18 竜が吠え、人が嘆く
日が落ちた、学院の正門前。
ロビンは馬車の座席に腰かけながら、手綱を握る男の背中を見ていた。
ひどく猫背で、いかにも気乗りしない、と言った感情が顔を見ずとも感じ取れる。
「なんですか、なんだかんだ言っておいてその日に呼びつけられるのは嫌だったと?」
帰りの足を用意すべく今日別れたばかりの御者を呼びつけたのだが、どうも様子が優れない。
御者はうなだれながらロビンに視線だけを向ける。
「違いますぜ。別件でちょいと小金稼ぎしようとしてたら、ついてねぇことになった、ってだけでさあ」
御者はこれみよがしにため息をつく。
「何かあったんですか」
「ちょいとしてやられましてね。魔石を一つ持ってかれたんでさあ」
「盗まれたんですか、らしくもない」
「いや、タイミングの問題で――盗まれたというか、渡しちまったと言うか」
「そんな詐欺みたいなマネに引っかかるような貴方でもないでしょう」
「まあ、ホントしてやられたってことで、勉強料みたいなモンだとあきらめてますぜ」
御者はそう言いながらも、肩は下がりっぱなしだった。
「未だに引きずってるでしょう。何だったら取り返しに行きましょうか」
御者は腕を組んで大きくのけぞりながら、「うーーーーん」と大きくうなった後。
「そいつはやめときやしょう」
さっぱりと言い放った。
正確には、言葉だけがあっさりとしていて、声も顔もあきらめきれないと前面に示している。
「何を気にしてるんですか。仕事の能率が落ちる方が問題でしょうに」
「いやあ、まあ、いいんでさあ」
御者は露骨に言い淀む。
「ンなことより、もう一人のお客さんはどうしたんで?」
さらに露骨な話題転換に、ロビンは少し眉をひそめた後、「さあ」と言いながら首を傾ける。
「血相変えて飛び出していきましたけど、どうにも戻りが遅く――」
ロビンが振り返った瞬間に。
閃光が目を刺した。
遅れて、耳をつくような爆音。
ごう、と全身を押し戻すような爆風。
ぐらぐらと、揺れる感覚。
地面が揺れているのか、自分の神経が揺さぶられたかも判断がつかないほど、世界がぐらりぐらりと回る。
「――こいつもグランブルトじゃあ普通のことですかい?」
「まさか!」
ロビンはよろめく御者を支えながら、音の発生源を見上げていた。
はるか高きの塔の上で、煙を立ててぼろぼろと何かが崩落している。
その騒ぎは学園内にも伝播しているようで、ばたばたと学内から外へ人が波のようにあふれ出る。
ロビンは塔へ向かうといった魔術師の姿を思い出す。
「まさか、クルビエさんに何かあったんじゃあ」
ロビンは思い至った直後、馬車から飛び降りた。
「坊ちゃん、助けに行こう、なんてことは言いやせんよね」
「でも、あんな爆発があったのに友人を放ったまま背を向けられません」
「――ちょっと!」
御者の制止の声も聴かずに走り出そうとしたロビンを、一本の杖が遮った。
「おや、坊や。何しに行こうというんだい?」
しわがれた声がロビンの意識を導く。
ローブを纏った老婆が悠然とした佇まいで立っていた。
老婆は見定めるような目つきでロビンに視線を向ける。
「何って、あの中に僕の友人がいるんです」
老婆は「ふうん」と相槌を打つ。
笑みを一瞬浮かべた後、鋭い眼は今なお煙が立ち上る塔の屋上へ向かった。
「無駄だね。世界で指折りの自信があるアタシだって足手まといだから背を向けてきたんだ。坊や程度の魔力じゃあ手も足も出ないよ」
「でも――」
「無駄死にが好きなら止めないが。あそこに居る意地っ張りの魔術師はそれを望むかね」
ロビンは一瞬、あっけにとられたように言葉を失う。
「――あなたは、一体?」
「通りすがりの魔術師様さ。それで坊や、気は変わらないかい?」
今なお、さらに炎は燃え上がり、爆発が爆発を呼ぶような魔境。
ロビンからすれば、呼吸すら困難になりかねないような死の領域にしか見えない。
無謀に飛び込むべき、なんてことは決してない。
唇をぐっとかみしめて、「改めます」と口にした。
「クルビエさんに迷惑はかけられない。それに、思えば『足』の用意も自分が乗るためのものとは言ってませんでした。――きっと、こうなることも見越していたんでしょう」
