26 すべては入れ替わる
探偵の足が止まる。
目の前には、巨大な鉄の扉。
冷えた取っ手に熱を奪われつつ、がらがら、と重い音と共に扉を開く。
吹き出す冷気と鉄の匂いが体を通る。
一段低い内部へ踏み込みながら、ランプで周囲を照らす。
ずらりと並ぶ、白い怪物の体。
彼らには生気はかけらもなく。
地上で暴れまわる竜と同じ体でありながら、受ける印象はまるで違う。
ここには静しかない。
恐怖を生み出し続ける彼らの体は、石像のように展示される今、別の印象を生み出す。
探偵は石造りの床を歩みながら、周囲を見回す。
無駄を廃した、流れるようなフォルム。
光っていると誤認しそうなほど真っ白な体色。
どっしりと地につけた、安定感のある四足。
整然とした別の世界がここにあった。
倉庫の中ほどまで足を踏み入れた時、最奥で煌々と光があふれだした。
見上げるほどの結晶。
月明りすら染み込まない大地の底で、青空のように輝く。
これが魔力の源泉なのだろう、と知識のない探偵にも直感させるほど。
一歩近づくたびに彩りが変わり、万華鏡の中にでもいるような錯覚を受ける。
織りなされる光と影が、一層竜の体の迫力を増す。
その様は、先ほどまで見てきた怪物や、武器と言った破壊の権化ではない。
まるで、部屋そのものが一種の芸術のよう。
「僕の作品に感動していただけているようで何よりだよ」
立ち尽くす探偵の背後から、かすれた、悦に入ったような男の声が響いてきた。
石の階段をもったいぶるように降りる足音。
何者だ、と探偵が問うことはしない。
「リェール教授。あなたでしたか」
ふぅん、と納得するような声とともに、男は姿を見せる。
「つい昨日の客人か。世間は狭いな」
猫背気味の陰鬱な眼と、手入れの行き届いていない無精髭。
背中の大仰な荷物も相まって、見た目はずいぶんと野暮ったい。
そのくせ、白衣だけは汚れひとつなく、新品のよう。
ばさ、と裾を揺らしながら石段を降りて、探偵の前に立つ。
「しかし、作品――というのは、ここは美術館のつもりでお作りになられましたか?」
「背景さえあればそれは作品だ。歴史であり、心情であり、個性であり、感性でもあるモノ。それを内包したものはことごとく作品だ。作者が作品と意図せずともね」
「芸術には疎いもので、十全に理解しているとは言い難いですね。自分は機能に重きを置くタイプなものですから」
「いや――いやいや、それもまた、作品を理解する視点の一つだ。なんせ、機能と言うモノにも美しさは宿る」
「機能美ですか」
「それは完成品における評価で、一部の視点でしかない。機能における美しさには、作成の過程にもある。機能を求めるうえで、泥臭い試行錯誤、匠の経験による職人技、過去の知識の蓄積……どれを経過しても、出来上がったものに背景が宿る。その背景を感じた時、人は作品に出合った、と感じるものだ。それこそ、神が宿っている、などとね」
リェールは語りながら、探偵を値踏みするように、じぃ、と見つめる。
「確か、君は事件を追って学園に来ていた、と言う話だったか。それで例えるなら、犯人の背景が明らかになった時、情報でしかなかった犯行というキャンパスに理由と言う色がついた、とは感じなかったかね」
「快楽主義の犯行に感じ入る情緒はありませんし、悲しみや苦しみを背負った人を酒の肴にする趣味はありませんよ」
探偵の言葉は吐き捨てるよう。
リェールはそれを、歪な笑みで応える。
「変わった、いや、ねじれた男だな、君は。真実に迫ることを目的としながら、真実が持つ意味に重きを置かないとは。そんなでは機械仕掛けのようだ、などとなじられたこともあるのではないかね」
「――大した話じゃあないでしょう、教授」
「確かに。君自身のずれは、まったくもって本題ではないな」
リェールはゆっくりと、探偵へ歩み寄る。
「君がここに来た理由を伺おうか」
「少しばかりの質問を携えてきたんですよ、教授」
「――外があんな騒ぎで?」
