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異世界探偵 京二郎の目糸録  作者: 水戸 連
終章:執念と情熱の讃美歌
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14 無謀な交渉

 夕日が空に滲む。

 橙色が空気を伝い、地面に深い影を作りだす。

 青は闇に溶け、日の光と人の影が分かたれる。

 男、エドワードは一人、生活の音から遠ざかった酒場でグラスを傾ける。


「お客様。よろしいでしょうか」

 エドワードが声に振り向くと、かしこまった様子の店員が一人。

「どうしたのかな」


「相席を希望するお客様がいるのですが、よろしいでしょうか」

「見たところ、混んでいるわけでもないようだが?」

 周囲にちらほらと客はいるものの、満席には程遠い。

 席の節約なんて必要はどこにもない。


「いえ、こちらの方がお客様の知り合いと言うことらしく」

 店員が手を入口へと差し向ける。

 エドワードの視線もまた、誘導される。


 歩み寄る、一人の男へと。

「こんばんは、エドワード卿」

 うやうやしく礼をする青年。


 エドワードはその姿を見て、目を見開いた。


「もしや、人違いでしょうか?」

 店員が困ったようにエドワードと青年の間に視線をさまよわせる。


 エドワードが言葉に詰まっているのは相手が全く知らない相手だから、ではない。

 相手が探偵とかつて呼ばれ、そして今は警察に指名手配されているはずの相手だから、であった。


「いやあ、そんなはずはありませんよ。私もエドワード卿を知っていますし、エドワード卿も私を知っている。これを知り合いと言わずしてなんと言いましょう」


 探偵はエドワードへと視線を向けながら、口先だけの言葉で舌を回す。

 エドワードは事実を突きつけても、あるいは力でねじ伏せても良かった。

 多少騒ぎになろうとも、犯罪の容疑がある者を捕える行為は国家に対する益となる。

 しかし、その手は魔術を行使するのではなく、ゆっくりと向かいの空席を指した。


「私もキミと腰を据えて話してみたい、と思っていた。座りたまえ」

 探偵は「どうも」と小さく頭を下げながら、席に着く。

「あの、ご注文は?」


 おずおずと注文を訪ねる店員に、探偵は一瞬考えるそぶりを見せた後、

「おすすめの軽食を一つ――いや、二つ。それと、水を頼むよ」

 店員は「はあ」と困惑したようにうなずくと、たったった、と小走りで厨房へ戻っていった。




 からん、とスプーンが置かれ、空になった食器の上を滑る。


 探偵はふぅ、と一息つきながら口元を拭く。

「――君は、人前でも随分食べるのだね」

「いやあ、食べられる時に食べないといざと言うときに動けませんから」

 探偵はエドワードの皮肉の混じる物言いも気にした風もなく受け流す。


 エドワードはその佇まいに、わずかに顔をしかめる。


「余裕と言う物を持ちたまえ。気品、あるいは優雅さと言う物はそこから来る。君がどこの出かは知らないが、人としての品性を大事にするのなら食事くらいは丁寧にとるべきだ」


 探偵は口元を拭きながら、エドワードに穏やかな視線を向ける。


「余裕と言うのは私も好きな言葉ですが、あくまで自分の思考を冷静にするためのものであって、他人に見せつける類のものではない、と個人的には思いますよ」


 エドワードは探偵の反論を受けて、「ふむ」と小さくうなる。


「君は――この店をどう思う? 君の想ったままを聞かせてくれればいい」

「メニューの幅も広いうえに酒を飲まない私でも楽しめるものが多い。私的な感想ですが、いいところだと思いますよ」

「例えば、内装とかそういったものに興味はないのか?」


 古びた木造建築の柱や壁は一種の郷愁を漂わせていて、隠れ家のような風情。

 探偵は、そう問われてからようやく、今頃気づいたかのように店内を見回し、小さくなずく。


「こういったところのロマンも理解してますよ」

「だが、食事が良質でなければ来ることはない、と言うわけだ」

「正確には好みでなければ、ですね」

「雰囲気を楽しむためだけに店に来たりはしないか」

「食事に来たのなら、メニューを優先するでしょう」


 探偵は当然のように言い放ち、エドワードは含み笑いをこぼす。

 目の相手も気にせず食事を進める男と、微笑を携えて見つめながらグラスを傾ける男。

 その様をはたから見れば、旧知の友人、と言われても違和感はないかもしれない。

「君は本当に実益と言う物を重視する人間だな。ともすれば、私と気が合うところもあるやもしれん」


「というと?」


「なに、私も効果的で、確かなものの方が好きなんだ。この店を選んだのだって、味を評価してのことだし、この服も機能性を重視している」


「その割には、少々修飾が過ぎるようですが」

「フフ、貴族社会ではこの程度は見せつけないとかえって不便なものさ」


 探偵は「私には縁遠い話ですね」と言いながら、飲み物に口をつけた。

 エドワードは探偵の無関心な様子を見て、小さくうなずいた。


「そのそぶりだと、政治の話は君も知らないところだろうね」

「……どういったお話で?」

「国の運営と言う物も、効率的に行われるべきだ、と思っているという話さ」


 探偵は「なるほど」とうなずく。


「現状の王国に不満がある、ということですか」

「そこまでは言わないがね。ただ、国のトップである王や政治のかじ取りをする議会を牛耳る人間がただただ血脈によって導かれる、と言うのは我慢ならない。本来その能力がある人間を、わずかにすら政治に関わらせることができない、なんていうのは無駄が多いし、不利益極まりない。そう感じているだけだ」