「――いいねぇ、もう少し聞き分けないと思っていたが、よく見えてるし、よく理解してるじゃないか」
老婆は「ヒヒヒ」と引きずるような笑い声を漏らした後、ロビンの身長ほどもありそうな杖を指先一つひねるだけで、ぐるりと回し、肩に担ぐ。
「よし、脱出行の手伝いでもしてやろうかね、疾く、馬車に乗って鞭を振らせな」
ロビンは背中を押されながら、怪訝な眼を老婆に向ける。
「脱出って、ただ街に出るだけでしょう」
「ただ爆発騒ぎが起きたからってこんな必死こいて逃げ出す騒ぎになんてなりゃしないよ。ずいぶんな危険物がその辺をのしのし歩いてんのさ」
老婆の声に応えるように、ロビンの背後から大地を揺らす音が響く。
とっさに振り向いて、背筋が凍り付く。
石を金属がこする不協和音がノイズのように。
崩れ落ちる建物が砂煙を上げる。
月を覆う、巨大な影が目に入る。
「――なんですか、あれは」
四つ足を大地につけ。
長い首をもたげながら。
大きな目をぐりぐりと回し。
周囲をうかがうように頭が右へ左へ。
一歩歩くだけで、体が浮かび上がるような揺れを起こす。
月明りを反射する外殻はあまりにも白く。
獣と言うにはあまりにも無機質な装甲を全身に身にまとう巨躯。
「さあね。ただ、知性があり、ヒトに敵対するデカブツの呼び名は相場が決まってる」
咆哮が響く。
周囲を威嚇するようなそれは、その音そのものが一つの兵器のように耳を貫く。
老婆はピクリとも動じず、ただ険しい顔を宙に向ける。
「――竜。国を亡ぼす、悪名高きおとぎ話の悪者さ」
ぐるん、と巨躯の先の首がこちらを向いた。
ぎょろり、と音がしそうな目玉の動き。
眼があった。
紅い、血と魔が詰まったような瞳孔の中に自分たちの姿が映りこむ。
巨大な顎が大きく開く。
同時に、その白い鋼鉄の体に、紅の紋様が走る。
「――【赤】。そうか、そんな形でもう完成させていたのかい」
老婆の声は空に消え。
代わりに、ヒュウ、と風が空を切る音が辺りを支配する。
怪物が息を吸い込む音だ、と気づいたときにはもう遅かった。
炎熱が巨大な口の中に宿る。
大地を震わすような咆哮。
一瞬で視界のすべてを炎の塊が埋め尽くす。
老婆はそれに向き合いながら、ニヤリと白い歯を見せて笑う。
「まったく、老体に無理させるもんだ」
ひゅん、と杖が老婆の手元で回る。
杖の先から漏れる冷気が空に軌跡を映し、円が描かれる。
「【水氷】」
老婆の詠唱と同時、氷の膜が広がり炎を遠ざけた。
周囲の水と言う水を引き付け、片端から氷の壁を作り上げる。
大きく、厚い、城壁にも匹敵しそうな盾。
ロビンが安心したように一息ついたところを、老婆は鋭い眼で睨む。
「永くはもたないよ、さあ、走りな」
びきり、と大木が折れるような音。
見れば、城壁にも等しい氷の壁のあちこちにひびが入り始めている。
修復するように氷の膜が新たにできるが、破壊されゆく壁を支えるには至らない。
「坊やにもきっと役割があるだろう」
老婆は、ちらりと、視線だけをロビンへ向ける。
「それは、ここで突っ立てることなんかじゃあないはずだ」
「……はい!」
ロビンは背中を押されるように、全力で駆けだしていた。
ふぅ、と魔女は息をつき、腰を下ろす。
どうにか竜を撒き、人通りの少ない森の中、しばしの休息をとる。
竜たちは人通りの多いところを周るようで、家も道もない林のような場所には寄り付きもしない。
――まるで、人を襲うようにしつけられてるみたいじゃあないか。
そんな疑問をよそに、背後から落ち葉を踏みしめる音が耳に入ってくる。
ざっざっざ、とテンポよく駆けるソレは、魔女のすぐ近くでピタリと止まる。
魔女が気の陰から怪訝そうにのぞき込む。
居たのは、古びたコートを着こなす探偵だった。
息を少々荒げながら、魔女を見て笑みを見せる。
「どうも、学長」
魔女は探偵の姿を見て、呆れたようにため息を漏らす。
「――アンタ、まだこの学園に居たのかい」
「どうぞ。私では役立てられませんが、学長ならいくらか糧になるでしょう」
探偵は懐から瓶を取り出すと、無造作に放った。
学長は受け取った瓶をまじまじと見ながら、眉間にしわを寄せた。