岩盤に遮られてなお、地上からの喧騒は耳に届く。
何かが爆裂する音が絶え間なく、大地の揺れを伴う。
戦いはいまだに熾烈を極めているのだろう、と察しがつかない人間はいるはずもなかった。
「ええ。なぜ外の騒ぎを起こしたのか、当の本人に聞くのが手っ取り早いですから」
「奇異なことを言う。聞いてどうする?」
リェールはわずかに眉を顰める。
探偵は何でもないことのように、当然だと言わんばかりに、朗らかに言葉を続ける。
「なに、私の目的と違わないなら、温和な解決もあるかもしれないでしょう?」
「――なるほど、確かに余計な争いなど僕も望むところじゃあない」
リェールは小さくうなずきながら、思い出すように「そうだな」とつぶやく。
「君に話した、魔術と神の話は憶えているかね」
「ええ。人は魔術を手にしたがゆえに、神を忘れ、あるいは自分を神と自認するようになってしまったのではないか、と言う話でしたね」
「その話は一部欠けがある。魔術と言う知恵の果実を手にしたのはほんの一部の血族のみ。彼らは生まれながらにして豊富な魔力を体に宿し、その恩恵は彼らの子孫にのみ受け継がれていった。――今グランブルトを牛耳る、貴族と呼ばれる連中だよ」
ぎり、という歯ぎしりの音はが、石造りの空間によく響いた。
「不平等に分配されている魔術と言う概念を市井全ての者に分配する。それが私たちの目的だよ」
「『支配』までする必要はないでしょう」
「支配階級たる貴族どもが実権を握っていては魔術と言う貴族の特権を手放すわけない。だから、一時的にでもその支配を破壊する必要がある」
「――たとえ、そうだとして」
探偵は眉をひそめる。
「このような破壊と暴虐を伴った手段は不要でしょう」
探偵の声色と表情には、寂寥が宿っていた。
リェールは鼻で笑う。
「力を誇示しないと、地位の高い連中と言うのは考えを改めない物だ」
「詭弁ですよ。それは」
探偵は、ピシャリとリェールの言葉を否定した。
「裏から手を廻し表ざたにしない手段も、あるいは貴族たちにのみ力を誇示しても構わなかったはずだ。市井にまで被害を及ぼす方法を取ったのは目的に対する必然ではなく、手段に対する執着だ」
毅然とした、瞳と声がリェールを貫くように真っすぐ放たれる。
「――あなたは、自らの力の誇示のために、この改革に手を貸した。違いますか?」
リェールは眉が吊り上がるほどに目を見開いた。
「――たとえ、そうだとして」
ぎょろり、と飛び出るような目玉が光を受けて妖しく輝く。
「僕は何をたばかる必要があるのかね」
リェールの言葉は淡々として、風のない水面のように、穏やかだった。
「僕にとって、目的も正義もうわべだけだ。自らの悪徳など、とうに受け入れている。ただ、矜持が宿るのはここだけだ」
とんとん、と自らの頭を指先でたたく。
「この頭脳が至高であることを立証する。それだけが、手段であり、目的であり続けるんだよ、僕にとって」
「そのためにはあらゆる犠牲も許容すると」
「正確には、どうあっても構わない。現状できうる最大効率の手法に手を尽くす、それ以外に興味はない」
「次の機会を待てばいい、わざわざ人々を苦しめる必要はないでしょう」
「それは隣町の妊婦のために今乗っている馬車から降りてくれ、と言われているようなものでね。何の利得もない話に耳を貸すつもりもない」
「では、利がある話なら聞いていただける、と?」
「僕にとって、世界を支配する技術を生み出した、以上に世界に轟く称号はないよ」
「では、貴方はすべてを受け入れたうえでそこに居る、と」
「そうとも。君は――いや、真実は、悪性を正すことはできるかもしれない。だが、悪そのものはねじ曲がらないものだ」
「――なるほど。無駄なお時間をおかけしました」
靴音が床を滑る。
探偵がわずかに足を開き、小さく息を吸う。
最小限の動作で、眼に闘志が宿る。
リェールはそれを見てうなずく。
