27 背を向ける2
路面をダッカダッカと蹄が蹴り上げる。
四輪の馬車は石畳の小さな隙間で大きく跳ねながら壊れた街並みを駆け抜けていく。
「すいやせんね、乗り心地は勘弁くだせぇや!」
御者が馬車の先端で叫ぶ声に。
「安全運転さえ心がけてくれれば構いませんよ」
ロビンは荷台から声をかけると、座席に座りなおす。
奥の座席に今も眠る王を横たえながら。
目の前の騎士と、向かい合う。
「――ありがとうございます、フルズ卿。貴方のおかげで結界の突破もなりましたし、無事馬車にまで乗ることができました」
ロビンは深く頭を下げる。
騎士――フルズは「気にしてくれるな」と言いながら、ロビンに頭を上げるように促す。
「アルドレッド卿の護衛騎士としての当然の仕事を果たしたまでだ」
「それでも、貴方が居なければどうにもなりませんでしたから」
ロビンは屈託のない笑みを浮かべる。
フルズは面食らったような顔をした後、そっぽを向いた。
「主の遺言みたいなものだ。オレにじゃあなく、わが主に――」
フルズが窓の外に視線を向けた瞬間、その言葉が止まる。
「――まずいな、追手がいる」
鋭い声がロビンの気を引き締めた。
「竜、ですか」
「間違いない。縄張りでもあるのか知らんが、馬車を追ってきたんだろう」
フルズは窓の外をぐるりと見まわした後、ロビンの方を振り向く。
「ロビン=アーキライト。馬を乗り捨てて王を連れて逃げろ。近くの避難所で再度体勢を立て直せ」
「フルズ卿はどうされるのですか」
「足止めは必要だろう」
「――殿と言うことではないですか」
「俺はアルドレッド侯爵の騎士だ。その名に恥じない活躍をするさ」
フルズは強面を緩めて、ほんの少し頬を緩めた。
「そんな顔をするな。しゃんとした顔で見送ってくれよ」
「――ええ、分かってます。それが、最善と言うことくらいは」
ロビンは、沈むような声で、それでも、力を振り絞って、顔を上げた。
フルズは「それでいい」とつぶやくと、表情を引き締めなおす。
「敵の攻撃に合わせてオレが合図する。馬車を囮に乗り捨て、陛下を連れてお前たちが離脱する。作戦はこれだけだ。御者もそれで構わんな」
話を振られた御者は視線だけをこちらに向ける。
力強いうなずき一つで、二人にも了承の意は伝わった。
「よし、なら――」
ガツン、と破砕音がフルズの声を遮りすぐ後ろから。
猶予はない、と誰もが理解する。
「――飛び降りろ!」
フルズの声に応じて王を抱えたロビンと御者が飛び降りた直後。
大きな衝撃音とともに、馬車に魔弾が着撃した。
ばらばらと崩れ去る荷台を背に、ロビンと御者は一目散に駆け出した。
フルズは駆けていくロビンを見送ると、剣を抜き、収まっていた鞘を空高く投げ捨てた。
鞘は地面にたたきつけられ、カァン、と甲高い音が周囲に響く。
竜はその巨躯に似合わぬ俊敏さで振り返る。
フルズと竜の視線が合う。
竜の眼光は岩すら射貫いてしまうのではないかと錯覚するほど鋭く。
フルズはそれを真っすぐに見据えながら、空に剣を滑らせ、円を描く。
宙に描く魔法陣。
呼応して、剣の先から、バチバチと雷がこぼれだす。
竜もまた、紫電の武装を恐れることなく翼を大きく広げとびかかる。
「アルドレッド卿の騎士フルズ、いざ参る」
――走る。
がれきの道を超えて、魔術を重ねて強化した足で街並みを駆け抜ける。
ロビンが背負う王の重さは魔術で軽減していることもあり、苦でもない。
指示された避難所は近い。
先行く御者の手でどこまでの医療行為ができるかはともかく、最低限の休息は取れるはず。