「……ディムエギスじゃないか、どうしてこんな代物を」
ディムエギス。エギスと呼ばれる魔力を奪う毒性を持つ植物を転化させ、一種の魔力増強剤に変換させた飲料の一つ。一口飲むだけで使い果たした魔力を満たすほどにまで回復するほどの効果があるという。
探偵は目を伏せながら、ぽつぽつと語る。
「友人の手土産に持ってきたつもりだったんですよ。――こんなことになってるとは思っていませんでしたが」
学長はなるほど、といいながら瓶にもう一度目を通した後。
「返すよ、若造」
ぽい、と探偵へ瓶を投げ返した。
「おや、不要でしたか」
「つまらんねぎらいなんか受け取れるもんかい。そもそも、ババアってのは魔力じゃあなく、腰やら足が痛むもんさ」
「なるほど、今度は湿布でも持ってきましょう」
「それはそれでむかつくからアンタの顔に投げ返すだろうね」
「理不尽ですね」
探偵は大げさに困ったそぶりを見せながら、瓶をポケットに戻す。
学長は「しらじらしい」とつぶやきながら、
「そんで、アンタどうやってここまで来た。あのデカブツどもをどう切り抜けてきたんだい」
「おそらく、彼らは魔力を探知して人を襲うのでしょう。だから魔力の多い都心部や、富裕層の多い住宅街へ数が多く向かっている」
「ヒヒ、なるほどね、だから枯れたババアより街の若い小童どもを食いに行ってるわけか」
「――食う、と言うのは少々違うようですがね。彼らは野生ではなく、理性に基づいた行動指針があるようです」
「なんだい、理由すら見当がついてるのかい」
「それをお話しする時間も惜しい。学長殿、もしあの竜たちが製造されてるとして、その中核基地はどこと思われますか」
「――この学園の塔、その地下だろうね。学園の敷地を使って作った六芒星、その中心があの塔だから、もっとも魔力の貯蔵できる場所はそこさ」
「ありがとうございます。それでは――」
「待ちな、さすがに無謀だよ」
「なに、私は一切魔力を持ちませんから竜共に気づかれませんよ」
「――なら、アタシがついていくとかえって足手まといか。口惜しいねえ、老体じゃあ自分の城一つも守れやしない」
学長は木に背中を預けながら、大きく、大きくため息をつく。
「そうだねぇ、せめてもの忠告だ。やつら、【赤】の術式を取り込んでやがる」
「【赤】というと、先日学園の地下で聞いたクーデターの武器に使われてる疑いがある、という魔術の一種でしたか」
「ああ。それを【竜】に取り込ませていた奴らがいる、ってところだ」
「――――なるほど。魔術に疎くとも、そこまで話が出そろえばある程度のアタリはつく、と言うモノですね」
探偵は顎に手を当てて一瞬考えるそぶりを見せた後、コートのポケットから手紙を取り出す。
「情報のお代です、もしよければ、この少年をお尋ねください」
魔女はつまむようにして手紙を取ると、爪で端を切って、中身を抜き取る。
出てきたのは、少年の似顔絵一枚と、『ロビン=アーキライト』という名前と、住所が記された紙一枚。
「今どこに居るかは分かりませんが、隠れ潜むだけの男じゃあない。必ずや事件解決に一枚噛んでるでしょうから、助けになってあげてください」
学長は思わず、「へぇ」とつぶやきながら、似顔絵をまじまじと見ていた。
先ほどであったばかりの、意志に満ちた少年の顔と同じものだった。
「おや、気に入っていただけたようで何より。彼の行きそうなところをピックアップしておきましょうか?」
「いやあ、さっき逃がしたばかりなんでね、大体の位置は見当もつく」
「なんと。それは今度お礼の品をお渡ししないと」
「この坊や、弟か何かかい?」
「助手にして友人です。聡明で賢く勇気もあって頼りになる男です、必ずや良い知恵を出してくれますよ」
「そうかい、そいつは楽しみだ」
「どうやらこの街にはびこる彼ら、人の多いところに集まるくせに、人が隠れるところを襲おうとはしません。住居の中を通り抜けていけばいくらか安全に移動できるはずです。ご婦人、無理をなさらないように」
「アンタもな、探偵」
探偵は微笑みを返事の代わりにすると、落ち葉の敷き詰められた地面をけるように、駆けだしていった。