「いいや、確認は重要だ。ここまでの質問から察するに、いや、そもそもこの場に立っている時点で、君の目的は奥の結晶の破壊。そうだな」
「ええ、よくお分かりで」
「そして、私の手段はその結晶による魔力の供給で竜を操り、世界に名をとどろかすことだ」
「――」
「つまるところ、私たちの手段は衝突する。互いを退けなければ目的にはたどり着けない、敵同士と言うわけだ。しかし、この狭い倉庫で竜たちを暴れさせるわけにもいかない」
リェールは口にしながら、背中の荷物をゆっくりと抜き取る。
「であれば、これを使ういい機会だ」
緑に輝く、手のひらほどの、真球にも近しい結晶。
探偵はそれを見て、息をのんだ。
「――『自然の結晶』」
「おや、知ってるか」
リェールは探偵の反応に気をよくしてか、口元をゆがめる。
「なら、説明は不要だろう」
「――いくらかレプリカと言えど、勇者の力は常人の身に余るはずですが」
「クク、どんな代物も一般化、と言うモノは可能なのさ」
ゆっくりと、天へ掲げるように緑の結晶を宙へ。
「せっかくだ、性能を見せてあげよう」
リェールが開いた手で指をはじくと同時、閃光が瞬く。
掲げられた緑の結晶が色を失うと同時。
身構えた探偵の横を風切り音が通り抜け。
後方で、炸裂音が響くとともに、がらがらと壁が崩れる。
探偵は振り向きもしないが、音だけで惨状は想像できたのか、冷や汗を垂らす。
「周囲の自然全てを操る、なんて理不尽には届かないが、兵器として扱うならこれで十分なものだ」
リェールはそっと結晶をなでると、すぐに鮮やかな緑を取り戻す。
「なるほど。技術者としてもあなたは卓越した腕をお持ちだ」
「――君と話していると、未来視の女を思い出すな」
「おや、お知り合いですか」
「ずいぶんと口ぶりが君に似ているものでね、つい思い起こす――なんて昔話より、だ」
リェールは改めて、と言わんばかりに緑の結晶を探偵へ向けるように掲げる。
「この魔術の的になるか、素直に檻へ案内されるか、どちらがお好みかな」
「どちらも困ります。まだ私には、果たすべき大役がありますので」
「そんな答えまでそっくりだ――なら結構、二つとも選ばせてやろう」
リェールが指先に力を込めた瞬間。
探偵が身をすくめるように、小さくかがんだ。
「その程度で逃がすものか」
標準を定めるように結晶を持つ手を下げて、指を鳴らす。
同時に、探偵は体を乗り出すように地を蹴る。
斜め前方に転がるような動きに、的をつけそこなった緑の弾丸は大きく外れて地面をえぐるだけに終わる。
リェールが目を見開く一瞬。
探偵は数歩の距離を一息で詰める。
――チェックメイト。
そういわんばかりに、探偵の手が眼前に迫る。
リェールの持つ結晶は魔術を一度打つたびに装填が必要となるものだろう。
色を失った結晶に、魔術を放つ力はない。
「――甘いなあ、若造」
その判断とともに。
二発目の弾丸が探偵の腹部を打ち抜いていた。
探偵の体が支えを失ったように崩れ落ちる。
「――なぜ」
うめく声が、倒れ伏した探偵から響く。
リェールはそれを見ながら、満足げに笑う。
「矢を二発撃てるようにする、なんて改造としては当然の発想だろう」
「――では、色を失った結晶に色を戻したのは」
「ただの振りだよ。光のあるなしなんてただの飾りの機能だ」
リェールは見せつけるように、結晶の側面をなでる。
ちかちかと瞬くように、自由自在に結晶は光の点灯と消失を繰り返す。
「ただ機能を追求するだけじゃあない、この手のお遊びもだますには十分だろう?」
「――ええ、確かに。貴方の方が上手だった」
ばたり、と探偵は倒れ込む。
ほんのわずかに、最後まで、視線を上へ向けて。
その意識は、途絶えた。
力なく倒れ伏した姿と、溢れ出る血に偽装の余地はない。
「ふん、多少体は動かせても装備の差というものは覆しがたい。準備の差こそが結果を分かつものだ。さあて、牢にぶち込むか、縛り上げるか、はたまた――ここでやってしまおうか」
