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異世界探偵 京二郎の目糸録  作者: 水戸 連
終章:執念と情熱の讃美歌
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8 こぼれおちる水

 があがあとカラスが鳴く。

 不思議なことでもないのに、ノイアは妙に耳障りだ、と感じた。

 たぶん、このところうまくいってないからだろう。


 つい先日にはただの家宅捜索のつもりが住民を挑発してしまい、部下たちをあわや危険な目に合わせるところだった。また、このところ治安が悪いと駆り出される機会も増えたが、魔術が不得手なノイアにとっては、魔術を使う相手の対処は困難だ。


 通りをさしかかる人間のつむじを見渡せるほどの巨体。それを生かせる取っ組み合いならともかく、ちょこまかと逃げ惑う相手には逃げた先を仲間に伝える、くらいしかできない。


 不甲斐ない、と思いつつもその気持ちは一度心の外に置く。

 今は国宝殿の警護の最中。めったな人間が入ってくることがあるわけでもないとはいえ、ごく最近に盗難の話があったばかり。


 腰に差した剣の柄をなでながら気を引き締めていると、視界に映る一人の男が確固たる足取りでこちらに近づいてくる。


 黒縁眼鏡の奥の切れ長の瞳が印象的な青年。


 ノイアは覚えがあるような気もしたが、思い当たる前に自らの職務を実行した。


「止まりたまえ、そこの青年」

「おや、私に何か御用で?」


 青年は足を止めた後、驚いたように顔を上げる。


「ここをどこと思っている。グランブルトの国宝が数多く保存される国宝殿であるぞ」

「知っていますが、見学くらい構わんでしょう」


青年はさも当然、と言わんばかりに押し通ろうとする。

ノイアはまてまて、といながら制止する。


「怪しいものがあれば通すな、と上からのお達しでな」

「以前はそんなことなかったと記憶していますが、何かあったのですか?」

「ああ、つい先日に盗みが――」


 そこまでこぼして、ノイアはハッとして口元を手でふさぐ。

 国宝殿で盗みがあったことはごく一部の貴族と警官にしか知られていない極秘事項。やすやすと漏らしていいものではなかった。


「――盗み?」


 青年が眉をひそめるのを見て、ノイアは視線を逸らす。


「ああ、いや。機密事項でな。聞き流してくれ」

「そうしたいところですが、私も近くの住まいでしてね、そんな物騒な話を聞いてはとても夜も眠れませんよ」


 ノイアはむぅ、とうなりながら眉間にしわを寄せる。

「別に詳細を聞きたいというわけではありませんよ。いつ頃の話なのか、くらいはお聞きしてもいいでしょう?」


 青年は不安そうなそぶりで問いかける。

 ノイアとしては気にする必要はない、と突っぱねてもよかったが、先に話を漏らしたのは自分の方だった、と思うと少々いたたまれない気持ちになる。それに、犯行時刻くらいなら話したところで大した問題にはなるまい、と自分の中で結論付ける。


「三日前、夜間に行われた犯行だろう、と目星はつけられている」

「具体的な時間に確証はない、と」

「ああ。日に二回、朝と夜の見回りが行われるが、前日の夜の見回りでは誰も気づかず、朝の見回りで発覚したのだ」


「ふうん、なるほどね」


 青年は歯を見せるように笑みを浮かべたようにも見えた。

 しかし、一瞬の後には憂いを帯びたような表情へと移り変わっていた。


「不思議な話ですね、それは」

「何もおかしなことはなかろう」

「いえ、不思議も不思議ですよ。だって、この屋敷は日に二度の見回りで十分、とされるほど警備が厳重なのでしょう?」


 ノイアはうなずく。

 彼が知る限りでも、侵入者撃滅のためのトラップは二十を超え、検知や発覚のための簡単なものまで含めれば百に至るほど。


 当時の発想では考えられないような、『盗まれることを前提に、犯人を追跡するための装置』なども仕掛けられており、そうやすやすと盗み出せるようなものではない、とされていた。


