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異世界探偵 京二郎の目糸録  作者: 水戸 連
終章:執念と情熱の讃美歌
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20 背を向ける

 ノイアは警察の制服を見にまといながら、ただ茫然と立っていた。

崩壊するすべてを、何もできずに視ていた。


 建物が、道路が、街灯が、あるべき姿を保てず、崩れ落ちた様をさらしている。

 人は大勢逃げ惑い、モノは散乱し溢れかえり。

 怒号が骨に響き、悲鳴が耳を刺す。

 燃え上がる炎が、空を灰に染め上げていく。


 すべてが、非日常。

 何もかもが、元から程遠い。


「――どうしろというのだ、こんなもの」


疑問に、応えてくれるものは誰もいない。

 的確な思考も、過去の経験も、必要な知識も、自分にはない。

 

いや、こんな異常事態に、正しい答えを出せる人間など誰もいない。

 そもそも、自分なんかにできることなどない。

 ただすこしばかり図体がでかいだけで、何もかもが空回りするだけの人間だ。

 ただ、己の命を守るのが精いっぱいで、逃げ惑うことしかできなくなる。


 それは、当然の防衛本能。

 そうだ。自分もまた、こんな危険な場所に立っている場合ではない。

 もっと、安全な場所に逃げないと。


 背を向けようとして。

 視界の端に、颯爽と走る影を目にした。

 無意識に、ぐるり、と体がそちらを向いた。


 がれきに満ちた道路を、弾き飛ばしながら駆け抜ける馬車。

 馬車は、明確な意思をもって町の中心を目指している。

 そちらは、怪物たちが跋扈している魔境なのに、どうして。


「おい――」


 思わず呼び止めようとした。この先には、危険しかない。

 巣を守る獣のように、竜は気を張っている。

 数も段違いで、近づくだけで、木っ端みじんに破壊されてもおかしくない。


 だから、逃げろ、と。口にしようと思った。


しかし、こちらのことなんてお構いなしに、馬車は横を通り抜けていった。

 その、一瞬。横顔を目にした。

 それは少年の横顔。

 

誰ともつかず、ただ瞳だけが見えただけだった。

 しかし、そのたった一瞬は、目に焼き付いた。

 悲観でも、恐怖でも、諦観でもなく。

 決意に満ちた、勇気ある瞳。


 目指すもののために、明日のために、誰かのために、燃えていた。


 それは、ノイアの凍えた心に火を通すには十分だった。


 ――ああ、俺は何をしていたんだか。


 彼が何を目的としているのかは知りようもない。

 ただ、その熱量だけは間違いなく伝わった。

 たとえ自分の命を懸けてでも、正しいと自らが信じる信念を果たそうとする、強い意志。


 ――そうだ。俺は、恐怖から目を背けるためにこの職を志したんじゃあない。


 ふつふつと、心の奥に熱が沸き上がる。


 同時に、自分の知覚していた世界がずいぶんぼやけていたものだ、と自戒する。

 馬車が走り抜けていった方とは別の方角。

 そちらに、破壊を伴う怪物の音と、誰かの悲鳴。

 逃げ遅れている誰かが、襲われているに違いない。


「【軽荷】」


 ためらいは一つもなかった。


「【加速】」


 魔術で自らの脚力を増大させ、大地を蹴り飛ばした。

 ほんの数歩で通りの角を抜ける。



 