リェールは上機嫌に口元をゆがめながら、結晶を突きつけ。
倒れ伏した探偵に向けようとした時。
「――ぐ、ぁ」
リェールの腹部を鋭い痛みが貫く。
見下ろせば、岩の刃が腹を突き刺すように生えていた。
「――何者、だ」
リェールは振り返りながら、絞り出すように叫ぶ。
「オレが名乗る必要があるのか、リェール」
やや高い、いら立ちを隠しきれない声が倉庫に響く。
声の主は、手入れのされていない金色の長髪と、泥にまみれた白衣を揺らしながら、靴音を高く響かせる。
リェールはその声だけで、だれかなどはすぐに分かった。
「――アルセト、どうしてここに」
「破壊工作も十分、ってところで仮初の相棒の様子を見に来たのさ。――囮と本命が入れ替わるなんて思ってもいなかったがな」
リェールが渇いた笑いをこぼす。
「――なんだ、傍観者気取りと思っていたが、正義の味方でもしに来たか」
「罰を下しに来たんだよ。オレの発明を妙な使い方しやがった奴にな」
「神様気取りか。手に負えんな」
「言ってろ。どうしたって、お前の野望はここで終わりだ」
アルセトはポケットから赤く輝く結晶を取り出す。
リェールがその輝きを目にした瞬間、大きく目を見開く。
「――『赤』の魔術結晶。どこでそんなもの拾ってきた」
「こんな状況だ、いくらでも想像つくだろう」
アルセトは語りながら、魔術結晶を宙にかざす。
「『破壊の赤』。直接詠唱ってのは魔術師でもない人間には難しいが、魔術そのものが閉じ込められた魔術結晶なら、使いようってやつはある」
結晶の煌きが増し、赤々とアルセトの手を照らす。
「――やめろ、あれは僕の発明なんだぞ」
「オレの発明でもあったんだ」
アルセトによって、紅い結晶は高く放り投げられた。
「やめろ、やめろ、せめて、君がうまく使え――!」
「まさか。こんなもの、世界を壊すためにしか使えない。そんなあるべきでない姿になり下がったものは土に還るべきだ」
最期の輝き、と言わんばかりに光を強めた後、結晶はボロボロと崩れ去っていった。
「――ああ、どうして。僕の野望はこうもたやすく潰えたのに、君の目的は果たせるんだ。才能の違いってやつなのか」
大地の奥にまで、嘆きを伝えようとするほど、大きく喚くような声。
「オレとオマエの違いは、単に手段をどう選ぶかの違いだよ」
アルセトの回答は、吐き捨てるようなものだった。
「――分かったような口を。そういう才能にかぶれたところと、僕の才能なんて歯牙にもかけない様なその眼つきが嫌いだったんだ」
「才能にかぶれてるかは知らねぇが、お前の才能ならちゃんと知ってるさ」
「見下したように言いやがって――」
声は、諦観にまみれたまま、痛みによるうめき声で途切れた。
アルセトは倒れ伏した、薄汚れた白衣を見下ろしながら、目を細める。
「――本当に知ってるんだがなあ。この時代で一番の『研究者』はお前に違いない。あさましい名声になんてこだわらなければ――きっと、何に手を付けたって一角になれただろうに」
惜しむようなつぶやきに対して、返事はない。
アルセトはとどめを刺すように、腰元から武器を引き抜こうとして。
「――いや。これ以上はオレの役割じゃあない。残りは自然の結果ってやつに任せよう」
近くの布切れを無造作にリェールにかけると、立ち上がり奥へ目を向ける。
倒れ伏している探偵。
その腹部からは、血がにじむようにあふれ出ていた。
「無事か、ロージキィ」
返事はなく、代わりに荒い息が苦悶を示す。
表情は苦痛をこらえるのに手いっぱいで、指先には力の一つも入らない。
最低限の応急処置を終えてなお、彼の症状は治まらない。
――猶予がない。
アルセトとしては、すでにここで自分ができる仕事は終えた。
なら、今の優先事項はこの友人の治療のみ。
「痛むかもしれんが勘弁してくれよ」
重い体を背負って、外へ。
降りしきる雨の中を緩やかな足取りで踏み出していった。




