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異世界探偵 京二郎の目糸録  作者: 水戸 連
終章:執念と情熱の讃美歌
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29 終焉への序曲

 勢いよく扉が開く音が、雨の音を遮った。

 立っていたのは、ボロボロの白衣を雨と泥で汚した中年の男。

 血がにじむ腹を抑えながら、壁を掴み、息も絶え絶えに室内へ体を乗り入れる。


「ずいぶんな姿になったものだ――さあ、はいりたまえ」

 貴族の男は腰かけていた椅子からゆっくりと立ち上がると、客人を招くように手を差し伸べる。

 中年の男――リェールは差し伸べられた手も無視して、男を見つめていた。


「――エドワード卿」

 茫然とした声だった。

 そこにいることすら信じられない、と言わんばかりの。


「どうしてここに居るのですか、エドワード卿」

「君の見舞いさ」

「まさか。そんな殊勝な方ではないでしょう」

「嫌われたものだ――スポンサーとして十分に協力しているつもりなのにな」

「単に性質の話ですよ。エドワード=イシュテムと言う男は目的の最中に寄り道などしない」


 エドワードは顔をゆがませる。


「リェール、どうしてこの塔はここまで複雑な内装をしているかは知ってるかな」

「強大な魔力を制御するため、例えば今エドワード卿が身に着けている『勇者の力』を暴走させないように、一般人でも使えるようにするための機構、と聞いていますが」

「それはこの塔の機能の一つに過ぎない」


 エドワードは告げながらゆっくりと立ち上がる。


「部屋の区画そのものを魔法陣とする、無数の魔法が仕込まれているためだ。この塔を掌握すれば、あらゆる魔術の詠唱すら可能になる。――もっとも、人並みの魔術師では机上の空論で、あくまでそんなコンセプトがある、程度の話に過ぎない」