 エドワードはそこまで口にして、少々口が回りすぎた、と自戒した。

 酒のせいかな、とグラスをなぞる。

 探偵はふむ、と考えるそぶりを見せる。


「私自身はほとんど現場を見たわけでもありませんが、エドワード卿の話が事実であれば、少々もったいない、とは思いますね」

「そうだろう。実に嘆かわしいことだと思っているわけだ」


 エドワードは一息つくように、グラスに手を伸ばす。

 中身に口をつける直前。


「ところで、エドワード卿」


 動作を遮るように、探偵の言葉が発せられた。


「何かな」

「それは、いつ実行するおつもりですか」


 静かで、透明な声。

 たったそれだけなのに、周囲の喧騒はひどく遠くなった。


「なんの話かな」

「とぼけなくても」


 探偵の瞳は細く、鋭く、目の前の相手を見つめていた。


「結局、国のトップの首を挿げ替えるクーデターを起こそう、と言う話でしょう?」


 探偵の覗き込むような瞳を、エドワードは負けじと睨み返す。


「――君は、どこまでその話を知っていた?」


「国の流通を知り、貴族の不満を知り、閉ざされた口の中心点を辿れば――あなたと言う人物にたどり着くのは容易でした」


「君は聡いな。今までの事件もそうやって解決してきた、というわけだ。この後はどうするつもりだ?」

「無論、おやめになるべきだと進言しますよ」

 探偵は顔の前で手を組み、エドワードを静かな瞳で見つめながら、言葉を紡ぐ。

「もっと温厚で、緩やかな手段もあることでしょう。武力を伴う革命でもっとも血を流すのは市民ですよ」


「とても正しく、清らかな意見だ。確かにゆっくりと、権力者を血筋などではなく、実力を測る器へと移し替え、この国が本当にあるべき形へと塗り替えれば、血は流れないかもしれん。だがそれは、今安定した暮らしを獲得している人間の言葉だ」

 エドワードは視線を外へ向けた。


 古びた木造の屋根と壁だけが備わった家と呼べるぎりぎりのものが立ち並ぶ、みすぼらしい空間が目に入ってくる。

 そこに住まう人々の姿は、エドワードにも、そして探偵にも想像がつくところではあった。


「今後三十年、いやそれ以上にわたる不平を見過ごすことに他ならない。みずからが持ちうる権利を自覚すらできずに死ぬ命を見捨てる手段と言うのは果たして、平和的と言えるのかね?」


 エドワードが戻した視線を、探偵はまっすぐに受け止めた。


「詭弁ですね。私とあなたの論のどちらが正しかろうと、武力によって世界を動かそう、と言う行為はあらゆる犠牲のきっかけになる。それだけであなたの行いを引き留める十分すぎる理由になる」

「ならば、無為なことだ。私はより多くの平等を望む。脚を組んで優雅ぶっている人間の犠牲くらい、いくらでも容認するとも」


 探偵は一瞬眉を吊り上げた後、残念そうにため息をついた。

 エドワードもまた、そのあからさまなしぐさに対して顔をしかめる。

「さて。君の説得は失敗したわけだが、この後はどうするつもりかな」

「世間につまびらかにするのが筋でしょう。あるいは、国家への反逆罪を問うなら司法へ送り出すべきかもしれませんが」


 淡々と、探偵は語る。

 至極、当然のことのように。

 彼の為す正義は、言葉の中にありありと浮かぶよう。

 エドワードは、突きつけるような言葉を受けて。


「だが、今の君にそんな権利はない」


 静かに、同様に、突き返す言葉を選んだ。


「指名手配されている君が何と言ったところで、すべて、ただの妄言として切り捨てられる。それは君が自分自身の発言を担保するための力がないからだ。違うかね?」


 エドワードは探偵が反論をはさまないのを確認して、さらに言葉をつづけた。

「結局ね、世の中は力がすべてだ。君の語る真実は、法によって、あるいは君の相対してきた人間の善性によって効果が生まれたに過ぎない。だが、自分自身の行動が悪であっても構わない、と言う人間に対して、君は無力だ」