「どうしてそこまで忍び込めるくせに、犯人とやらはその瞬間は騒ぎにもならない程度の戦果で満足したのでしょうね?」


「――そういえば、いったいなぜ」


 国宝の一つが盗まれただけでも大変な事態ではある。だが、完璧に国宝殿に侵入できるような腕前があるなら、あらかた盗み上げたっていいはずだ。


 しかし、現実には盗まれたのはただ一つの国宝と聞く。


「犯人にはその国宝さえあればよかった?」

「あるいは、『盗まれた』という事実さえあればよかった――かもしれませんね」


 青年は目をわずかに見開き、不穏な笑みを浮かべる。


 先ほどと違って、奥に潜む意思を隠そうともしない。

 獲物を見つけた、獣のよう。

 青年はノイアと視線が合うと、かぶりを振った後、気恥ずかしそうに頬を掻く。


「いや、失敬。少々興味深い話でも合ったので踏み込んでしまいましたが、私には少々縁遠い話でした。私はただ、この国宝殿を見学に来ただけでして」


 自然な調子で入ろうとする青年を、ノイアは押しとどめる。


「いや、いや。怪しいものを入れるわけにはいかないんだ」

「ふむ。怪しい、と言うのは身分の定かでないもの、と言うことですよね」

「ああ、そういうことに、なる……かな?」


「そうでしょう。何者か分からない物に侵入されれば後々捕えるのは困難です。一方、誰だかわかっている人間なら警察にとって捕えるのはたやすい。そうでしょう?」


「……確かにそう、と言ってもいいのか?」

「というわけでこれが私のパスポートです」


 青年が懐から取り出した手帳は間違いなくグランブルト王国が発行しているものであり、住所や発行日などから見ても偽りはないように見えた。


「どうです、身分証として不十分ですか」

「いや、問題はない、と思うが」

「気になるところでも?」


 ノイアはふむ、とあごに手を添え、思考を巡らせる。


「見覚えがあるような気がしてな」

「いやあ、ありふれた顔と言われます」


「……まあ、そういわれればそうか。よし、行っていいぞ」

 青年は別れの言葉を告げると、ノイアの隣を来た時と変わらず、確固たる足取りで歩んでいった。




「――久々に見てもあの無鉄砲さは変わりませんね、ホント」

 そのはるか後方から、馬車の窓から顔を乗り出して二人の情景を視ていた少年はぼそりとつぶやいた。


 御者にもその言葉が聞こえたのか、視線だけが少年へと振り返る。

「おや、ロビン坊ちゃん。何か見えましたかね」

 ロビンは体を馬車の中にひっこめると、「何も」と言いながら【遠視】の魔術を解除した。


「とか言って、見たくもない暴力沙汰でも目に入ったんでしょう?」


 最近物騒ですからねぇ、と愉快そうに御者は言葉をつづける。


「内容の割には楽しそうですね」

「なあに、物騒なほど馬車の需要は上がるってもんです」


 どんな野盗や空き巣でも、狙う相手そのものに理由があるわけでもない限り、より襲いやすい相手を狙う。

 馬車と言う物は乗るだけで馬の脚があり、さらに魔術による防衛機構や装甲が一般的に存在する。そしておまけに御者と言う護衛もついてくる。


王族や財を成した貴族ならいざ知らず、ただの一般人なら馬車に乗るだけで街中での安全が保障される。

御者はそれもまた商売の武器の一つになる、と口にしたのだ。


ロビンは「まったく」と小さくつぶやく。


「人の不幸を歓ぶのを止めはしませんが、己に返ってきますよ」

「どこかで聞いた話ですな。あっしは歓んでるんじゃあなく、ただの金勘定でしかありやせんよ」


「商売人が景気のいい時の金勘定を悲しんでやってるところは視たことないですけどね」

 ヒヒヒ、と御者がいやらしく笑う。


「ちげぇねえや」


 ぎぎ、と馬車が軋む音と共に馬車が止まる。

 先ほどロビンが目にしていた国宝殿より二区画ほど離れた地点。


「このあたりで十分ですかね?」


 木々の木陰に入り、人々の視線が集まりにくい、路地の端。

 ロビンにとっては街中なのに馬車まで使って駆け付けた、と余人に思われたくないなあ、と心の隅で思っただけだったが、御者はその意図を十分すぎるほどに汲んだらしい。


「ええ。助かりましたよ」


 ロビンは馬車を降りつつ、笑みを浮かべる。

 それを見て、御者の方はいぶかしげに眉を顰める。


「しかし、わざわざ御者を使うにしてもあっしを頼らんでも、もうちょっと安い奴に頼めばいいのに。街中でそんな物騒なことになるわけでもないでしょうに」


「どうもキナ臭くてね。信用できるあなたに頼みたかったんですよ」

 ロビンの言葉に、御者は歯を見せて笑う。


「いやあ、木陰でも月下でもない再会でしたが、一年ぶりでもいいもんですなあ、屈託のない信頼。あっしが坊ちゃんを気に入ってるのはそういうところです。どうです、ちょいとまけましょうか」


 ロビンは言葉を無視して、むしろ通常よりも代金を上乗せして手渡す。


「それよりも、少しでいいから噂話を収集してほしい。構いませんか?」

「アイアイサー、いくらでも無駄話を集めておきますよ」

「……それ、海兵の挨拶じゃありませんか?」


「いやあ、語呂がいいもんで最近のお気に入りなんでさあ。それでは、またお会いしましょう」


 御者が手綱を引くと、二頭の馬が低くいななく。

 ヨーソロー、という掛け声とともに馬車は石畳を駆け出して行った。




「ロビン=アーキライトか。ここに何用だ?」


ロビンが国宝殿入口の門前に立つと、ノイアが立ちはだかるようにその道をふさいできた。


「僕を止めるのに、さっきの人はどうして通したんですか」

「どうしてと言われても、一般の見学者を通さない理由の方がなかろう」


「……身元は調べましたか?」

「ああ、名も書かせたし、住所はこの近所であったぞ」


 ロビンにはその偽名は見覚えがあった。

 以前探偵が、貴族たちのパーティが行われる、とされた乗船に潜入する際に利用を検討していた名前だ。


 結局、実在しない名前を使うと早い段階で足が出る、と言うことで名義を別人から借りることになったが。


 調べれば足がつくことだろうに、ノイアは把握していないらしい。

 そこまで細かく身元を明かしたり、なんてしないのは個人か、それとも組織の怠慢か。


「…………まあ、今回に限りこちらに利するので何も言いませんよ」

「なんの話だ?」

「いいえ。それより、僕も入って構いませんね」

「なぜだ、最有力容疑者の関係者を現場に入れる理屈があるまい」


「逆に言えば最も身元がはっきりしている人間の一人です。さっきの一般人が入れて僕が入れない理屈もないでしょう」


「…………確かに、そんな気もしてきたな」


 ロビンははあ、とため息をついた。

 こんなへ理屈にも満たない言葉一つでいくらでも手玉にとれる相手に、以前恐怖をわずかにでも抱いたことがなんだかとても滑稽に思えたからだ。


「じゃあ、お邪魔しますね。お仕事頑張ってください、ノイア刑事」

 納得しきれないのか考え込むノイアを横目に、ロビンはすいすいと国宝殿へと入り込んでいった。


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