そろそろ一息つけるだろう。
そう、ロビンの思考にゆとりが生まれた時。
視界の奥に、白い巨躯が現れた。
「――竜」
自分の喉から漏れた、息をのむような声。
それに遅れて、ロビンの思考が、目の前の障害の要因を推測してしまった。
「――まさか、別の竜の縄張りに入ってしまった?」
逃げるか、立ち向かうか。
その判断に、一瞬でも迷ったのが最後。
竜が、ぎょろりと振り向いた。
無造作な動きのせいで、鉄の尾が街を裂く。
――かすっただけの石造りの建物が、チーズでも裂くようにばらりと転がり落ちる。
次の一瞬には、それが自分の首でも起こると、理解する。
ばこん、と地面が破裂する音が耳に聞こえた直後。
死の爪が、眼前に。
何度、今日は死を脳内でシミュレートしたことか。
悲鳴すら上げる猶予もない、終わりの前に。
――痛みより早く、視界を闇が覆った。
がん、と鋼鉄が弾く音が響いた。
目の前に立っているのは、見上げても足りぬほどの巨体を携えた獣人。
「【大鉄鋼】」
獣人は体の前にかざした両腕で竜の爪を受け止めていた。
しかし、その均衡はわずかにも持たない。
竜と獣人には数倍もの体格差があった。
徐々に、獣人は抑え込まれていく。
竜の口が、がばり、と開く。
生え揃う牙が、ずらりと並ぶ。
ずい、と首が伸び。
獣人を食らおうと、喉奥まであらわにした瞬間。
――何もせずに、死ねるもんか!
「【魔弾】、【装弾】、【放射】!」
ロビンの流れるような詠唱が響く。
同時に、青く瞬く閃光が竜の頭に直撃する。
竜は一瞬よろめくが、それだけ。傷ひとつない。
「くそ、僕なんかじゃ――」
「いや、十分だ!」
獣人が思い切り体をかがめると、竜の下部に滑り込んだ。
「【強化】!」
筋力増加の魔術を唱えながら、竜の足を掴む。
意図を読み取ったロビンが、詠唱を紡ぐ。
「【対象固定】、【軽量化】」
獣人は勢いのまま、竜を背負い。
「吹きとべぇ!」
身体ごと振り回して、竜を投げ飛ばした。
「――助力感謝する、少年。だが、さっさと逃げろ」
ぜぇぜぇ、と獣人は竜を投げ飛ばした方に目を向けたまま、肩で大きく息をする。
「数分と経たないうちに奴は戻ってくる、だからとっととこの場を離れろ」
ロビンは一つの記憶にたどり着く。
見上げるような巨躯と、高圧的な物言い。
「――ノイア刑事?」
ロビンの声に、ノイアも振り向き、驚いたように小さく目を見開いた。
「貴様、ロビン=アーキライトか」
ボロボロになった上着が、近くのがれきに引っかかってびりびりと敗れる。
「ふん、一張羅だったんだがな」
邪魔くさい、と言うように脱ぎ捨てる。
「しかし、妙な偶然もあったものだ」
露になった両腕は、血みどろで、今にも取れてしまいそうなほど傷に溢れていた。
「ひどい傷じゃあないですか」
ロビンの震える声で、ノイアはようやく自分の惨状に気づいたようにわずかに目を見開く。
「手ひどくやられたものだ。所詮本官は体がでかいだけの一般人でな。竜共など相手にして無傷ではいられん」
「なら、無理せず下がってください」
「できん相談だ」
「――どうして」
悲痛な声が響く。
「どうしてみんな僕の盾になろうとするんですか」
こぼれるような声。
今まで抑え込んできたものが、溢れ出てしまったような。
「ここまでも、多くの助けを借りてきたか」
「借りたなんてものじゃありません。犠牲にして、見捨てて、――それでここまで、ようやくたどりついたのに、また目の前のあなたまで――」
