16 至る
室内の灯りが窓の外へ漏れ出す日暮れ。
クルビエは頬杖をつきながら、机に広げた本に視線を向ける。
味気ない、と誰もが評する殺風景な部屋。
途切れることなく紙をめくる音が続く。
遮るように、コンコン、と扉をたたく音が外から響いてきた。
クルビエは手を止めると、いぶかしげな表情のまま顔を上げる。
「どちらさまかな」
「ロビン=アーキライトです。お時間よろしいでしょうか」
クルビエは口元を少し緩めた。
「客人と言うだけでも珍しいのに、まさかキミが訪ねてくるなんてね」
パタン、と本を閉じると、指をパチン、と大きく鳴らす。
キィ、と扉がひとりでに開く。
廊下に立っていたロビンは部屋に目を通して、申し訳なささそうに目を伏せる。
「もしかして書類整理でお忙しいところでしたか」
視線を受けた客人、ロビンは小さく頭を下げる。
「いいや、ちょっとした調べものさ。それに、友人の訪問を無下にするほどじゃあない。入りたまえよ」
ロビンはほう、と安心したように一息ついて、
「失礼します」
と、敷居をまたぎながら扉を静かに閉める。
所作一つ一つのぎこちなさを見て、クルビエは笑みをこぼした。
「なんだ、ずいぶん肩が凝ってるように見えるね」
ロビンがようやく座ると、はあ、と安心したようにため息をこぼす。
「初めての場所と言うのもあってかどうも慣れなくて」
「そうか、キミはこの学院は初めてだったか。そういうことならボクが案内してあげればよかったな」
「そういった話もお聞きしたいのはやまやまですが、今は別の話をしたくてここに来ました」
「言ってごらん」
「先生についての話です」
クルビエは「なるほど」と小さくつぶやくと、指をパチンと鳴らす。
かちん、かちん、と扉と窓から金具が落ちる音。
【施錠】の魔術が掛けられたのだ、とはロビンにもすぐにわかった。
「ボクもあの日以降キミに話していなかったからね。いくらか話したいことはあったよ」
「警察が先生を捕まえに来た日のことですか」
「それ自体は何も実のある話はなかったけどね。そのあと『探偵殿』が来たんだよ」
「どんなお話を?」
「どうも学園で証拠探しをしていたようでそのついでに来たんだと」
クルビエの少々不満げな口調から心中を察して、ロビンは小さくうなずいて先を促した。
「『夕暮れ』の窃盗ルートもこの学園から『国宝殿』の間じゃないか、と彼は予測を立てているようだった」
ロビンは「ふむ」と小さくうなずきながら、考えるそぶりを見せる。
「なんだ、気になる点でも?」
「妙な話だな、と思いまして」
「そうなのかい?」
「『国宝殿』で侵入者があったことを知ってか先生が『国宝殿』で調査に向かっているのも見かけました。しかし、わざわざ学院に足を運んだのは何故だろう、と思いまして」
「別に君よりもあの男の方が情報を入手するのが遅かっただけだろう」
「警察にも、一部の貴族にも知れ渡っているような情報を、当事者である先生が真っ先に把握していない、とも思えないのですが」
クルビエがはさして興味もなさそうに相槌を返す。
「あの男の行動原理なんて深く考えてもしょうがない。それより、彼は君と連絡を取りたがっているようだったんだが、何か聞いたかい?」
「いえ、手紙一つで、他は何も」
「なるほど、用心深いな、あいつも。まあいいさ、ボクから伝えたかったのはあの男がロビン君にいずれ連絡を取るだろう、ってことだけだ」
ロビンは逡巡する。
わざわざそんな表ざたにできない手段で連絡を取ろうとするのは、面倒ごとではなかろうか。
「……警戒しておきますね?」
クルビエは忍び笑いをこぼす。
「邪険にしてやるなよ。それで、ロビン君の方の話はなんだ」
ロビンは一瞬ためらうように目を背けた後、改めて向き直る。
「勇者についての話です」
「今更な話だね、懐古話が嫌いなわけでもないが、なんでまたそんな話を?」
「どうも、先生が勇者ではないか、と疑っていまして」
「それまた妙な仮説だ」
「クルビエさんも勇者の儀式に立ち会ったことがおありなのではありませんか?」
「確かに昔そんな儀式にも立ち会ったかな」
「その時の話を聞いてもよろしいですか」
「ボクは別に大したことはしちゃいないよ」
クルビエは天井を見上げながら、「うーん」と小さくうめく。
「小さなことからでもいいんです、教えていただけませんか」
前のめりなロビンの姿に、クルビエは「わかったよ」と根負けしたように応える。
「儀式そのものと言うよりは、ボクの家名中心の話でよければ語ろうか」
「十分です。お願いします」
クルビエは自分のフードの奥から、ネックレスを取り出した。
「ずいぶん昔の話。ボクのクルビエという家名が、父によって貴族としての地位を与えられ、こんな家紋をもらった話だ」
紅と銀の三角を重ねた六芒星が、クルビエが無造作に机の上に置いたネックレスの先端に取り付けられていた。
「父がその儀式の大役を担って、勇者の力を封印する術式を組み立てたんだ。その功績でクルビエという名前がグランブルトの貴族の仲間入りを果たしたんだよ」