 探偵はエドワードの言葉を、涼しげな表情で受け止める。

 木々が風に撫でられるかのように、微動にもしない。


「君はなぜ、そんなにも冷ややかだ」


 エドワードの口からは思わず、そんな言葉が漏れていた。


「君は今、私の一声で身柄を拘束される身だというのに、どうして冷静でいられるんだ」


「恐怖と言う物は、二つの方法で乗り越えられるものです」


 探偵はグラスに注がれた水を一口飲む。

 ことり、と置かれたグラスの中身は揺らぎ、すぐに静寂の支配する波面に戻る。


「一つは忘れることです。怒りによって、無謀によって、あるいは勇気によって、恐怖と言う物の存在を忘れてしまえば、その足がすくむことはない」


「君がそのような正気を失った存在とは思えないがね」


「怒りも無謀も、あるいは勇気も人としては正気とは思いますが、それはそれとして私はそのどれでもないつもりではいます。少なくても今は」


 探偵は切れ長の目の視線を周囲にさまよわせる。


 店内のささやかな賑わいに満ちた、人々の営みを瞳の中に取り込むように。


「もう一つは、確信があることです。どれだけの高所のつり橋であっても、落ちないという確信があれば、恐怖せずに渡れるものです。今回で言えば、エドワード卿は私の逮捕のためだけにこの憩いの場を踏み荒らすような真似はしないだろう、と思っていましたから」


 エドワードは探偵の言葉を聞いて、「そうか」と小さく漏らした。


「いくつか伝え聞いた君の奇行にも近い武勇伝。それは君の精神性が為すものだったか」


「おや、おかしなことは言っていないつもりでしたが」


「多くの人間は、たとえ安全とわかっていても、つり橋の下を見下ろすだけで足がすくむものだ。今だって、もしも私がなりふり構わず君を捕える危険性だってあるというのに、それを考慮にも入れず、こんなところに来た。しかも、その口ぶりでは私をどうすることもできないと分かっていたようじゃないか」


「ええ、少なくとも現時点では、私は貴方の計画の規模しか知りえない。その全容を知るわけでもなし、貴方に改心でもしていただく以外計画を止めることはできないと思っていました」


「まさか、そんな無謀な理由で身をさらしたなんて、冗談だろう?」


「一縷の望みに賭けた、と言う意味では嘘ではありません。安全だと分かっていて、そして交渉の機会があるというのであれば、試さない論理的な理由はないでしょう」


 エドワードは力なく、背もたれに体重を預けた。


 目の前の男の尋常ならざる意思に当てられたように、頭を抑えながら、視線だけは変わらず探偵を見つめ続ける。


「――君は本能と言う最も人間らしい部分を忘れていながら、最も人間の根幹である理性は人並み以上に満ちている」


 エドワードはつぶやく。

 思ったことを、そのまま口からこぼすように。


「君は本当に人間なのか? 人ならざる、『怪物』と言われても私は驚かないよ」

 探偵の漆黒の瞳は、周囲のランタンの灯を受けて揺らめいていた。


「――仮に何であったとして、私は私です」


 エドワードは小さく笑みを浮かべた。


「そうだな。君が何者であってもキミでしかなく、私にとって変わりはないな」


 探偵はうっすらとほほ笑みを取り戻すと、席を立った。


「さて、ここでお暇させていただきます」

「おや、私の方はもう少しくらい歓談と言うのも悪くないと思っていたがね?」

「なに、あなたの休暇をすべて食らうつもりはありませんし、ひそかに外に警官や私兵を用意されては困りますからね」


 エドワードは愉快そうに、口元を吊り上げた。

「それなら、見逃すとしよう。力なき君は、事の行く末を見守りたまえ」

 探偵は席を離れる直前、振り向きつぶやいた。

「ところで、エドワード卿。人は何ゆえに、目的へと進むのか、疑問に思ったことはありますか」


「さあな」

「理想――ロマンスというものを抱えているからですよ」

 探偵は揺らめく瞳を、エドワードへ向ける。


「さて、エドワード卿。貴方にとってのロマンスとは何でしょうか」

「――奇異なことを聞くな、探偵。急に言葉にできるようなものでもないだろう」


「では、次にお会いするときにお尋ねしますよ。それこそ、すべてが終わった後かもしれませんが」


 探偵はお代を店員に預けると、窓から悠々と飛び出していった。

 エドワードは一瞬で暗闇に消えた影へ視線を向けながら、グラスを傾ける。

「しいて言うなら、『それ』を実証するのが、私の今回の計画かもしれんな」

 つぶやかれた独り言は、にわかに騒がしくなってきた酒場の喧騒へと溶ける。




 わずかな休息の後、エドワードは席を立つ。

 店主に代金を預けると、軋む扉に手をかけて店を後にした。


 夜風に身を当てながら歩く最中。

敷かれた座敷に、うつむく少女を目にした。

骨も浮き出るような、あまりに細い、弱弱しい体。

 ありふれた光景だ。

 戦争で、病気で、貧困で、親を亡くし、たった一人、頼る者もいない子供が、社会の外にはじき出されたようにして、しんでいくことなんて、珍しくもない。

 たった一人に手を差し伸べることなんて、本当に意味はない。


「歩く力があるなら、ここを訪ねるといい」


 それでも、ただ見捨てるつもりにもなれず。

 孤児院の道先を記した地図を差し出した。

 ――ああ、こんなことの繰り返しでは、本当に救われるべきものが救えない。

 足取りも確かに、暗がりの中へ、その身もまた溶けるように消えていった。



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