背負いきれなくなってきたものを吐き出す、子供の声。
「他の誰かの話は知らんがな」
ノイアは聴く気もなく、鉄の拳を打ち鳴らす。
「驕るなよ、小僧。私は貴様のためだけにこの命を張るのではない」
振り返ることもなく、視線はただ砂煙に潜む敵にのみ捧げられる。
「この後方にはな、抵抗手段もない市民たちが大勢いるのだ」
全身はあまりに傷だらけで、腕からも足からも応急処置と思しき包帯がぼろぼろと崩れ落ちている。
「いいか。我々は市民を守るのが職務なんだ。貴様だけではなく、この市民に住まうあらゆる人々の秩序と安全を守る。その一部が、貴様に過ぎん。たまたま、そこに居たのが貴様だっただけだ」
にじんだ血漿がすべてを赤く染めて、命を燃やすかのような装いにさえ見える。
「それに、貴様が背負うそのお方を見るに、貴様にもまた、こなすべき義務があろう」
見ていられないと、背けたくなるほど、痛々しい姿。
「目を背けるな。貴様も責務を果たせ」
それでも、二の脚で敵へ立ち向かう姿は、活力に満ち溢れていた。
ロビンは記憶に焼き付けるように、その背中を睨みつけて。
「――わかりました。僕は僕の責務を果たしてきます」
がれきの道を、全力で駆けだしていった。
ノイアはふぅ、と息をつく。
張った言葉は、身の丈以上だった。
部下たちは別の地点の防衛に当たらせている。
休憩代わりに前線を離れたつもりが、いつの間にかまたも戦線に復帰していた。
しかし、しかし。もう、体の限界がすぐそこだと実感してしまう。
たった一人でどこまで耐えきれるかも怪しい。
竜と目が合う。
獰猛な捕食者の眼。
諦観のため息がこぼす代わりに。
「かかってこい、背負う命の重さの違いを見せつけてくれる!」
自分に言い聞かせるように声を荒げ。
迫る死の牙を一度でも多く凌ぐべく構える。
その命は短くとも、つないだ未来に価値があると信じて。
ただ力任せに振り下ろされる爪を受け止め、弾く。
――それで限界。
痛みが、全身をむしばみ、縛り上げる。
わずかな一瞬の隙は、竜にとってとどめに十分だった。
大きく開く、鉄の顎。
がばりと開いた口元は血に染まっていた。
いくつもの人間を食らいつくした証左。
――抗う術もなく、自分もまたその一部になる。
そう、死の確信がノイアの頭をよぎった時。
「――ヒヒ、良い大見得だねぇ」
甲高い魔女の笑い声とともに、氷の砲弾が目の前を駆け抜けた。
不意を突かれた竜は大きく弾かれ、体を転がす。
「たっぷり準備して不意を突いて吹っ飛ばすのが限度か。骨が折れるねぇ」
言葉とは裏腹に、喜悦を隠し切れないような声がノイアの隣に降り立つ。
全身を黒いローブに包んだ、背の丈ほどもある杖を備えた、強気な表情の老婆。
「ご婦人、あなたは?」
ノイアの問いに、老婆は鼻を鳴らす。
「通りすがりの大魔術師様さ。野暮な助太刀だったかね?」
「いえ、ご助力感謝します。むしろ、アレの鎮圧に本官が手を貸せることはありますか」
「なら、その傷を見たうえで酷なことを言うがね、盾になりな。何度もやりあって隙の一つや二つは見つけた。このおいぼれの魔力でもあの鎧をぶち抜いて見せるよ」
ノイアは両の手を、ギュッ、と音がなるほど引き締め。
闘志に満ちた瞳で、白い巨躯を睨みつける。
「承知。市民の盾となるは本懐でありますれば」
「――いいねぇ、アタシも全力で応えてやろうじゃないの」
からから、と身の丈以上の木の杖を引きずりながら。
ローブの奥、深いしわにまみれた青い瞳が輝く。
「さあ、竜退治としゃれこもうか」