「クルビエさんはその時何をなされたんですか」
「生贄になったのさ」
なんでもないことのように言い捨てられた言葉。
「……どういう意味ですか、それ」
ロビンには、それを聞き流すことはできなかった。
「聞いたことがあるだろう、魔術の原義は対価を払うこと。その対価が膨大であればあるほど、強大な魔術を成せる」
「ええ。だから、広大な魔法陣や多量の魔力を扱うことで、強力な魔術を扱えるようになる、ということですよね」
「そして、ボクの父は、勇者という強大な存在を封じるために、ボクの肉体の『成長』を生贄にしたんだ」
「――――なんですか、それは」
ロビンの声には、どろりとしたものがまじりあっていた。
憤りとおぞましさがこねくり回し、泥のように粘つくものに変貌させてしまったかのように。
クルビエはそれを見て、穏やかにほほ笑んだ。
「生命が生きる限り、無限に変化が続き、その変化は生きるためのエネルギーを生み出す。人間と言う単体で見れば老いてしまう部分もあるが、社会全体のシステムは積み重ねを繰り返し、発展を続ける。それを人間一人で体現しうる概念が、『成長』だったわけだ」
「――」
「ボクは権利があったんだ。『肉体』と『精神』、どちらの成長を捨てるか」
「――小柄と思っていましたが、『肉体』の成長を捨てたんですか」
「ああ」
クルビエは小さくうなずく。
今までと変わらぬ声。
それが、一段と高く、子供の声のように聞こえた。
「非道と、思わなかったんですか」
「世界と天秤にかけた父の選択だ。『自分の命一つでは成しえない大魔術だ、どうか、子であるお前の半分を分けてくれないか』と問われてはね」
「……」
「言っておくけど、同情なんかするなよ。ボクは魔術の研鑽と探求の果てに、『肉体の成長』を取り戻す。だから、この体にただの一つも憐れまれる要素なんてない。すべては解消するんだからな」
クルビエは堂々と告げる。
そこに余計な感情なんてなく、ただ自分への自負だけが見えていた。
「強い人ですね」
ロビンは思わず、そうこぼした。
クルビエは曖昧な表情で「どうかな」と返した。
「キミに言われるまで、忘れたふりをしていた。勇者に逆恨み、なんてしていた時期もあったしな」
「もしかして、先生が勇者であったなら恨みを抱きますか」
「まさか。出自なんかに意味を求めても仕方ない。――むしろ、縁が深まったと言えるかもな」
「前向きですね」
「――今になってみれば、当時の術式とあの男は、一切の魔術が使えない、と言う類似性もある、と言えるか。つまり、探偵こそが最後の勇者――の形代であった、という可能性はあるだろうね」
「勇者という存在は今でも旗印になりうります。それを恐れた誰かが疑いをかぶせて先生を収監でもしようとしたんじゃあないでしょうか」
「だから彼が疑いを掛けられる結果になった、と。けどそうだとして、なぜわざわざ宝物庫で盗まれたように見せたんだ。まるで、勇者に盗みの容疑を掛けるべき別の理由が――」
そこまで口にして、クルビエの言葉が止まる。
無言でがたんと音と共に立ち上がると、部屋の隅に立てかけてあった杖を掴む。
地面に甲高い音を立てながら打ち付けた後、口元を抑えて黙り込む。
石像のように、その姿は動かない。
「……クルビエさん?」
クルビエはロビンの問いかけでようやく意識を取り戻すと、杖を携え、ゆっくりと振り向く。
「ロビン君、ボクは少し用事ができた。キミは――」
ローブの奥に眼が覗く。
水晶のようにきらめく瞳が、敵を見つけた狩人のように細められていた。
「疾く、帰りたまえ」
杖を無造作につかんだまま、扉にかけられた魔術の錠を叩くように解除する。
「クルビエさん、どこへ?」
「少し、魔術塔の方にね」
「それは、今の話と関係があるんでしょう、なら――」
ロビンのすがるような声に。
「だめだ、君を連れてはいけない」
クルビエは首を横に振った。
「なぜですか」
「万が一を考えるとね。キミを巻き込みかねない」
クルビエの優しい声色に、ロビンの脚が止まる。
「だから、理解してくれ、ロビン君」
「それでも、そこで知ることがあるから、クルビエさんは行くんでしょう」
「まあね」
「僕も、真実を知りたいんです」
クルビエは威圧的に、にらみつける。
ロビンは一歩も退くことなく、視線を合わせて真っすぐに見つめ返す。
数秒目を合わせたのち、クルビエの方が先にため息をついて、目をそむけた。
「その言葉に、二言はないな」
「もちろん」
「なら、君にも協力してもらおう。足を用意してくれるかい」
「分かりました。校門の前で待ってますよ」
「――ああ、頼んだよ。探偵の助手」
クルビエは翻るローブがバサバサと音を立てるのも気にせず、颯爽と去っていった。
勤めて平静を保つ姿を貫いているようで、クルビエが感じている焦燥を映し出しているよう。
ロビンは一抹の不安を手のひらににじむ汗に感じながら、校門へ急いだ。