 目に映ったのは、白く大きな、凶器だった。

 歩くだけの脚が、大地を割る。

 刃のように鋭利な爪は振るうだけで石を裂く。

金剛のように固い牙からぼろぼろと、岩盤や鋼の屑が零れ落ちる。

体躯のあちこちを、人間の血と思しき紅がべったりと染め上げていた。


 およそ自然にある物ではなく、また人間が太刀打ちすべきものでもないと直感させる。


 恐怖が足を引き留める。


「――ああ、誰か、あ、」


 凶器の足元に、小さな少女がか細い声を上げていた。

 竜はそれを、羽虫でもはたくように押しつぶそうと、腕を大きく振り上げる。

 恐怖が、ノイアの脚を縛り上げる。


 その足は、本能的に止まってしまう。


 ――逃亡せよ、と唸る己の本能を。さらに、理性に拠って前進する意思で飲み込んだ。


「【大鉄鋼】!」


 振り下ろされた爪を受け止めていたのは、鋼鉄と化したノイアの両腕。

 恐怖も、苦痛も、今はどこか遠い。


「お嬢ちゃん、早く逃げろ!」

「は、はい!」


 足音が遠ざかる。

 後ろを向く余裕などない。

 敵は竜――のような怪物。

 巨人種である自分よりも、さらに一回り大きな体躯を持つ。

 ――そう。一回り大きいだけだ。

 そう自分に言い聞かせ、敵の攻勢に抵抗する。

 爪を振るう一撃を鋼鉄の腕で受け流し。

 口から吐き出される炎には体をひるがえし、わずかに傷を負いながらも体を潜り込ませ接近戦に持ち込む。


 牙でくらいついてくる際には、強引に体をはじいて距離を取る。


 ――ああ、しかしこれは、じり貧だ。


 敵の攻撃に対応することはある程度可能だ。

 しかし、その先がない。


 鋼鉄よりも固い皮膚でできた敵の体を打ち抜く手段は、何もない。

 凌ぎ続けたところで、決して勝ちはない。


 希望のない、未来を目にした瞬間。

 足元がふらついた。

 よろめく体の隙を、竜は見逃してはくれず。


 大きく、大きく開いた口が眼前に見え、ギラリと光る歯が目の先に。

 終わりか、とあきらめがよぎると同時、わずかな安心も残った。

 せめて。最後に、誰かの助けになれたのだと――。


「【魔弾】!」

 ノイアの胸中の余韻を、轟音が打ち抜いた。

 同時に目の前の竜の巨体がはるか後方へ吹き飛んでいた。


 ――援軍?


 だが、軍も警察も近くに居るはずはない。

 だから、自分だけがこのような場所に立っているというのに。

 一体、誰が来たのか。


「なあに一人でかっこつけとるんですか」


 気だるげで、親しさを感じさせる声がノイアの背から響く。

 ノイアが体を起こしながら振り向く。

 見えたのは、見知った顔である、自らの部下の姿だった。


「ケアド、どうしてここに」


 中年の警官、ケアドは肩に乗せた巨大な砲を背負いなおしながら、「へへっ」と笑う。


「本当は、あんなおっかないのから、逃げ出すつもりだった。――恐怖に足がすくんで、閉じこもりたくなって、でも、アンタの背中を見ちまった」


「――――そうか」


 ノイアは笑うだけで、何も告げずに立ち上がった。

 叱咤も、非難も、怒りも、そのすべてが、自分に資格はない。

 ただ、一歩進んで、その背を見せつけて一言。


「助かった」


 ケアドは鼻を擦りながら、照れくさそうに顔を背ける。


「さあて、あの化け物どうしてやりましょうかね」

「アレを倒すすべはないか」

「さあ、さっきのも見た目は派手でも効果はなかったようで、装甲までぶち抜いた感覚はありませんよ。脳震盪でも起こすような生き物ならいいんですが」


「触った感覚だがな、アレは生物ではない。ゴーレムの一種と考えるべきだろう」


 ケアドはうめき声を上げながら、首をすくめた。


「じゃあ、術者の魔力を吐き出させるか、ゴーレムそのものを破壊しないと無敵じゃあないですか」

 ゴーレム。魔力によって駆動する無機物の総称で、筋肉の代わりに魔力を用いて駆動する魔法生物。

 兵器としてゴーレムが使われた場合、ケアドの言った二つ以外の方法で処理することは困難。

 しかし、ノイアは難しい顔で周囲に耳を澄ます。


「――この数を同時に操っているのだ、魔力の枯渇を期待するべきではないだろうな」

「かといって、あんな鋼鉄の鎧をぶっ壊して駆動系をとめる、なんてのも無理でしょう」


 ケアドの言葉に、ノイアも大きくうなずく。

 何より、実際にその体に触れるほどまで接近したノイアが相手の脅威を誰よりわかっている。


「竜殺し、と言えば冒険者だろう。グランブルト最高戦力と噂のS級冒険者連中でもいないのか?」


「――昨日聞いた話ですがね、ほとんどのS級は国の外に出向いちまってるんだとか」


 その状況を聞いて、ノイアは疑念に思い至る。

 なぜ、そこまで戦力が少ないのか。

 用意周到に戦力を削られたのではないか。

 ――であれば、敵はグランブルトの中に居るのではないか。

 そこまで思い至って、ノイアとケアドは視線を合わせる。


「――たとえ何であっても、今はその正体は問題ではないな」

「ですな」


 互いに息をつく。

 同時に、二人の耳に唸り声が響く。

 のそり、のそり、と煙の奥で巨大な影が、蠢く姿が二来の視界に映った。


「こちらの戦力は少ない。よって、まずは戦力の集中と、市民の避難に当たる」

「なるほど、戦う敵の面を減らせば少ない戦力でも防衛に徹せられると」

「異論は?」

「ありませんよ」

「よし、ケアドは先導としてその避難活動に当たり、ついでにその過程で協力者を募れ」

「隊長はどうするんで」


 ノイアはがつん、と両の拳を眼前で合わせ、竜の影に一歩踏み込む。


「その時間を稼ぐ」

「――いつまで持ちます?」

「死ぬまで、としか答えられん」

「了解、迅速に行動に当たります」


 立ち去る足音を背に。


「【大鉄鋼】」


 ノイアは鋼の拳を構え、竜へ向き合う。

 勝利を求め相手を打倒する戦いではなく。

 敗北を退け続けるために耐え忍ぶ戦い。

 道の先は、暗い。

 しかし、その眼の先は、光を見つめて拳を振るう。



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