魔術師はフードを深くかぶりなおす。

 青年は一度思考を奪われたように、たたらを踏む。


「――理解したか?」


 魔術師は顔を少し背けながら、睨むような目つきを携えて、そっとつぶやいた。

 青年はその所作をすべて見つめながら、「ああ」と応える。


「これ以上なく」


 万感の意がこもった言葉に、魔術師は思わず、ほほ笑んでしまった。


「心変わりしてもいいんだぜ」

「いいや。決心できた。君のおかげで、前を向いて最後に臨めそうだ」


 青年の眼は、真っすぐに前を向いていた。


「なら、いい」


 魔術師は、それを見て。

 納得したように、大きくうなずいた。


「準備する。君はその中心に立っていろ」


 青年は荷物を背負うと、魔術師の指さす先に歩を進める。


「――風よ唄え。火よ舞え。して、空を貫け」


 魔術師の詠唱に呼応して、床の紋章が輝きを増す。


「改めて言うが、着地までは保証しない。魔力の乱流の中、まともな魔術は成立させられないからな。ボクがお膳立てするのは空を飛ぶところまでだ」


「十分すぎるよ」


 ばさり、と布の翼を広げながら、視線を向ける。


「ありがとう。――幸せだった」


 光の柱が空へ上る。

 すれ違うように、頬に透明な筋が通った。


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