「よくご存じですね、そんな話」

「我々第一貴族――国王の直系たる身ではね、そういった話も受け継がれるものさ。あらゆる強大な魔術を操った、とされる偉大なる先祖の遺産のようなもの、と言う話だ」


 エドワードの悠々と語る話に、リェールは首をかしげるばかり。


「絵空事と言う話ですが、それが今に至ってどんな関係があると?」

「魔術の規模は描かれた魔法陣の大きさに比例する。もしもグランブルトの街を覆うような魔法陣を描けたなら、絵空事は正しく地に堕ちる」


 ごくり、と唾をのむ音。

 エドワードの言葉は、具体性の一つもない。

 しかし、リェールには、ここまで計画を共にしてきたからこそ、その言葉が目指す情景が、はっきりと想像できてしまった。


「――まさか、あなたはそこまでお考えだった、と」


 茫然としたような声。

 エドワードはそれを聞いて満足したようにうなずくと「ところで」と口にしながら、リェールの瞳を覗き込むように腰を下ろした。


「リェール。君がいなくなったしばらくの時間、竜たちの増産が効かなくなったんだが、君の仕業かな」


 ゆっくりとした、深く、つきまとうような声。

 人によっては、それを魅力と感じる人間もいる。

 支配と、力に満ちた視線と声は服従の精神を呼び起こすものだから、それは仕方ない。

 ただ、リェールは真の意味を知っている。

 相手をじっくりと検分し、その価値を推し量ろうとしているのだ。


「――少々不手際がありましてね。中心部が破壊されたもんで、肉体の方はともかく、それを動かす『心』を埋め込むのはしばらく無理でしょうな」


 そして、それが自分に向けられるのは――切り捨てるかどうかを値踏みしているのだ、と判断することは難しくなかった。


「私が居なくては彼らの肉体に魂を吹き込むことは叶いませんよ。どんな精巧なゴーレムも、優れた術師なくして成立はせんのです」

「なるほど、君なりのプロテクト、と言うわけか」

「ええ、私の才能なくして、私の研究なくしてグランブルトの支配は叶わないんですよ、エドワード卿」


 道行く先はただの地獄としても。

 ともに行かねば、その果てにはたどり着けない。

 リェールとしては、打算であり、結論でもあった。


「さあ、一緒に――」


 リェールの言葉を最後まで発する前に。

ぐさり、と肉体を貫くものがあった。


「――」


 リェールが膝をつくと同時。


「道も、志も違え、そして価値もなくなった。なら、君はもう不要だな、リェール」

 エドワードの手には、緑に輝く宝玉が握られていた。

「――――ずいぶん浅慮ですなあ、エドワード卿ともあろう方が」

「余裕があるな、リェール」


「痛みにはなれましたとも。それに、この後の始末を聞きたくて仕方がない」

「なあに、これ以上の戦力は不要だし、彼らのコントロールを私がとる必要はない。『地上』の制圧さえしてくれればいい。彼らはただの陽動に過ぎない」


 エドワードは、崩れ落ちたリェールを見下ろす。

 冷たく、凍てつく瞳で。


「私の目的にとって、彼らはただの手段。囮でしかないんだよ」

「彼らは僕の研究結果でも最上と言える出来だったんですがね」

「君の究極ごときでは、私の目的には添え物に過ぎなかった、と言うことだ」


 吐き捨てるような言葉。

 同時に、先ほどまで降り続けていた雨の音もやみ、静寂が耳を支配する。


 雲の隙間から、光が降りる。

 すべてを魅了する、月明り。


「――ハ、ハハ」


 リェールは光に当てられると、引きつった笑みを浮かべながらよろよろと立ち上がる。


「ハハ、ヒ、ハァッハッハ!」


 よろめくように立ち上がる姿は、幽鬼のよう。

 大地に落ちた影が揺らめき、なおさら人ならざる姿を見せつける。

 エドワードはその姿に驚きもせず、侮蔑するような視線を向ける。


「なんだ、狂ったか? せめて私に研究結果を委譲するなら、名前だけは後世まで残してやったのにな」


 リェールはひとしきり笑い声を上げた後、うつむく。


「確かに僕の目標も目的もあさましいものだった。――そりゃあ、そんな目もするってもんだ」


 ぼそり、ぼそりとつぶやきながら、ゆっくりと顔を上げる。


「――しかしなあ」


 長い前髪の中から、ぎょろりとした眼がにらみつける。

 けれど、エドワードは眼があったとは感じなかった。

 確かに視線は合っているはずなのに、目の前の焦点はどこかはるか遠くを見ている。


「僕の頭脳までなめてもらっちゃあ困るなあ!」


 リェールが大きく笑みを浮かべた後、ガキン、と歯の奥をかみつぶす。

 同時に、エドワードが大きく姿勢を崩して膝をつく。


「なんだ、何が起きている」


 パリンパリン、とガラスが割れる音が周囲から響く。

 ゴロゴロと机のうえから物が転がり落ちる。

 部屋そのものが揺れている、と理解するのに数秒。

 エドワードは手近な柱をつかみながら、リェールをにらみつける。


「何をした、リェール!」

「知ってたさ、君がこの塔を『杖』に大魔術を行おうとしてる、ってことくらいね」


 狂気に染まる瞳は、目の前を見ていながら、しかし、今ここにあるすべてが目に入っていないかのよう。


「だから、今ぶっ壊してやった」

「――リェール!」


 エドワードの手から放たれた魔弾がリェールを正確に貫く。

 床に崩れ落ち、ぼちゃぼちゃこぼれる血の沼が、足元を染めていく。


「――つまらん癇癪で後に残る名声を失ったな、リェール」

 感情のない声に。

 リェールは視線を宙からおろして、リェールに向ける。


「ハハ、そんなことよりも、大事なものがあったんですよ、エドワード卿」

 血にまみれた腕を天に掲げながら。

 ぎらつく瞳を見開く。


「証明だ。――僕は、この才能を証明したくてたまらなかったんですよ」

「残念だったな、答え合わせの機会をついぞ失うことになったぞ」

「ハハ、ハ。――なあに、これまでの果てに、正しい目的地に一歩踏み込めた、と確信が得られただけで――十分だったんですよ」


 つきものが落ちたように。

 どこまでも、純粋な声だった。


「せめて最後に、一矢報いてやったぞ」


 宙に向けるような独り言の後。

 枝が折れるように、その体はぽとり、と地に堕ちた。




「――確かに、面倒なことではある」


 エドワードは、ガラガラと崩れ去る塔を見上げる。


「だが、時間稼ぎにもならないよ、リェール」


 懐から取り出した、煌々と輝く緑の結晶を宙にかざす。

 膨大な魔力が周囲に溢れかえる。

周囲の大地からいくつものつるを生やし、それらを編み上げられていく。

 土くれをまとい、空へ立ち上り。

 永くもない、わずかな時間で、崩れ去ったはずの魔術の塔は新生していた。


「失ったなら作るだけだ。壊れたなら直すだけだ。目的地にたどり着くまでね」


 ごほり、とせき込む。

 思わず口元を抑えた手から、どろりとしたものが零れ落ちる。

 空にかざしてみれば、真っ赤な血がぽたぽたと滴り落ちていく。

 理外の力を用いた代償。

 手首を伝う血が、袖に消えないシミを作る。

 そんなことは、もう問題ではない。

 準備は整った。




『――諸君』




 土くれを積み上げた塔の上で、暗い、暗い、空を見上げる。

 ひと時の月はすでに、雲の間に隠れた。

 闇をさらに深くする曇天が、ざあざあと雨音をもたらす。

 身体を濡らす水温の感触はもうほとんどない。

 手に持った金属の集音機の冷たさすら感じ取れない。

 それでも。あるいは、だからこそ。

 すべての終わりへ向けて言葉を紡ぐ。




『私はエドワード=イシュテム。新たな秩序を敷く者だ』


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